2: ham ◆sneo5SWWRw :2017/06/15(木) 22:46:50
このネタは、個人的な意見と考えから基づいて書かれています。
また、その意見と考えにより、転生者であると考えた人物が多く登場します。
加えて、その意見と考えにより、史実では誕生しなかった皇族も登場します。
異論が有る方も御座いますでしょうが、どうか寛大なお心でご覧ください。

このネタには石人さんの意見をもとにした転生者の名前が登場します。
石人さんより、登場の許可はもらっています。

このネタにはテツさん、石人さんの支援SSのオリキャラ転生者が登場します。
この作品には、名無し三流さんの作品「華族も楽じゃない」に登場する、蜂須賀政氏の設定を用いています。

このネタは提督たちの憂鬱のネタであり、実在の人物・団体・国家・家族構成等とは一切関係ありません。
また、それらを貶めるものではありません。

以上を留意してお読みください。

3: ham ◆sneo5SWWRw :2017/06/15(木) 22:47:25
夢幻会には、伏見宮博恭王や北白川成久王のように、皇族の転生者もいる。
そして、それらは彼らだけに留まらない。
さらに、それは華族でも・・・


   提督たちの憂鬱 ネタ 夢幻会皇族・華族会議




"紀"州徳川家、"尾"張徳川家、彦根"井"伊家。
各親藩・譜代大名の江戸藩邸が存在したことから、各家から一字ずつ取り名付けられたのが、紀尾井町である。
現実世界の今ではホテルニューオータニが存在するこの土地に伏見宮邸は存在する。
弁慶濠を挟んで南東の赤坂見附には閑院宮邸(現・衆参両院議長の各公邸)、西には迎賓館、そして赤坂御用地が存在する一等地である。

その一等地の邸宅の中で、夢幻会に属する二人の重鎮、伏見宮博恭王と近衛文麿がいた。
共に表の顔でさえも注目される二人がいるため、周囲は何やら企みを考えているのかと邪推しがちであるが、実際は互いに愚痴を言い合っていた。
そんな二人の元に、来客の知らせが入る。

「失礼します。
 秩父若宮様、閑院宮様、久邇宮様、徳川様、寺内様が御出でになられております。」

下働きの者がそう伝え、伏見宮たちは部屋に招き入れる。
来客は、秩父宮進仁親王、閑院宮篤仁王、久邇宮朝融王、徳川慶光、寺内寿一。
いずれも皇族、そして華族でも名門や新興ながらも重鎮として活躍する人達である。
そして、彼らにはある共通したことがあった。

「御加減はどうですかな、博恭王?」
「なぁに、まだまだ元気ですよ」

篤仁王に、そう元気に答える博恭王。
それに対し、娘婿の朝融王が言う。

「それはなにより。
 最も、万が一であっても、同人誌については今後は婿の私が引き継ぎますゆえ・・・」

これに対し、眉をわずかに動かし博恭王は答える。

「逆の掛け算をするお主に儂の萌えが引き継げるというのか?
 生意気を言いおって」

言い合っていることは残念な事だが、この岳父にこの娘婿と言った感じで萌えの対立をする二人の宮様。

「いやいや、萌えよりも燃えをですね・・・」
「また始まったよ・・・」
「いつものことでしょう」

4: ham ◆sneo5SWWRw :2017/06/15(木) 22:48:08
これに、近衛公も乗り、それらにやれやれと寺内が肩を竦める。
そんな彼に慶光公が肩に手をやり宥める。
さらに賛同するように篤仁王が言う。

「やっぱりスポーツで健全な汗を流しすべきだな。もっと野球の拡大を」
「いや、サッカーだろ、JK」
「こっちもかよ・・・」

篤仁王に進仁親王が口を挟み、さらに寺内は頭を抱える。
このいつもの馬鹿騒ぎに、比較的常識人を自負する寺内は気苦労に襲われた。

もう気付いているだろうが、全員が転生者である。

史実での彼らを軽く紹介すると、進仁親王は流産。
篤仁王は、生後間もなくに死去。
朝融王と慶光公は女性関係で問題を起こし、寺内は陸軍軍人として悪評をもっている。

この世界での彼らは、転生により趣味に生きつつも、皇族、華族としての務めを果たし、問題も起こさずにいた。

秩父宮進仁(ゆきひと)親王は、秩父宮家では史実で流産した御子で、
史実と変わって二・二六事件は起こらず、それによる昭和天皇からの雍仁親王の召喚もなかったため、極寒の列車旅行をすることもなく、医療技術が進歩したこともあり、お生まれになった。
父王、雍仁親王の名から隹部をもらった名を名付けられた彼は、史実で生まれなかった人物という条件か、彼はスポーツ、特にサッカー好きの転生者であった。
そのため、日本をサッカー大国にしようと情熱を燃やしている。

閑院宮篤仁王は、読者諸兄も知っているが、某支援SSに登場する野球好きの宮様で、ロマノフ朝ニコライ2世の忘れ形見、アナスタシア皇女の夫である。

久邇宮朝融王は、久邇宮家の現当主で、フシミンの3女、知子女王の夫である。
転生者の彼は、博恭王と同じく同人制作に精を出し、今では「フシミン」「コノミン」に並ぶ第三の著名同人作家「クニノン」と呼ばれていた。
ちなみに、史実では婚約破棄問題を起こしているが、これについては同人誌関係で仲良くなったことから、酒井菊子と婚約する前に、知子女王と婚約した事で回避された。
なお、一応、同人誌については黒歴史の自覚はあるので、知子女王のみならず家族には全力で秘密としている。
何か間違っている気がするが、気にしないでほしい。
余談だが、昭和天皇とは学習院で同じクラスだったこともあり、乃木とともに陛下がフリーダムなった原因の犯人扱いを受けている。
また、フシミンとはカップリング等の嗜好の違いから、同人誌に置いては度々対立している。
一応、公私の区別をつけ、公務ではそれを表に出さないのだが、私のほうでは常識人の嶋田の頭痛薬と胃薬の量が増える要因にもなっているらしい。
合唱。

