873: 陣龍 :2018/06/23(土) 21:57:46
日米蜜月(ユーラシア共産化)ルート考察擬き

大戦に置ける主要会戦記録 『第二次世界大戦~始まりの終わり・終わりの始まり~』

『極東の小狼、大韓王国軍。暁の大地に咆哮せり ~満州理殲滅戦~』


『正面突破は……難しいな……。時間をかけ過ぎたせいで、完全に永久要塞化されている』『あまり損害を出すと、また中華軍が
騒ぎ出すからな……』

~収集した情報を元に攻略案を会議するも、手詰まり感が否めない状況の作戦本部~


『……作戦案は理解した。……一つだけ聞こう。【正気】か?』『正気かどうかは別として……【本気】であります』

~枢軸軍極東方面軍司令部にて、総司令部と韓国軍との間で交わされた言葉~


『…………えっと、すまない。……此奴って、まさかとは思うが……』『おそらく、自分たちの推測は間違ってないだろうな……』
『……列車砲とか、俺初めて見たぜ……』

~休養の為駅に移動し、偶然にも満州軍が前線へ配備予定であった列車砲を目撃したアメリカ兵達の言葉~


『離せ!!離してくれ軍曹!!頼むからあの世界の歪み共の頭をカチ割らせてくれ!もう限界だ!』『気持ちは分かります!分かりますが政治士官殿!!そんな事をしたら士官殿は処刑されかねません!!』『ええい止めてくれるな!このままだと俺の方がストレスで狂い死にしちまう!!』

~何度注意喚起を越えた警告をしても欠片も改善される気配のない中華兵の軍規無視にとうとうブチ切れて氷割り用巨大ハンマーを持ち出した政治士官とそれを必死に抑制するソ連兵~


『……何とも言えない環境だな』『まあ、少なくとも後ろから機銃掃射は喰らわなさそうですね』『別の意味で味方撃ちされそうだけどね』『……そこはまあ、政治士官殿にお頼みするしか無いだろう』『他所じゃあり得ん言葉だよなぁ……』

~共産連合軍では有り得ない程に友好関係を築いている政治士官と軍、贅沢極まりない戦争をする枢軸軍、正直とっとと追い出した方が良いのではないかと思う中華兵の姿を見た他戦線からの転属兵達~


『……あー?異常?有りませんぜぇ、少尉殿?そんな事よりぃ、次の補給は…』『……士気の緩みが酷いな……酒飲みながら監視とか何考えているんだ』『よく見ろ……中華兵だぞ』『……憎むべき敵だが……今回ばかりは同情するぜ、ソ連軍』

~通常の軍では有り得ない適当な見張りを見て思わずため息を吐く、韓国軍浸透強襲部隊~


『…おい!応答しろ!此方は朱徳中将だ!!敵は!?敵は一体何処にいる?!前線部隊、直ちに応答を、グアッ?!』『…敵なら、此処に居ますよ、中将殿?』

~弾薬庫爆破と前線通信中継拠点の制圧で混乱する中、偶然前線司令部に激励に来ていた中国共産党随一の猛将『朱徳』将軍を斬殺した韓国軍大尉(作戦前一階級特進)『白 善燁』~


『やりやがった!あいつら本当にやってくれた!』『この機を逃すな!全軍突撃、英雄たちを絶対に死なせるんじゃないぞ!!』

~使い古された筈の浸透強襲戦術にて戦線に大穴を穿った韓国軍の大戦果に狂喜乱舞する総司令部~


『……隊長。俺達、勝ちましたかね?』『これで勝ったと言われなかったら…どうすれば良いのか分からんな』

~自軍がやり遂げた偉業の前に、実感が全く湧かなかった将兵達。この事は、枢軸国のマスコミに極めて好意的に報道される事となる~


『…陛下、その……正統大韓帝国救国政府を名乗る密使が…』『…我が国は、真っ当な立憲君主制民主主義国家。そうであるな?』
『はっ…はっ!』『ならば、その方も分かっておろう。どうするべきかを』

