570: 俄か煎餅 :2018/05/27(日) 03:33:16
   『英日同盟よ永遠なれ』 第四話


 1931年8月。エドワードがインドから帰還しておよそ三ヶ月が経ったこの時、エドワードのもとに労働党のマクドナルド首相からの連絡が飛んで来た。曰く、国王ジョージ五世からの王命により、世界恐慌に対処するため、挙国一致内閣を組閣する事になった。外務大臣としてのポストを用意している。内閣に加わってはくれないか、という内容だった。
 エドワードは、この申し入れに承諾の意を返した。記憶の中の自分は、この挙国一致内閣への協力を拒否してしまったが、今はそれも誤りであったと思う。今、イギリスは大変な時期だ。国内で政党同士の下らぬ内ゲバなどやっている場合ではないのだ。ドイツが第三帝国として復活の兆しを見せ、イタリアが暴走の兆しを見せ、アメリカが世界の覇権への野望を垣間見せ、そしてロシアがユーラシアの制覇を狙いつつあるこの時期、イギリスだけが停滞する事は極めて危険であった。ドイツを監視し、イタリアに釘を刺し、日米の対立を上手く利用し、ロシアの矛先をいなし、イギリスの国益を確保しなければならない。
 やがて来たる第二次世界大戦において、イギリスを軍事的に大勝させねばならないのは勿論の事、外交でも何が何でも勝たねばならなかった。

 外務大臣の要職に就いたエドワードは、その足で早速外務省で外務次官をやっていたアンソニー・イーデンにも接近した。記憶の中で彼は、後の外務大臣に就任する同僚である。そして、彼はドイツに対し懐疑的であり、対独宥和外交に反対し、後には強硬派に転身していた。
 ナチスが強大になる前に、日本の力を借りてでも事前に叩いて西欧州を安定させる。出来れば政府の考えをそう導きたいエドワードは、彼とは共同戦線が張りたかったためだ。
 それに、元々エドワードは外務省の官僚達とは頻繁に連絡を取り合う仲だった。他国の情報を出来得る限り知るには、外務省の人間の伝手を頼るのが最も堅実だ。外務次官になったイーデンと連絡を取り始めるのは、最早必然だっただろう。
 無論、こうして自分の権力を確保したり人脈開拓を行ったりしながらも、エドワードは極東を始め世界情勢についての情報を集める事も怠らなかった。

 中国の満州が日米の手により発展してくると、中国内部では栄えた地域である満州奪還の機運が高まりつつあった。日本が遼河油田を発見し運営しているのも関係しているだろう。中国の国民党はそれが欲しかった。そして、ソ連もまたこの油田に興味を示している。だからこそ、ソ連は中国共産党と共に裏で動き、国民党の暴走を煽り、日米を満州から叩きだすべく動き始めている。その影響で、国際都市である上海の治安は少しずつ悪化して来ている。
 一方のアメリカは、中国市場を手中に入れるため、満州を大陸の橋頭保として確立すべく整備を怠らない。アメリカは、やがて満州で威張り散らしている張作霖によって中国を統一させ、その広大な市場の一人占めを狙っているのだ。ついでに、満州は日本に近い事から、将来の日本侵攻の拠点にするつもりでもある。
 そして、日本はそんなアメリカに――アメリカのみならず、我が国やフランスにも、だが――背後から声援を送っている。理由は恐らく、向こう数年の国家の安寧を得るためだろう。今、日本は後の大躍進を支えた第二次五ヵ年計画の真っ最中だ。その間、余計な問題を避けたいのだ。だからこそ、満州での利権を維持、発展させたいアメリカに金魚の糞のように追従し、適度に囃し立てながら共に張作霖の支援に回っている。例え、そいつらが後で自分達に牙を剥きかねないと分かっていても。アメリカも、今日本と対立すれば利権の維持が危うくなるから日本に喧嘩は売れない。日本が何を目論んでいようと、露骨な妨害など出来るわけが無かった。

