247: キャロル :2013/12/03(火) 00:13:42
後藤泊の幕末奮闘記 -開国編-

第四話 前編


1861年(文久元年)5月15日

山城 京都河原町 長州藩邸

「武市さん、なんとか奏上出来ましたな。これまでお世話になりました。」

「いや桂さん、長州の方々の皇国に対する深慮遠望には、我々土佐藩士も感じ入っている次第です。
此れからも宜しく御願いしたいですな。」

長州藩京留守居役である桂小五郎は、土佐藩の武市半平太と一室にて数ヵ月余りの労苦を肴に酒を酌み交わしていた。

「全く国許の周布様もだらしがない。政治顧問である松蔭先生が押し留めなければ、大変なことになっていた所です。」

桜田門外の変のあった1860年には、密かに帰国していた吉田松陰は、出国の咎で1年の謹慎期間(松下村塾再開)を経て、海外経験と尊攘派への影響力から、長州藩主 毛利敬信の政治顧問という地位に就いていた。


「我ら松下村塾門下生とて、嘗てのように後先考えない攘異論者ではない。
松蔭先生をはじめ、一番熱狂的に攘夷を唱えていた久坂でさえ、破約攘夷ではなく皇国回天と条約改正を語るぐらいです。私も村田清風様 直系の貿易重視派ですからね。
......まあもっとも、攘夷に代わって倒幕を唱える声が増えてきていますが」

長州は幕末の過激尊攘運動のイメージが強すぎて想像がつかないが、村田清風が主導した藩特産品の交易体制により、藩財政を建て直したことが、後年雄藩と呼ばれ明治維新への原動力と成った。

史実において「航海遠略策」以降尊攘派と化したのは、元々の吉田松陰の国学思想もあろうが、翌年薩摩の「文久の改革」による政治的敗北を覆す為、敢えて極端な方向転換を行った"方便"であったと、高杉晋作も語っている。

248: キャロル :2013/12/03(火) 00:14:54

「"航海遠略策"の骨子である、海外との交易云々には最早異論はありません。
問題なのは、これを主導するのが幕府ということです。
百歩譲って公武合体を認めても、あくまでも朝廷主導前提でなければ、これまでと何も変わらない。」

「ええ、それに関しては土佐も同じ意見です。
土佐としては幕府という組織自体が今という時代に対応できなくなっていると考えています。
幕府は廃止し大政を天子様に奉還せしめ、天子様のもと徳川も一大名に戻るべきなのです。」

「......その言葉、後藤くんの言葉ですか?」

「ははは......いや’あの時’は申し訳なかった。」

前回後藤らと共にした会合(宴会)における”醜態”を一瞬思い出した。


「......いえ過ぎたことです。しかし山縣君らはうんざりしていましたがね。」

ふっふっふっ、そうですか。いや失礼。



「話を戻しますが、たしかに血を流さず、新しい世を迎えるという後藤の考えです。
一見甘い理想論に見えるでしょうが、もはや命も、金も、そして時間さえも無駄遣いできる状況ではないのです。
福井の春嶽公や、幕臣の大久保一翁殿らが唱える『大政奉還』、決して不可能な考えでは無いでしょう。

今は未だ状況が許さないでしょうが、この度の奏上が大きな波紋を作れると考えてます。
まだ容堂公に御話しすることは難しいですが・・・・・・」


「確かに。波紋の積み重ねる事で、初めて大義を成せる。

......しかし、後藤くんは何者ですか?
私も若君の婚約の折りに会ってみたが、ひょうげた人柄かと思えば、冷徹に物事を見つめてもいる。
まるで坂本くんが二人......いや何か自信のようなものさえ感じる。」

「あいつは上士であり、藩参政である吉田東洋様の甥子であるにも関わらず、若い頃より私の道場に足を運んでました。
その頃から、龍馬や以蔵とは妙に馬があっていました。よく旨いものを土産として持ってきてましたよ。」

