187: トーゴー :2017/10/12(木) 22:28:21
古いデータを漁っていたら、2年以上前に作ったWiki○edia風の人物ネタが出てきたので、かなり適当な出来ですが投下してみます。


ネタ きれいなスターリンの略歴(三帝同盟ルート)

ヨシフ・ヴィッサリオノヴィチ・ジュガシヴィリ・スターリンは、コーカサス連邦の首相、のちロシア帝国宰相である。

本名ヨシフ・ヴィッサリオノヴィチ・ジュガシヴィリ(グルジア語ではイオセブ・ベサリオニス・ゼ・ジュガシヴィリ)。「スターリン」とはロシア革命後、熱烈な反共家としての活動と強力な指導力から「鋼鉄の男」と称されたことに由来する。

1878年12月18日、グルジアのゴリにて靴職人の三男として生まれる。優等生として初等学校から神学校へと進み、グルジア系であることへの差別に耐えて司祭として叙任される。
日露戦争や第一次世界大戦では従軍司祭として活動し、差別に苦しむ非ロシア系兵士の救済に手を尽くす。彼の活動を耳にしたニコライ2世に謁見する機会を得たことは、彼が熱心なロマノフ朝支持者となるきっかけとなったとされている。

ロマノフ朝が崩壊しロシア内戦が始まるとスターリンは白衛軍に参加し、白衛軍のコーカサス撤退に同行してグルジアへ帰還することとなる。帰国後はその強固な意志とカリスマ性によってコーカサス諸民族をまとめ上げ、オスマン帝国の支援の下共産主義勢力を追い払うことに成功する。オスマン帝国経由で帰国しようとしていたミハイル・トハチェフスキーに出会ったのもちょうどこの頃で、以後二人三脚でコーカサスの守りを築いていくことになる。
第一次世界大戦が終結すると、コーカサス地方はロマノフ朝を仰ぐコーカサス連邦として正式に独立。スターリンは連邦首相に就任し内政においても辣腕を振るった。

第二次世界大戦勃発からしばらくの間は、スターリン率いるコーカサス連邦は反共連合寄りの態度を取りつつも沈黙を保っていた。しかし、アメリカの外征能力の喪失とそれ以外の共産国家全ての脱落によって劣勢のソヴィエトに手を差し伸べ得る勢力が消滅すると、西シベリアへ大部隊を送り込んだ極東合衆国同様に北上を開始。ソヴィエト連邦を崩壊に追い込む。

第二次世界大戦が終結しソヴィエト連邦が正式に消滅すると、スターリンはラヴレンチー・ベリヤを後任に指名し連邦首相を辞任。ソヴィエトの暴政によって荒れ果てたロシアを再建すべく、ロシアへ帰還した帝国政府で辣腕を振るう。
1953年3月1日早朝に自室近くの廊下で倒れる。巡回中の衛兵にすぐ発見されたこともあってまもなく回復するが、彼も既に74歳という高齢であり体力の限界を感じ宰相を辞任。故郷グルジアのアブハジアにある別荘に移り、家族に囲まれながら静かな余生を送った。1975年8月24日、老衰により死去(満98歳)。

葬儀には各国の君主・王族やその代理が出席し、ロシアやコーカサスから大勢の市民が参列した。
当人の遺言により遺体はグルジアに、心臓はモスクワに葬られた。
死後にロシア皇室よりツァリーツィン公を追贈されたことから、ツァリーツィンは「スターリングラード」とも呼ばれている。

188: トーゴー :2017/10/12(木) 22:33:34
以上です。
ちなみにここの世界大戦は共産陣営(アメリカ・ソ連・共産フランス・中華民国・共産セルビア)vs反共連合軍(大陸日本・イギリス・ドイツ・ドナウ連邦・イタリア・オランダ・スペインetc…)という想定になっております。
アメリカ以外陸軍国ばっかりだなこの陣営…(アメリカ以外全部の海軍力を集結しても、イタリアにスペインでもつければ追い抜かれそう)

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最終更新:2017年10月18日 16:05