820: yukikaze :2018/05/05(土) 23:08:08
何とか書きあげたぞ。日露戦争史第十一章。
遼陽会戦まで行きたかったけど、資料待ちでございます。
日露戦争陸戦史は名著だけど、何で12,000円もするのよ・・・

日露戦争史 第十一章 決戦前夜

グリッペンベルグによる冬季攻勢は、日露両軍に深い傷跡を残す結果に終わった。
攻勢にでたロシア軍は、1個軍9個師団のうち、その三分の一に渡る兵力及び重装備を失い、更には突破戦力の要と自他ともに認めていた騎兵軍団においては、壊滅的な打撃を受けていた。
無論、この冬季攻勢を撃退した日本軍とて無傷な訳はなく、特に、攻勢の正面にあたっていた第七軍団は、編制上から消滅することになり、第四軍も半壊という状況であった。
損害だけを見れば、両者ともに痛み分けであり、勝利宣言をした日本側にしても、これを大勝利と考えている面々はいなかった。

そうした者の中で、一番反応が激烈だったものが、ロシア皇帝ニコライ二世であった。
だが、度重なる独断専行に対して、極東総督府への怒りが頂点に達していたニコライ二世にとって、この損害はもはや許容範囲を超えており、そうであるが故に、彼は、『アレクセーエフ及びグリッペンベルグの、極東軍の指揮権剥奪。増援軍を率いるクロパトキンの指揮に従え』という命令を下すことになる。
ニコライは、その決定を下した日記において『今日ようやくこの戦争は、皇帝の戦争になった』と、満足げに記しているが、この決心はあまりにも早くそして遅かった。
後に、彼は第一次大戦でも同じ過ちを犯し、最終的には帝位を失い、英国に亡命して客死するという運命をたどることになるのだが、彼が指揮権を握るのであるならば、それこそ戦争の初期か、あるいは取り返しのつかない敗北を喫した後での講和時であったろう。
少なくとも彼は、結果的に見れば、最も中途半端な時期に、軍の主導権を取ることを決心し、そして最終的に、誰からも同情を受けない立場に、自らを追い込むことになるのである。

無論、これは後世からみた評価であり、少なくともこの時期においては、皇帝の判断を批判的に見る者は殆どいない。
流石に戦争勃発時からの極東総督府の不手際については、これまで彼らを擁護していた面々ですら庇えない状況になっており、宮廷での自らの政治的な地位の維持を考えれば、皇帝の意に背く危険性を犯すつもりはなかった。

問題は、皇帝のこの激烈なまでの怒りと、統帥権についての発言を聞いたクロパトキン大将が不必要なまでに皇帝の意向を気にするようになったことである。
クロパトキン自身は、決して愚将でも何でもないのだが、どちらかというと、彼は軍政家であり、同時に参謀としての能力に秀でた男であったが、良くも悪くもグリッペンベルグのような、果断な決断力という点には欠けていたきらいがあった。
なまじ宮廷政治にも精通していたことから、彼は、日本軍よりも皇帝の意向を知らず知らずのうちに気にしだしてしまうのである。
この時点で、彼の戦略方針は片手を縛られるものになっているのだが、今ひとつ彼が失敗したのは、彼が、ある将官を重用してしまったことにあった。

極東軍第二軍司令官ステッセル中将。
本来ならば今回の冬季攻勢の失敗を一身に浴びるべき男なのだが、クロパトキンに対して、グリッペンベルグの告発者になると売り込みをかけたことによって、失敗が不問にされたどころか、実質的に解任されていた極東軍第二軍司令官の座に返り咲いた男である。
クロパトキンにしてみれば、反抗的なグリッペンベルグを政治的に失脚できる道具であり、更に、ステッセルが馬鹿をすればそれを理由に解任することで、極東軍の不満を解消できるために、わざと彼を重用していたのだが、ステッセルも馬鹿ではなく、クロパトキンの寵愛を失えば即終わりという状況を理解しているが故に、ボロを見せるようなことはしなかった。
結果的に、極東軍のクロパトキンに見せる視線は冷たくなり、元々精神的に弱かったクロパトキンは、演技ではなく本気でステッセルを重用しだすことになる。
クロパトキンにとって不幸だったのは、ステッセルは、クロパトキンの意を汲むには有能だったかもしれないが、軍事的な才能は平凡と言ってよく、おまけに攻勢よりは、遅滞防御による消耗戦を志向しており、これまた極東軍の主だった将官との間で意見の乖離が発生することになる。

821: yukikaze :2018/05/05(土) 23:09:06
「攻勢だ!! 攻勢!! 一体何を悩む必要がある」

会議室で半ばうんざりした声で、ロシア極東軍第一軍司令官のリネウィチ大将は、周囲を見渡す。

「確かに冬季攻勢で我々に被害が出たのは事実だ。だがそれはマカーキも同じだ。そして連中の予備兵力とこちらの予備兵力との差を考えれば、こちらが有利なのは明らかだ。
ああ。アレクセイ・ニコラエヴィッチ・クロパトキン総司令官。あなたは一体何個師団必要なのか。
ヨーロッパから10個師団も引き連れてまだ足りないというのか」