571: 俄か煎餅 :2018/05/27(日) 03:34:27
 さて、これを踏まえて我等がイギリスはどう動くべきなのか。エドワードはマクドナルド首相に対し、取り合えずの金蔓にはなるだろうという事で、国民党やその他燻っている軍閥達への更なる銃器の販売を進言した。
 アメリカの代理人勢力が強大になり過ぎる事は、イギリスが利権を保持する華南の安全を脅かす。そのため、アメリカと共に満州勢力を支援して大勢力に育て上げてやるつもりは毛頭無かった。むしろ、華南に変な影響が出ないように、出来れば弱体化して欲しい。だが、これから仮想敵ドイツと睨み合うというのに、アメリカとの仲まで決裂するのもよろしくない。ということで、華北を支配する奉天への工作は控え目に、代わりに南部の国民党を支援し、何か起きても少しは抵抗出来るよう力を付けてあげる事にしたのだ。
 無論、純粋に国民党を応援してやるつもりなどない。国民党のみならず、表向きは国民党に従っている各地の軍閥達にも分け隔て無く銃器を卸売りし、広く金を搾り取ってやった。国民党も、表向き国民党正規軍である軍閥達への軍備増強を邪魔は出来ない。思うところはあるだろうが、目下最大の敵であるアメリカ率いる奉天と戦うには必要な物なのだから。こうしてばら撒かれた銃器達は、軍閥達の軍備の底上げとなるだろう。それは、将来アメリカ率いる奉天軍閥が南下し始めた時に抵抗する力となる。また、軍閥達の軍備が整えば、心の余裕も出来て欲の一つぐらい出て来るだろう。一度は国民党の軍門に下った彼等も、もう一度ぐらい冒険だってしてみたくなるかも知れない。内乱も煽り易くなるだろう。
 だがそれだけではない。一応正規軍であるはずの国民党、そして軍閥達に手渡した銃器は、やがて彼等の手によって少なからぬ量が横流しされ、共産党の民兵共や賊達の武器にもなるだろう。治安は悪化し、統治コストが増大し、将来奉天が支配領域を拡大した時に足を引っ張ってくれるはずだ。
 とはいえ、狙いはアメリカの脚を引っ張るだけではない。国民党の統率能力は大した事は無い。いずれ記憶の中の歴史通りに細切れに分裂して内乱が始まるだろう。その時、イギリスが華南を勢力圏としてしっかりと保持し続けるためには、華南が必要以上に大きくなり過ぎない事も重要だ。インドのように独立させろだの、中華を統一したいだのとうるさく喚き散らされないように、華南が勢力拡大を欲して何処かに攻め込めば、出血を避けられない状態が望ましい。しかし、華南が踏み潰されて我々の大事な利権をオシャカにされるのはもっと困る。そこで、華南を大勢力とするなら、その他の軍閥達を中勢力として互いに競い合う群雄割拠状態に陥れ、手を出すと指を食い千切られる程度には凶暴だが、華南には勝てない状態を維持する。また、仮にどこかが急成長の兆しを見せるなら、そこへの支援を減らして他の軍閥の危機感を煽り、足並みを揃えさせる。そう仕向けるつもりだった。
 記憶の中の歴史を振り返り、中国人どもを全く信用していないエドワードは、仮に中国全土をイギリス勢力圏に収めたとしても、一つに統一させるつもりなど毛頭無い。インドより更に歪に、そして細切れに分断して統治するつもりだった。
 尤も、現時点でエドワードがそんな事を主張しても、誰も聞きやしないだろう。ならば、精々アメリカの影響力増大を餌に、国民党軍を増強するふりして将来の布石をしてやる。それに、穢れていようとはした金であろうと、金は金だ。銃が売れて国庫が潤うなら、それはそれで利益だった。

572: 俄か煎餅 :2018/05/27(日) 03:35:35
 それから、イギリス政府が行う予定の海軍の予算削減について、エドワードは越権行為ながらも待ったを掛けた。金が無いのだから装備の更新が滞るのも、兵士達の給料が下がるのも最早どうしようもない。だが、それでも給料の削り過ぎは大反発を招くと苦言を呈したのだ。特に、最底辺の水兵達の給与を四分の三に減らすという方針は、暴動の引き金になりかねないと忠告した。イギリス内部での混乱は、諸外国に付け込まれる大きな隙となる。外務大臣としてそれは避けて欲しかったというのが横槍を入れた根拠だが、本当の狙いはインヴァーゴードンの反乱の発生を未然に防ぐ事であった。
 結局、このエドワードの主張は受け入れられた。給料を削る、というのは、兵士達にとって最も関心の高いニュースである。例え実施するまで隠そうとしていても、何処かから必ず漏れるほどには。そして、当初の予定では四分の一も削られるつもりであった事を知った水兵達は、案の定大きな不満を抱えて反乱の準備をし始めた、それを察知した海軍省が慌てたのだ。結局、海軍省はエドワードからの助言もあってこの削減案を突っぱね、反乱は水際で阻止された。しかし英国の財政が火の車である事に変わりはないため、全水兵は階級に関わらず一割だけ給与を削るという、記憶の中の通りに落ち着いた。海軍上層部は、兵士達に財政の厳しさを説明し説得して回るという手間こそ増えてしまったが、反乱が起きるよりは良かったと思うしかあるまい。反乱が実際に起きたせいで余計な問題が積み重なった記憶の中の歴史を知るエドワードにとっては、これは大きな成果だったと言えるだろう。
 だが、今回のエドワードの行動は、海軍大臣の職権に横槍を入れる越権行為でもある。余計な口を挟みやがって、という恨みの声が聞こえて来るようになってしまった事は、手痛い失点だった。


