853: ホワイトベアー :2022/01/01(土) 18:02:27 HOST:sp1-75-246-208.msb.spmode.ne.jp
日米枢軸ルート 第1話 改訂版

大陸化した日本に転生者と呼ばれる前世の記憶を持った人間が現れたのは江戸時代の前期、第四代将軍徳川家綱の頃であった。それ以前にもいたかも知れないが、彼らが組織だって動きだしたのはこの頃からであろう。

彼らはこの日本、史実の優に十倍はあり各種資源埋蔵増が増加した亜大陸郡で、自らが知っている通りに歴史が動いている事を不思議に思いながら、自らの理想・夢・欲望の為に動きだした。

転生者達は、何故か徳川家や朝廷、大老4家、譜代大名、旗本をその生家とするものも多くおり、しかも、生前の意識を覚醒するのは大抵が一定程度成長した後であるため、一度組織的に動き出せば影響力を確保することなど容易であった。

膨大な各種資源や広大で豊沃な領土、これら裏打ちされたほぼ単一民族で構成された人口と言うチートに組織的に動く転生者と言うチートがプラスされたのである。

これ等の相乗効果は日本での産業革命がイギリスより40年以上も早くからおきる等、日本の発展に大きく貢献した。
もし、転生者が一時的存在でしかなかったらこれ程の発展はおきなかったであろうが、転生者は途切れる事なく日本に現れ、日本の発展は断絶する事もなく継続的に続けることを可能とした。
これにより日本は他国より半世紀程進んだ技術を有することに成功する。

16世紀より足下を固める事を重視し、外交相手を制限していた日本であったが、18世紀前半なるとようやく国内の整備と幕府の統制下にある藩以外の諸藩の弱体化を終わらせ、国外に目を向ける余裕ができてきた。
この時には転生者達が幕府及び朝廷の主導権を握っており、彼らは自らの知識にて、これから来るであろう帝国主義の時代に備えるべく大規模な改革を実行する。

後に当時に元号から享保の改革と呼ばれるこの改革では

重農主義的な封建的経済体制から重商主義的経済体制への移行
鎖国の緩和
幕府海軍の再編成と幕府陸軍の創設等の軍政改革
殖産興業の推進
幕府直轄領の段階的な拡大
未開の地であった蝦夷地の開拓
税を農作物から貨幣に変更
幕府組織の近代化
段階的な中央集権体制への移行

などが行われ、幕府体制の刷新がはかられた。

当然ながらこのような大規模な改革が短期間で終わるはずもなく、1世紀近くの長い時間と莫大な労力がかかった。
それでも幕府はこれらの改革を精力的に進め、19世紀初頭には横須賀・舞鶴・呉・大阪・佐世保・大神・大湊・室蘭の七ヶ所に海軍工廠を備えた海軍基地を、函館・札幌・仙台・相模原・名古屋・小倉・大阪の七ヶ所に大規模な総合陸軍工廠を設け、幕府直轄領で軍艦や銃器や弾薬等の軍事物資の大規模な生産を得る設備を確保。また、これらを支える製鉄所などの各種施設や鉱山等も整備され、幕府直轄地のみでもグラース銃やシャスポー銃相当の小銃を主力小銃とした歩兵部隊、施条が施された後装填式砲を有する砲兵隊、騎兵隊や剣虎兵などを有する総兵力70万を誇る幕府陸軍、80隻の戦列艦と24隻の装甲艦を主力とする大小1800隻の艦艇を有する幕府海軍とそれを問題なく維持・運用できる世界でも有数の大国にまでその国力を発展させていた。

日本の近代化が押し進められt、日本が欧州に注目される事になる事件が1808年におきる。

当時の欧州はフランス革命を契機に勃発したナポレオン戦争中であり、フランス側についていたネーデルランドの商船の拿捕を目的としたイギリス海軍の帆走フリゲートであるフェートンが長崎に侵入、ネーデルランド商館員2名と長崎奉行所の役人1名を拉致すると言う事件が発生する。

