157: ホワイトベアー :2022/01/13(木) 18:42:13 HOST:sp49-98-162-90.msd.spmode.ne.jp
日米枢軸ルート 第3話 改訂版

1871年、南北戦争集結から6年の月日が立ち、南部において最低限のインフラ網の再建が終わり、ようやく本格的な再建が開始され始めたこの頃、再び日本に戦乱の気配が漂っていた。

事の発端は宮古島から沖縄本島へ物資を輸送し、帰路についていた輸送船が台風により、遭難、乗員が漂流すると言う遭難事件であった。

本来なら希にある遭難事件として処理されるはずだった本事件だが、漂流者が漂着した台湾南部にて現地の先住民であったパイワン族に拉致、殺害されると言う事件が発覚したことにより日本と清国の間の外交問題にまで発展してしまう事になる。

最も、この事件が発生した当初はそこまで大きな問題ではなかったし、日本政府もそこまで大きくするつもりもなかった。

当時の日本は国内の整備やアメリカ南部の復興、ロシアから購入したアラスカや新規に獲得したニューギニア島東半分を中心としたオセアニア諸島からなる日本領ニューギニアの開拓、1866年にコロンビアから(日本の援助の下に)独立したパナマから永久租借したパナマ地峡でのパナマ運河の建設、自身が筆頭株主であり、開通したばかりのスエズ運河の運用とオスマン帝国との関係改善等に力を注いでいたこと。
殺されたのは当時は事実上の二等国民として扱われていた琉球人だったと言う事も合わさり、問題をそこまで大きくするつもりも、大きくする必要もなかった。

事件発生当初の多くの日本人にとって、この問題は台湾蛮族が沖縄土人を殺した程度の問題であり、軍事的な介入はもちろん経済的な制裁をする必要もない、形式的な謝罪と再発防止で済む些事に過ぎなかったのだ。

実際に日本政府も清国側への要求は賠償金の支払いと謝罪、再発防止策の実施を要求するに留めていたし、清国政府が台湾は自国の邦土であるが管轄外として賠償を拒否したために発生した交渉に年単位の時間をかけても誰も問題視しなかった。


そんな状況が一転するのは、1873年(明治6年)に日清の交渉中に備中国浅口郡柏島村の船が台湾に漂着し、乗組員4名が略奪を受ける事件がきっかけだった。

この一連の出来事は日本の新聞社が新聞の読者を増やそうと考えていた時期と一致してしまい、各紙は台湾での日本人に対する残虐行為や清朝の対応について誇大な報道や過激な論調の掲載を繰り返し行うことで読者を増やしていき、清朝や台湾人に対しての日本人の怒りが爆発。

これに、開国後に流れ混んできた諸外国の情報や発展し続けていく自国、結果として奴隷解放をなした南北戦争で日本が大きな影響力を発揮した事などが合わさり、当時の日本人が抱いていた《アジア唯一の一等国》、《アジア最大の大国》、《アジア的近代文明の担い手にして導き手》、《近代文明の守護者》と言う自負心が爆発した怒りと悪魔合体してしまった事で、日本国内の世論は、怠惰な清国に代わって野蛮な台湾先住民を征伐し、野蛮人どもに近代文明を教育してやれと強硬論が大勢を占めてしまう。

国内の世論の動きや傾き、さらに本土の日本人が被害を受けたこと、それでも清国との交渉に進展が無いことを理由として日本政府は台湾への出兵を決断せざるをえなくなり、
法務大臣大隈重信を台湾蕃地事務局長官に、海軍中将西郷従道を台湾蕃地事務都督に任命し、ハワイ進駐でも活躍した海軍第八海兵陸戦師団と海軍第八警備艦隊の動員を開始、出兵の準備を始めていく。

そして、1874年1月12日に日本は同盟国であったアメリカに、1874年4月13日にその他の国々に台湾への出兵を通達し、本土から台湾に向けて部隊を派遣する。
ちなみに、正式に出兵を通達する前に日本はアメリカ政府への根回しやアメリカ世論の操作を終わらせており、アメリカ政府は日本の行動を称賛すれども避難する事はなかった。

158: ホワイトベアー :2022/01/13(木) 18:43:30 HOST:sp49-98-162-90.msd.spmode.ne.jp
清国や諸外国に出兵を通達した翌日である4月14日には第四警備艦隊の護衛の下、日本軍は社寮に海兵10,800名を、楓港に海兵1,200名を上陸させ、西郷の命令の下に日本海軍海兵隊は本格的な台湾蕃地制圧作戦を開始。
近代的な装備で身を固めた日本軍に対して、槍や弓矢、投石などで武装する台湾人達が勝てるわけがない。
戦闘は当然ながら日本軍の圧倒的な有利下で進んで行き、マラリア以外の問題が発生することはなく、日本軍は占領地を拡大していった。

日本軍の台湾上陸から2週間と経たずに牡丹社など事件発生地域を含む台湾蕃地全土は日本軍の占領下に落ち、台湾遠征軍司令官であった西郷中将は戦闘の終結を宣言。以後、日本軍は事件の調査を名分に台湾蕃地を軍政下に置いた。

