519: ライスイン :2017/10/03(火) 22:49:43
1939年8月25日 ソビエト連邦 首都モスクワ クレムリン宮殿大会議室


「同志書記長、やはりヒトラーはポーランドへの侵攻をやめるつもりはなさそうです。」

「そうか・・・」

会議の席上で赤軍情報部から受けた報告にスターリンは考え込んだ。8月に入ってからドイツより独ソ秘密協定の締結を打診されていたが隣接する国家とほぼ上手く付き合っている現状で締結する利点がない為、返事を保留していた。

「ヒトラーも焦れたな。同志モロトフ、周辺国や日本はどのような返事が来ている?」

スターリンは外相のモロトフに尋ねる。ソ連はドイツによるポーランド侵攻が確実視された頃よりポーランドへの進出を計画していた。
ポーランドを制圧される事でドイツと広い範囲で直接国境で接することを防ぐためである。またそれらに関して波風を立てない為、日本・バルト3国・北欧諸国・トルコ・イランなど友好的な隣接国に密に特使を派遣し、進出への理解を求めていた。

「各国からは”賛成はしないが非難もしないとの返事が来ております。事実上の黙認です。」

「宜しい。」

モロトフの言葉に満足するスターリン。そして次の話題に入った。

「同志書記長、ポーランドへ進出する予定の部隊は既に入念な偽装を施したうえで配置に付いておりますが・・・旧式のままでよろしかったのですか?」

国防人民委員のヴォロシーロフが恐る恐る聞いてきた。スターリンからの命令でポーランドへ進出する部隊はT-34等新型への換装が行われていない旧式装備(BT-5/7やT-26、I-15/16など)主体の部隊で編成されていた。

「新型はまだ数が十分ではない、それにこちらの手の内をファシスト共へ見せるわけにもいかん。」

理由はまだ数が十分ではなく、そして新型を見せつける事でドイツの軍備が向上するのを嫌った為の様だ。

「では同志トハチェフスキー、再びポーランドへ行って来てくれ」

「お任せください同志、ポーランド人とドイツ人を”教育”してきます。」

その言葉を合図に会議は終了した。

「まったく・・・ヒトラーめ余計な事を。これではゆっくり萌える時間が無くなるではないか。」

執務室へと戻ったスターリンは愚痴を零しながら椅子に座ると引き出しから分厚い同人誌を取り出して読み始めた。
その本のタイトルは”萌えよ人民”(著者:同志尾崎)であった。



                       日ソ同盟の憂鬱  第2話「世界大戦勃発」



 1939年9月1日、ドイツ軍はポーランドへと侵攻を開始した。質・量で圧倒する自軍の勝利をヒトラーを始めとした首脳部だけでなく一兵卒に至るまで確信していた。しかし・・・

「なんでこんな所に陣地があるんだ?」

「畜生っ!!また仕掛け爆弾だ。」

「空軍に援護を寄越すように伝えろ。」

ドイツ軍の侵攻は初日から躓いていた。何故か急造ながら各地に陣地が築かれてドイツ軍の侵攻を阻み、隠匿された飛行場より出撃したポーランド軍機がドイツ軍を攻撃する。また進路上に地雷を含めた各種トラップが仕掛けられ、対戦車ライフルを利用した狙撃やゲリラ戦も相まってドイツ軍は犠牲に見合うほど進撃できていなかった。

520: ライスイン :2017/10/03(火) 22:50:15
「何をやっているのだっ!!」

ヒトラーは激怒したが英仏の宣戦布告によりフランス国境にも兵力配備する必要から大規模な増援を送ることは出来なかった。
何故こんなにもポーランド軍の防備が整っていたのか・・・・・原因はソ連のスパイ(※1)による情報流出にあった。

「もはや手段は選ばん、市街地への無差別攻撃も許可する。」

速やかな進撃を行う為、ヒトラーは遂に無差別攻撃の許可を出した。これによりドイツ軍の進撃速度は上がったが当然ポーランド人の憎悪は高まりゲリラ化する市民が続出。
また国際的な非難は高まり、あまりにも凄惨な戦闘に精神を病む兵士も続出した。
だが数日後、世界は再び驚愕に包まれる。