 1932年。中国にバラ撒いている銃器の売れ行きは良好だった。あくまで国民党を頂点とし、どこかが強くなり過ぎないように、という配慮こそ必要だが、良い金蔓である。無論、良い事ばかりでは無く、何処かから横流しされた銃器が犯罪組織に拾われ、結果イギリスが勢力圏に置く華南の治安までついでに悪化してしまったが、これは必要経費と考えるべきだろう。華南の人間達は、そんな強盗どもから一応の警備をしてくれるイギリスの子飼い達を頼り、その警備の対価として表立って報酬を受け取る事も出来ている。少なくとも統治の形は維持出来ていた。
 なお、こうして中華中に銃器をバラ撒き、混乱に追い込もうとするこのイギリスの動きは、当然アメリカにはバレていた。イギリスのせいで張作霖率いる奉天の治安まで悪化しているのだが、と文句も言われたが、エドワードはあくまで現地の中華民国正規軍に支援しているだけだとシラを切り通した。何しろあの国は、麻薬の蔓延も酷い。ヤクでハイになった暴漢が騒動を起こす事件も増えており、治安は悪化の一途を辿っている。治安維持を担う軍隊の負担は増え続けており、巡回する兵士達に持たせる銃器も数が必要だった。それも早急に。そのせいで銃器の売れ行きが最近目覚ましく、それが目立ってしまうのも仕方の無い事であろうと言い放ってやった。
 因みに、その正規軍に売ったはずの銃器が犯罪組織の武装と化している件については、自分達の使う武器を平然と横流ししている一部の民度の低い愚か者共のせいという事にしておいた。実際、イギリスは国民党政府や軍閥には販売しているが、民間人にまではばら撒いていない。民間人が武装すると、軍閥の統治の邪魔になる。そして軍閥のお膝元を荒らすと、その軍閥が余計な反英勢力になりかねない。だから自重しているだけという理由もあるのだが。なにはともあれ、その件に関しては本当にイギリスは関与していない。横流しされる事を期待して売り飛ばしている面は否定しないが、本当に横流ししているのはあくまで中華の人間の独断なのだ。探りを入れたければお好きにどうぞ。どうせ何の証拠も出て来やしないのだから。
 アメリカは、それ以上の文句は言わなかった。たかが拳銃やリー・エンフィールド小銃程度、大した脅威ではないからだろう。それに、武装強盗団にあんまり立派な装備を使われてもイギリスとしても困るため、重機関銃をはじめ、テクニカルトラックの素になりそうな大型銃器、大型車両の販売は絞っている。そしてそれらの弾薬に関しても、供給は絞っている。こちらの主張を引っ繰り返すだけの材料がアメリカには無かったのだろう。
 仮に激しく追及されたとしても、エドワードはアメリカが奉天軍閥に貸し与えている面白そうな玩具に関して指摘しイーブンに持ち込むつもりだったのだが。