この事件の知らせを受けた長崎奉行所は、ただちにフェートンに商館員と役人の解放するように書簡で要求すると同時に海上戦力である幕府海軍西海艦隊(※1)に長崎湾の封鎖を、
長崎警備役の長崎鎮台(※2)と鍋島藩・福岡藩の両藩にフェートンの拘留を命じた。

854: ホワイトベアー :2022/01/01(土) 18:03:27 HOST:sp1-75-246-208.msb.spmode.ne.jp
この命令を受けた西海艦隊は即座に蒸気戦列艦からなる主力部隊で長崎湾の封鎖を実行、長崎鎮台も臨戦体制が敷かれる。また、この情報は電信により即座に江戸にも知らされ、江戸の海軍本部は各地の艦隊を臨戦体制に移行させた。
一方、鍋島藩はこの時、幕府に相談もなく長崎での駐屯兵力を1/10まで削減していることが判明、長崎奉行松平康英は幕府軍のみでの事態の対応に切り替え、長崎鎮台に防備を固めさせると同時にフェートン号の拘留と人質解放に向けての準備を進めさせる。

長崎奉行所と幕府陸軍長崎鎮台が準備を完遂するまでにフェートン艦長フリートウッド・ペリューは拉致していたネーデルランド商館商館員の1人ホウゼンルマンを釈放し、薪や水、食料の提供を要求、供給がない場合は港内の船を焼き払うと脅迫してきた。
これに対して長崎奉行の松平康英は幕府海軍と海兵隊、長崎鎮台との協議を経て、一度要求を飲んで人質を解放させた後に西海艦隊と海兵隊による艦の拘留を行うのが一番安全だと判断。要求通りに水と食料を送り込んで人質を解放させた。

水と食料を補充したフェートン号は翌日には碇を上げ長崎港を出港するも、蒸気戦列艦や蒸気フリゲート、蒸気スループを主力とする西海艦隊の封鎖を突破できず、幕府海軍海兵隊との激しい接舷戦闘の後に拿捕されることになり、生き残ったフェートンの乗員はイギリスが幕府に賠償金(表向きは各種物資の購入費)を支払うまで一年近く長崎に拘束される事になる。

この一連の事件により、日本が無視できない軍事力を有している事を認識し始めたイギリスの一部は日本がアジアで地域大国化し、自国の利権を脅かす存在になるのではいかと警戒する勢力も出始める。

幕府は事件の一応の解決を見ると、無断で兵力を削減していた鍋島藩を罰として取りつぶし、長崎湾の防衛力強化の為に佐世保を母港とする西海艦隊とは別に、長崎港に木造蒸気フリゲート2隻、木造蒸気スループを4隻、砲艦8隻からなる長崎小艦隊を編成・配備させるなどの警備の強化や臨検体制の強化、入国手続きの厳重化を進めていく。また、この事件以降、知識人の間でイギリスは侵略性を持つ危険な国であると言う考えが広まり、英国への不信感が日本国内で生まれ、幕府は英国を仮想敵国として海軍の再編成を進めていく事になる。


それから30年ちょっとは比較的平穏が続くが、1840年の阿片戦争の勃発は日本の英国不信をより大きくする原因となった。
この戦争では幕府は清朝からの要請を蹴って中立を宣言するも、イギリスへの警戒の為に旧式艦ながら有力な能力を誇る《駿河型装甲艦(史実ウォーリア級装甲艦)》6隻、《武甲型装甲帯巡洋艦(史実ネルソン級装甲帯巡洋艦)》8隻、《松型海防艦(史実金剛型コルベット)》12隻、《雲揚型海防艦(史実開陽丸)》4隻からなる西海艦隊から抽出した分遣隊を清国近海に派遣、イギリスの行動を監視させ、
《相模型戦艦》6隻、《吾妻型装甲巡洋艦》6隻を主力とする佐世保の第二常備艦隊も出撃に備えるなど自身に飛び火する可能性に備え、積極的な対応をとった。