~拘束された李承晩率いる自称『正統大韓帝国救国政府』からの密使を寸分の迷いなく叩き出す大韓王国国王。その後密使はスパイとして処刑された~

874: 陣龍 :2018/06/23(土) 21:59:40

遠く欧州がフランス本土にて枢軸軍が悪戦苦闘していた頃、地球の反対側では同じく永久要塞化された筈の『ゲオルギー・ジューコフ』大将率いる共産連合軍との幾たびもの戦闘の末、通常の攻勢では敵軍の撃滅は不可能と判断。韓国軍からの意見具申を元に、列車砲や夜間爆撃にて敵兵の耳と目を潰してからの大規模な夜襲と浸透襲撃戦術を敢行。その際共産連合軍内部では中華兵とソ連兵との関係性が悪化していたという、枢軸側にとっての幸運もあり、想像以上の浸透に成功。明け方に士気が怒髪冠を衝く勢いで満を持して突入した日米満三か国機甲部隊の猛攻により完全なる敵軍の包囲に成功し、ソ連軍全体の三割強が脱出した以外を残らず捕捉撃滅する大戦果を挙げた。やや軽薄な部分のある一部マスコミ曰く『カンネの殲滅戦を超える歴史的大戦果』とまで言われたこの戦闘により、事実上極東方面の共産連合軍主戦力は消滅。残されたのは、ソ連領東シベリアの玄関口たるチタ市、そして東アジアから中央アジアへ至る最後の要所たるイルクーツク市への道と、その道中にポツポツと点在する少数のソ連軍と、先述のチタ市、イルクーツク市に籠る機動力の低い砲兵部隊や緊急徴兵で集められた歩兵主体の貼り付け師団。加えて相も変わらず中満国境で数と声だけは大きい中華軍のみであった。

東南アジア、カリブ海、中東、ブリテン島、そして欧州大陸。枢軸国と連合国による戦争が次々と拡大し、そして収束に向けて突き進んでいく中、第二次世界大戦の始まりの地であるここ満州では、『満州理会戦』以降枢軸国極東方面軍と中ソ連合軍との小競り合いと中規模程度の衝突が頻発するも双方の勢力圏は戦前からほとんど変わらないと言う、中々に精神的に不衛生な戦闘が続いていた。理由としては、枢軸軍としては主戦線は欧州方面で有り、あくまで満州戦線は防衛出来ていればそれで十分であると認識されていた事と、中華軍が動員した苦力による人海戦術とソ連軍が精鍛込めて建築した重防御の要塞の攻略を面倒臭がっていた事。連合軍としても枢軸軍と同じく主戦線を欧州方面と認識しており、基本的にこの満州戦線は防御思考が強かった事と、中華軍の多数の兵士が巻き起こす軍規無視の言動でソ連兵と亀裂が発生しており、正直枢軸軍が籠る要塞に攻める気力が無かった事が有った。奇妙と言うべきか、面白いと言うべきか、満州戦線に配備された連合軍、枢軸軍共に『可能であれば退いて欧州方面に向かいたいが、面子その他で退く訳にはいかない』とほぼ同一の思考で一致していた。

航空戦に関しては機材や補充能力の差で枢軸軍側が優勢であったが、連合側は強固なバンカーを作り上げ、尚且つ満州戦線で今まで何とか生き残ったエース級の熟練兵を最新鋭機に搭乗させ、敵戦力を見極めたうえで出撃させ、無駄な消耗を抑制するよう努力していた。圧倒的性能により、戦車と同じく航空機の時代を数段投げ飛ばした『富岳』『B-29 スーパーフォートレス』は、生産される端から欧州方面へ空路で送り込まれ続けており、満州戦線における大型爆撃機の数的主力は旧式化した『連山』『B-17 フライングフォートレス』であり、しかもその多くは新兵の実戦経験の場として選定されていた中華方面への戦略爆撃に従事していた。陣地攻撃に戦略爆撃機は余り向いていないと言う事情はあったが。因みにこの旧式戦略爆撃機による対中華戦略爆撃についてだが、中華国共合作政権が自国民を多数犠牲にしてどうにか獲得した自力での航空機製造能力がとっくに旧式化した『I-16』程度であり、供与機も殆どが旧式化が進みつつある機体揃いの為、まだまだ第一線で頑張れる能力や防御力を持つ『連山』『B-17』相手では例え相手が護衛機無しの丸裸でも確実な撃墜方法が体当たり程度が関の山、実際にはしっかり護衛機付きで爆撃しに来ている為殆ど落とされるために出撃して枢軸軍航空パイロットに戦果と連度を稼がせる事しかできていなかった。ガス抜きの為なのか、アメリカの戦略爆撃機マフィアがこの戦線に関しては割と自由に指揮出来る様な状態であった為、紫禁城等の重要文化財を除く多数の都市が灰燼に帰していたが、中華合作政府はそれでも懸命に軍閥と自国民をすり潰しながら戦闘を継続していた。元々アメリカや日本、ドイツ等欧州諸国の様に大きく整備された工業力が少ない中華には余り効力が無かった事もあるが。