「ほう、その頃からの付き合いなのですか?」

「ええ、まあ......(”ふらい”や”空揚げ”などアジや鯨、馬鈴薯の揚げ物などは美味だったが......
たまに闇鍋と称して牛の内蔵鍋だとか、鰻の蒲焼きかと思えば”蛇”の蒲焼きだったいうのもあったが、本人は”やや臭うがいける”と本気で言っていたから、嫌がらせでないなら 更に”たちが悪い変人”だな)」

249: キャロル :2013/12/03(火) 00:15:40

閑話休題・・・・・・


「桂さん、貴方も大陸に行った松陰先生に御聞きの通り、アロー戦争の事は聴き知っているでしょう。」

「ええ。海外列強の底知れぬ武力と、其れを無限の如く産み出す工業力。我が皇国は二百五十年余りも太平の世に浸り、物を知らなさすぎた。」

「ですな。私も後藤くんに『欧州諸国の武力の程を見極めてきて欲しい』と送り出されましたが......
いやはや、何とも想像を越えていました。故に近年、土佐勤王党を立ち上げ、『尊王攘夷』でなく『尊王改新』を掲げたのです。」

”廃幕”や”倒幕”では先鋭的すぎる印象から、土佐藩の勘定方にして、勤王党世話人でもある伊達千広からの提案で、大化の改新の故事から”改新”を掲げた。
(この当時、紀州藩時代に完成していた『大勢三転考』を、土佐勤王党結成と同時期に発表している)


「武市さん、この度の”航海遠略策”、ここ一ヶ月の打ち合わせをしてきた様に、あなた方の辺境防衛案と、二つ一組で打ち出すことで開国、尊攘両派をおさめさせる妙手です。

実際、”遠略策”には具体案が無く、血気盛んで一旗揚げようという連中に対する受け皿が無かったのを、貴殿方の提案によって其れも解決した。

松陰先生も褒めておられましたが、長州を代表して感謝申し上げます。」

「いや桂さん、『航海遠略策』自体優れた考えです。
我々はその考えと干渉しませんし、『拓殖辺防策』のみでは、攘夷色のみ強調してしまうと危惧したからに過ぎません。」


『拓殖辺防策』

土佐藩、武市瑞山により、1861年5月長州の「航海遠略策」と共に朝廷に奏上された。
(当初象二郎は龍馬に箔をつける為、彼の名で奏上予定だったが、嫌がった龍馬が象二郎と擦り付けあった結果、第三者の武市に”どうぞどうぞ”した)

"樺太を含めた蝦夷地、及び小笠原諸島など遠方島嶼等への、開拓植民による屯田兵制度の確立による、辺境地域防衛論"

長州、土佐両論が互いに干渉せず、攘夷と開国両方を補う優れた戦略とされた。この数ヵ月前に行われた毛利、山内両家の婚約が成立。
これ以降「長土盟約」と呼ばれる事となる。

翌年、幕府に長州、土佐両藩が提出することになる"第二次樺太出兵"計画だが、その裏では京都を中心に、各藩への様々な裏工作が行われたと云われている。

250: キャロル :2013/12/03(火) 00:16:31

同年同日

武蔵国久良岐郡 横浜町
外国人居留地 某料亭内

「ぶぁーーっくしょん!! 誰か噂してやがるなぁ。
龍さんと以蔵は此所に居るから、叔父上か、武市さんか、あるいは......?
やばい、思い当りがありすぎる......」

武市さんを始め、土佐の連中とは転生者の岡田以蔵らの助けもあり、其れなりに仲良くしている。
なんせ階級社会で、且つ上士と郷士間の、対立厳しい土佐藩である。

郷士連中と仲良くなるには、先ずは”餌付け”だとばかりに、フライドポテトや鯨の龍田揚げ、アジフライなど色々と試してふるまった。
タカり始めてウザくなった時には、たまに闇鍋大会やサバイバル合宿を開催したら、魔王を見るような目で震えだしたことも......
いや~いい思い出だなあ(棒)
.........

