461: 俄か煎餅 :2018/04/15(日) 22:16:50
 『英日同盟よ永遠なれ』 第三話


 1925年、エドワードはアーヴィン男爵位に叙された。これも記憶の中の歴史の通りである。その事に安堵をしつつも、しかしエドワードは、自らの持つアドバンテージとその代償を考え、溜め息しか出なかった。
 記憶の中の世界の歴史。それは、未来予知に等しい。これを有効活用する事で、エドワードはイギリスを少しでもマシな立ち位置に収めようと努力している。だがこの歴史知識は、既に少しずつ使えなくなってきている。
 例えば、同じ歴史を二度も繰り返す事を避けるため、エドワードは記憶の中よりも文字通り東奔西走し続けた。他国、特に後に列強筆頭となる日本の情報を掻き集め、かつての自分では気付かなかったであろう事も見逃さないようにしている。しかしそのせいで、エドワードはかつてよりも働き者の議員であると、また、親日派の議員であると思われるようになった。
 また、現在エドワードは農林水産大臣に任命されている。そのため、今の内に将来の大凶作、大西洋大津波が引き起こす異常な大寒波に備えるため、環境が劣悪でも育つような品種改良を模索している。現状に満足せず、イギリス農業の更なる安定と飛躍を求めると言えば聞こえはいいが、その影で、余計な口を出す面倒臭い大臣という声がある事も知っている。
 エドワードの持つアドバンテージ、記憶の中の歴史から、現在進行形で徐々に逸れつつある。この逸れが積み重なれば、いずれこの歴史知識は何の役にも立たなくなるだろう。その時、大英帝国史上最低の宰相とまで呼ばれたエドワードが、この先の見えない激動の時代を乗り越えられるのか。今の時点ですら不安しかなかった。

 幸い、ジェリコー提督、そしてかつての海軍大臣だったチャーチルとの繋がりを経て、海軍との繋がりだけは有る程度得る事が出来た。
 既に彼らには、日本が戦艦改造の標的艦を、飛行機による航空攻撃だけで沈めた事を伝えてある。その標的艦は標的艦であるが故に、随伴艦も無く、防空射撃すらない無抵抗で沈められた事は無視できない。しかし、少なくとも空母の、そして防空戦の研究をおろそかにし、空の護りを手薄にすると、戦艦ですらが飛行機にいいようにやられる。たとえ沈まずとも、決戦する前から傷だらけでは勝てる海戦にも勝てなくなる。ジェリコー提督のお陰もあってそう認識してくれたようだ。

 今のエドワードでは、動ける事はここまで。
 来年から五年間、エドワードはイギリス本土を離れる。インドの総督に任命されるためだ。本音を言えば、大恐慌に備え、イギリスから根こそぎ流出していく金を留めるためにも本土に残りたい。
 しかし、あまり下手に動き回り、出過ぎた杭になって叩かれるのも困る。第二次世界大戦まで、まだ残り十年以上もある。こんな所で政界から叩きだされるわけにはいかないのだ。指示には大人しく従うほか無かった。

462: 俄か煎餅 :2018/04/15(日) 22:17:52
 1926年、エドワードはやはり記憶通りにインドに総督として着任した。
 ここでの任務は、イギリスの財布であるインドを無事に統治し、イギリスの支配下に置き続ける事。イギリスの最大の宝石とまで称えられたこのインド帝国の手綱をしっかりと握る事だった。
 だがエドワードには、裏の目的もある。大西洋大津波による世界情勢の激変後、イギリスはインドを喪失した。その原因は、大津波に起因する異常気象。それが、情勢不安定だったインドに止めを刺した。インドを放棄したそもそもの元凶はイギリスそのものの国力の衰退による没落だが、それを回避しても、この異常気象による大飢饉を何とかしなければ結果は変わらない。ならば、今の内にインド農業にテコを入れる。それが必要だった。
 勿論、インド国内のゴタゴタをどうにかこうにか宥めすかす事も忘れてはならない。この人口だけは多い帝国は、蓋を開ければ内部のそこかしこに火種が転がっている。どうしてこんなに問題だらけなのか。分割して統治せよという格言は理解しているし、この火種があるからこそイギリスはこの土地を統治できているのだが、何かやろうとすると動き難くて仕方がない。正直二度目でも頭を抱えたくなるような惨状を再確認しながら、エドワードは早速職務を開始した。