徳川慶光は、歴史の教科書でもご存じの江戸幕府最後の将軍、徳川慶喜の直系の孫で、慶喜系の徳川公爵家(徳川宗家とは別)の第3代当主である。
史実では戦後に料理や野菜作りなど趣味に没頭して生きたからか、転生前はいわゆる家事男だった男が転生し、料理を中心に家事に没頭する毎日を送り、調理師免許まで持っていたりする。
また、その経緯からか、史実と同様に徴兵を受けた際は、炊事兵となり、自慢の料理の腕前を振るい、兵士達の士気向上に貢献していた。
加えて、北一輝と北白川宮成久王とは料理仲間でもある。
なお、母親が有栖川宮實枝子女王であることから、有栖川宮家祭祀継承の経緯のために、昭和天皇の弟君、高松宮宣仁親王に嫁いでいるので、皇族の外戚でもあったりする。
そのため、同僚の炊事兵と上層部は、皇弟妃の兄ということもあって恐縮しっぱなしであった。
余談だが、史実では高松宮家は子女に恵まれなかったこともあり、有栖川宮家の継承に備え、慶光も有栖川流書道を伝承するために同流派を心得ている。

そして、寺内寿一は影が薄いながらも大正期の夢幻会の陸軍転生者として列席し、今も陸軍の長老として君臨している。
まぁ、さすがに最近は、史実での寿命もあり老いを見せているが。

5: ham ◆sneo5SWWRw :2017/06/15(木) 22:48:41

「ところで、どうかね、即売会は?」
「好評です。各サークル共に頑張っています」

伏見宮の問いに、同人誌即売会を取り仕切っている久邇宮がそう答える。
久邇宮は近年、体調が悪化の一途を辿っている伏見宮に替わり、即売会の運営(+フシミンのサークル活動)を任されていた。
嶋田が聞いたら、頭痛薬と胃薬の追加を求めている所だが、彼らとしても趣味ではあるが、日頃の皇族としての気苦労から、ある種ストレスの発散になっているのだから、止めるわけにもいかなかった。

「それは良かった。・・・で、御客さんのほうはどうだ?」

ニコニコと満足げに喜びつつ、伏見宮は直ぐに真顔になって問う。
久邇宮もそれに動じず、伏見宮の問いに答える。

「まぁ、大人しく売り子をしていますが、一部は大手に売り込もうと色々していますよ。
 さすがに、こっちの眼もあるので、派手にはやっていないようですがね」

彼らが言っているのは、英ソを中心とする国外の諜報組織の工作員たちである。
彼ら工作員たちは、日本の政府や軍を中心とするの高官らとのコネクションや情報収集を目的としての参加であった。
夢幻会の転生者、特に即売会を楽しみにしていた人間にとっては、はた迷惑な事ではあったが。

「必死なのは分かるけど、ただの文化祭なのになぁ・・・」

常識人を自負する篤仁王は、天井に目をやる。
彼としても、このようなことに全力を注がれるのは、正直、困惑するしかない。

「仕方なかろう。例の婚約話の件もあるしの・・・」
「あれか・・・。あれは正直、こっちの歴史を勉強しているのか?と問いたくなったな。最も大使館が全力で止めてくれたらしいが」

寺内の言葉に、全員が嫌な事を思いだしたように気分が悪くなる。

イギリスは悪化した日英関係の改善のために、日本の天皇家とイギリス王室との縁談を望んでいた。
特に皇太子殿下との婚姻を望んでいたが、皇室の歴史を詳しく見ると、これは日本側としてはどうしても許せなかった。

日本の皇室は世界でも類を見ない、2600年も続く血統と、国内貴族や大名から血は入れど、国外王室から一切血を入れなかった万世一系の純血の血筋を持っている。
ここに、いきなり国外王室の血を、しかも直系に入れろとなれば、日本の国民感情からして「喧嘩を売ってきやがった!!」と取られるだろう。

おまけに、イギリス王室はヴィクトリア女王以来血友病による遺伝病が、イギリス、そして欧州の各王室に広まっていたことも余計な足かせとなっていた。
史実では昭和天皇と香淳皇后の婚姻に際し、香淳皇后の血筋に色盲の疑いがあるとして問題となった宮中某重大事件が発生している。
英国王室の血友病が周知となっている以上、もし皇太子殿下の妻に捻じ込めば、日英関係は完全に終わることが容易に想像できた。

ロマノフ皇室の忘れ形見であるアナスタシア皇女の婚姻も、大正天皇の意向と直系から外れ、血縁が比較的薄い宮家である閑院宮家であるが故に出来たが、それでも困難が多かったことに変わりは無かった。

もっとも、担当員が来日後、イギリス人一日本の事を良く知る知日家で、最近なにやら影響を受けている駐日大使館の商務参事官サンソム卿に相談した際、
「本国は日本と戦争をしたいのか!?」と驚愕すると同時に罵倒し、詳しい説明、そして叱責文付のレポートを速達したことで直ぐに御破算となった。
だが、円卓を始めとするイギリス上層部は諦めきれず、「同じように、伏見宮系皇族に対してなら・・・」と計画を進めており、フシミンの孫である次期伏見宮家当主、博明王を筆頭として候補を探していた。

「弟宮の3宮家も当然無理だろうな」
「当然ですよ」

篤仁王の言葉に、弟宮の一つ、秩父宮出身の進仁親王がそう言った。
昭和天皇には、大正天皇第2皇子の雍仁親王、第3皇子の宣仁親王、第4皇子の崇仁親王が、それぞれ秩父宮家、高松宮家、三笠宮家を創設している。
世継ぎのことを考えれば、直系である3宮家でも、英国王室との婚姻は絶望的であった。
もっとも、史実では三笠宮家以外は御子に恵まれなかったが。
ただ、史実と変わって、二・ニ六事件発生によるゴタゴタもなく、医療技術も進歩していることもあり、
秩父宮家では史実で二・ニ六事件で東京に極寒の列車で急行したことが身体に障り流産した御子(進仁親王)がお生まれになり、ちょっとした騒動となっていたが、これは一時置いておく。

6: ham ◆sneo5SWWRw :2017/06/15(木) 22:49:13
話を戻し、彼ら皇族・華族転生者たちはイギリスの婚姻外交に、正直に言って、頭を痛めていた。
日本の皇族や華族は、欧州の王侯貴族と違って、国家間の婚姻には否定的な風潮が存在している。
ゆえに、気安く婚姻外交を仕掛けようとするイギリスの行動に不満がないといえば嘘であった。