と、思い出深い10年を振り返ってみる(第三話参照)と歴史好きとしては非常に面しr「象二郎さん、飲んどるか?」「本国で食べたバークシャーに比べて臭いがキツくなく、ベリーデリシャスでぇす。」

「(......はあ、現実逃避もできないか。しかし龍さんは兎も角、オリファントさんも出来上がってるな。他にも色々)」

251: キャロル :2013/12/03(火) 00:17:09


氷を冷蔵箱で冷やした川本幸民直伝の日本製のビールや、土佐産サトウキビから醸造したラム酒に、土佐の育てた豚や鶏が揃っている。旧暦では5月だが太陽暦では既に初夏と成っているため、以外と美味しく頂けるのである。

アロー戦争で渡海した際の交易で手にいれた、日本最大の地鶏である「天草大王」の原種である”ランシャン種”と土佐地鶏を交配開発した「”土佐大王”」や、英国から生産性が良好な大ハンプシャー種と、良質な肉質の”黒豚”バークシャー種という養豚品種輸入。そして山国である土佐の特性を活かしたドングリや発酵飼料、乳酸発酵とぎ汁飼育による「”擬似イベリコ”」「”擬似ホエー豚”」化した「”土佐美豚”」(多くは塩麹漬けや、生きたままに大名や在留外国人に販売され、最終的に清の西太后に献上し、顧客とするのが目標としている)

わざわざ鶏や豚を海外から導入したのは、外国人向けに販売する為でも、自分がブランド豚が食べたかっただけでもない(←否定はしない)

北方開拓において各種ビタミンの補給は文字どおり死活問題である。其れは19世紀初頭の会津藩による”第一次”樺太出兵に置ける最大の死亡要因が「水腫病」、所謂ビタミンBやビタミンC不足による脚気、或いは壊血病が原因だと謂われている。

野菜不足が原因ともされるが、現地においては蝦夷鹿など肉食を行えば必須アミノ酸は補給できる。(現にアラスカのエスキモーは獣血からビタミン補給している)

故に今回の外地出兵には肉食への禁忌感を取り払わなければならず、この機に早めに洋食文化を日本に普及させ、海外への偏見を薄めようとも考えてもいた(そもそも仏教に肉食禁止という戒律は無い)

そして、史実においては豚一様のこと、徳川慶喜の将軍就任と、明治天皇の牛肉試食が大きな転換点であり、フリードリヒ大王のジャガイモ普及と同じく、指導者が率先することが、固定観念を打破できる方法と知っていた象二郎は、この後江戸に置けるプレゼンテーション(第一話参照)の際、徳川家茂へ肉料理を献上。

すなわち上記のブランド黒豚の高級部位ヒレ肉を、江戸の天麩羅職人が豚カツにし、人気親子丼店の料理人が同じく厳選した鶏卵等の材料を用い、高級料理と化したカツ丼が出現した時点で勝負は決まっていた。

252: キャロル :2013/12/03(火) 00:17:47

これ等の高級肉食材を使用して、出されているのは焼き鳥、肉団子のあんかけ、海老フライ、鶏のから揚げ、など”オードブル”と喚ばれる後世で庶民的な惣菜料理が並んでいる。

「(本当ならフランス料理のフルコースとするのが定番なのだろうが、其れでは芸が無いということで、和洋折衷のオードブルとしてみたが以外と好評だったな)しかし・・・・・・」