 だが。結論から言えば、その後1931年までの任期である五年間、エドワードはろくな仕事が出来なかった。
 まず、開幕早々。インド統治法を見直すための調査であるサイモン委員会。その面子の中に、何とかインド人を一人放り込んだ。彼の名は、ジャワハルラール・ネルー。後のインド独立運動の中心的人物であり、国民会議の議長すら務める大物として有名であった。
 インド人が一人も居ないサイモン委員会に対する反発はそれはもう凄まじかったがため、その反発を和らげたかったのだ。ところが、このエドワードの動きに対し、そもそもサイモン委員会にインド人など不要、と、イギリスの対印過激派や強硬派とでもいうべき連中から横やりが入り、更には、彼を捩じ込んだら捩じ込んだで、今度はインドのムスリム連盟が拗ね始めた。ネルーがヒンドゥー教徒であり、これまでヒンドゥー重視の活動を行っていた事が不満なのだ。そして、ムスリム連盟からすれば連盟からも人員を派遣したかったのだろう。そんな余裕は無かったというこちらの事情など彼等が知るわけが無い。
 そして、この委員会の調査内容の発表は、わざわざインドの議会のど真ん中でやってやった。内容はさて置き、イギリスが総てを密室の中で決めてインドの議会を完全無視したなどと言われないように。当然、大荒れした。罵詈雑言が飛び交い、何度も中断し掛けた。乱闘騒ぎにならなかったのが奇跡である。
 この中でエドワードは、一つ演説をした。この内容は特に記憶の中と変わらない。ただし、これまで国家運営の経験の無いインド中央政府に、いきなり国家の運営は難度が高過ぎる。そのためまずは州単位の自治で慣れろという、言い訳じみた弁明を追加した。事実上の今はこれで勘弁して下さいという訴えである。無論、効果は無かった。ふざけるな。単なる先送りではないか。そうやって無限に先延ばしし続けるつもりだろう。いますぐ独立させろ。ほぼ全方位からの呆れるぐらいの集中砲火である。
 一しきり叫び終えて彼等が疲弊し、若干静かになった頃、エドワードは反論した。仮にインドが独立し、このインド議会がインドの舵取りのその全てを任されたとして、その時本当にこの議会にインドを引っ張っていく力があるのか。現在の最大勢力であるインド国民議会が主導したとして、本当に皆従うのか。ムスリム連盟は、インド国民議会の指示に従えるのか。藩王国は従うのか。誰が主導するかで国が割れ、モザイクインドとなる可能性が高いのではないか。そうではないというのならば、藩王国をこの議会の決定に従うという約束を取り付けるか、この議会に藩王国が参加するよう説得してはどうだ。そう言い返した。
 エドワードは、この自分の提案がほぼ間違いなく上手くいかない確証があった。藩王国は、王国のままでいたいから今までインドに融合せずに半ば独立を保ってきたのだ。インド議会に下ったり、議会に参加し藩王国内部の実権を引っ掻き回されるなど言語道断だろう。彼等が握る地域の実権を手放すわけが無い。仮にそれがやりたければ、強力な圧力を掛けて屈服させるか、内乱を起こして実力で叩き潰して併合するしかない。そして、このインドにそんな力は無かった。

463: 俄か煎餅 :2018/04/15(日) 22:18:39
 また後日には、今度は選挙制度の事で大荒れした。エドワードがそれとなく誘導などしなくとも、彼等が勝手に分離選挙制か否かで分裂を始めたのである。議会に最低保証議席数を定めるこの分離選挙制は、少数民族や少数派宗教の意見を議会に反映させる事が出来るというメリットがあるが、逆に少数政党が乱立し、強力な与党が居なくなり、事あるごとに少数派が喚き立てるため、議会が半ば機能不全に陥る痛烈なデメリットがある。
 ヒンドゥー教徒は、このデメリットを危惧して分離選挙制などやりたくない。ムスリム連盟やヒンドゥー過激派の連中は、自分たちの意見を無視されたくないがために全力で抵抗する。最終的に単なる悪口合戦になって何も決まらなかった。
 そしてこの流れを見て、ガンディーはイギリスがインドを独立させる気など無い事を見抜いたのだろう。事実だからいずれは見抜かれる事は分かっていたが、結局は彼は、記憶の中と全く同じ事を仕出かした。総てのインド民衆の意識を高めるため、そして宗教対立に関係の無い運動を模索し、彼はやはり塩の行進という結論に辿り着いた。インド民衆の凄まじい反発を受けたくなかったエドワードは出来れば弾圧はやりたくなかったが、流石にこれを見逃すわけにはいかない。あくまでイギリス政府の意向に従うしかないエドワード一人では、塩の専売停止も、その値下げも軽々しく口に出す事は出来ないのだ。
 塩の行進を大弾圧し、ガンディーを収容所に放り込むと、やはりの記憶通りにガンディーと会見する破目になった。交換条件は、大量に収容所に押し込んだ政治犯を解放する代わりに、塩の行進と不買運動を停止する事と、インドの大英帝国からの完全独立は実現する可能性が無いに等しいため主張しない事である。