日本政府はこの出兵に際して清国政府に事前通告を行わず、さらに同盟国であるアメリカを除いた清国に利権を持つ列強に対しても通達・根回しすら行わなかった。
その状態で、台湾蕃地を武力制圧を行った為、清国の実力者であった李鴻章はもちろん、イギリスの駐日公使パークスを代表とした欧州列強の公使達も清国を庇い、日本の軍事行動に激しく非難した。

普通の国家なら震えながる大英帝国の非難声明を受けた日本側であるが、彼らは台湾への陸軍2個師団の追加派兵で回答。それどころか、イギリスが清国側を支援するなら両シナ海の海上封鎖も辞さないとパークスの頭越しにイギリス本国に通達するなど強気の姿勢を崩さなかった。

イギリス本国も現状での対日圧力を強めるのはイギリスの国益に反すると判断。日清の武力衝突による東アジアでのパワーバランスの崩壊と対清貿易の停滞を避ける為に両国の仲介を行い、事態を軟着陸させる方針に転換する。

イギリスと日本の間で外交的な暗闘が続いている最中、福建府政使である潘蔚と台湾等処海防兼各国事務大臣である沈葆偵がこの問題の処理の為に台湾に派遣され、台湾蕃地を軍政下においていた西郷海軍中将と交渉が開始された。

この台湾での交渉では台湾の帰属が主な内容であったが、非公式ながら日本は再び清国政府の謝罪と賠償金による解決と言う案をこの交渉で提示するも、潘はこれを不名誉であるとして拒否。
その後も交渉は続けられるが、両者の溝を埋める妥協案が出てくることはなく、日清の交渉はいったん行き詰まる。

一方、日本本土も問題の解決のために動いており、柳原前光を全権代行大使として任命して北京に派遣。同地にて総理衛門との交渉を開始していた。

この時点の日本の要求は

  • 軍の出兵でかかった費用と被害者への補償金の支払い、
  • 清国政府からの謝罪
  • 再発防止策の実施

と比較的軽いものであり、政府の一部ではさらに台湾や海南島の割譲も要求に入れるべきと言う意見もあったが、すでに多くの土地や地域での再建や開発に集中している日本はこの時点でもまだ金銭的賠償と謝罪で済ませようとしていた。

日本の比較的穏健な要求に対して、清国政府内は要求受諾を唱える穏健派と要求拒絶を主張する強硬派に分断、最終的には宮廷の支配者であった西太后や保守派を味方につけた強硬派が対日交渉の主導権を握ることになってしまう。

これにより、清国政府は再び台湾は清国の領土であるが、事件がおきた場所は化外の地であり、清国に責任はないと日本の要求を全面的に拒絶。

ただし、清国側強硬派も譲歩をしなかったわけではない。
彼らとてアヘン戦争やアロー戦争でのあれこれから、日本が西夷に匹敵する軍事力や国力を有している事は清国上層部も理解していた。

159: ホワイトベアー :2022/01/13(木) 18:44:01 HOST:sp49-98-162-90.msd.spmode.ne.jp
故に、清国は日本軍の台湾からの撤兵を条件としてだが、日本軍の台湾占領の蛮族討伐は秩序を守るために行われた義挙としてその正当性を認め、清国側からも賠償金要求や謝罪要求を行わない。
日本側への賠償金は支払ないが遺族への慰霊金として50万両を支払うなどの妥協案を提案する。

この清国の提案は清国での貿易に支障を来したくないイギリスやフランスからの入れ知恵の結果であり、両国の新聞では清国の提案を極めて先進的な提案だと褒め称えた。

日本も国際的に悪目立ちをしたくない事もあり、賠償金支払要求額を清国側の提案よりさらに削減するなど一定の譲歩を見せるなど交渉の進捗は一気に進む事になった。

だが、日本側は国内の世論もあり清国政府、いや清国皇帝が自身の責任を認め、被害者への謝罪要求は妥協せず、結局、清国の責任を追求する日本側交渉団とあくまでも清国に責任は無いとする北京総理衛門の間で交渉は再び難航してしまった。

イギリスやフランスは何とか日清の交渉を決別させない為に清国側や日本側に慰霊金増額とそれを対価として謝罪要求の取り消しを打診するが、日本側は謝罪要求は当然の要求だとして撤回をせず、清国側もこれ以上の譲歩は清国の面子に関わると主張。

北京や台湾での交渉にしびれを切らした日本政府は交渉の打ち切りを表明。清国側も去るもの追わずの姿勢を示したため柳原前光は一時的に日本本土に帰国させ、交渉は完全に停滞。

同年9月10日に戦艦2隻、装甲巡洋艦4隻を中心とした遣支艦隊の護衛の下に再度交渉団を北京に派遣するも、この時の日本はすでに交渉を行うつもりはなく、交渉団には全ての要求を清国側に受諾させるように指示。
清国が一つでも要求を拒絶した場合は開戦やむ無しと言う決定を下しており、事実上の最後通牒の提出であった。