875: 陣龍 :2018/06/23(土) 22:01:26
そんなお財布と神経に悪い戦争が続く最中、中東やカリブ海、欧州方面からは多数の凱歌の朗報が届き続け、満州戦線に配備されていた兵士もそれなりに士気を上げはしたものの『良い加減この戦線にケリをつけたい』と心の底では思っていた。当然前線の兵士だけでなく、参謀から司令部、満州国や満州国民すべてに至るまでほぼ同一の想いであった。守り続ける戦闘は自然と防御側の神経を滅入らせ、多大なストレスを与え続ける事になるのでは必然かつ満洲国全体に閉塞感を漂わせざる負えなかった。特に満州国に取っては主要工業、人口地帯から遠く離れた辺境での戦闘と言えども自国内部での戦闘であり、加えて中華からは漢族の工作員が何百回摘発、拘束、射殺を行おうとも、全く気にも為さない様に満州国内での破壊工作や諜報活動、扇動行為を繰り返しており、軍や政府、警察関係者は例外無くフラストレーションを限界ギリギリまで溜めに溜め込んでいた。

ただ、彼らはフラストレーションを溜め込んで漢族工作員への取り調べで荒っぽくなる程度に理性で抑え込んでいたが、既に中華系移民の流入を制限して長期の教育等の社会保障制度によって『栄光有る満州騎馬民族の末裔』と言うアイデンティティをある程度確立済みな満州国民にとって、漢族工作員の言う『漢族の同胞』の言葉は『自身の誇りを穢す物』以外の何物でも無く、戦争中一度たりとも漢族工作員の工作により満州人による蜂起や暴動どころかデモすらも起きる事は無く、それどころか警察や軍が駆け付ける前に漢族工作員を現地住民が最低でも半殺し以上に袋叩きにする事例が多発。特に『第一次満州防衛戦』に置いて中華軍による虐殺や略奪により、最早正確な把握は不可能と言われる程の惨禍を残していた中満国境地帯では、工作を試みた漢族工作員が例外無く消息を絶つか、見るも無残な状態で他国軍に保護される程であった。尚この『第一次満州防衛戦』に置いて、中満国境地帯にて引き起こされた惨事は、後に取材したアメリカ人記者曰く『この光景を超える地獄は、未来永劫何処にも存在する事は無い』とだけ言い残し、題名にただ一言『HELL』とだけ書かれて仕上げられた記事が当時の時代柄、殆ど『売れるのならば』と過激な物でもスルーパス状態で通していた新聞業界上層部が揃って報道を禁止させた程の物であった事から、この地域で起こった惨事の一端を推測出来るかも知れない。救援活動に参加した満州駐留の海兵隊員曰く『クソッタレのクソッタレに胸糞悪さとごみ溜めにヘドロをぶちまけた上で百乗してもし足りない地獄絵図』とも言われていたが。


少々余談になるが、現代でもそうであるが当時の満洲国は【East Americana】と俗称される程の多民族国家であった。形式上はこの国家の主である土着の満州民族を筆頭に、実質的な主人格である白人系アメリカ人に黄色、白色系日本人。そして日米に連なる出資者の一国でもあるオランダ人、直近の大韓王国人にアメリカ本土から流れて来たアメリカ系黒人やヒスパニック系、津波の如く雪崩れ込む為大慌てで規制された中華系、そして変わり種としてはロシア革命の惨禍から奇跡的に脱出出来た者と戦後獲得したウラジオストクに居住していたロシア系。正しく人種のモザイク模様とも言うべき多種多様な民族がこの満州国内に移住、生活していたが、この複雑な中身を公正かつ平穏に統治する為に満州国政府は【万民平等】【共存共栄】をスローガンに必死に人種問題に建国される前から対処しており、それがこの第二次世界大戦の始まりである『第一次満州防衛戦』によって満州国民としての一体感を生み出す事に繋げる事が出来ていた。その為、この満州の気風がアメリカに逆輸入されたのも、戦後アメリカでの一大事件である人種差別に端を発した白人至上主義者主体の大規模な暴動である『テキサス・カリフォルニア暴動(第二次南北戦争)』の添加剤の一つともなっていた。