 また、インド議会にて、相も変わらず独立を求める頭の固い議員達を相手に、最終目標は自治領であると再度明言する必要もあった。仮にイギリスを独立戦争の末に追い出し、独立を果たしたとしても、次はイギリスの後釜を狙うフランスが、ロシアが、ポルトガルが、スペインが、オランダが、ドイツが、イタリアが、諸外国がやってくるたけで、宗主国の首がすげ変わるだけであると説得した。この時はまだ、後に大物になると判っていても牙も爪も隠している日本の名前は決して出さなかった。
 これはエドワードの内部対立を煽る一環でもあったが、案の定議会は大炎上した。完全独立派は頭に血が上り、イギリスの影響力の完全排除は不味いと思っている一派はそんな独立派を宥めようと論戦を仕掛ける。
 こんなグダグダを繰り返している内に、あっという間に五年が過ぎ去ってしまった。
 本当は、インドの最下層であり農業従事者も多い不可触民達の生活環境改善、そしてインド農業のテコ入れをしたかったのだが、とてもではないがそんな余裕は無かった。そもそも、最下層の者達にテコ入れすれば、上層部の者達の反発が予想される。そして、最も不足している灌漑施設の整備には金も時間もかかる。イギリス対印強硬派やヒンドゥー上層部の妨害、そして、実際に金を出すイギリス議会を説得する難度を考慮すると、上手くいかなくて当然なのかもしれなかった。


 1931年、エドワードはほぼ何一つ目標を達成出来なかった無念の任期を終え、インド総督から解任。ブリテン島へと帰還した。
 だが、本国に帰還すれば帰還したで、どことなく退廃した空気の漂うイギリスに、最早溜め息しか出ない。原因は分かっている。1929年の世界大恐慌と、1930年のロンドン銀相場大暴落で凄まじい額の金が国外に――主に日本に流出して行ってしまったためだ。それにより国内は絶賛大不況で、それはエドワードが帰国した1931年中期でもまだ収まっていなかった。
 これについては出来れば何とかしたかったというのが本音だが、インドの総督府で激務に追われている状態では遠く離れたブリテン島への影響力など皆無と言っていい。どうしようもなかった。

465: 俄か煎餅 :2018/04/15(日) 22:20:52
 帰国後、エドワードは早速、現在の第一海軍卿であるフレデリック・フィールド元帥との接触を模索した。エドワードがイギリスを離れていたこの五年で、王立海軍がどうなったのか。それが知りたかったのだ。
 接触には時間が掛かるかとも思われたが、インドに飛ばされイギリスから五年も居なくなっていたその割に、エドワードは案外あっさりとフィールド元帥と接触する事が出来た。聞けば、どうやらどこかでジェリコー提督が、航空母艦の価値にいち早く気付いた者としてエドワードの名前を漏らしていたらしい。フィールド元帥はその噂話を知るが故に、エドワードからの接触にすぐさま応えてくれたのだ。
 この頃になると、流石にジェリコー提督も現役を引退してはいたが、それでも彼の影響力はいまだ健在だった。イギリス海軍の歴史に大きく名を残す大海戦の勝者という栄光と名声は、海戦からおよそ十五年が経った今でも全く色褪せてはいなかったのである。
 さて、拍子抜けするほど簡単に元帥との対話の機会を得たエドワードであったが、彼から語られる空母の現状を聞いて静かに溜め息を漏らした。
 ジェリコー提督の働きかけのおかげもあり、一度は空軍に持っていかれた海軍航空隊の再編成には成功した。また、航空母艦が索敵や先制攻撃、決戦中の航空火力支援と色々役に立つ事を知った海軍上層部は、その運用についてもあれこれ試そうとしている。記憶の中と比べると、多少はマシになったであろう事だけは確かである。しかしそれでも、日米と比べるとどうなのか。エドワードは正直、これでも置いて行かれている可能性が高いと感じていた。