幕府の対応が功をそうしたのかアヘン戦争が日本に飛び火する事はなくアヘン戦争は清朝の敗北で終結。阿片戦争の講和条約である南京条約やその附属協定である「五口通商章程」、「虎門寨追加条約」が清国とイギリスとの間で締結される。
これを好機と見た江戸幕府はイギリスと同様の条約を清国と新しく結ぶべく、西海艦隊を上海に派遣、1844年に南京条約等と同様の内容を盛り込んだ日清修好通商条規を旗艦であった出雲(駿河型装甲艦)の艦上で締結する。この時、清朝の代表者はまるで英夷であるかのように振舞う幕府側の人間に敵意を向き出しにするも、その英夷の艦隊を上回る数を誇る幕府海軍の威栄により、大人しく条約にサインするしかなかった。
この条約により日本も清国に祖界を有する事になり、事実上ではあるが日本の鎖国は終焉する。

855: ホワイトベアー :2022/01/01(土) 18:04:03 HOST:sp1-75-246-208.msb.spmode.ne.jp
清国に租界を有し在清公使館を建てた事により、江戸幕府と西欧諸国の交流は再び活発化、清国の租界では幕府と西欧諸国の外交官たちによる通商航海条約を巡る交渉が開始されていく。

これに合わせて、日本側は交渉を有利に進めるために幕府海軍の旧式ながら第一線で活躍できる能力を有する《駿河型装甲艦》を交渉の行われている各租界に派遣し西欧諸外国に内部を公開、さらに海兵隊の装備するボルトアクション式連発小銃や機関銃などの威圧行為もかねた積極的な情報公開を幕府側は実施し、これを直接見た各国関係者は黄色人種が独自に汽船を保有していた事や自国ですら配備されていないような全く新しい兵器の数々に驚愕、黄色人種でありながら日本が欧州列強に匹敵、あるいは凌駕する技術力を有した国家であることを理解させることに成功した。

もっとも、この情報は本国にも届けられるが、フェートン号事件で痛い目を見たイギリスですら話半分、それ以外の大半の西欧国家では法螺話扱いをされ、真面目に分析・検討をすることは無かったが。

だが、新大陸の新興国家であり良くも悪くもヘンな素直さと反英感情を持つアメリカでは、日本の景教や日本ナイズ化することで生き残ったイエスズ会系の日本正教の存在などやフェートン号事件などのイギリスによる被害を受ける日本に素朴な親近感を抱いており、
黄色人種の多い国でありながら日本を文明国であると一定程度認めるなど比較的友好的であった。
それ故に清国公使館や東インド艦隊からの報告も比較的素直に受け止めることができ、1846年から始まったケレンブ・クッシング アメリカ合衆国在清公使と井戸覚弘江戸幕府在清公使との間で日米の通商航海条約を巡る交渉日米あまり無茶な要求はせず、1846年8月29日には日米和親条約が締結され、在日アメリカ大使館と在日領事館が江戸と長崎に、在米日本大使館と在米日本領事館がアメリカのワシントンとオレゴンに設置されることとなる。

この2年後の1848年3月2日には初の有色人国家と白人国家との間で結ばれた平等条約である日米修好通商条約が締結され、
その批准書交換のために日本交渉団を乗せた将軍の国外訪問用豪華客船天地丸(二代目)とその護衛として最新鋭巡洋艦である《吾妻型装甲巡洋艦》1隻、《米代型防護巡洋艦》2隻からなるアメリカ訪問船団が東海岸に向け出発、喜望峰を周り大西洋に進出するルートをとり、7月11日には《天地丸》がニューヨークに到着(護衛艦隊は近場の米海軍軍港に入港)。ロードウェイで歓迎パレードが行われ、空前といっても過言でない歓迎を受けながら歴史上始めて日本政府の交渉団がアメリカ大陸に降り立った。

その後、批准書交換は問題なく進み、こうして正式に日本の鎖国は終了。日米の貿易が始まった。

余談であるが、白人と黄色人種が対等な条約を結ぶと言う事もあり、日米修好通商条約の内容は当初は米上院議会において非難の的となりその締結が危ぶまれていた。しかし、北米の覇権的な立ち位置と日本を足場に東アジアにおける優勢を得たることでアメリカ合衆国の国益の最大化を目指すジェームズ・ポーク大統領による尽力と、そして在米日本大使であった岩瀬 忠成の流ちょうなアメリカ英語での米合同議会における演説、特に