876: 陣龍 :2018/06/23(土) 22:02:47

そんな中、日米満の秀才達がコーヒーや烏龍茶、麦茶などを飲みつつ会議していると、ウラジオストク攻略戦にて地雷原に嵌り込む失態を見せるも、最近では死者が出る程の猛訓練と度重なる実戦参加で相当な精鋭化がなされつつある大韓王国軍より作戦計画書が提出される。内容は、第二次世界大戦中に一躍脚光を浴びている電撃戦型の戦車、機械化師団による機動突破戦とは真逆の、第一次世界大戦時代の遺物ともいえる浸透強襲戦術による、歩兵部隊を主軸とした攻勢計画だった。当然多くの参謀たちはこの作戦案に反対以前にその真意を韓国軍へ問い質したのだが、丁度情報部から敵軍内部にて亀裂が発生しており、尚且つ割合的に錬度の低い中華兵が増大し、その逆に猛牛とキツネ狩り、その他苦労人多数の将軍が大暴れしているヨーロッパロシア方面へベテランのシベリア兵が多数転属していっているという情報が入ってきていた。韓国軍はこの情報部の情報を入手していた訳では無いが、多数の遭遇戦や偵察により敵軍の動きが妙に衰えている事は察知出来ていたのだ。

日清戦争時に使い物にならない両班を纏めて追放又は処刑して以来一心不乱に国土開発…と言うより長年続いた悪政からの復興と陸軍強化に邁進し続けた結果の、一つの到達点を証明した出来事でもあった。尚、代償にこの時期の韓国軍の持つ海と空への軍事的オプションは一部供与や警備隊程度を除き完全に安全保障条約を締結している日本任せではあるが。実際問題、韓国に海空戦力が到達するという事は満州駐留の日米軍が壊滅し、日本海軍も全滅している事と同義である為、そんな事態になる程に敵軍が強大なら、韓国が無理して海空戦力を保持しても一蹴されるだけと言う事実が有るのが大きいのだがそれにつけても思い切りの良さと開き直りっぷりは相当な物である。


作戦開始時刻は新月の夜中。この作戦を実行するにあたり、日本からは調達価格がそれなりに高く、又製造ライン増設が少々追い付いていない状態ながらも現在絶賛量産中である暗視装置を多数供与されていた大韓王国軍は、悟られない様に繰り返して来た威力偵察にて割り出していた共産軍の哨戒網の隙間を縫って進撃を開始。長期に渡り断続的に繰り返された空襲や遭遇戦、列車砲による艦砲射撃によって各所には処理し切れずに放置された死体や兵器の残骸、弾痕が点在していた為、比較的偽装して敵兵をやり過ごすのは容易ではあった。勿論言うは易く行うは難しであり、一部部隊では敵哨戒兵に発見されかけた為に分隊丸ごと殺害して強引に難を逃れると言う大ポカをやらかしてしまっていたが。幸運だったのが、この時殺害したのはつい最近戦地に到着したばかりの中華兵であり、定時連絡が終わった直後の奇襲で有った事ではあるが、正直に言って余り褒められた事では無い。敵軍である共産軍はそれ以上に褒められた状態では無かったが。


韓国軍による浸透襲撃を受けているソ連と中華による共産軍であったが、よりにもよってこの時期に仲違いを起こしていた事は後世の一部聞きかじった人間から批判されているが、状況を精査すればよく此処まで持ちこたえた、とするべきかも知れない。勿論戦争中にやってしまった事である為、褒められる行為ではないのは事実だが。そもそもソ連軍と中華軍が同一戦場に存在する事になった切欠は、満州に駐留する日米軍並びに堅実かつ着実に時間を掛けながら強固な政府と軍隊を建設していた満州と相対する極東ソ連軍の戦力に不足を感じていたモスクワが、少なくとも兵数には余裕が有る近隣同盟国の国共合作済み中華の首領たる蒋介石に、多数の軍需物資や工作機械等と引き換えに戦力拠出を要求したのが原因だが、戦況の悪化や熟練ソ連兵の欧州戦線への引き抜きと数だけは増える中華兵、そして日々の損耗によって『見た目の戦力比』が中華側に偏ってくるにつれて、自身の立場を誤認し、ソ連相手に横柄な態度を取る中華人が続出し、ソ連側政治士官が多数『後方からの弾丸』以外で病院に担ぎ込まれるケースが急激に増加していた。ある意味コレも『後方からの弾丸』には違いないのだが、当の政治士官たちもこのような形の『弾丸』を叩き込まれるとは夢にも思っていなかっただろう。実際、彼らの残した日記、手記の一部には自身の近況に対しての記述で、中華兵に対する呪い殺さんが如き怒りの言葉が書き連ねていた。