573: 俄か煎餅 :2018/05/27(日) 03:36:22
 それから程なく、このイギリスが販売し、そして愚かにも横流しされた正規軍用銃器を何処かから調達したどこぞの民兵共が、遂に武装蜂起を起こした。加えて、それに便乗しての事だろう。広東系軍閥が指揮する中国第19軍が行動を開始。日本に対し油田を明け渡すよう圧力をかけ始めた。場所は、上海。上海事変の幕開けである。
 イギリスは、この事態を受けて直ちに動き出す日本軍に対し、弾薬ぐらいなら融通しますよと持ち掛けたものの、すぐに断られた。借りは作りたくないのだろう。とはいえ、イギリスとしてもこの件に興味があるのは間違い無く、上海にいるエージェントを動かしてこの件に対処する日本軍の動きを観察した。
 MI6が報告してくる日本の対応は、やはり見事だった。陸軍が三個師団一個旅団と、海軍が空母二隻戦艦一隻。少々過剰ではないかと言える陣容だったが、だからこそ鎮圧は迅速かつ鮮やかだった。
 空母艦載機部隊による爆撃で敵を混乱させ、戦艦による対地艦砲射撃で上陸地点を耕し、ガラ空きとなった海岸線から主力部隊が颯爽と揚陸。陣を敷いて敵の目を引き付け、その隙に長江の下流から別働隊を揚陸。あっという間に敵の背後に回り込み、挟み撃ちを成功させてしまった。後は最早戦いですらない。包囲殲滅の構えで空陸海全面から猛攻を仕掛ける日本軍と、悲鳴を上げて逃げ惑う中国軍。最早それは軍の体を成しておらず、壊走。瞬く間に上海に平和が戻った。
 内陸への不用意な深入りを嫌う日本政府は、その時点ですぐさま停戦。上海を、多数の民間人を人質にした中国軍を悪役に仕立て上げ、映画まで作って今回の一件を世界に知らしめた。これは同時に、中国第19軍を満足に監督、統率すら出来ない蒋介石に対する痛烈なネガティブキャンペーンをも兼ねており、軍すら掌握できない中華民国の体制の弱さを全世界に宣伝したのだ。
 その効果は、絶大だった。このアピールの結果、蒋介石の影響力は中国国内外を問わず大きく減退し、それを切っ掛けとして中国国内の軍閥達が一斉に蠢き始めたのである。事実上、蒋介石が軍の統率を失い、内乱が発生した瞬間だった。更には、これを好機と捉えたのか、アメリカの支援する張作霖の奉天軍閥も南下を開始。華北へと侵攻を始め、遂にアメリカが泥沼の戦乱へと首を突っ込んだ。
 フランスやらドイツやらは、このアメリカによる中国の覇権を狙った行為に対抗し、蒋介石への支援を強化して奉天軍閥への対抗を強める。またこの件で満州強奪の難しさを思い知った中国共産党は、一旦なりを潜め、体制の立て直しを始めた。
 一方我等がイギリスは、主に華南の勢力を中心に各地の軍閥へのテコ入れを図り、そいつらが奉天に蹂躙されないよう防衛態勢の構築を進めた。彼等に施す支援の中には、これまで提供を絞ってきた小型旧式の戦車や重機関銃も含まれ、上手く使えば近代的な軍の編成も不可能ではない内容だった。補給や整備といった、継戦能力維持に不可欠な要素こそイギリスが抑えているが、今度ばかりは支援も本気である。
 加えて、内乱の勃発により急速に増えた民間の武器需要にも応え始め、これまで以上に拳銃や小銃の販売を推し進めた。それらは各地の軍閥達のみならず、あちこちに出没するならず者集団の装備にもなり、それが更なる治安の悪化と内戦の激化を招いていく。そうして治安が悪化すれば、人々はなけなしの金をはたいてでも、自らの身を護るための武器を欲しがり、更なる需要を喚起する。良い金蔓であった。
 アメリカを筆頭に、多数の列強達が繰り広げる泥沼の代理戦争。これを勝ち抜き覇者となるのが至難の業なのは目に見えている。故に、現在財政難のイギリスにとっては、それを目指すよりもあちこちに武器をばら撒く死の商人を演じる方が利益になった。どうせ、誰も文句をつけれはしない。そもそも、最初に中華に手を入れ始めたのはアメリカなのだ。我が国はそこまで露骨に野心を剥き出しにはしていない。全ての責任をアメリカに押し付け、あの無法者が暴れる事への対抗だと言えばそれで何とかなった。
 それから、華南の経済が華北のそれに変な影響を受けないよう、インド帝国へと通じる鉄道敷設計画を発動した。大混乱の華北と、少なくとも北よりはマシな南部。それを切り離し、南部とインドとを強く結び付ける。そうしてしまえば、いくらアメリカが強引な手を使おうともそう簡単には引っ繰り返せなくなるのだから。