「今年の終わりに蜂須賀がカナダに行くが、連中、カモが来たと攻勢をかけるだろうな」
「成久王の縁談を受けておけと言ったのに、あいつは・・・」

彼らが言っている蜂須賀とは、彼らと同じ華族の転生者、蜂須賀政氏のことである。

旧徳島藩主、蜂須賀家の生まれで、1933年に侯爵の爵位を継承した第18代当主である。
史実では政治家を望んだ父の意向に反して、生物学に興味を持ち、動物学者の英国貴族、第2代ロスチャイルド男爵ウォルター・ロスチャイルドと親交を結んで、財力に物を言わせて探検活動を行った。
一方で、女性関係が非常に派手であり、さらに米国へ秘密裏に財産を移送して隠匿しようとしたり、戦争末期に自家用機で日本脱出を図ったり、白金の密輸に加担したりと醜聞塗れで、あまりの品行不良ゆえに宮内省から華族礼遇停止処分を受けた。
戦後は、在米中に結婚した夫人との壮絶な離婚訴訟や遺産相続の揉め事、財宝の行方不明事件、貸し金をめぐる訴訟などで週刊誌に数多くのゴシップを提供した。

この世界の蜂須賀正氏は、史実における蜂須賀正氏とは間逆で、謹厳実直、そして些か女嫌いが過ぎ、かといって男色趣味があるわけでもない、独身主義者だった。
また、史実での冒険や探検といった類のものを敬遠し、史実において彼の挙げた生物地理学や鳥類学上の功績を同じ逆行者達に譲り渡し、彼本人はその趣味人達に金銭的バックアップをするに留まった。
彼は生来の女嫌いから周囲の縁談を断り続け、そのうち「蜂須賀のには何を言っても無駄だ」という評判が高まって、 日本華族のどこからも縁談が来なくなってしまったっていた。
夢幻会も「さすがに独身はマズいだろ」と史実通り成久王の第一王女、美年子女王と縁談を勧めたことは有ったが、「辻だって独身じゃないか!」と断固として拒否を示し、夢幻会も完全に匙を投げた。
なお、蜂須賀が断った理由として挙げられた辻も、「自分のお嬢様学校の学生と結婚するなんて■リコン趣味晒してないでさっさと結婚しろ!!」と、とばっちりを食らったのは余談である。

さて、そんな蜂須賀政氏は、彼は45年末からカナダ大使に任命されることが内定していた。
年齢的にはやや若いといえるかもしれなかったが、彼の普段の素行や西洋史についての見識を知る者は皆これに賛同していた。
あまり派手な立場になる事は好まなかった政氏も、周囲の期待を裏切るような真似を平気でできるような男ではなかったため、これを受けた。
だが、42歳にして未だ独身である侯爵家の当主。
こんな優良物件を英国紳士が見逃すとは思えなかった。

「蜂須賀ついては正直、自業自得としか言えん。戻ってきて文句を垂れても、こっちの話を断ったあいつが悪い」

政氏とは従兄弟(政氏の母と慶光の父は異母兄妹)の関係にある慶光は、そう切って捨てた。

夢幻会は確かに未来人たちが日本を改革(?)するために結成された組織であるものの、さりとて慈善団体ではない。
政氏は同じ転生者でありながら、夢幻会の根回しを自分の好みで断ったのだ。
彼が彼の地で英国人女性と結婚しようが、それで夢幻会、そして世間から疎まれようが、夢幻会としては知ったことではなかった。
薄情なようだが、無能者、組織の言うことを聞かない者をいつまでも援助するようなお人よしでは、派遣国家となった日本の舵取りに支障が出てしまう。
ゆえに、彼らとしては自分たちの根回しを自身の理由で断った彼が受ける問題は、自己責任と判断するしかないのだ。

「まぁ、蜂須賀のことはどういう結果になるかは、受動的に対応するしかないからこの際置いておこう。
 問題は皇族との婚姻問題だ。
 英国紳士と密会した辻から情報だが、連中はどうも伏見宮殿下の博明王を狙っているという話だが・・・」

寿一の言葉に、伏見宮家の当主であるフシミン当人としては難色を示した。

「ウチ(伏見宮家)はいい加減、血縁が薄くなってきたから、正直イギリスよりは皇室からが望ましいんだがなぁ・・・」

7: ham ◆sneo5SWWRw :2017/06/15(木) 22:49:46
伏見宮家は南北朝時代の北朝第3代天皇、崇光天皇の第一皇子栄仁親王によって創設された、この当時最も歴史のある宮家である。

南北朝時代、北朝側は崇光天皇のみならず、その父である北朝初代光厳上皇、先代であり叔父である北朝2代光明上皇が南朝側に拉致されるという大事件が発生する。
これにより、公事が一時停止状態になり、困った室町幕府は、崇光天皇の弟、弥仁親王を北朝第4代、後光厳天皇として即位させた。

そして、崇光天皇らが解放されて北朝側に戻ると、当然というべきか、揉めた。

崇光天皇も後光厳天皇も、共に自身の皇子に天皇の譲位を主張したのだ。
結局これは、後光厳天皇側が押し切る形で、後光厳天皇の第2皇子緒仁親王が後円融天皇として、即位。
その後も、今度は足利義満ら幕府が介入するなどして、結局栄仁親王は即位できず、以後、彼の王子が皇室累代の御料の一つである伏見御領で続いていくことになった。
これが伏見宮家の始まりである。

そして、伏見宮家は博恭王の代で25代。
桃園天皇第二皇子、貞行親王が伏見宮第17代として入ることはあったが、その世継ぎは貞行親王の王子ではなく、第15代貞建親王の第2王子を還俗して継いでおり、血縁的にはかなりの遠縁と化していた。
おまけに伏見宮家は、多くの宮家のみならず、現在の皇室も初代の栄仁親王の孫、彦仁王が後花園天皇として即位して以降続いており、宮家の中でも一番のビッグネームである。
そこへ海外王室の血が入るのは、さすがに憚られた。
そのため、博恭王個人としては、血縁を戻したいところであった。
これには、同じ伏見宮系皇族である篤仁王と朝融王も同意せざるを得なかった。