「我が国はファシストの脅威から国境を防衛する為、非常措置としてポーランドへ進出する。」

9月4日に発せられたスターリンの声明を合図にトハチェフスキー率いるソ連軍70万人(※2)が進出した。対ドイツ戦への兵力抽出で防備が極めて薄くなっていた事と事前の工作(※3)で戦意が低下していたポーランド軍国境守備隊は碌な抵抗が出来ず、あっさりとソ連軍の突破を許した。
またソ連軍は首脳部の決定した方針のよって降伏したポーランド軍や希望する市民をソ連国内からイラン経由で英国に脱出させており、これを知ったポーランド軍がソ連軍と接敵すると戦わずに降伏する事例が相次いだ。このお蔭でソ連軍の進撃は順調だった。

「おのれ共産主義者めぇっ!!」

ヒトラーは吠えたがどうにもならなかった。それでもドイツ軍は我武者羅に(そして残虐に)進撃を続け、9月15日にはワルシャワ前面に到達した・・・

         しかしワルシャワにはソ連国旗が掲げられ、既にソ連軍が駐屯していた。

その日、ポーランドは降伏した(※4)。ヒトラーは不甲斐ない自軍を罵りつつ外交でソ連をポーランド領から引かせようとしたが当然受け入れられる筈も無く、ワルシャワ前面でドイツとソ連は睨み合う事となった。



 1939年10月2日 大日本帝国 帝都東京 夢幻会会合場所


「ソ連も中々やりますな。」

近衛が感心したかのように言った。

「そうですね、スパイを使ってポーランドに情報を流すだけでなく、降伏した軍部隊や市民を中東経由で英国領に脱出までさせるとは・・・。」

「ワザと旧式兵器を使用してドイツ軍を誤解させてましたね。」

嶋田や東条もソ連の見事な手腕を賞賛する。

「では阿倍君、国内の共産主義者たちの状況を報告してくれたまえ。」

そんな中、伏見宮が内務次官の阿倍に国内における共産主義者たちの活動状況について報告する様に言った。

「ソ連本国からの指示や尾崎さんやゾルゲに野中さんの穏やかかつ合法的な活動に専念しています。ですが一部のトロツキスト(※5)は従来の暴力革命を捨てていません。」

苦々しそうに阿倍は言った。進化したソ連の指示や尾崎たちの活動で大半の共産主義者たちは考えを改めて人々の支持を得ようと合法的な活動(+同人活動)に専念し一定の理解を得ていた。しかし従来の革命思想を捨てきれない者達は”変節”したソ連や尾崎たちを反動主義者と呼んで非難し、テロ活動などを継続していた。
更にメキシコに亡命したトロツキーがソ連国内や亡命に同行したトロツキストを使って扇動・支援していることが判明していた。

521: ライスイン :2017/10/03(火) 22:50:49
「トロツキーについては近々ソ連が”処理”するそうだ。後は従来通り取り締まってくれ。」

近衛はそういって話を締めくくった。そして次の話題に入る。

「ドイツはフィンランドに対する強硬な態度を改めません。ポーランドやバルト三国での失態を取り戻そうとしている様です。」

今度は白洲が報告を行う。
ドイツはポーランド戦が集結した直後より、フィンランドに対して枢軸同盟への加入や領土割譲を迫っていた。名目としては

「貴国には欧州共通の脅威である共産主義と戦う義務がある。我らの同盟に参加するか不可能であれば代償として領土を割譲すべし。」

とのことでドイツ外相・リッベントロップはフィンランドのリュティ首相に一方的に通告していた。
これはポーランドでの失態に加えてバルト三国への領土割譲要求の失敗(※6)も影響していてヒトラーは失点を挽回しようと反共戦線の構築を名目に盛んにフィンランドを含む北欧諸国へ干渉していた。

「我が国が売却した扶桑型(ピョートル・ヴェリキー級)や伊勢型(ペレスヴェート級)をみて焦っているのかもしれません。」

嶋田が続けて言った。ソ連へ売却予定だった扶桑や伊勢は安価な資源が大量に入ってきた事や史実(+前回憂鬱)を超える各国からの収奪による影響で工期が大幅に短縮され、9月初めに引渡しが完了していた。ヒトラーとしてもこれらの戦艦が使い物になる前に対ソ包囲網を構築したい考えであった。