574: 俄か煎餅 :2018/05/27(日) 03:37:27
 余談だが、エドワードはこの一件でついでに、良い物も手に入れた。日本海軍の主力空母、天城型航空母艦の飛行甲板の写真である。左舷に突き出したアングルドデッキも、それに従って斜めに引かれたラインも、ばっちり写っている。これを見れば、滑走路自体が斜めに造られている事は一目瞭然だ。早速フィールド元帥を通して空母閥の人間に送り付けてやろう。滑走路を傾けるだなんて、口頭で提案しても鼻で笑われるだけだろうが、他国の軍艦に実物があれば無視は出来ない。必ず検証はしようとするはずなのだから。
 それにしても、まさか甲板がくっきり写った写真一枚を入手するだけでこうも時間が掛かるとは思わなかった。天城型航空母艦は、海軍の顔となる大型戦闘艦艇だけあって、その存在そのものは一般にも宣伝、周知されている。だが、そびえ立つエンクローズドバウを下から見上げたり、前や横から遠景で撮ったりした写真ならばあちこちに見付かるのだが、肝心な甲板がどうなっているかをハッキリと見て取れる写真が中々無かった。軍艦を専門に特集する雑誌の中にも、この斜めの飛行甲板について詳しく解説したものは無く、有ったとしても、新型機構を試験運用中らしいとさらりと流されている。
 恐らくはこれも、日本側の防諜策の一つなのだろう。この時はまだ、空母はでっかい補助艦扱いに過ぎなかった事、世界が日本を黄猿と侮っていた事を差し引いても、こうも斜め飛行甲板の存在が埋没していると、そう勘繰るしかない。天城型航空母艦の完成から第二次世界大戦勃発まで、およそ十五年。その間、日本はこの画期的な新型機構の重要性を見抜いた上で、ずっと隠し通してきたのだ。戦艦を囮に、陰に隠れ、テスト中と偽り、存在を埋没させ、まるで気にする価値すら存在しないように振舞って。
 我が国も、そして米国も、まんまと欺かれたというわけだ。おかげで、第二次大戦当時、アングルドデッキを装備していたのも使いこなしていたのも、日本海軍以外に存在しなかったのだから。


 さて、中国が泥沼の内戦で大混乱しているその頃、イギリス海空軍では共同で新型戦闘機の仕様書を作成。先に空軍が提示していた仕様書F.7/30を破棄し、新たにFN.22/32として公開。メーカー各社に要求した。内容は、単葉機、最高時速400キロオーバー、7.7mm機銃4門以上、そして、海軍の空母艦載機としても使えるよう改修出来る事。複葉機を提出されないよう、最初から単葉機と指定している上に、更に艦載機への改修も必須事項として盛り込んだのである。空海共同での選定という事もあり、かつてよりは研究資金も潤沢。早くスピットファイアが登場してくれる事を祈るばかりであった。
 また、エドワードはこれまであまり縁が無かった陸軍にも本格的に接近を開始。世界恐慌後、やはり資金難で細々としていた戦車開発にも口を出そうとし始めた。イギリスがナチスを早期に叩き潰して西欧を安定させるには、イギリス陸軍によるドイツ遠征が不可欠である。後の日本海軍の躍進を知っているが故に海軍の動向の方が気になるが、陸軍が弱いままでも困るのだ。少なくとも、ドイツ相手にも戦える強力で使い勝手のいい戦車の開発は必須であった。だからこそ、エドワードは陸軍の上層部に乗り込み、そして新型戦車開発の話を持ち掛けに行った。

 元々陸軍も、そろそろ新型戦車の開発を行おうか否か悩んでいる最中であった。カーデン・ロイド豆戦車から始まる装軌装甲車達、そしてヴィッカース中戦車グループを保持していたイギリス陸軍も、流石にこれらがこれから先もずっと使えるなどとは思っていない。陳腐化する前に、新型戦車の開発を行う必要がある。だが、まずはその開発する戦車に要求する性能を纏めなければいけない。そんな段階であった。そんな時に乗りこんで来たエドワードを、陸軍の高官達は困惑しつつも一応は出迎えてくれた。
 エドワードが海空軍の橋渡しを行って戦闘機の開発を一本化し、限られた予算の有効活用を模索した事は、当然陸軍も把握していた。また、エドワードが海軍大臣やら第一海軍卿やらと妙に距離の近しい、軍に比較的理解を示す大臣である事も周知の事実である。それに、外務省をはじめとしてあちこちをせわしなく動き回る、一応働き者の範疇に入る大臣であるという噂も、陸軍には届いていた。
 突如として陸軍を訪れて来た事は不可解ではある。だが、現役の大臣に友好的に接しておいて損はない。それに、議会に予算を握られている軍部は、その議会を動かす議員連中とは無暗に喧嘩する事は出来ない。例えこれが余計な横槍であろうとも、あまり邪険にあしらう事など出来ようはずは無かった。