「タぁーリLaLiラーーン#」「ほうほう、それから」 「ダカラ、言ったんデスヨ。オールコックの野郎にね」

「・・・・・・幾らなんでも酔っぱらいすぎだろ!あり得ねーだろイギリス紳士!」

            • 2時間前に遡る


「はじめまして、在日本英国公使館一等書記官ローレンス・オリファントです。」
「ジャーディン・マセスン商会のトーマス・ブレーク・グラバーです。」

あいだに通訳として、ジョン万次郎に英語(アメリカ英語だが)を学んだ陸奥陽之助が着き、警護役である岡田以蔵は部屋口の前で護衛、待機している。

「どうもはじめまして、土佐藩参政補佐で、三菱商会頭取 後藤象二郎です。でこっちが」

「はじめまして、長崎海援隊頭取 坂本龍馬ですきに。」

そこにローレンスから

「存じておりますよ。三菱商会副頭取にして、戦時に措いては土佐藩海軍司令代理でもあろうという噂もね。」

「・・・・・・そうだったかいの?
わしゃまだ27の若造すぎんし、総司令様ゆうても所詮代理じゃ。今は商船が何隻かいるだけじゃけ」

「.....龍さん。そのことは極秘事項で、当面対外的には脱藩浪士ってことに成ってたの忘れたんか。」

「すまん。忘れとったw」

「おい!」

253: キャロル :2013/12/03(火) 00:19:03

1857年、長崎海軍伝習所で、蒸気船の修練を終えた坂本ら史実海援隊の面子は、そのまま長崎の地に海運会社を創設する。
今後の計画に従い”樺太出兵”、更には長州藩ら雄藩との裏工作をする上で、問題となったのは史実どうり脱藩するかという事(”土佐藩士”と”脱藩浪人”では、やはり説得力が違うので脱藩は必要はない)という話もあったが、

武器輸入などの海外との密貿易など幕府にバレては元も子もない事から、表向きは史実どうり長崎商人である小曽根乾堂や大浦慶らの出資で開業した脱藩浪士企業という体裁だった。

これと同様に、南北戦争で高騰した綿糸貿易で、利益を上げることは史実で薩摩の評判が悪化させたように、社名に堂々と「土佐」の名前を掲げ続けることは、メリットよりもデメリットが大きくなりつつあったこともあり、海外貿易開始を機に「三菱」を社名として掲げた。
(綿花の購入は三菱だけでなく、薩摩や友好国である長州、越前とも話し合い、”カルテル”を結ぶことでリスク分散)


だが長崎海援隊は所謂ダミー会社であり、実質三菱グループの子会社だった。
とはいえ、都合良く龍馬を利用していると云えばそうでもなく、裏では社長後藤、副社長坂本として扱われている。
(明治維新後は後藤の新政府への出仕により、会長 坂本龍馬 社長 岩崎弥太郎体制となっていく)


「落ち着いてくださいよ後藤さん。何時もの事でしょうに......
それに表向きラム酒やビール醸造は横浜の在留外国人用に生産したのに、実は自分が飲みたい一心だっ・・・・・・」

「申し訳ありません!! どうかどうか弥太郎には言わんとってください!
前に長州藩との接待費の金額がバレたとき、3日間座敷牢で書類整理させられたんだよ!」

「・・・・・・それは後藤さんの自業自得なのでは」

「ほうじゃのう。あんときゃ、こじゃんと大変じゃったきに。中岡も赤くなったり青くなったりでの。」

254: キャロル :2013/12/03(火) 00:20:40

「なにいってんの?! あの時さんざっぱら飲み食い宴会したのは海援隊の連中でしょ。高杉さん達、呆れてなかった?」

陸奥が毎度行われるドタバタに、”またかよ”と呆れつつ

「後藤さん、あの時一番酔っていたのは貴方ですよ......
『”俺はただ壊すだけだ。この腐った世界を”とか口癖にしたらどうです?人気出ますよ』とか『黙ってろ戦場カメラマン。いつも丁寧に喋れ』とか。
以蔵さんの機転と、面白がった高杉さんの取り成しで、余興ということになりましたが。」

「ええ゛ッ!マジで.....」「マジです。幸い後藤さんが予算折衝で苦労していることを、海援隊のみんなは知っていますから、生暖かい目で眺めてましたが......」

「眺めてたのかよ!?」

「・・・・・・あの時桂さんに何か言い出すを、止める為に、『哀・○士たち』を熱唱することで後藤の気を逸らして、何とか場を収めたんだけどね。」

後ろで黙っていた以蔵も責めるというより、宥めるように言う。

”ズラ”とか言い出されたら、流石に洒落に成らんということで、長州側の転生者と思われる人物らと機転を利かせたと後で聞いた。
(後にこの歌を気に入った高杉さんが、樺太でも唄って志士の間での流行歌になったとか、ならなかったとか?)