要求内容も清国皇帝の謝罪要求こそ削除されているが、賠償金額は190万両まで増大、さらに日本政府は清国の態度に対して台湾・膨湖諸島の割譲を要求に盛り込まれているなど当初の要求と比べると遥かに厳しいものになっていた。

これは国内の世論の影響によるものであり、日本の新聞社各社が盛大に世論を煽った為である。
ちなみにこの影響から日本政府は新聞社への規制やら何やらを盛大に強化、今後この様にブン屋に引っ掻き回されないように義務と責任の所在をはっきりさせていく。


圧倒的な軍事力を背景としたこの交渉に清国政府は対抗できる筈もなかった。
列強に支援を頼もうにもフランスは普仏戦争の敗北による国家戦略の再編成でアジアで動く余力がなく、アメリカは同盟国である日本を支持、イギリスにいたっては幕末のやらかしや南北戦争のやらかしから、これ以上の日本との関係悪化は避けたい状態であった。その他の列強?声だけは勇ましいが実際に支援する事ができるはずもない。

その為、最終的には清国は日本側の屈辱的要求(賠償金190万両の支払い、台湾での事件の国家的謝罪、台湾および膨湖諸島の割譲)を全面的に飲むことしかなく、これらを盛り込んだ日清協約が北京で締結される。
それを確認後、日本政府はただちに台湾ならび膨湖諸島の併合とこれらを管理する行政組織として台湾準県総督府の創設を宣言。台湾および膨湖諸島の日本領土に編入を持って日本の台湾出兵は終了した。

この屈辱的な協約を締結させられた清国は臥薪嘗胆を合言葉として洋務運動をより一層推進していく。

特に、海防の重要さを中央が改めて認識したことによって、李鴻章の主導の下に近代艦で編成される事になる北洋艦隊の創設とそれらを支えるドック等の施設の整備が全面的に認められるなど、日本を仮想敵国とした海軍の整備や陸軍の近代化にもより一層力を注いでいくことになる。

160: ホワイトベアー :2022/01/13(木) 18:44:33 HOST:sp49-98-162-90.msd.spmode.ne.jp
最後に、余談ではあるが、交渉の為に北京に訪問した遣支艦隊は交渉の終了後にイギリスへの示威行動も兼ねて香港に親善訪問を行っている。

南北戦争において日本は戦艦や装甲巡洋艦を投入したため、欧州列強もその存在自体はおぼろげながら把握していた。
もっとも、その推定性能は白人至上主義的思想と黄色人種への侮蔑が多分に含まれたものであり、それが故に欧州列強の海軍上層部は自国で建造している大型装甲艦でも十二分に対抗できると考えていたが。

そんな甘い考えの下にいた欧州列強に対して、極めて非情な現実がこの親善訪問で突きつけられる。
公開された扶桑型戦艦と浅間型装甲巡洋艦の過剰すぎる性能と配備数は欧州列強、特にアジアに多くの利権を持ちながら日本と潜在的に対立していたイギリスやフランスに強い衝撃を与え、世界帝国たる大英帝国上層部をして

『ゲームにすらならないぞ。これでは対日貿易是正は論外だな。それどころか日本が支那や東南アジア、オセアニアの利権を要求したら大幅な譲歩をせざるを得ないだろう』

と考えさせる程であった。

何せ、当時のイギリス海軍には扶桑型や浅間型に匹敵する程の大型艦艇は沿岸警備用の装甲艦モナーク、デヴァステーション級装甲艦2隻、装甲艦ドレッドノートの計4隻しか存在しないのに対して、日本側は史実前弩級戦艦クラスの艦艇を20隻、装甲巡洋艦を33隻も保有しているのだ。

日本がその気になれば南アジアやオセアニアはもちろんインドすらその支配領域に加えられるだろう。そして、イギリスにそれを防ぐ手段は存在しない。

この為、この親善訪問によりイギリスの世界戦略を根本から崩壊させると言うダメージを負わせ、列強海軍最強と自負していたイギリス海軍の面子を盛大に台無しにするだけではなく、以後のイギリスの外交担当者に軍事的に圧倒的な優位にある日本から国益を守るための地獄の様な綱渡りを強いる事になった。


(※1)対日貿易是正
日本は享保の改革以後、不換紙幣である円をその国家通貨としており、世界でも数少ない先進国でありながら管理通貨制度を採用している国家であった。
しかし、それ故に諸外国からの通貨の信用度が低く、ポンドと円の為替は圧倒的であった。

しかし、日本は自分の勢力下で殆どの資源を自己完結できる日本は圧倒的な円安とイギリスの主導する自由貿易主義を利用して大儲け中で、イギリスは圧倒的な対日貿易赤字を叩き出していた。

161: ホワイトベアー :2022/01/13(木) 18:45:12 HOST:sp49-98-162-90.msd.spmode.ne.jp
以上になります。wikiへの掲載はOKです。

162: New :2022/01/13(木) 19:40:39 HOST:fp7452c2bb.oski305.ap.nuro.jp
乙誤字 マリアナ→マラリアですね

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最終更新:2022年01月20日 12:22