「ウチ(閑院宮家)も嫌だぞ。既にロマノフの血を引いているところにイギリス王室なんて、後継争いの種でしかない」

次に拒否の意向を示したのは、篤仁王であった。
篤仁王の閑院宮家は、伏見宮に次ぐ歴史を持つ宮家であり、江戸時代中期に創設された四親王家の一つである。
第110代、後光明天皇が22歳の若さで崩御したとき、天皇の近親の皇族男子は殆ど出家していて、当時院政を敷いていた後水尾法皇が望んでいた高貴宮も生後間もなく、その後継問題で紛糾した。
最終的に、四世襲親王家の一つである有栖川宮から良仁親王を、高貴宮が成長するまでの間の中継ぎとして践祚して後西天皇としたが、その苦い経験から皇統の断絶を危惧した新井白石の提案によって創設されたのが閑院宮家である。

そして、今の閑院宮家には、ロシア帝国のロマノフ王朝の忘れ形見、アナスタシナ皇女が嫁いでいる。
これは、アナスタシナ皇女が亡命した際に篤仁王が救助部隊に加わっており、救出作戦以来の知己である事と閑院宮家が四親王家の家格を有している事、
一時断絶し、伏見宮邦家親王第16王子載仁親王(篤仁王の父王)を招いたため、血縁が比較的薄くなった事(第119代光格天皇は閑院宮家より招いたため、載仁親王以前の血縁では閑院宮家は比較的皇室に近かった)
さらに大正天皇の意向も加わったことから、成し得た事であった。

そんな閑院宮家であるが、篤仁王としてもイギリス王室との婚姻はお断りであった。
ソ連の現状では、最終的に史実よりも早くソ連崩壊を招き、諸国乱立状態となることが予想されている。
日本としては、そこにロマノフ王朝の血縁者を担ぐことで、シベリアに親日政権を打ち立てたいところである。
そのためにも重要なロマノフの血縁者にイギリス王室の人間を入れることは余計な混乱を招きかねなかった。

「そもそも、イギリス王室で未婚の子女は誰が居たか?」

ふと、寺内の言葉に、全員がイギリス王室の現状を思い出そうとする。
婚姻を結ぶにしても、まずは相手について考えなくてはならない。

「現国王、ジョージ6世の子女は後のエリザベス2世とマーガレット王女で、それぞれ19歳と15歳だったな。
 ジョージ6世の弟妹の子女だと、ハーウッド伯爵夫人メアリーの長男ジョージが22歳、次男ジェラルドが21歳。
 グロスター公爵ヘンリーの長男ウィリアムが4歳、次男リチャードが1歳。
 ケント公爵ジョージの長男エドワードが10歳、長女アレクサンドラが9歳、次男マイケルが3歳。
 あとは、3代前の国王エドワード7世の孫のサウスエスク伯爵ジェームズ・カーネギーが16歳、だな。
 皆、今年末での年齢だが」

伏見宮系皇族の中で分家が多く、次代のまとめ役としても期待されている朝融王が答えた。
同人趣味に感ける彼ではあるが、皇族の若手、特に海軍軍人となった皇族たちのまとめ役として期待されており、海外の王族についてもそれなりに勉強はしていた。

8: ham ◆sneo5SWWRw :2017/06/15(木) 22:50:18

「イギリス側としては皇室に近いのをお望みだろうな・・・」

慶光の言葉を、皆、否定しなかった。
イギリスのやらかしは大きく、日英関係改善のためにもそれくらいの事は望んでいるのが容易に想像できたからだ。

「なら、明治天皇の血を引く4宮家ですか?」
「東久邇、北白川、朝香、竹田、か・・・」

進仁親王の言葉に、思い浮かべる宮家を朝融王が呟く。
明治天皇の皇子女は5男10女であるが、成人したのは大正天皇を除くと4女しかいない。
その4女は、東久邇宮家、北白川宮家、朝香宮家、竹田宮家の各宮家に嫁いでいた。

「血縁で言えば、一番近いのは東久邇か・・・」

東久邇宮家は久邇宮家初代朝彦親王第9王子、稔彦王より始まった宮家である。
稔彦王の夫人は、明治天皇の第9皇女、泰宮聡子内親王であり、
さらに二人の第1王子、盛厚王の夫人は、昭和天皇の第1皇女、照宮成子内親王、
加えて、昭和天皇の皇后である香淳皇后は、稔彦王の姪であり、昭和天皇の義理の叔父になることから、
伏見宮系の宮家の中では一番皇室と血縁が近い宮家であった。
しかし、この宮家には一つ大きな問題があった。

「東久邇は親仏家だし、それに稔彦は・・・」
「「「「「「ああ・・・」」」」」」

東久邇宮家初代当主、東久邇宮稔彦王。
この当主は史実では皇族で唯一総理大臣になったことでも知られるが、一方で自由人であり、かなりの問題児でもあった。
度々重責から逃れようと臣籍降下を願い出たり、
日本での息苦しい生活が嫌で、大正天皇の危篤でも留学先のフランスから中々帰らず、
戦後には、なんと新興宗教団体を立ち上げてしまった。
もちろん旧皇族が新興宗教を立ち上げるのは大問題なため、当時の法務府(後の法務省)と東京都から教名使用禁止通告と不認可を受け、解散させられたが。
憂鬱世界では、皇族と華族と周りの転生者達が何とか矯正を試みているが、それでも、史実の問題行動からして、不安要素に変わりは無かった。
また一方で、フランス留学でクロード・モネやジョルジュ・クレマンソー、ジョゼフ・ジョフル元帥やフィリップ・ペタン元帥らのフランス著名人と交友を結んでいたため、親仏家であった。
英仏は遺伝子レベルで対立が根深く、近年の状況からして、何らかの火種となるのでは?という危惧が存在した。

「北白川は首相が内定しているからビックネームだけど、女児のほうは一時期、皇太子様の御妃候補だったから、下手すると問題になりかねん」

現在、副総理という役職で稲荷計画を推進している北白川宮成久王の北白川宮家も、成久王の妃、房子内親王が明治天皇第7皇女であることから、皇室に近い家柄であった。
しかし、北白川宮家の未婚の子女は、成久王の孫である、道久王と肇子女王で、それぞれ今年で8歳と6歳になる。
肇子女王は、史実で皇太子明仁親王のお妃候補として有力視されていたこともあり、万が一、婚約となる可能性もあった。
もっとも、夢幻会内の一部佞臣たちによる「史実通り、美智子様を!」という声や画策も動いていることから、可能性は低くなっているが。
また、男児についても、なまじ副総理と稲荷計画のためにビッグネームとなっている宮家の唯一の跡継ぎに英国王室の血が入って、何らかの化学反応が起きてはたまらないという恐れもあった。
一応は候補としつつ、彼らは他の宮家についても考えた。