「大丈夫なのか嶋田君、戦艦4隻が消えてアメリカやオージーが余計な行動に踏み切らないか?」

「問題ありません。すでに相模型戦艦の相模と上総が就役しています。近江も公試中で越後が間もなく進水します。」

戦力の減少を心配する近衛に対して嶋田は扶桑などの代艦として建造中であった相模型戦艦の内、2隻が就役・1隻が公試中・1隻が進水間近だと伝える。
相模型戦艦は十三号型巡洋戦艦を発展させた新型戦艦で50000tの排水量と30ktの快速、そして45口径46㎝連装砲4基と対応する重装甲を備える新世代の戦艦で強力な対空火力も併せ持っており古賀達戦艦派を狂喜させていた。

「今以上に大幅な収入増が無い限り戦艦はこれで打ち止めですからね。」

浮かれる者達に対して辻は一応釘をさす。

「まあ間もなく義勇軍がムルマンスクに到着する頃です。ドイツがフィンランドへ侵攻する前には展開が完了するでしょう。」

嶋田は話題を変えようとフィンランドへ派遣される義勇軍について話した。
今回フィンランドへ派遣される義勇軍は総司令官杉山大将指揮の元、空母1隻・重巡2隻を中心とした艦隊と陸軍1個師団・海軍陸戦隊1個旅団と陸軍航空隊1個飛行師団(臨時編成)で日ソの砕氷船を総動員して北周りの航路を取り、運びきれない分はシベリア鉄道を用いて陸路で輸送していた。

「ドイツ相手であればこれで十分であろう。ソ連義勇軍も加わる事だし、展開場所がバルト海でないから航路妨害による脅迫も出来ん。」

皆を安心させる為に伏見宮は締めくくった。



1939年11月30日  フィンランド共和国 オーランド諸島


「只今ここにオーランド・フィン共和国が成立した事を正式に宣言します。」

フィンランド領のオーランド諸島マリエハムン市街でフィンランド・ナチスの戦闘員やドイツ武装SSに守られながら、フィンランド・ナチスの総裁であるオットー・クーシネン(※7)がオーランド・フィン共和国の成立を高々に宣言した。

522: ライスイン :2017/10/03(火) 22:52:20

 フィンランドに要求を尽く拒否されてイライラが最高潮に達したヒトラーは遂に強硬手段に出る事を決断。フィンランド内のナチスシンパに密に武器弾薬を送り武装蜂起させ、密航などで予め潜ませておいた武装SSや領海間際で待機させていた輸送船から海軍歩兵を送り込んで傀儡政府を樹立。それをフィンランド唯一の正当な政府と認め、その政府の要請でフィンランドを”共産主義者たちから解放する”名目で侵攻を開始した。フィンランド側が混乱する隙を突いたドイツは翌日には本土の重要都市トゥルクに部隊を送り込み、フィンランドナチスの蜂起もあって難なく占領。ドイツ本土からの増援を待ちつつ首都ヘルシンキへの侵攻の構えを取った。この事態にフィンランドは徹底抗戦を宣言。併せて各国へ支援を要請した。しかし史実では義勇兵や物資を送った北欧各国はドイツの圧力の前に沈黙。イタリアは逆に同盟国ドイツの為に義勇兵(極少数)を送る始末。既にドイツと交戦している英仏は支援を約束したが実質リップサービスであった。

「「我々はヒトラー率いるナチスドイツに侵略されているフィンランドを救援するために義勇軍を派遣する。」」

日本とソ連が共同で義勇軍を派遣すると宣言した。そしてこれに続くようにスペイン・中国共産党・トルコが義勇軍の派遣を決断した。

「おのれ黄色いサルの分際でっ!!」

激怒したヒトラーは来るであろう日本の義勇軍を妨害するためにバルト海封鎖を命令しようとしたがすでに到着しているうえに北周り航路を使用していた事もあって断念した。因みにドイツがフィンランドへ派遣した戦力はギュンター・フォン・クルーゲ大将を総司令官に陸軍3個師団(+予備2個師団)・海軍歩兵1個旅団武装親衛隊2個連隊・空軍1個航空艦隊で海軍は装甲艦1隻・軽巡1隻・駆逐艦5隻と護衛艦艇及び輸送船団といった状況であった。ヒトラーとしては首都ヘルシンキを短期間で占領することでフィンランド全体を混乱させ、フィンランドナチスを通して寝返り・切り崩しを行いつつ占領地を拡大し来年1月末までには全土を制圧する予定であった。
しかし・・・