 まず第一に、日本が太平洋でやって見せたような、複数の大型航空母艦を一堂に会させ、大規模な艦載機部隊の集中運用を行い、航空攻撃だけで敵艦隊を、敵国の海岸一帯を薙ぎ払う空母機動艦隊構想。この考えが海軍内部で一応生まれてはいるという事は良い事ではあった。だが、やはりそれは主流には程遠く、それどころか、ただの珍説扱いされかけているのが現状であった。せめてもの救いは、この機動艦隊構想というものが元帥に――第一海軍卿の耳にまで届いてはいる事か。尤もこの救いも、空母に注目してくれたジェリコー提督が積み上げてくれた功績の一つと言い切ってしまっても間違いではなかったのだが。
 依然として海軍の主力の座が戦艦である事はしょうがないにしても、空母は索敵と防空が主任務で、敵艦隊への攻撃は嫌がらせが出来ればそれでいい、という考え方が根強い。一応、偵察の目を潰されたり決戦前から爆撃されたりするのはよろしくないという事で、艦隊周辺の航空優勢は確保すべしという認識だけは持ってくれているようだが、その認識の強さも、現状の海軍航空隊の様子を伝え聞く限りでは見通しが甘過ぎるというほかなかった。
 そもそもイギリス海軍には、日本のように戦艦改造の標的艦を航空機で沈めた経験もない。海軍には、日本が標的艦土佐を航空雷撃で瞬殺、轟沈させた事は伝えてある筈なのだが、ここに来て立ちはだかったのが、白人優越主義がもたらす日本人への根拠の無い侮りだった。

466: 俄か煎餅 :2018/04/15(日) 22:22:02
 我等がロイヤルネイビーは、一次大戦において、あのジュットランド沖を始めとした数多の海戦を彼等と共に戦い抜いた。彼等が頼れる同盟国であり、有力な海軍を持っている事は分かっているはずなのだが、それでも日本を下に見る者が少なくないのである。その原因は、フィールド元帥の口から語られた。あの時、日本がイギリスに持ち込み戦った船の中で最も目覚ましい武勲を上げたのは、イギリスに発注された金剛であり、そして日本で造られたとはいえ金剛の設計図を基に建造された比叡であった。とどのつまり、あの大戦で活躍したのは結局イギリスの戦艦であると思われているのだ。実際には、防御力軽視で装甲の薄いイギリス原案を大幅に書き換え、強力な高速戦艦に仕立て上げたのは日本の力だというのに。
 加えて、船団護送任務中に日本の巡洋戦艦香取が潜水艦に撃沈されていた事も不味かった。この香取もイギリスに発注された戦艦ではあるのだが、日本が設計にあれこれ口を出したと言われている。そのせいで、日本が――黄色い猿が欲張って余計な口を挟み、欠陥戦艦になってしまったから沈んだなどと思われているのだ。ましてや、そんな猿が猿自身の手で、性懲りも無く猿真似で造った戦艦モドキなど何をどうしたって沈むと言われているようだった。
 最早呆れて物も言えない。エドワードは、ならば同じくその日本人が口を出して傑作になった金剛クラス戦艦はどうなのだと問い質したくなったが、本来の話題である空母の話からは脇道に逸れまくっているので呑み込む事にした。
 理由にもなっていない理由で日本の力を侮り、それ故に日本で起きた出来事を軽視する。その結果、艦載機の――飛行機の秘めたる力を信じていないのだ。溜め息が漏れるばかりで言葉も無かった。
 大体、小型の複葉機であろうとも、魚雷一本程度は何とか搭載出来る。潜水艦の魚雷で戦艦が撃沈出来るなら、航空機に似たような魚雷を積んでも戦艦は仕留められるはずである。何故、その事に思い至らないのだろうか。そう愚痴ると、フィールド元帥の顔が引き攣っていた。

 第二に、艦載機の研究も遅れている可能性が高かった。ジェリコー提督のおかげで、空母の有用性に少しは気付き始めているイギリス海軍は、同じく空母を大規模に運用しそうなアメリカ海軍を眺め、艦載戦闘機も複座ではなく単座機で構わない事を覚った。だが、元々イギリスの軍用機開発事情自体が空軍最優先である。加えて、海軍内部での予算の奪い合いという名の派閥争いもあり、空母閥の中の更に一部門に過ぎない海軍航空隊は冷や飯ぐらいと断言して間違い無い。世界大恐慌の影響もあって、回される予算は最早雀の涙。あれこれ機体を弄り回したり運用を研究したりするための資金の確保にすら四苦八苦している有様で、新型機の開発を行う予算の確保にまで手が回っていなかった。そのせいで、艦上機の開発研究は実質休止。停滞していると言っていい。
 現在の海軍航空隊の主力艦載機は、複葉戦闘機ニムロッド、複葉爆撃機オスプレイ、そして複葉雷撃機ソードフィッシュ。記憶の中と比べて妙に装備が進んでいるような気もするが、それでもここで研究が止まってしまったのでは意味が無い。ニムロッドにしても、今から約二年後に日本が繰り出して来るタイプ93複葉戦闘機の能力には到底敵わず、ましてや約五年後に現れる傑作機タイプ96、更には九年後に登場するレシプロ戦闘機の最高傑作と名高いタイプ0になど、天地が引っ繰り返らない限り勝ち目などなかった。