「血縁関係で残るは朝香と竹田か・・・」

朝香宮家と竹田宮家は、それぞれ久邇宮家と北白川宮家の分家として興った宮家であり、共に初代当主が、明治天皇の女児を妃に迎えている。

9: ham ◆sneo5SWWRw :2017/06/15(木) 22:50:52

「朝香と竹田の子女たちは、まだ5歳以下だったから、イギリス側の適齢は男子しかいないぞ」
「となると、向こうに嫁ぐことになるか・・・」

現時点のイギリス王室の女児たちは最低でも9歳以上であり、年上女房を避けることを考慮すると、どうしても日本側から輿入れする形しか選択が無かった。

「向こうから輿入れすると色々と苦労するだろうから、あちらさんは良いかもしれんが・・・」

同じく国外皇族を迎えている篤仁王はそう言った。
日英関係が冷え切っている中で日本に輿入れすることは、周囲からの目を考えると様々な苦労が容易に想像できる。
それを考えれば、逆にイギリスに輿入れする方が気が楽であろうという考えだった。
最も、それはそれで別の苦労が有るだろうが。

「一応、他にも考えておくか?」

博恭王の意見により、他の宮家の皇族も検討しだした。
選択肢が多い事は、良い事なのだから。

「梨本と東伏見は無理だ。後継は望めず、断絶が必至だ」

多くの伏見宮系皇族が博恭王の祖父、邦家親王の男児からである中、
唯一、博恭王の曽祖父、貞敬親王第9王子、守脩親王により創設された梨本宮家は、守正王とその妃、伊都子の夫妻は既に60歳以上で、世継ぎも居ないため、断絶は必至であった。
邦家親王の第17王子、依仁親王が興した東伏見宮家も、依仁親王が子女を創らずに薨去されたことにより、依仁親王妃周子が薨去となり次第、断絶が決まっていた。

「ウチ(久邇宮家)は止めてくれ。博恭王のところ(伏見宮家)に次いで分家の多い宮家だから家長としての体面が有る」

そう言ったのは朝融王だった。
朝融王の久邇宮家は、伏見宮家からの分家であるが、そこからさらに東久邇宮家、朝香宮家、賀陽宮家の3宮家が分家として誕生していた。
加えて、昭和天皇の皇后、香淳皇后も久邇宮家の出身であり、伏見宮系皇族の中でも特に抜きんでている宮家であった。
故に、久邇宮系皇族の家長としての体面からして、イギリス王室の血筋を入れるのは避けたかった。

「山階は・・・」
「駄目だ。将来空軍を作る上で、空軍に皇族を入れる関係だと、あそこほど最適な宮家は無い」

山階宮家の現当主、武彦王は海軍航空隊に属し、パイロットを務めた縁から、航空発展に寄与したため、「空の宮様」と呼ばれていた。
史実では関東大震災で佐紀子女王の死により、武彦王は精神を病み、屋敷の一室に引き籠ったが、
憂鬱世界では、防災訓練による事前対策の影響から、佐紀子女王が無事であったため、子宝に恵まれつつ、航空関係にも精力的に活動していた。
故に、将来的に空軍を創る関係上、博恭王のように軍上層部に属する皇族の有力候補と目されていた。
そんな有力候補の宮家に、トラブル要素であるイギリス王室の血筋が入るのは避けたかった。

「あとは・・・あそこか?」

伏見宮系の各宮家は全てで11家。
ここまで出てきた宮家は10家であるため、彼らが話しているのは最後の候補の宮家になる。

「一応、後継のあいつは転生者だし、男子も多い。
 おまけに血が薄いから、問題も少なめ・・・か」
「しかも男子は全員独身と来たもんだ。あいつも23だしな。俺達で相手を決めちゃうか」
「だな」

10: ham ◆sneo5SWWRw :2017/06/15(木) 22:51:24

「へっくし!」
「風邪ですかな、邦寿王?」
「いや、そういう訳ではないが・・・」

とあるゴルフ場でプレーをしている皇族と華族がそれぞれ2人ずつ。
朝香宮鳩彦王、賀陽宮邦寿王、岩倉具張、西園寺公一が、グリーンでそんな会話をする。
自分の番である若宮様と呼ばれた皇族、賀陽宮邦寿王は、パターを手に持ち、打とうとしている最中にクシャミをしたのだ。
しかし、先ほどのクシャミは無かったのようにボールを打ち、見事カップインを決めて、次のホールへ移動を開始する。

「次は誰がオナーだったか?」
「たしか、西園寺公のはずですな」

朝香宮鳩彦王に、次のホールで一番最初に打つ人(オナー)について訊ねられた岩倉具張がそう答えた。

「しかし、このメンバーでやれるのは本当に気楽でいいなぁ。他だと前世の接待ゴルフみたいで息苦しいからなぁ・・・」
「まぁ、互いに立場がありますからね」

西園寺公一の呟きに、邦寿王はそう苦笑する。

再びの紹介となるが、彼らも転生者である。

朝香宮鳩彦王は、朝香宮家の初代当主で、北白川宮成久王がフランスで交通事故を起こした時の同乗者であり、彼もまた重傷を負い、その時に転生した。
史実でも大のゴルフ好きで、「ゴルフの宮様」として知られていたためか、ゴルフ好きの転生者であり、同じ転生者の皇族や華族とゴルフのプレーをよくしていた。
また、陸軍大将として、陸軍皇族の重鎮の一人として北白川宮や閑院宮らを支えている。

賀陽若宮様こと、賀陽宮邦寿王は、賀陽宮恒憲王の第1王子で、賀陽宮家の次代第3代当主の未来を嘱望された身である。
史実では戦後に身分違いの女性問題を起こして一騒動させたことで知られている。
この世界では球技が好きで、父王、恒憲王は野球好きのため、「野球の宮様」と呼ばれているが、
邦寿王は同じスポーツでもゴルフやテニス、特にテニスを好み、「庭球(テニス)の宮様」とも呼ばれていた。
もっとも、当人は王子様と呼ばれたいとか(笑)

