154: ホワイトベアー :2022/04/10(日) 22:00:43 HOST:202-189-222-171.tokyo.fdn.vectant.ne.jp
日米枢軸ルート 第8話 改訂版
アジアの雄たる清国と大日本帝国、アメリカ合衆国と言う新興大国連合の朝鮮半島を巡る争いは日米連合の勝利で終わり、朝鮮戦争で勝利した日米は2億3千万両と言う戦費を賄うのに十分な額の賠償金を手に入れ、清国国内に確固たる利権と朝鮮半島と言う東アジアの橋頭堡兼緩衝地帯を獲得する。

朝鮮戦争の終結後も、東アジアへの勢力圏拡大を虎視眈々と狙うロシア帝国が極東に大軍を貼り付けており、清国も負けじと満州に部隊を展開、満州を中心とした地帯で緊張が高まりつつある。
野心を一切隠そうともしないロシアの行動により、日米と清国の対立が一応の解消を見せてもなお東アジアの高い緊張状態を維持していた。
しかし、朝鮮戦争により光緒帝率いる親日親米政権が清国の主導権を握った事で日本は一応の平穏を享受することにも成功。
東アジアでの緊張の継続なんぞ知らんとばかりに、朝鮮戦争戦後の日本の政策および国家方針は内需拡大と経済成長を優先する戦前のものに立ち返っていた。

それは日本の予算編成を見ても明らかなものであった。清露の対立を原因として東アジアの情勢が悪化しているにも関わらず、日本の軍事予算は増額されるどころか戦争が終結をしたことを理由に戦前の金額からやや減額をされる始末で、国家予算の大半は本土のインフラ再整備やパプア島や南洋諸島を中心とした太平洋の島々、アラスカなどの開発促進、社会保障の充実などに割かれていた。

軍備計画でも日本軍は新兵器や新技術の開発こそ盛んであるものの、その軍備整備計画の内容は朝鮮戦争や東アジアでの清露の対立の鮮明化、緊張の高まりを受けてもなお依然として1875年に策定された第3次統合防衛方針を骨子としたものを継続しており、軍備再編の名目で緩やかな装備更新と新装備の配備を行なってはいたものの、規模そのものは縮小されていいく。

これは多くの日本人が満州での清露のにらみ合いを遠い世界の出来事と考えていたことと、朝鮮戦争集結により戦後モードに入ったことで過剰な軍事費に批判的だったことが大きい。だが、それと同等以上に当時の日本軍の軍備が他の列強を質の面で凌駕していることがその理由であった。

元々、日本では南北戦争 開戦前から内燃機関を使用したバスの試験運用が開始されており、実用可能な内燃機関が存在しており、
そこに夢幻会の影響とアメリカ内戦での戦訓から他の列強よりも早く軍事における攻撃力の向上と人の限界、航空偵察の有用性を把握したことが合わさって、内燃機関で動く戦闘車両や動力飛行を可能とする航空機械などの新兵器の研究・開発を南北戦争の末期、すなわち1865年頃から開始している。
そのため、朝鮮戦争開戦時には日本の戦闘車両や軍用航空兵器の開発技術は部分部分は1930年レベルまで到達、全体としても少数ながらヴィッカース中戦車MK.Ⅱやヴィッカース6t軽戦車、ウーズレー装甲自動車、ブルドッグ、フライキャッチャー、サイドストランド、DTなどに相当する戦車や装甲車、航空機が導入されており、朝鮮戦争では強襲上陸を多用したことと朝鮮半島のインフラが劣悪を超えたものだった為に活躍の機械はなかったが、貨物自動車などが多く配備された世界で最も機械化された軍隊となっていた。

日本の象徴たる海軍戦力も第3次統合防衛方針に基づいて旧式戦艦や装甲巡洋艦などの老朽化の激しい旧式艦艇を置き換えるための後継艦として、史実超弩級戦艦クラスの戦艦や巡洋戦艦、航空母艦を始めとした新世代艦を多数就役させ、さらに多数の艦艇も建造中もしくは建造予定となっているなど、強力な艦艇や兵器が配備されつつあった。
ただ、こうした兵器は当然高価であり、配備により日本軍は軍備の規模を南北戦争時代より縮小せざるを得なかった。最も、それでも依然として自国を除く全列強を叩き潰せるだけの戦力を維持していたが。

オブラートに包まずに言うならば、世界最大の陸軍国と欧米列強では評価され、列強の一国に数えられているロシア帝国とその軍隊であっても、日本の国防に関わるものにとっては脅威でもなんでもなく、予算を増額させることができなかったのだ。