575: 俄か煎餅 :2018/05/27(日) 03:38:58
 表面上は歓迎しながらも、強く警戒されている。そんな陸軍側の態度を何となく感じ取りながらも、エドワードは何度か陸軍に足を運び、今の戦車の開発状況を確かめた。
 現在、陸軍で主力戦車の座に居るのは、ヴィッカース中戦車mk.Ⅱ。主砲は47mmのオードナンスQF3ポンド砲。だが問題は、僅か8mmしか無いペッラペラな装甲だった。
 開発が終わったばかりのヴィッカース中戦車mk.Ⅲは高価過ぎて量産不能。とはいえ、これも主砲が据え置きの47mm砲な上に、装甲が僅か14mm。これでは日本がいずれ開発するタイプ97戦車に対抗どころか、その前の装甲厚20mmのタイプ九二軽戦車が相手ですら苦戦しそうだ。ドイツの二号戦車あたりが相手ならばこれでもそれなりに戦えるかもしれないが、三号戦車以降を相手にするのはまず無理であろう。
 戦車の技術は、日々凄まじい勢いで進歩していく。特に、あの東洋にある日出ずる国のそれは、日進月歩の進化というより突然変異とでもいうべき速度である。これから再びの欧州大戦が始まるまでには更なる戦車が開発できるだろうが、それでもこのままではタイプ97戦車と競り合えるような戦車は作れないだろう。事実、記憶の中のイギリスでタイプ97としのぎを削れるような戦車は、ドイツと休戦するぐらいまでは作れていないのだから。不安しかない。
 それだけではない。現在イギリス陸軍の戦車開発事情は、意見が真っ二つに割れて絶賛大炎上中であった。まず一方は、戦車に優先すべきは重装甲であり、速力は必要無いという一派。そしてもう一方は、速力こそが大事であり、そのためなら装甲が削れても仕方が無いという一派。
 エドワードからすればどちらも大事なのだからどちらを軽視するのも大問題だと思うのだが、話はそう簡単ではない。一次大戦で生まれたばかりの新兵器である戦車を奪い合い、歩兵科と騎兵科による派閥対立が起きているのは勿論の事、ここにイギリス陸軍特有の問題点が合わさり話をさらにややこしくしていた。
 そもそもイギリス陸軍は、ブリテン島本土の防衛のために本土陸上決戦を行った事は殆ど無い。一次大戦の時も、そしてエドワードの記憶の中の二次大戦ですらも、結局ブリテン島に敵陸軍が上陸を成功させた事はなかった。そのため海外派兵が主な任務となる陸軍は、輸送事情を強く考えねばならなかった。攻撃、防御、速力、その全てを兼ね備えた理想の高性能戦車となると、高価で重くて大きくて運び辛いものとなるのは明白。そうなると、まず予算の問題で数を揃える事が出来ず、次に大きさと重量の問題で多数を運ぶ事が出来ず、その結果満足な部隊の展開が出来なくなる。そして満足に部隊展開が出来なければ、結局は数の暴力で圧し潰される。そのため、攻撃防御速力のどれかを犠牲にし、経費と重量を削減し小型化せねばならなかった。それ故に、記憶の中の陸軍は戦車を二本柱に分けたのだ。
 金満国家で金に物を言わせて高級装備も船も用意出来る大日本帝国、陸続きの欧州大陸で使う上に仮想の戦場が本国付近で輸送をあまり考えなくても良いドイツ第三帝国とは違い、我等が陸軍は制約が多いのだから。
 速力を棄てた代わりに重装甲の歩兵戦車か、それとも装甲を棄てた代わりに高速の巡航戦車か。中途半端を避けるためにも中間は無い。この突き付けられた二択を前に、エドワードは海洋国家であるが故の自国の不利にまたしても溜め息が漏れるのを止められなかった。

576: 俄か煎餅 :2018/05/27(日) 03:39:57
 取り合えず陸軍の高官達と顔見知りにぐらいはなれた事を一応の成果とし、エドワードは一旦引き下がる事にした。
 とはいえ、これだけで陸軍への介入を諦めたつもりは無い。汎用性のある使い勝手のいい戦車の開発は必須であり、何処かから良さそうな案を調達してくる必要があった。それに、日本と肩を並べてドイツと戦うには、日独両国がさも平然とやってのけた電撃戦というものを連合王国でも理解しておく必要があり、そして実際に実行せねばならない。それが出来ねば、日本には置いていかれ、ドイツには逆襲を喰らう可能性が高い。陸軍内部の意識改革も行わなければならなかった。
 そこで目を付けたのが、現在陸軍内部で窓際に追いやられ、明らかに干されているフラー将軍だった。ジョン・フレデリック・チャールズ・フラー陸軍少将。記憶の中では、後のオズワルド・モズレー政権で国防大臣を務める男である。
 電撃戦、機甲戦というものは、日独の発明であるように思われる事も多いが、実はそうでもない。この連合王国でも、この戦車の高機動力を活かした戦闘教義に注目していた者は居た。それが彼だ。だが、陸軍はそれに全く注目しなかった。その結果が、後のフランスでの大敗北であり、英仏連合軍全滅の憂き目にあったダンケルクの悲劇の原因だった。
 それを知っている今、彼がこのまま辞職し野に下るのを黙って見送るわけにはいかない。現在のエドワードの外務大臣という職を考えれば、これは明らかに職務担当範囲外の事ではあったが、一応は休日である日曜日に勝手に動き回る分には文句を言われる事も少ないだろう。彼の処遇を今直ぐに改善したり取り立ててやったりする事は出来ないが、最悪でも彼と知り合いにぐらいにはなっておきたかった。