岩倉具張は、維新の功労者、岩倉具視の孫で、岩倉公爵家の現当主である。
史実では、土地投機に大失敗し、芸者通いで放蕩し、ついには一族の財産を一代で破産させ、自宅を差し押さえるという大スキャンダルを起こし、親族会議で強制的に隠居させられた。
あげく、借金を踏み倒そうと姿をくらます等して、告訴された人物である。
この世界での彼は、芸者通いにも手を染めず、投機についても、史実知識を用いつつ、前世での経験も加えて堅実な財テクを行って、順風満帆な生活を送っていた。
また、華族達のまとめ役として、辻や阿部と協力し、不良華族の粛清と更生に表と裏の両方からを手を廻して、骨を折っていた。

西園寺公一は、同じく維新の功労者、西園寺公望の孫で、西園寺家の次代当主ある。
史実では、共産主義に関心を持ち、尾崎秀雄と交友を持っていたことからゾルゲ事件に連座し逮捕されたため、爵位継承権を剥奪され、戦後中国に移住した。
その後は文化大革命で日本に追放され、自らを追放に追いやった文化大革命を礼賛するも、既に言動から非難を買っていた上、文化大革命について的外れな言論であったと証明されると、完全に立場を失った。
この世界では、夢幻会の関係で尾崎と交友は有れど、史実とは違い、前世日本人としての知識などを助けにして、外務省の試験になんとか合格(史実では日本式の答案に不慣れだったため不合格)。
史実通りオックスフォード大学を卒業したこともあり、外務省職員として活躍していた。
また、岩倉具張の娘で、史実では赤化華族事件(共産主義に走った華族子女が検挙された事件)で逮捕された岩倉靖子を妻に迎え、具張を補佐している。
また、尾崎と共に共産主義の二重スパイとなって、主に華族の赤化防止のために裏で暗躍している黒い面も持っている。
ちなみに、その靖子も転生者で、公一と共に前世でも夫婦だった事実が判明し、夢幻会しっと団の怨敵になったのは御愛嬌である。

11: ham ◆sneo5SWWRw :2017/06/15(木) 22:51:56

「そういえば、岩倉君。シンデレラ計画は順調なのかね?」
「正田貞一郎と麻生太賀吉の二人は、無事に華族入りを果たしました。子女の方々も皆、学習院に順調に御入学、あるいは編入されるでしょう。
 鳥取滋治郎については、一族が高額納税者で、農家、地主から始まり、今は取締役も努めていますが、それだけです。華族入りの理由には・・・」
「分かった。鳥取家については、まだ御生まれになっていないので余裕がある。しばらく様子見だが・・・一応、失敗時の手段も進めておく」

シンデレラ計画とは、夢幻会転生者の、いわゆる奸臣達(ミッチー派)主導によって進められている平民子女と皇族の婚姻計画である。
史実の戦後に置いて、今上天皇(継宮明仁陛下)の御妃に正田家から皇后美智子様が御入内したことに代表されるように、多くの平民子女が御入内された。
そのため、彼女らが入内に際して苦労しないように、日米戦の勝利により史実と違って存続できた華族制度を利用し、彼女らを華族入りにし、入内の障害の一つである学習院卒業歴を付けさせようとしていた。
彼ら奸臣達の主目標は「美智子様は陛下の嫁! 異論は認めない」であるが、美智子様だけとはいかず、他の方々についても暗躍していた。

そして、先述の3人は彼女らの父、あるいは祖父である。

正田貞一郎は、美智子様の祖父で、日清製粉の創業者である。

麻生太賀吉は、三笠宮寬仁親王妃信子様の父で、麻生セメントの会長であり、
同時に吉田茂の娘婿で、現在第二次安倍内閣の副総理として活躍している元総理大臣、麻生太郎の父である。

鳥取滋治郎は、高円宮憲仁親王妃久子の父で、香川の旧家の地主出身の実業家である。

この3人の内、正田貞一郎と麻生太賀吉は実業家としての実績がしっかりとしているため、問題なく華族入りを果たしていた。
一方、鳥取滋治郎は、華族入りするには功績が十分といえず、難航していた。

「柊の場合は、宮家と旧華族から選ぶことも検討したほうがいいだろうな。
 新華族ばかりだと、皇族と旧華族の不満が大きいから、何人かは皇族ないし旧華族から選んで不満を逸らしたほうがいいだろう」
「新華族は旧華族に対する不満を持つ者が居るから、増長するのは防ぎたいので、賛成です」

鳩彦王の言葉に、華族を取り纏めるの岩倉が頷く。

伊藤博文や山縣有朋などの本来の公家や大名などの出身ではなく、勲功でのみ上り詰めた華族らは、公家及び大名等出身を旧華族と呼ぶのに対し、新華族と呼ばれる。
華族入りを果たした正田貞一郎や麻生太賀吉も、国家に対する功労からによる勲功で華族になったため、彼らも新華族に数えられる。
彼ら新華族は旧華族などから「成り上がり」と見られることがあり、そのことに不満がないとは言い切れなかった。
また、新華族は家を保つためのノウハウや経験も不足しているため、家の財政が困窮することが多く、皇族の子女が嫁ぐ際に、多額の嫁入り費用が掛かることから、皇族との婚姻はほとんどが旧華族であった。
そんな彼ら新華族から次々と皇族の花嫁が出てはそれまでの不満から増長が予想できたため、過度の婚姻推奨は控えるべきだと考えていた。

「あと考えるのは、反対派の首魁たる皇族女性、華族女性か・・・」
「特に鍋島出身の連中は御成婚後も煩かったからな」

史実での婚姻反対派には、昭和天皇の妃である香淳皇后こと、昭和天皇妃良子を始め、秩父宮雍仁親王妃勢津子、高松宮宣仁親王妃喜久子、梨本宮守正王妃伊都子、(会津)松平信子、柳原白蓮らが居た。
特に貞明皇后に仕えてその信頼を得て、宮廷内に大きな発言権を有していた松平信子は、その権勢は時の皇后をも凌ぐほどで、「影の昭和の女帝」または「昭和の妖怪」と陰で呼ばれ、他の皇族・華族女性が昭和天皇の意向を聞いて賛成に転じる中、最後まで反対を続けた人物である。
そんな信子は、佐賀藩主の鍋島侯爵家の出身であり、同じく反対派の梨本宮守正王妃伊都子は信子の姉、秩父宮雍仁親王妃勢津子は信子の娘になる。
二人もまた、反対派の領袖として君臨していた。
もっとも、昭和天皇の意向を受けた後は、勢津子は賛成に転じ、伊都子は表立っての批判を取りやめたが。