467: 俄か煎餅 :2018/04/15(日) 22:22:41
 ここで足踏みしているようでは、日本の独走態勢は止められない。そこで仕方なく、エドワードは元帥にある提案を持ち掛けた。今は一先ず海軍独自での戦闘機開発、改良は諦め、空軍と共に戦闘機を一本化し、強力な単葉戦闘機の製造を目指してはどうかと。とどのつまり、空軍のケツを叩いてさっさとスピットファイアを作ってもらうべきなのではないかと。
 今、軍部は海軍に限らずどこもかしこも資金不足である。このろくな資金のない状態では、下手に足掻いたところでまともな成果は望めない。中途半端に欲張って中途半端にケチッて出来た機体がまた複葉機――グラディエーターの事である――では話にならないのだ。色々譲歩したとしても、せめてハリケーンでいいから単葉機が欲しかった。
 フィールド元帥も、渋い顔をしながらもこちらの意見に同意していた。もう複葉機の時代は終わりに差し掛かりつつある。そろそろ全金属単葉機を模索し開発に取り掛かる段階だ。金が無いからと開発費をケチって複葉機に目をやったところで、実戦配備が終わった時には既に旧式機扱いされるのが目に見えていた。
 となれば、エドワードのすべき事は空軍に発破を掛ける事だ。海軍が空軍に横槍を入れるのは難しい。ここは政治家たるエドワードが動かねばならない時だった。

 そうと決まれば、エドワードは早速動いた。空軍の上層部に対して面談を申し入れ、海軍との橋渡しを行った。高性能で扱い易い単葉戦闘機を開発、更にその艦上戦闘機版をも作って渡してくれる場合には、海軍は空軍に研究資金の融通を含めて全面的に協力する用意がある、と。世界恐慌のせいで空軍もまた資金不足のはず。ここはお互い力を合わせて助け合うべきであると、そう説得した。
 航空機開発を空軍主導で一本化することで資金も人材も一つに集中させ、一機種で陸上戦闘機と艦載戦闘機のその両方を賄う。その申し出に、話を聞いた空軍は一瞬面喰ったような反応を見せた。だが、空軍もまた資金難に悩んでいた事は確かであり、すぐに海空共同で協議に入り、そしてこの方針の通りに行く事がすんなりと決まった。
 海軍は、今現在模索している新型単座戦闘機のスクア、新型複座爆撃機のフルマーを白紙撤回。そこに流れていた資金の全てを空軍との共同戦闘機開発に充てる。空軍はその資金提供を受ける代わりに、開発する戦闘機に艦載機としての発着艦機構を組み込む派生形の製造を確約、提供する。こうして金が無い者同士、助け合う事が決定された。
 なお、この影響で開発が白紙となった新型急降下爆撃機及び雷撃機に関しては、今は諦めて開発を後回しにするほかなかった。例え高性能な攻撃機を運用出来ようとも、それを護衛する戦闘機が貧弱では敵艦隊に接近すら出来るわけがないのだから。当分はオスプレイとソードフィッシュで我慢して貰うしかなかった。

468: 俄か煎餅 :2018/04/15(日) 22:23:20
以上、三話目でやんす。大きく史実(憂鬱本編)から乖離――出来ませんでした。乖離をし始めてはいますが。
エドワード・ウッド一人ではそんな影響力はありません。技術者まで逆行者がいる日本の夢幻会とはわけが違うので。
そしてアーヴィン卿に技術的な話は分からないので適切なアドバイスも出来ない。出来るのは資金を集める事と、海軍内部の意識改善を働きかける事だけですな。それも満足は出来ない状態ですが。
インド? 未来知識を活用して大規模かつ大幅にメスを入れようと思えば、まずそのための金を出さねばならんイギリス政府を説得して、次に大反発必至のインドを弾圧するか説得せねばなりません。一人じゃまず無理。失敗して当然ですな。
なお、艦載機達に関しては既に色々逸れ始めています。史実では器用貧乏だったスクアが純粋な戦闘機として開発が始まっており、その代わりにフルマーが爆撃機として早くも登場。とは言え、名前が一緒なぐらいしか面影が残っていませんが。加えて開発中止なのでもう出てくる事もないでしょう。ゴメンネ。

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最終更新:2018年04月16日 14:28