「我らはアジアにけるローマたらんとその足を進めていく。そのうえで、我らは新大陸のローマたる貴国の後ろでもなく、その横に立ち、対等なパートナとして共にその歴史を創り、歩みを進めていきたい」

という文が議会の心を掴んだ事により、最終的に完全な平等条約として日米修好通商条約が締結される事になった。

平等条約たる日米修好通商条約が結ばれた事は欧州列強に大きな衝撃を与えると同時に、イギリスやフランス・ロシアなどは米国に先を越された事に焦りを感じ、清国と同様に不平等条約を結ぼうという方針を転換。欧州諸国とも同様の条約が締結され、日本は晴れて国際社会の舞台に踊りでたのである。

856: ホワイトベアー :2022/01/01(土) 18:04:52 HOST:sp1-75-246-208.msb.spmode.ne.jp
この時、幕府は自らの体制が限界を迎え始めていた事を自覚し、1850年の徳川慶喜が征夷大将軍に就任すると同時に御維新と呼ばれる大改革を開始する。

この改革は幕府が続けてきた近代化改革の総決算であり、今まで続いていた封建主義的体制から憲法と議会を整備し、近代的な中央集権・立憲君主制・議会制民主主義国家への転換という日本が近代国家に生まれ変わるには必要なものであった。
しかし、どのような理由であろうと既得権益を奪われることを嫌う人間にとっては抵抗を諦める理由にはならず、国内の大規模な反発が予想されていた。そのため、裏での根回しを行いつつも、表では内閣制の整備や外務省・内務省・大蔵省・司法省・陸軍省・海軍省・文部省・工部省・大審院等の幕府官僚組織や司法組織の再編と整備を行うのみであった。

幕府の本当の狙いは厳重に秘匿されていたが、日英修好通商条約の締結により日本に拠点をおいているため日本国内の動きを察知したイギリスはジョンブルの本領を発揮し、日本を混乱させてその利権を浸食しようと幕府と距離を置く各藩への接近を画策する。

具体的には、幕府が行うであろう中央集権化政策に反発する勢力に武器や兵を供与する事で幕府に反対的な勢力の軍事力を高めると同時に借金漬けにし、裏で煽ることで内乱や社会の不安定化をおこさせて幕府を弱体化。
反乱をおこした藩が勝ったら借金の代償として経済的な特権を握り、さらに近代化の為だとしてイギリスの資本を多く入れて第二のインドに、反乱側が負けても日本国が弱体化することで東アジアでのイギリスの脅威は減り、さらにつけ入る隙を増やせるというイギリス的にはどっちに転んでも美味しくなるように日本の情勢を動かそうとしたのだ。

その下準備として、イギリスは商人と称して工作員を日本各地に派遣して情報収集にあたる。無論、幕府側も御庭番などのインテリジェンス組織を使いこれに対応するも、
未だに完全な中央集権化が出来ていない事が足を引っ張り、さらにジョンブルの面目躍如といったオシントを中心とした法律を破らない芸術的な情報収集活動により、公的な妨害を行えずに幕府や各藩の大まかな状況等を調べ上げることに成功されてしまう。

華麗な情報収集能力で幕府を出し抜いたイギリスは、幕府と距離をおく藩は大した工業力もなく、その軍備も甲冑に槍・刀・弓矢を主兵装とし、それに前時代的なマッチロック式のマスケット銃と時代遅れな青銅製前装式の大砲しか有していない中世的な軍隊であること、
まともな艦艇を有しておらず海軍力だけならアヘン戦争時の清国の方が上であること、
さらに銃弾や砲弾も備蓄はわずかしかなく、火薬も同様で銃兵や砲兵は張り子の虎である子を把握。
幕府軍までとはいかなくてもある程度の軍事力を有しているだろうと言う前提の下に計画を立てていたイギリス側にとってこの誤算は大きく、さらにクリミア戦争のせいで極東に目を向ける余裕もなくなった事もあわさり、イギリスは最終的に計画の凍結を決定した。
フランスやロシアも同様にクリミア戦争で手一杯であり、極東に介入する余裕を喪失。