「反対要因に挙げていた学習院出身の問題は解決されつつある。
 反対派の中でもタカ派である白蓮は、転生者の義光の御蔭でなんとか矯正しているが、義光も歳だ。長くはないから早めに対応しないとな。
 一応、娘婿の直泰経由で伝手はあるから、影の女帝のほうは、私がなんとかしよう」

鳩彦王はそう言った。

12: ham ◆sneo5SWWRw :2017/06/15(木) 22:52:35
白蓮こと柳原白蓮は、史実では右翼団体を動かして正田家に辞退を迫ったと伝えられている。
それでなくても、駆け落ちによる白蓮事件を起こしたことで不評を買っている人物であった。
この世界での白蓮事件は、転生者である白蓮の異母兄、義光が回避に動いたために回避されているが、
その代わり、白蓮が華族女性の地位を失わなかったため、美智子様御成婚のハードルが上がったとして奸臣達が発狂していた。

また、鳩彦王の娘婿の直泰とは、鍋島侯爵家13代当主の鍋島直泰である。
史実通り、鳩彦王の第一王女紀久子と結婚している彼の伯母が、信子と伊都子になる。
実はこの縁もあって、今回のシンデレラ計画の片棒を担がされていたりする。

「勢津子様については、進仁親王にも頑張ってもらうしかないでしょうな」

西園寺の言葉に、皆が頷く。
まだ10歳にも満たないが、御成婚の頃となる1959年頃ならば、20代なので、彼らの巻き添えとなることは半ば確定していた。
なお、この時、伏見宮邸で歓談中の進仁親王が何故か寒気を感じたと伝えられている。

「ところで、良子様についてですが・・・」
「それについては、やはり陛下に説得してもらおうと思う」
「やはりですか・・・」

邦寿王の問いに鳩彦王が答え、予想通りの答えにため息をつく。
御成婚後の生活を考えると、皇后との対立はなんとかしたいのが、彼らの考えでもあった。
もっとも、こればっかりは陛下でなければなんともならないという結論であった。

「陛下も弟宮たちもゴルフが大好きだ。
 御成婚の頃に、一緒にゴルフをして、話すつもりだ」
「皇太后陛下に御協力を頂くというのは如何でしょう?」
「節子様にか?」

皇太后陛下こと、後に貞明皇后と呼ばれる大正天皇妃節子は、昭和天皇妃良子(香淳皇后)とは仲が悪かったと伝えられている。
また、貞明皇后も伝統を大事にするが、一方で、幼少の頃に農家に里子に出された経験から香淳皇后とは価値観が根本的に異なっていた。
そのため、それまでの慣例を打ち破って夫の身辺の世話を自ら見るなど、革新的なことを行っていた。

「しかし、節子様は・・・」

鳩彦王はそう言葉を濁す。
史実において、貞明皇后は1951年に狭心症により崩御されている。
美智子様御成婚の年は1959年。
とても協力を仰げるとは思えなかった。
だが、岩倉は鳩彦王の言葉を隔てて発言する。

「未来知識で底上げをしている医術を見くびっては困ります。
 既に抗生物質で秩父宮様をお救いしたのです。
 節子様もお救いしてみますよ」

岩倉の言葉に、鳩彦王は納得しかけたが、あることに気づいて思いとどまる。

「確かに、節子様はお救いできよう。
 だが、節子様が反対の立場をとる可能性だってある」
「っ!」
「結局は『たられば』でしかないのだよ。歯がゆい限りだがな」

重苦しい雰囲気のまま、彼らは次のホールについた彼らは、再びプレーを始める。

皇族、そして華族。
高貴なものに転生した彼らには、我らが主人公、嶋田繁太郎とは違った難題が伸し掛かる。
それは長く積み重ねられた伝統と歴史に繋がる国家の大事であり、転生前は平民だった彼らには気苦労が多過ぎるものである。
彼らが趣味に走ってしまうのは、この気苦労からなのかもしれない。

13: ham ◆sneo5SWWRw :2017/06/15(木) 22:54:24
以上です。


以前投稿した、宮家設定の頃から、「架空戦記だからだけど、皇族や華族の転生者って、少ないなぁ・・・」と感じ、
「だったら自分で設定を書いてみよう!」と思い立ってから、8ヵ月・・・ようやく完成しました。

今回は個人的な意見と考えから基づいて転生者の皇族と華族、史実では誕生しなかった皇族を登場させました。
ただ、そのため、賛否が激しいことが予想されるため、支援SSではなく、ネタとして、投稿することにしました。

秩父宮進仁親王は、秩父宮家では史実では1936年の二・二六事件の頃に流産した秩父宮雍仁親王とその妃、勢津子様との御子です。
史実と変わって二・二六事件は起こっていないため、流産の原因となった極寒の列車での青森県弘前市からの上京は無く、転生者の活躍で医療技術が進歩したことを考慮し、誕生したと考えました。
雍仁親王の名前から隹部をもらった名付けは、三笠宮崇仁親王の3人の御子が皆、崇仁親王の『崇』の字のウ冠が必ず付くように名付けられたことに由来しました。
サッカー好き転生者というのは、この当時の宮様だと野球派が2人(閑院宮篤仁王、賀陽宮恒憲王)もいて、サッカー派が不利だろうから、バランスで考えてみました。

閑院宮篤仁王は、テツさんオリジナルの転生者です。

久邇宮朝融王は、派手な女性関係で知られ、大正天皇の裁可を受けた婚約を理由不明で一方的に破棄したり、その婚約者が夫を亡くしたら求婚するという女性関係の問題の多さから悪評をもらっている人物です。
この世界では、フシミンノ後継者として同人誌制作に勤しんでいます(笑)。