「ドイツ軍を撲滅せよっ」

「「「「「ウラーッ!!!!!!」」」」」

12月2日、ドイツ軍がヌークシオ付近まで到達した時、キリル・メレツコフ大将指揮のソ連義勇軍(戦車師団×2、機械化狙撃兵師団×6)が一斉に襲い掛かった。大量のカチューシャによる支援の元、全てがT-34(極一部KV-1A)で構成された戦車師団を先頭に突撃するソ連義勇軍。対するドイツ軍は機械化率こそ高かったが戦車は3号や4号の初期型で対戦車砲も主力が37㎜であり野戦重砲や88㎜高射砲(少数)による近距離直接射撃しか対抗手段が無く、数でも劣っていて圧倒的に不利な状況であった。
更に翌日にはタンペレ方面から南下してきたマンネルヘイム大将率いるフィンランド軍主力とイワン・コーネフ中将率いるソ連義勇軍別働隊(狙撃兵師団×3、戦車旅団×1)が攻撃してくるに至り敗北したドイツ軍はトゥルク方面へ撤退を開始した。
この敗北に激怒したヒトラーは報復としてヘルシンキ空爆を命令。オーランド諸島やトゥルク近郊の飛行場(急造の野戦飛行場含む)から飛び立ったHe111・Ju88・Do17といった双発爆撃機及び海軍のFw200やイタリアが派遣した少数のSM.79を含めた凡そ200機にも及ぶ爆撃機編隊がヘルシンキを目指した。航続距離の関係から単発のJu87や戦闘機は使用できなかった。

「畜生っ!!何なんだこの数は。」  「そっちにソ連機が回り込んだぞ」  「ふ・・・ふせげないっ!!!!」

ヘルシンキを目指していたドイツ軍爆撃編隊はヘルシンキ目前で大量の戦闘機による迎撃を受けた。フィンランドのフォッカーD21やI-16(ソ連供与)に加えて日ソの96式戦闘機やソ連の新鋭機MiG-3など300機を超える戦闘機の迎撃を受け、ドイツ軍は戦闘機の護衛が無かった事もあって目的を達する事無く全機撃墜された。この戦いでは日本陸海軍の精鋭に加え、ソ連が派遣した女性パイロットのみで構成された魔女飛行隊が大活躍した。特に同飛行隊のサーニ・・・リディア・リトヴァク少尉は爆撃機10機を撃墜する功績を上げ、フィンランド首相からも表彰されて”ヘルシンキの白薔薇”と呼ばれるようになった。

523: ライスイン :2017/10/03(火) 22:52:57
敗走したドイツ軍はトゥルクに立て篭もって増援を待つ方針に切り替えた。しかしドイツ本土から出港した予備の2個師団を乗せた輸送船は日本海軍航空隊や陸軍痛い子中隊及びソ連の新型攻撃機Il-2シュトゥルモヴィクによる対艦攻撃やソ連潜水艦の雷撃に加え、戦艦ピョートル・ヴェリキー(扶桑)及びイワン・グローズヌイ(山城)を中核としたバルチック艦隊の砲撃によって8割を超える損失を出してドイツ本土へ引き返した。
 援軍の望みが断たれたトゥルクは12月9日にフィンランド軍・日ソ義勇軍及び日本義勇軍に所属するヴァイス・フライコール(白き義勇軍 通称義勇軍 ※8)が突入した。壮絶な市街戦となったが補給が断たれていたドイツ軍は翌10日に降伏した。またオーランド諸島のドイツ軍司令部およびオーランド・フィン共和国はゲリラ化したフィンランド軍守備隊や潜入した日ソ及びフィンランドの特殊部隊との戦闘の末、某ムーミン谷の白い悪魔(※9)によって総司令官クルーゲ大将や政府首班クーシネンが狙撃され射殺された事で統率を失い翌日に上陸してきたフィンランド軍に降伏した。
 ヒトラーは戦死したクルーゲを激しく罵り再度軍を上陸させる事を主張したが翌年に控えた西方への攻撃の為、これ以上の損耗は避けるべきとの声に押されて停戦を決断した。