クリミア戦争の勃発で煩わしい欧州の影響を受けない状況となった事を活かして、江戸幕府は改革の本命である中央集権化の為に動き出した。
彼らは孝徳天皇より大権全御委任の勅令を頂き、それまでの二重政府を解消するために朝廷を解体。幕府を母体としつつ、孝徳天皇を国家元首として征夷大将軍徳川慶喜を実務の長とする日本の中央政府である大日本帝国臨時政府の樹立を宣言する。
あわせて改革の理念として五箇条の御誓文を、その理念を達成する為に20年以内の憲法の発布や議会の創設を発表し、版籍奉還・藩兵武装解除・廃藩置県などを立て続けに行うことで中央集権化を一気に敢行した。

857: ホワイトベアー :2022/01/01(土) 18:06:12 HOST:sp1-75-246-208.msb.spmode.ne.jp
日本の予想以上の早さと穏便さでなった中央集権化はクリミア戦争により極東に意識を向ける余裕のない間でのでき事であり、イギリスの介入計画は凍結されたまま失敗、日本臨時政府により強い英国への不信感を持たせると言う無惨な結果に終わってしまう。

この結果を見ていたアメリカ合衆国はある1つの構想を思い浮かべた。それは日本を自らの同盟国とすることにより出遅れているアジアでの影響力を確固たるものにしようと言うものである。この時のアメリカ合衆国は公使館や領事館の職員の努力によって、公開されているもの限定ではあるが極めて正確な日本の情報を手に入れており、日本が他の列強より強大な国家である事を知っていたため、対抗するよりも懐柔する方が利益があると見たのだ。

幸いな事に日本は明治維新後から20年後に議会の開設することと普通選挙を実施する事を明文化しており、民主主義を聖典としているアメリカ合衆国が組むのに政治的な問題はなく、国民感情もイギリスにちょっかいをかけられていた事から同情的であり、世論も同盟を組む事を問題視しなかった。

日本側もアメリカ合衆国のこれまでの行動とイギリスの行動から日米同盟を組んだ方が良いと考えており、1854年3月31日に日米同盟が締結される。
この同盟と日本の戦力は欧州列強への抑止力としては十二分に発揮され、欧州列強は日本への工作を中断または無期凍結、清への進出を積極的に進めることになる。


※1 西海艦隊
幕府海軍の主力艦隊の1つ。19世紀初期の頃は装甲艦16隻、90門型戦列艦18隻、78門戦列艦22隻、フリゲート18隻、スループ32隻、砲艦52隻で編成されていおり、九州の海防の主力をになっている。

序列艦隊の編成後は西部に方面における警備艦隊として再編された。

兵器スペック
相模型戦艦
満載排水量:15,580トン 全長:125.6m 全幅:22.3m 速力:18.7ノット
主砲:40口径30.5センチ連装砲2基
副砲:40口径15.2センチ単装速射10基
その他兵装:43口径4.7センチ単装機砲24基
装甲:ハーベイ鋼

吾妻型装甲巡洋艦
満載排水量:8,900トン 全長:117m 全幅:19.8m 速力:21ノット
主砲:35口径20.3センチ連装砲2基
副砲:40口径15.2センチ速射砲12基 40口径8センチ速射砲8基 47ミリ速射砲4門

米代型防護巡洋艦
排水排水量:6,300トン 全長:113.69m 全幅:16.31m 速力:20.0ノット
主砲:40口径15.2センチ単装速射砲 2基 
副砲:45口径12センチ単装速射砲6基  40口径8センチ速射砲8基、47ミリ速射砲4門、
雷装:45.7センチ魚雷発射管1門 45.7センチ水中魚雷発射管2門

858: ホワイトベアー :2022/01/01(土) 18:07:12 HOST:sp1-75-246-208.msb.spmode.ne.jp
第1話の改定が終了したので投下させていただきました。

wikiへの転載はOKです。

タグ:

+ タグ編集
  • タグ:

このサイトはreCAPTCHAによって保護されており、Googleの プライバシーポリシー利用規約 が適用されます。

最終更新:2023年08月09日 19:35