徳川慶光は、徳川慶喜から始まる慶喜系徳川公爵家の3代目です。
史実では兵役中に肺炎で入院して、皇族の血縁者ということで方面軍司令官や旧水戸藩藩士や旧幕臣の子孫の将官らから見舞いに来て、急に病院内が慌ただしくなり、慶光は「ご迷惑をかけてしまった」と述懐していますが、
この世界では、中身が家事夫なので、料理を担当する兵士らにご迷惑をかけてみました(笑)。
また、史実では中国哲学を専攻していましたが、この世界では料理というわけにはいかず、あくまで趣味とし、別方向に転向しています。
有栖川宮流書道は、有栖川宮の家業ゆえに、史実での断絶に備えて習得させました。
まぁ、高松宮に継嗣が生まれれば別だけど。

寺内寿一は、本編の第二話にチラッと登場しています。

まず最初に会議をしていた英国王室の婚姻ですが、これはよくよく考えると、皇室は万世一系ゆえに、かなり排他的なので、英国王室に入る隙間もないでしょうし、
おまけに、血友病が周知されているのに入れるなんて、絶対騒動必至なので、避けることにさせました。
まぁ、血友病が知られている血筋を入れるなんて、どこだってノーサンキューでしょうし。

蜂須賀正氏は名無し三流さんの作品に登場した人物です。
よくよく考えれば、家族で妻子無しは、さすがにマズいですよね・・・。
あと、辻~んについては本編中のセリフと本スレで話された辻は結婚しているか否かの話を基にしましたw

各宮家との婚姻事情については、個人的な意見と考えを基にまとめました。
伏見宮、久邇宮は現在の皇室との血縁的に中々に重要な宮家なので、外国王室を受け入れるのは難しいと判断しました。
北白川宮は、現副総理で、次期総理というビッグネームゆえに、避けることにしました。
山階宮は、空の宮様である武彦王ほど、空軍に入る皇族としてうってつけの人物はいないので、同じく避けました。
なお、史実と違い妻子は生存しています。
これは、石人さんの支援SSを参考にしました。
東久邇宮は、稔彦王のエピソードから、「あ、こりゃダメだ」という感じなので、除外としました。
朝香宮と竹田宮は、イギリスに嫁ぐ方向ならば、大丈夫そうかな?
史実でも韓国王室とは嫁ぐ方向で進めたし。
賀陽宮については、実は当初の御話の構想ではこことしていました。
朝香宮と竹田宮は、追々調べてこちらも好条件なので、少し悩んだところ。
まぁ、かといって当初の御話の構想から変えるのが、大変だったので、このままで進めました。

14: ham ◆sneo5SWWRw :2017/06/15(木) 22:55:01
朝香宮鳩彦王は、北白川宮成久王の交通事故に際して、同乗者であり、
史実と違い存命している成久王の転生理由としては、やはりこの交通事故かな?と考え、同乗者の彼も転生者とさせました。

賀陽宮邦寿王は、史実では戦後の女性問題が個人的にこれは悪評では?と考え、転生者としました。
「庭球(テニス)の宮様」は完全にネタですが(笑)

岩倉具張は、史実での散々な有様があまりにも酷いので、転生者と認定しました。
なお、構想としては世界恐慌のインサイダーでも夢幻会に資金提供しつつ、個人的にも稼いでいる設定です(笑)
まぁ、皇室財産も使って稼いだから、協力している華族の資産も使っていておかしくないし、見返りをもらってもおかしくないですしね。

西園寺公一は、こちらも史実の行動が非難されている人物で、転生者としました。
夫婦揃って転生者で、前世も同じなのはネタです。
まぁ、こんな転生者がいてもおかしくないよね?(笑)

他にも、西郷隆盛の孫の西郷吉之助や木戸幸一らも加えようと思っていましたが、さすがに限界なので、断念。

さて、こちらのほうでは、前半の英国王室とは別に、美智子様の御成婚の障害排除に尽力する転生者を描いてみました。

調べていて驚いたのは麻生太郎の妹が皇族ということ。
改めて知って驚きましたね。

作中での柊は、高円宮憲仁親王のことです。
御印の柊に由来し、この当時は御生まれではないし、密談ということから、暗号的な意味で使わせました。

柳原義光については、石人さんからアイデアを頂きました。
柳原白蓮は、史実の反対派の中でも過激派なほうなので、奸臣たちとしては白蓮事件で潰したかったでしょうが、残念ながら叶わず。
まぁ、義光からすれば、転生して得た人生が台無しになるのは防ぎたいから仕方ないね。

最後のほうは異論があるかもしれませんが、やはり「たられば」であるため、こうなる終わり方になりました。

個人的な意見と考えに基づいた駄文に御付き合い頂き、ありがとうございました。

23: ham ◆sneo5SWWRw :2017/06/16(金) 01:56:53
18さん
      • これは憂鬱本編での世界線ですよね?
えぇ、そうですよ。
ああ・・・書き忘れていました。申し訳ありません。
この御話は、ちょうど戦後編第26話の冒頭の頃を設定にしています。
前半は、戦後編第26話冒頭でフシミンとコノミンが話をした後の出来事になります。

27: ham ◆sneo5SWWRw :2017/06/16(金) 08:14:39
25-26
アナスタシア皇女は、ビクトリア女王から数えて第四世代です。

血友病は、男子だけに発症する病気で、
伴性遺伝では、男子だけに異常が現れる場合、
保因者から生まれた女子から、血友病の因子を持たない正常な遺伝子を持つ確率が50%で、
確率論などから考えても、保因者として生まれる確率は半々です。

そして、発見されたニコライ2世の遺体の調査した結果、4姉妹中、3人が正常で、
その中に、アナスタシア皇女が含まれていました。

なので、アナスタシア皇女の遺伝子には血友病の因子は入っていません。

40: ham ◆sneo5SWWRw :2017/06/16(金) 20:53:27
35さん
高野新笠は既に邦人扱いですか。確かに、百済の武寧王(日本の支援で即位できた日本の藩屏を自任した王)の末裔ですが、百済王家(ここにしけ)の宗家ではなく、帰化して五代を経ていますから。
すいません。全く知りませんでした。
調べてみたら、桓武天皇の母ですか・・・
ま、まぁ、帰化して五代経ってますもんね・・・(眼逸らし)

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最終更新:2017年06月17日 18:39