「まさか外務大臣が訪ねて来るとは――最初に手紙を見た時は何かの間違いか悪戯かと思いましたよ」
「役職以外の事をしてはいけないというわけではあるまい? 意外かも知れないが、私は陸軍にも興味があってね」

 1932年末。エドワードは、陸軍内部にあるフラー少将の執務室を訪れていた。だが、少将という、仮にも将軍と呼べる階級である人物の執務室にも拘わらず、部屋の中はどこか寂れていた。理由は言うまでもない。彼が干され、陸軍から疎まれているからだ。それを理解し、思わず溜め息が漏れる。後知恵だからこそ言える事ではあるが、我が軍はなんという愚かな事を、と嘆きたくなる。
 だが、今ならまだ引き返せる。彼はまだ陸軍を辞めてはいない。何とか引き留められれば、彼の力を今の内から借りる事ができるのだから。

「ですが、こんな所で油を売っていて宜しいのですか? ジュネーブの軍縮会議は難航していると聞きますが」
「そちらはそちらで動いているとも。しかし、休日の行動までをも制限される謂れはあるまいよ」
「そうですか」

 なお、エドワードはこのように独自に動く事と同時並行して、1932年2月から行われている国際連盟主導のジュネーブ軍縮会議にも携わっているが、正直あまりやる気がなかった。記憶の中では特に何の成果も無く決裂した上、仮に奇跡的に軍縮条約が完成したとしても、来年発足するであろうドイツのヒトラー内閣がこの会議の結果を馬鹿正直に守ってくれるとは思えなかったためである。
 相手は、条約破りに定評のあるヒトラーだ。加えて、権謀術数に関しては右に出る者の無い日本、その日本を露骨に敵視するアメリカ、安全保障上軍縮を嫌がるフランス、市民革命を狙う共産主義のロシア。更には、軍縮などされては仕事が無くなる軍需産業の企業達が盛大に裏で動き回っている事を、エドワードは既に察知していた。五月には、条約締結のために動いていた国連の人間――アルベール=トーマが明らかに暗殺されていたし、こんな状況で条約の締結など出来る訳が無い。
 しかも、条約締結に失敗してそのままお流れになるだけならばさておき、この軍縮会議は既に、ろくでもない置き土産を遺していた。英米仏伊四国宣言である。
 ドイツは会議の中で、最低限度まで軍備を縮小する必要がある、というヴェルサイユ条約の条文を逆手に取り、今のドイツの軍備を最低限と見做すなら、他国もドイツ並みに軍備を縮小すべきである、と主張。そうでないならば、軍備平等権に則ってドイツも最低限度のラインまでは軍備増強が認められて然るべきだと迫った。この主張が表向き筋が通っていた事、ドイツが会議離脱を仄めかして各国政府が引き留めに回った事もあり、エドワードも折れるしかなかったのだ。仮に強硬に反対を続ければ、エドワードは更迭され、別の人間が宣言を採択していた事だろう。また、ナチスのドイツ内での躍進に対する警戒もあり、ワイマール共和国に得点をくれてやる、という流れには逆らえなかった。
 その結果が、ドイツの軍備平等権を原則として認める四国宣言である。この段階で既に、ヴェルサイユ条約は半壊したも同然だった。

577: 俄か煎餅 :2018/05/27(日) 03:40:48
「それで、戦車に興味がお有りとの事ですが――接触する相手は私で良かったのですか? 戦車についての各種実験なら、陸軍大学校でもやっていますが」
「ああ、勿論。貴方で合っているとも。少なくとも私は、我等が連合王国において、戦車の運用に関する先駆者だと言えるのはフラー将軍だと思っている」