877: 陣龍 :2018/06/23(土) 22:04:48

政治士官ですらこんな有り様であるのだから、長時間直接面と向かっている前線のソ連軍兵士、下士官の持つ態度も錬度も最低な中華兵に対する心境は侮蔑程度で済ますのならば未だ良い方で、者によっては公然と罵倒や暴行に走るに至った事すら
あった。中華兵にとっては故郷から殆ど拉致同然に徴兵され、マトモに訓練も施される事無く地の果てに送り込まれたり、糊口を凌ぐ為だけに兵士になっただけの者が多くて同情できなくも無いかも知れないが『戦闘になったら簡単に崩れて逃げ出す』『ロシア語が徴兵直後の中央アジア兵より通じない為にソ連人による指揮が極めて困難』『何処かから持ち込んだアヘン等の麻薬を常時服用してソ連軍の軍規破りを助長させる』『ソ連兵の私物や装備を勝手に持ち出して売りさばく等の軍規違反多発』『全く役に立たない癖に一丁前に物資要求』と言う実害を受けていたソ連兵にとってはそんなのは知った事では無く、後に事情を知ったアメリカ人が「ソ連軍は中世の軍隊と共に戦っていた」と感想を述べた様に、民族性や国家の体質の違いが如何無く発揮された状況だった。口さがない者は「上っ面以外は大体非文明国な軍隊ですらない武装集団が、追い詰められているせいで色々後進国に配慮している列強と轡を並べればこんな物だろう」と身も蓋も無い事を言ってたりする。

勿論この状況を座視する様な共産軍であるはずも無く、中華兵に関してはその名が知れ渡っていた中国共産党所属の朱徳将軍が着任して厳正な綱紀粛正を開始し、ソ連兵に対しても配置転換と再訓練を行って錬度や規律の再構成を行い始めていた正にその時に、乾坤一擲の気概で大韓王国陸軍が静かに殴り込んできたのだった。タイミングとしてはそれこそ、ボクシング選手が体勢を整える為に一瞬退いた瞬間に懐に詰め寄られ、防御行動すらも出来ずに全力の右ストレートをモロに顎へと喰らった様な物である。しかも今回の場合の共産軍は、先の日米満連合軍が見せた第二次満州防衛戦(満州理会戦)での、特に機甲部隊や航空機部隊の猛攻が常に脳内で警鐘を鳴らし続けていたが為に、歩兵主体の大韓王国陸軍の事をそこまで重要視して居なかった事が、余計に混乱を強めさせる結果へとなっていた。早い話が、大韓王国陸軍の作戦行動による弾薬庫爆破等を受けて、日米軍の作戦行動と誤認した末に通信網の破壊や攪乱、欺瞞情報による混乱で統制が一部崩れかけてしまったのだ。特に朱徳将軍が幾多の偶然の末殺害された事や中華兵乃至ソ連兵がスパイだとして殺しに来たと言う欺瞞情報が、余計に大きく影響した。


韓国陸軍が想定外の幸運もあり思いの外撃ち広がった風穴を、朝日が昇るとほど同時の黎明期に日米満統合機甲師団による突撃が更に貫き、大きく広げていく。戦争経済にて増加した軍事予算を用いて、満州軍が日本海軍より供与して貰った戦艦砲を搭載した複数の新造列車砲を筆頭に、欧州では終ぞみられる事のなかった多量の列車砲弾による制圧射撃を受けて尚『ゲオルギー・ジューコフ』大将率いる極東ソ連軍の大半は統制を保ち続けていたのだが、ソ連軍の殆どが危惧していた通りに中華兵がこの尋常ではない対地砲撃の嵐を受けて早期に抗戦意識が崩壊。根本的に民兵に毛が生えた程度の彼らに多くを求める事自体が酷な話では有るが、士気が挫けた上に朱徳将軍が混乱の中戦死した一報が駆け巡った結果各所でソ連軍の指揮や命令を無視、逸脱して脱走や同士討ちが頻発し、余計に情報錯綜に拍車をかける羽目に有った。戦闘後に捕虜となったとある兵士の証言では、司令部では『肉壁にすら成れない中華兵』に対する怒号の嵐が吹き荒れていたというが、さもありなんと言う話である。