第一軍に所属している将官だけでなく、オデッサ軍管区から1軍を率いてきたカウリバルス大将もまた、リネウィチの言葉に同意するかのごとく、クロパトキンに冷たい視線を向ける。

「攻勢というがどこを攻めるというのかね? リネウィチ大将」

クロパトキン大将もまた、うんざりした声で、リネウィチに問いただす。
彼にしてみれば「何度目だ? この不要な会議は?」という気分でしかなかったのだが、そうした態度が、更に会議室の雰囲気を重くする。

「営口だ。ここがマカーキの重要な補給路であるのは誰もが認めるところだ。ここを落とせば奴らの補給能力は格段に落ちる」
「ああ。その程度のことはマカーキも理解しているな。で・・・防備を固めたマカーキに、補給物資がまだ満足ではない我が軍が攻め寄せて、ビルデルリングと同じ過ちを犯したらどうなるのかね?
あの攻勢で、我々は有力な騎兵部隊を失っているのだよ。突破戦力だけでなく、偵察にも不自由していることを何度説明すればご理解いただけるのかね」

特に最後の部分を強調して、クロパトキンはリネウィチに問いただす。
あの冬季攻勢により、極東軍が戦前に抱えていた騎兵部隊は壊滅的な打撃を受けてしまい、今なお回復の目途が立っていないのである。
無論、援軍としてきた部隊には騎兵部隊もいるし、それらを合わせれば、騎兵3個師団位はあるのだが、満州の土地に全く不慣れであり、しかも同地の気候にも不慣れな彼らがすぐに戦力になれるかと言えば、無茶としか言えなかった。

お蔭で、現在のロシア極東軍は、日本軍の情勢が酷く分かりにくくなっていた。
無論、日本側が徹底的なまでに、ロシア軍が使っていた満州馬賊を掃討していたのも大きかったし(満州馬賊の巨頭であった張作霖が、史実と違いあっさりと処刑されたのも、満州馬賊の悪名に、日本側が硬化していたのもあった。)、冬季攻勢前後から、情報部門の大幅なてこ入れをしていたこともあるが、騎兵部隊が使えないという影響はあまりにも大きかった。

「それに皇帝陛下からも『次の戦ではロシアの武威を見せよ』とお言葉があった。つまり、次の戦では我々は、マカーキ相手に完璧な勝利を挙げ、皇帝陛下に勝報を挙げねばならぬ」

実のところ、皇帝の発言云々は、命令というよりは苛立ちに近いものであったのだが、クロパトキンにしてみれば、同じようなものであった。
むしろ、苛立ちであるが故に、失敗は許されないと、クロパトキンは自らを追い詰めていた。

もっとも、クロパトキンのそんな意識に対し、極東軍の大多数はシラケモードであった。
彼らにしてみれば、自分達の行動にいちいちいちゃもんをつけた挙句、司令官を交代などということをしている皇帝の振る舞いにうんざりしていたのである。
そして、そんな皇帝の顔色ばかりを伺うクロパトキンに対しても、何ら尊敬の念を抱けなかった。

「故に我々は、敵が必ず来るこの遼陽で決戦を行うのだ。陣を構え、敵が疲弊したところを、包囲殲滅する。これこそ完璧なまでの勝利に他ならぬ」

力説するクロパトキンであったが、極東軍にしてみれば、これすら胸糞の悪い気分であった。
何しろクロパトキンの構想は、紅沙嶺、孫家塞、鞍山站の第一防衛ライン、首山堡、新立屯、高力村の第二防衛ラインでの消耗戦を経て、予備部隊による包囲殲滅と、理屈の上では完璧な計画であった。
だが、第一と第二防衛ラインに置かれるのが極東軍で、予備部隊が自身の率いる部隊というのは幾ら何でもあからさまでありすぎた。
そしてこの件に苦言を放ったカウリバルスの6個師団が第二防衛ラインに配属されるに及んで、クロパトキンと極東軍との間の亀裂は決定的になっていた。

「作戦は分かった。だがこの作戦に対しどうしても疑義がある」

シラケモード漂う会議室に、誰よりも醒めきった声で発言する男がいる。

「饅頭山と五頂山の防衛はどうするのだ? 作戦案ではここでは何も記されていない。ここを落とされれば、包囲殲滅どころか、こちらが包囲殲滅させられるぞ」
「心配は無用だ。オスカル・フェルディナント・カジミーロヴィチ・グリッペンベルグ。渡河作戦には時間がかかる。連中が渡河し終る間に、こちらの予備を出せば問題はない」

つまらなさそうに返答するクロパトキンに、グリッペンベルグは無言で首を横に振る。

822: yukikaze :2018/05/05(土) 23:09:38
「間に合わなかったらどうするのだ。冬季攻勢でも証明されたが、マカーキの動きは予想を超える。
ビルデルリングが思い切って兵を引いたからこそ、あの程度の損害で済んだが、そうでなければ第二軍は消滅していたのだぞ」
「ああ。貴官の愚かな博打のせいでな」