155: ホワイトベアー :2022/04/10(日) 22:01:15 HOST:202-189-222-171.tokyo.fdn.vectant.ne.jp
軍事面での動きが低調な一方で、経済面では財界や官僚たちが活発に動いていた。

朝鮮戦争が開始される前の1872年、帝国議会において国土インフラ整備法が可決され、それまでは都市部を中心として行われていたアスファルトでの道路舗装を中心とした道路インフラの再整備と発電所の新規建設、送電網の拡大、上下水道、橋などの社会インフラの整備が日本各地で開始された。
公共投資の増大は、減税の実施、社会保障の充実化と合わせ日本の経済を大きく成長させることになり、朝鮮戦争を受けて消費が一時的に落ち込んだことで経済成長は停滞するも、戦後の政策継続と国民感情の高揚と朝鮮開拓による消費拡大を受けて経済は再び向上していった。

国民所得の向上と、1880年代末に開通したパナマ運河を通してアメリカ南部やオスマン帝国領クウェートの油田地帯から齎される安価な石油が日本に大量に供給され始めた結果、日本でのモータリゼーションが急速に進むことになり、三菱を始めとしたいくつかの国内企業が一般国民向けに電気冷蔵庫、電気洗濯機、電気掃除機、ラジオなどの家電製品を中心とした耐久消費財の販売を開始していく。
こうした新技術をもちいた商品の登場や普及は電力網や舗装された道路の整備など新しいインフラの需要を高め、公共事業のさらなる拡大を許容する空気を生み出し、帝国の国策として莫大な予算が投じられてる。
その結果、日本各地に家庭用水道や近代的下水道システムが敷き詰められ、大規模な発電所が建設され、日本全土に送電網や電話線、ラジオの放送網、それにアスファルトによって舗装化された道路が張り巡らされていった。

国土インフラ整備法に基づいたインフラ整備と国土開発はそれまで一部の都市部のみでしか受けられなかった近代的なインフラの恩恵を、よほどの山奥でなければ享受できるようにした。インフラの整備は大量生産技術の確率と合わせてラジオや自動車、家電などの耐久消費財を中間層の手の届くものにするのと同時に中間層の拡大と言う役割を果たし、日本は大量消費社会に突入していく。

大量消費社会の突入により、日本において貿易や海上護衛の重要性はより一層高まっていく。
いくら日本大陸に膨大な資源が眠っていようとも、資源が無限に眠っているわけではない。そのことを日本政府はよく理解しており、日本政府は自国内の資源の温存政策をとっていた。無論、完全に採掘をしていないわけではないものの、その量は法の下に厳重に規制されており、大量消費社会を支えている資源の大半は輸入に頼っていた。
その供給先として機能しているのがアメリカ合衆国や南米諸国、清国、欧米諸国の植民地である東南アジア、そしてイギリスの植民地であるオーストラリア大陸、日本と友好関係にあったオスマン帝国といった史実でも日本の資源供給先として機能していた国々や地域である。
日本帝国は時に軍事力で、また時には賄賂や援助などの飴と鞭を使うことでこれらの南米やオスマン帝国、オーストラリアなどで鉱山や油田の探査・所有・運用許可をもぎ取ると日本資本がこれらの国々に次々と進出。
各国にとって最悪な事に、日本は夢幻会からもたらされる未来知識から未だに各国内で把握されていない地下資源の資源マップを大まかながら把握していた。そして、その情報を使える夢幻会系の企業達は日本への安定かつ必要量の資源を供給できるように容赦なくこれらの国々の未発見の鉱山などを買い漁り、南米やアメリカ、東南アジア、オセアニア諸州で史実で1870年代より後に発見された一定以上の鉱山や油田には次々と日本資本のとしていった。

156: ホワイトベアー :2022/04/10(日) 22:01:47 HOST:202-189-222-171.tokyo.fdn.vectant.ne.jp
これらの購入や日本に持ち込むために貿易にて使用される通貨であるが、これはイギリスとその植民地からむしりとってポンドが使用されていた。
当時の日本は世界でも稀有な事に、管理通貨制度の下に国家通貨たる円を運用していた。この結果、日本は黄金に縛られない自由な経済政策を取れるようになっていたが、その反面、未だに金本位制などという一部の経済学者からはかび臭い価値観と馬鹿にされているものが大手を振って闊歩している国際的には、黄金や銀などの貴金属の後ろ盾のない円の価値は低く、日常生活に必要な生活必需品が自給自足出来ているので国民生活には大した影響を与えていないし、オスマン帝国や清国南米諸国などは円決済が効くのものの、イギリスとの円での貿易など出来るはずもなかった。
大英帝国を始めとした欧州列強の勢力圏で円を貿易に使用することが難しかったこと、そして、大金をかけなくても既に完成度の高い貿易システムが構築されていたことから、日本はポンドを利用した大英帝国の経済システムに乗っかったのだ。