最終的には陣地各所で中華兵とソ連兵が撃ち合っている所に横合いから枢軸軍が纏めて吹き飛ばしたり、相も変わらず偽装降伏してくる中華兵が満州兵に問答無用で叩き潰されたり、全うに兵士としての義務を果たし壮烈に戦死を重ねるソ連兵に何個もの小隊が交代させられる等の混沌の坩堝に晒された『満州理殲滅戦』であったが、この戦争で恒例となったドル札や円の札束をばら撒くが如き贅沢な戦争を繰り返す枢軸軍の優位性に変化は無く、最大限粘り抜いたジューコフ将軍率いるソ連軍は、本当に信頼も信用も出来る精鋭中華兵以外の全ての中華兵を時間稼ぎの為置き去りにして撤退を開始するも、最早度重なる激戦によってマトモなエアカバーを盗れるだけの戦闘機が物理的に消滅したソ連赤軍は舌なめずりして襲い掛かる地上襲撃機や爆撃機の魔の手から逃れる事は難しく、ジューコフ含む司令部要員並びに何とか生き残った雑多に統合されたソ連軍総数の三割強程度の兵力以外はトラックや鉄道を潰されて立ち往生した末追撃して来た枢軸軍に降伏する事を余儀なくされ続けた。

878: 陣龍 :2018/06/23(土) 22:06:01

その後、予想外に多い捕虜の回収や戦地の調査等を行う一部の部隊を残し、枢軸軍はそれぞれ兵力を南北に分けて再編成し、進軍を開始した。北方軍の目的は言うまでも無くシベリア鉄道をヨーロッパロシア側に向けて逆走し、イルクーツク等の極東
地域の重要拠点を完全制圧すると言う日本陸軍が夢見ては諦めていた戦略目標を達成する為に。南方に歩を進めた軍の目的は、北方の邪魔な枷が取れた以上中満国境線上で散々圧力をかけ続ける中華軍を徹底的に叩き潰す為であり、状況次第では北京まで突貫する気であった。ただ中華に巣食う者達の思惑とは裏腹に、日米は勿論の事満州国は過去『清』の様に中華を制圧し、中華の主になるつもりは一切無かった。やる事は唯一つ、開戦直後に無辜の民を一方的に虐殺しあらゆるモノを略奪された事に対する、戦争の流儀に則った極めて合法的な『報復』である。



余談だが、この大決戦の後に中華政府によって大義名分用に抱え込まれていた自称『正統大韓帝国救国政府』率いる李承晩による密使や空手形等による工作が以前よりも活発かつ激しくなったのだが、既に『極々単純な反政府テロ組織の首魁』と言う認識が各国政府に知られていたので悉くが不発に終わっていた。特に大韓王国では『祖国の危機に逃げ出して楽して甘い汁だけ吸い外から喚き散らした挙句、故国の危機に外患を持ち込もうとする売国奴』として完全に嫌われており、開戦時の『早期に戦争が連合側の勝利に終わり、自身は英雄として帰還する』想定が完全に崩壊して焦りに焦り抜いていたのだが、彼がどれだけ喚き叫ぼうともこの完全に敗北に向けて落下しつつある状況には一切の変化が起きるはずも無く、戦後大韓王国に引き渡された後は反逆者として裁判に掛けられた末に絞首刑に処せられた。その時の彼の様子は特に記録に残されてはいないが、当時その裁判に出席していた者が例外無く疲れ切った表情をして居た事を考えると、余り楽しい事が起きていた訳では無い事は想像が付くだろう。

879: 陣龍 :2018/06/23(土) 22:09:43
以上でした。明日早番なので返信等はまた何時かの日に

今見返すと本当に大味なモノですけどまあ日米タッグと言う卑怯すぎる組み合わせでも有りますしまあええんじゃ無いかなと(目逸らし)

さて次はドイツの寝返りとキール沖の悲劇(大和限定)とポーランド蜂起救出作戦とか色々脳内プロットらしき何かは有る様な気が
する様なしない様なと言う有り様ですのでまたどこかの日に忘れたころに出て来るかも知れませんので御了承下さい(逃走)

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最終更新:2018年06月25日 14:15