揶揄しきったクロパトキンの態度に、リネウィチ大将を始めとした将官が激昂して詰め寄ろうとするが、揶揄されたグリッペンベルグは、無言で僚友たちを抑える。

「そうだ。だからこそ言っているのだ。同じ過ちをした者を皇帝陛下は絶対に許さない」

皇帝という言葉に、クロパトキンは顔を歪める。
クロパトキンとしては、グリッペンベルグの言葉など無視したいところではあるが、会議で皇帝の名を持ち出されて何もしなかった場合、万が一が起きれば、間違いなく彼の責任になる。
もっとも、彼の言うことを聞いたら聞いたで、心情的に面白くないのは事実であった。

「では・・・我が第二軍の一部を以て、同方面の防衛をさせましょう」

どこか狡猾な笑みを浮かべながら、第二軍司令官ステッセル中将が助け舟を出す。
無論、助け舟を出した先が誰かは言うまでもない。

「第二軍か・・・第一防衛ラインはどうするのだ?」
「総司令官の御指導のもと、カウリバルス大将の部隊が即座に増援に来ることを確信しておりますので問題はないかと。グリッペンベルグ大将の軍団を向かわせます。同方面の危険性を指摘した大将ならば十分に対応できるでしょう」
「なっ・・・」

リネウィチ大将が、信じられない物を見たような顔で、ステッセルを凝視する。
グリッペンベルグが懲罰として与えられた軍団は、冬季攻勢で壊滅した部隊を集めたものである。
軍団とは名ばかりで、実質では1個師団にも劣りかねない内容であった。
ステッセルにしてみては、名ばかりの部隊を厄介払いする以上のものでしかなく、ついでに言えば、何かあった場合、グリッペンベルグに責任を取らせる気満々という目論見であった。

「ほう。確かに危険性を指摘した大将が適任だな。兵力も1個軍団あるので十分だろうしな」

ステッセルの目論見を理解したのか、クロパトキンは満面の笑みで、ステッセルの発言に頷く。
彼にしてみても、体の良い厄介払いとしては最適であったからだ。

「では、ステッセル司令官の進言を以て、総司令官の回答とする。解散」

意気揚々と出るクロパトキンとその幕僚達。
その後を、ヨーロッパから来た将官とステッセルが如才なくついていく。
後に残されたのは、極東軍の面々とカウリバルス大将とその旗下の将官だけであり、それだけでも現在のロシア軍の状況が見て取れた。

「信じられない。あいつらは負けるために戦う気なのか」

呆然とするカウリバルスであったが、我に返ると、グリッペンベルグに向かって告げる。

「とにかく、我が方からも2個師団を出しましょう。少なくともそれならば対処は可能です」

クロパトキンの増援軍からと言わない辺り、彼ももうクロパトキンには見切りをつけていた。

「いや・・・大将。貴方の御好意は有難いが、それはやめておいた方がいい。貴方に確実に迷惑がかかるから」
「しかし大将。大将の懸念が当たれば、極東軍は・・・」

なおも言い募るカウリバルスであったが、グリッペンベルグは視線で黙らせる。

「私が命に代えても増援軍到着まで守り抜いて見せる。その際は頼む」

深々と頭を下げるグリッペンベルグに、部屋の人間は何も言うことはできなかった。

後にロシア軍の公刊戦史はこう書き記すことになる。

『グリッペンベルグの眼差しは、死に場所を得た老騎士のそれと同じであった』

823: yukikaze :2018/05/05(土) 23:20:36
投下終了。

決戦直前なのに内部gdgdなロシア軍。
実はこの時点でロシア軍、史実の奉天会戦をはるかに超える歩兵31個師団を(史実では24個師団)集めているのですが、これまでの極東軍とロシア中央との反目が祟って、有機的に動けていない状態です。

クロパトキンの描写酷くねと思うかもしれませんが、何気に黒溝台会戦前夜でのグリッペンベルグとのやり取りは、嫌味と当てこすりの応酬になっています。
ここら辺は、序列をきちんとしなかった皇帝の責任でもあるのですが、会戦後、グリッペンベルグが激怒して本国に帰ったあたり、確執はよっぽどだった模様。

同じく描写酷くねのステッセルですが、この人も好き嫌いが酷くかつ規律に喧しすぎて、史実では旅順要塞の面々からボロクソに貶されています。
もっとも、名将であったコンドラチェンコには全幅の信頼を置くなど、観る目がないとはいえませんが、少なくとも防衛戦での消耗戦ならともかくそれ以外は不得手であったとしか。

グリッペンベルグが心配した箇所は、史実で第一軍が実際に攻め込んだ箇所です。
クロパトキンはこれに慌てて前線から兵を引き上げるなどして、日本軍勝利の要因となります。

次章でようやく遼陽がかけるかなと。漸く出番が来ました。秋山騎兵軍団出陣です。

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最終更新:2018年05月06日 11:56