 戦車の設計はさて置き、少なくとも運用に関して、フラー少将は世界の先端を行けるであろう数少ない一人である。記憶の中の連合王国が、もしも最初から彼を重用し機甲戦について陸軍に浸透させていれば。ああも容易く大陸派遣軍がボコボコにされる事は無かっただろう。後世からそんな評価を下される彼だからこそ、今の内に慰留し、力を借り、陸軍の底上げを図って貰わねばならなかった。

「私を随分と評価なさっている様ですが――どこで、私の名を?」
「君の論文だよ。一風変わった内容と聞いて気になったので取り寄せたのだ」

 ここで一息つく。尤もそれは、これ程先進的な論文を見ていながら無視を決め込んだ陸軍全体に対する、呆れに由来した溜め息でもあるわけだが。

「私は陸軍の人間ではないから、内容の全てを理解出来たとは思わない。だが、実に興味を惹く内容だった。
 戦車の機動力と火力を以て、敵防衛線の穴を突破し、防衛陣を回避し、敵軍司令部を直撃。敵軍全体の機能不全を狙う。
 これまでにない、全く新しい戦闘教義だ。上手く行けば、少数で敵の大軍の返り討ちすら狙えるだろう。
 それに、自軍の損害も最低限に減らす事が出来る。政治家としては、これは見逃せない点だ。注目する価値がある」

 エドワードは、再び言葉を区切った。と同時に、小さく深呼吸し、気を引き締める。ここからが本題だった。

「フラー将軍。貴方に頼みがある」
「頼み、ですか?」
「そうだ。君が陸軍内部の保守派に疎まれている事は知っている。だがその上で、敢えて頼みたい。これからも、陸軍に留まってはくれないか。
 革新的な考えを持つ者が、組織から追い出される。それがいかに国家にとって不利益を齎すか、私は理解しているつもりだ。常識や先入観など、革新の邪魔にしかならん。
 新兵器たる戦車が現れて、まだおよそ十五年しか経っていない。
 この新兵器の可能性を発掘し、それがもたらす陸戦の革新に我が国が付いていくためには、将軍のような先見性と、独創性ある人材が不可欠なのだ。
 今はまだ、私には何一つ報償を支払う権限も力も無い。だが、機甲師団の真の価値が評価された時、将軍の名誉も、これまでの損害も、何とか補填しよう。
 連合王国のため、国王陛下のため、今ではなく、未来の陸軍のため、協力してはくれないか」

 慰留。要約すればこの二文字となるエドワードの言葉に、フラーは少し狼狽えた様子を見せた。目を泳がせ、やがて伏せ、そして溜息を付く。そんな彼の仕草を見て、エドワードは来るのが少し遅かったかと後悔した。彼の中で、ほぼ退職の意向が決まっているように見えたためだ。

「私を評価して下さっている事は、嬉しく思います。ですが、返事は、少し待っていただけませんか。少し、考える時間が欲しいのです」
「ああ、それは勿論。無理強いをするつもりはないので」

 こうして、エドワードはフラーとの初の接触を果たした。
 残念ながらこの場ではいい返事は貰えなかったが、エドワードは例え彼が軍を辞めても、そう簡単に諦めてやる気は無かった。フラーは後に、モズリー内閣で大臣を務められる程度の能力は持っている。つまり政治家になれる力があるのだ。場合によっては保守党に引きずり込み、同僚に仕立て上げるつもりだった。
 軍から追い出されようと、政治家として軍の上に君臨する事は出来るのだ。軍が硬直化し保守派が幅を利かせているのなら、上から押さえつけてでも改革をなさなければならない。それが出来なかったからこそ、記憶の中のイギリスは日本陸軍に置いて行かれてドイツ陸軍に完封負けしたのだから。

578: 俄か煎餅 :2018/05/27(日) 03:42:45
以上、四話目。遂に経歴が憂鬱本編から決定的に乖離しました。イギリスの挙国一致内閣、マクドナルド政権の外務大臣。とはいえ、1931年から1932年に掛けては、欧州でもあんまり動きが無い地味な時期ですね。
ヒトラーが首相になるのは1933年の1月末なので、もう少し後です。1932年の時点で、議会の最大勢力になってはいたんですがね。
それからやっと陸軍にも手を出し始めました。が、日本のせいで金欠なので動きが鈍い上に、輸送事情を考えないといけないので制約が多いです。島国の陸軍って大変ですな。
作者としても、色々案は貰ったんで必死に捏ね繰り回してますが。

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最終更新:2018年05月31日 15:55