一方で円の安さは日本の輸出産業にとっては極めて有利に働いていた。
当時の日本の工業力は世界最大のものであり、日本は世界の工場として自国内で必要な資源の大半を賄える衣服や布地などの繊維製品や加工食品などの軽工業製品を中心とした非耐久消費財から、
清国や南米諸国から買い叩いた資源やオーストラリアや東南アジア、アメリカなどの日本企業の持つ鉱山から供給される資源を用いて製造された鉄鋼や機関車、船舶、自動車などの輸送機器、工場等で使用される生産機械や産業の基盤である電気を生み出す発電設備とそれを送り込む送電設備、ラジオ放送用の設備などの産業設備類とその部品、銃器や火砲、軍艦などの兵器類、電話、蓄音機、ラジオ、タイプライター、電灯、映像機器、電気冷蔵庫、電気掃除機、電気洗濯機などの電機類、化学肥料や化学製品など国内の資源企業が調達してくる資源を利用した重化学工業製品まで、
その高い技術力で高品質に仕上げられた商品をイギリスの掲げる自由貿易主義や軍事的圧力とセットで締結した南米諸国との相互自由貿易協定、清国と締結したシンガポール条約などを利用して安価な価格で大英帝国勢力圏や南米、清国などに輸出することで莫大な貿易黒字を出していたのだ。
これらが安かろう悪かろうな品物であるならまだ欧米列強にも対抗手段があったのであろうが、最悪な事にこれらの製品は基本的に欧州列強のものに匹敵する品質を持っており、さらに家電類などはそもそも民需品では日本製しか存在しないというものも多く存在しており、欧州列強やその勢力圏での発電インフラや送電網、電波インフラの整備は日本規格で行われた事と合わせて、電圧の問題も存在しなかった。
貿易により世界から集まる富の量は資源の購入費として日本から出ていく金額を遥かに上回り、日本の経済成長をより促進させ、今の日本の基礎たる経済大国兼工業大国としての日本を世界に印象付ける。

逆に日本と貿易を行っていた国々の製品は日本の求める原材料(鉱物資源・一部森林資源)以外のものは円安と言う非関税障壁により売れず、ドイツやフランスなどは早々に高い関税をしいて一定の防衛に成功するも、日本資本の稼ぎ場であり、自由貿易を掲げるイギリスはそうも言ってられず、対日貿易赤字は日英貿易摩擦と呼ばれる自体にまで発展していく。

日本への莫大なポンドの流出や対日貿易赤字、日本資本による大規模鉱山の独占はイギリスを含めた各国の国内でも大問題として扱われ、定期的に対日関税の大幅なアップや輸出税の復活などの比較的軽い意見や、日本資本の強制的な国外退去と鉱山等の資産接収、日本の故意的な通貨操作を理由にした宣戦布告や経済制裁の実施といった強硬なものまで様々な意見が民間や野党から定期的に噴出していくことになる。特に朝鮮戦争後は黄禍論の影響もあってオーストラリアなどの白豪主義の強い地域ではこうした意見が抑えられなくなりつつあった。

157: ホワイトベアー :2022/04/10(日) 22:02:24 HOST:202-189-222-171.tokyo.fdn.vectant.ne.jp
その一方で、各国の政府、それこそ世界の覇権国家であり、列強代表を自負し、対日貿易赤字で国内の製造業を中心とした財界やマスコミから叩かれまくっているイギリス政府ですら赤字貿易解消の為に関税障壁の設置や日本資本への規制には極めて慎重な姿勢を崩さず、あくまでも自由貿易主義を掲げて日本との貿易赤字を許容し続けた。

理由は簡単である。もし仮に何らかの対日貿易赤字是正の為にイギリス政府が動き、その報復として日本が戦争に踏み切った場合、自国の敗北が確定するレベルで日本の軍事力が恐るべき水準だったからだ。
何せ大日本帝国はアジア太平洋地域はもちろん、世界でも最大の海軍大国であった。
現在、欧州列強各国で急ピッチに整備が進む戦艦(前ド級戦艦)を大西洋に大量に派遣できるだけの数を整備していた過去があり、現在では詳細は不明ながらこれを超えるsuper battleship(超戦艦)と呼ばれる主力艦を20隻以上、史実前ド級戦艦に相当する旧式艦も合わせれば36隻もの戦艦を保有している。さらに日本の同盟国であるアメリカ合衆国も18隻の戦艦を保有しており両国合わせて54隻である。