 そして12月25日、ドイツとフィンランドの間で講和条約・・・ヘルシンキ講和条約が締結された。ドイツ側は始め

「我が方は少しも本土を侵されていない」

と主張。まだ戦力に余裕がある事やオーランド・フィン共和国の正当性を主張してフィンランド側の賠償要求を蹴ったばかりか逆に領土割譲を要求する有様だった。しかしソ連が追加で義勇軍の派遣を決めた事や日本がレニングラードの飛行場に4発重爆撃機(連山)を派遣したという情報が入り、上陸成功率が限りなく0になった事や本土を空爆される可能性が出て来た事で戦争継続を断念。賠償金の支払い(少額、ただし円・ドル・ポンドで支払)及び遺棄・捕獲兵器の譲渡(※10)を行う事で正式に講和となった。


 こうして欧州東方での戦争は一応は終結し静けさを取り戻した。
しかしドイツは翌年1月に入ると西方で一気に攻勢に出た。デンマーク・オランダ・ベルギー・ルクセンブルクは短期間で制圧され、ノルウェーは英仏の援軍が間に合ったものの攻勢を止めるには至らず北部へとと追いやられていった。4月に入るとフランス本土に対する攻撃も始まったがドイツ軍の勢いは止まらず、フランス側の戦術・戦略の不味さ(※11)や過度のマジノ線依存もあり5月末にフランス本土は陥落した(一部閣僚やドゴールといった軍人が英本土に離脱して自由フランスを設立)。
 そんな中・・・イギリスが憂鬱以上の失態をやらかした。ノルウェーに共に増援に赴いたフランス軍に対して指揮下に入るか降伏するかを突きつけ、本土陥落の混乱で方針を決めきれないフランス側に痺れを切らして攻撃に及んだのだ。これにより戦艦ダンケルクを撃沈したイギリス側であるが怒り狂ったフランス側による報復は凄まじかった。
航空支援を行っていた英空母アーク・ロイヤルとグローリアスが戦艦ストラスブールの砲撃で撃沈された(※12)。更にフランス潜水艦によって空母ハーミズが撃沈され、止めに偶々ダカールに停泊していた巡洋戦艦フッドがフランス軍による斬り込みによって制圧され奪取された(後にドイツへ譲渡され巡洋戦艦マッケンゼンとして再就役)。

 これらの失態によって一気に不利になったイギリス。しかしアメリカは世論の反対もあって直接参戦は無理そうであった(但しレンドリースは行われていた)。
そんな状況下でイギリスが目を付けたのがフィンランドでの戦闘でドイツに勝利した日本とソ連だった。だが両国とは控えめに見ても関係は余り良くなかった。ソ連とは国家体制があまりにも違い過ぎ、日本とは1938年の英日同盟解消の解消以来、関係が希薄化。しかも戦争勃発直前に日本が申し出た援軍派遣を拒絶していたのだ。だが頼りのアメリカは早期参戦が絶望的でほかの国は当てにならない。
進退窮まったイギリスはアメリカと図り、市場開放や一部技術供与などを条件に日ソに対して参戦を打診。日ソは近衛首相とスターリン書記長の直接会談など調整を重ねた。
その結果、日本は連合国に加わってドイツに対して宣戦布告。ソ連は後の対ドイツ戦を見据えての防衛強化や兵器更新から直接参戦は避けて航空隊を中心に義勇軍の派遣を決めたのだった。

524: ライスイン :2017/10/03(火) 22:53:32
※1:ソ連からポーランドへ潜入し軍人となり、情報部に配属されたのちにスパイとしてドイツ軍に潜り込んだ3重スパイ。

※2:兵器こそ旧式だったが中身はスペイン内戦を経験した兵士たちを中核にした練度の高い部隊で構成。

※3:ハニートラップや麻薬をばら撒いたり退廃書物(801本)を流通させるなど。

※4:ポーランド政府及び軍首脳部は中東経由で英本土に脱出し亡命政府を設立した。

※5:進化する前の”正当な共産主義思想”を狂信する連中の総称でメキシコに亡命したトロツキーが首魁。

※6:リトアニアへのメーメル割譲要求は”偶々”バルト3国とソ連が合同軍事演習を行っていた為、強行した場合ソ連との早期開戦が予想された事から断念していた。

※7:この世界では強烈なナチス信望者でフィンランドナチスの党首。

※8:主にアジア在住のドイツ人やナチスに反発して亡命したドイツ人で構成された義勇軍。フィンランドへ派遣されたのは1個中隊(第3中隊)。宣伝目的だ派遣されていたが、意外に健闘し、中でも第7小隊長のウ○ルキン・ギュ○ター少尉は98式重戦車1型「エ○デルワイス号」でドイツ軍戦車6台を撃破し金鵄勲章を授与されている。