ここで流石に脱線しすぎだ。と考えたグラバーが話の流れを変える。

「いや其れにしても、三菱さんには生糸取引を始め、御世話になっております。今回も大きな商談があるものと期待しておる次第でして」

「何をおっしゃいます。御国は世界一の大国。
世界を股に懸け、東に西へ洪水のように物資を流通させる事で、その国に無視できない影響を与えることなど、我が国にはとても真似できません。」

後藤は、統治の本格化が始まりつつあるインド、南北戦争中のアメリカ連合への輸出や、太平天国に揺れる清への介入を図る大英帝国という、”日本の国力では夢物語”という謙遜であると共に、”世界各地で紛争を助長させている英国”を揶揄する諧謔(ヒューモア)だった。

グラバーも多少は話が分かるやつだと考えたのか、にやっと笑い、ローレンスもにこやかに話しかける

255: キャロル :2013/12/03(火) 00:21:21

「いやいや、我々は何も強要していませんし、自ら戦争を望んでいる訳でもありません。
クリミヤにしろ、北京にしろ、其れは一貫しています。」

「成程!流石は世界一の海洋国家です。大陸国家の横暴には屈しないと。今まさにロシアの脅威が迫り、それを以前から幕府に警告し続けていた貴国ですな。説得力がある。」

「......そうですな。ロシアは悲願である不凍港獲得の為、そして飽く無き領土欲から拡大し続けるでしょう。
対して我らイギリスは領土ではなく、海上貿易による利益によって拡大します。
ロシアの圧力を受ける善良なる中東諸国達からは、”守護天使”の如く頼りにされていると聞き及んでおります。」

後藤は内心”何が守護天使だ。悪魔王の間違いだろ”と思ったことはおくびにも出さなかったが。
ここに龍馬がすかさず会話をはさむ

「そのロシアじゃ。最近の対馬、樺太といい、清国から沿海州をどさくさ紛れにかすめ取ったことといい。どうにも露骨じゃと思わんかね。」

英国人二人はこの日本人たちの国際情勢の情報収集能力に内心度肝を抜かれていた。

対馬はともかく、樺太や沿海州の情勢や、先程から話題に上がったインドやアメリカ連合の話題など、世界中に手を広げる大英帝国の通商網無くしては得られないものばかり......

この極東の小国の、さらに辺境領のサムライ商人達は、一体何処から情報を入手しているのだ!? と、

更には未だ地政学が存在せず、海洋国家対大陸国家というマハン理論の概念に初めて接し、内心呆気にとられていた程である。


「......成程。今回土佐藩からの提案である、合弁による箱館に缶詰工場建設するという話。
なぜ箱館なのか、と不審に思っていましたが」

得心がいったとばかりに頷く。


「はい。蝦夷地が未だ未開であること、その事自体が利点です。
かの地ではエゾシカ、アザラシなど野生の獣が数多く生息しており、またスケトウダラ、サケなどの魚介類も豊富で、加工食材に事欠きません。
その上、外地であるなら攘夷志士なども相対的に少ない。
外国人であるあなた方との合弁企業というのは、現在の日本の情勢では非常に危険なことなのです。そこを御理解下さい。」

「ええ、あなた方三菱商会の方々が、開明的で貴重な存在であることは私共も理解しているつもりです。」

「文字どうり”言葉が通じる存在”ということですか......
我々日本人は近々、”北蝦夷地”、いや”樺太島”に大規模な開拓団を送る計画を建てております。」

「.........つまり日本はロシアに対して戦争を、”攘夷”を仕掛けようというのですか?」

256: キャロル :2013/12/03(火) 00:32:01
取りあえず前編を終了します。後編は大体出来上がっていますが、細部を仕上げて1週間後ぐらいを予定してます。
ここまで遅れたのは第一話のまでの出来事を入れようとして詰め込みすぎたとか、当初予定していた二次元キャラ(AZ●M●)の登場を曖昧状態のままに変更したことも影響しているんですが、やはり夏コミの灼熱地獄による精神的、肉体的疲労が意外と酷かったというか。(←何ヶ月前の話だよ!)
水分補給はしてたけど塩分不足で死に掛けたw
あと三日目の会場内水蒸気雲も初めて見ました。

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最終更新:2017年10月21日 11:33