対して当時のイギリス海軍の戦艦数は30隻と数では日本側に遥かに劣っており、さらに大西洋の対岸に位置するアメリカ合衆国やドーバ海峡や北海の向こう側に位置する欧州列強に備えて常に戦艦の大多数を欧州から動かせない。開戦後に迅速に増援を送ろうにも、欧州とアジアを海で結ぶスエズ運河の筆頭株主は日本であり、日本はオスマン帝国との条約に則ってスエズ運河地帯に戦艦を含む日本海軍地中海艦隊とスエズ防衛軍が駐留させていた。開戦しようものなら確定でスエズが封鎖されること間違いなしだ。そうなれば短期間でインド洋に増援を送ることは不可能である。そうなると、イギリスは数と質で劣るアジアとインド洋に配備している艦隊で日本海軍からアジア・太平洋地域の植民地を護り切らなければならない。当然、そんな事は不可能だ。
日本がその気になればいつでもオセアニアや東南アジア、カナダ、そして大英帝国の心臓たるインドが日本により奪われる。その恐怖こそがイギリスの行動を縛っていた。

158: ホワイトベアー :2022/04/10(日) 22:02:55 HOST:202-189-222-171.tokyo.fdn.vectant.ne.jp
日本がイギリスや清国、南米相手に貿易黒字でウハウハしている一方で、アメリカ合衆国でも経済的な発展を迎えていた。
南北戦争の終結からアメリカ合衆国では南部復興と西部開拓という二つの大量消費をもたらすイベントが発生。部で生産された物資は日本資本の下に南北戦争中に建設された大陸横断鉄道や戦後復興の一環として同じく日本資本の援助の下に再建された南部鉄道網を通してこれらの地域に供給されていき、本来なら戦争の終結により発生する生産力の過剰化による景気の後退を防ぐことができた。
南北戦争後、日米南部復興支援協定により投資される円という外貨はアメリカにとっては非情に重要なものであった。その理由は戦中に日本から送られてきた大量のレンドリース品やライセンス料の支払いが円であったことと、その後の対日貿易や日本資本のライセンス料支払いも円が基軸となったからだ。
故にアメリカに投資される円は黄金に保障されていないながらも一定の効果を持ち続け、円の投資により南部の再建が進んでいく。合わせて西部開拓においても同協定により鉱山経営が認められた日本資本による鉱山の発見や開拓、1862年から開始されたホームステッド法や日本から供給される安価な化学肥料や鉄条網、改善された農機具などによる農牧業が振興していった。
南部の復興と西部の発展は北部の市場の拡大を意味しており、北部が工業製品を、南部と西部が食料や資源を供給するという相互補完的な関係を構築することで緩やかな経済発展を遂げることができていた。

しかし、史実のように富豪や資本家と金権政治家が闊歩し、独占資本がアメリカを占有する様な状態にはならなかった。いや、成れなかったというべきだろう。
史実のアメリカ資本家の成長を助けた大陸横断鉄道やテキサスを始めとした主要な油田やアイアン・レンジなどの主要な鉱山は三菱や三井、住友といった日本資本の経営化に置かれているなど、良くも悪くもアメリカの資本主義を急速に発展させた史実の金ぴか時代を到来させる要因が全て潰されていたせいで、アメリカの経済成長は日本資本の誘導にしたがってしか行うことが出来なかった。

そして、これらの企業は日本の独占禁止法の適応下にある企業たちであり、史実アメリカで行われた様なトラストなどの独占資本の形成が徹底的に阻害されたこと、さらに日米南部復興支援協定による対日関税の引き上げを事実上禁止されたことで日本の工業品が一定数輸入されていることが合わさり、史実で発生したアメリカの急速な工業化は発生する事はなく、あくまでも緩やかな工業力の発展と経済成長を遂げるにとどまっていた。

1890年の国勢調査報告書でフロンティアの消滅を宣言された後も、アメリカ国内には経済的な発展を行えるだけの余裕が存在しており、その工業力も海外の市場を欲する程ではなかった。しかし、1895年に朝鮮半島というニューフロンティアが手に入った事でアメリカの帝国主義的な思想が発露していき、本格的なアメリカ合衆国の国外への進出が始められていく事になる。

159: ホワイトベアー :2022/04/10(日) 22:04:14 HOST:202-189-222-171.tokyo.fdn.vectant.ne.jp
以上になります。wikiへの転載はOKです

余談
日本の石油供給源
1 オスマン帝国(クウェートやペルシア湾沿岸部)
2 アメリカ合衆国

日本の鉄鉱石供給源
1 清国
2 オーストラリア大陸の各イギリス植民地
3 アメリカ合衆国

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最終更新:2022年04月19日 13:22