※9:シモ・ヘイへの事。ドイツ軍のトゥルク侵攻時には狙撃で50人以上のドイツ軍将校を殺害。またヌークシオ侵攻初期には彼を含む32人の兵士が守る陣地をドイツ軍1個連隊が攻めるという圧倒的不利な状況下で援軍が到着する前に死者無しでドイツ軍を撃退するなどこの世界でも凄まじい功績を上げていた。

※10:小火器や野砲が中心だが航路を誤って座礁した軽巡エムデンなど大物も含まれていた。

※11:主に某梅毒将軍のせい。

※12:フランス軍向け補給物資を積んだ輸送船を護衛して航行中に英国の蛮行を知り、濃霧に紛れてたまたま近くにいた英空母に砲撃を仕掛けて撃沈した。


おまけ1 ソ連軍新兵器


○ピョートル・ヴェリキー級戦艦  ピョートル・ヴェリキー(扶桑) イワン・グローズヌイ(山城)

 日本から売却された扶桑型戦艦で主砲を41㎝連装砲に換装している。配備先はバルト海。


○ペレスヴェート級戦艦   ペレスヴェート(伊勢)  ナヴァリン(日向)

 日本から売却された伊勢型戦艦で扶桑型同様に41㎝連装砲に換装。配備先は北海。


○Il-2シュトゥルモヴィク   空冷1750hp 最大速度:530㎞/h 航続距離:1400㎞ 23㎜機銃×4 搭載量:最大1t  乗員:1名

 ソ連が輸入及びライセンス生産している96式戦闘機22型を元に開発した地上攻撃機(戦闘爆撃機)。防弾装甲をさらに厚くした上で国産の大口径機銃を搭載した。速度や運動性能は低下したが凶悪なまでの攻撃力と20㎜すら防ぐ重装甲及び従来の攻撃機以上の航続力は搭乗員や整備士からは絶賛され、生産難易度は高いものの優先的に生産する様に指示が出ている。

525: ライスイン :2017/10/03(火) 22:54:03
おまけ2 日本海軍 相模型戦艦

基準排水量:51000t、46㎝45口径連装砲×4、15.5㎝60口径重両用砲×4、10.5㎝60口径連装高角砲×10、7.6㎝56口径高角砲×8 機銃  速力:30kt

 01:相模 02:上総 03:近江(公試中) 04:越後(進水間近)

日本帝国海軍がソ連に売却される扶桑型・伊勢型の代艦として建造した新型戦艦。史実13号巡洋戦艦をベースに装甲を厚くして機関も大出力の物を搭載した。
主砲の46㎝45口径連装砲は次世代戦艦楊に設計していた新形式で高空の敵機に対処する為(と巡洋艦以下の主砲を用いる程じゃない敵艦向け)に軽巡の主砲を基に開発した大口径両用砲も搭載している。密に設計中の大和型h度ではないが従来から比べると十分強力な戦艦に仕上がって古賀達戦艦派を狂喜させた。


 いかがでしょうか?一気にポーランド侵攻から参戦間近まで進めてみました。
ネタを挟んだり人物を改変したり登場時期を早めたりとしたけっか、ドイツ軍は当方で何も得る事無く敗北し大損害を受けました。
しかし西方では順調に進撃し英国の失態もあって制圧に成功。いよいよバトルオブブリテンに突入します。
 なおジブラルタルは内戦に勝利した共和派主導のスペイン政府が日ソの助言でフランス陥落を予期して国境線を非常に強固に固めた為にドイツは侵攻を断念したお蔭で無事です。またアジアでは奉天軍(張学良)はアメリカからの警告と対蒋介石を優先する為に日本に対しては今の所大人しいです。
それと対米戦を行うかについては検討中です。

~予告~

 日本の参戦とソ連の義勇軍派遣で一息つけたイギリス。しかしドイツは英本土を早期に攻略しようと航空戦力の大半と多数のUボートを終結させる。
英本土で壮絶な航空戦と対潜水艦戦闘が繰り広げられる中でチャーチル首相が戦死。式が極度に低下した英国は日ソの反対を押し切っての停戦を決断する。

次回”バトルオブブリテン”

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最終更新:2017年10月06日 09:33