428: ホワイトベアー :2022/06/02(木) 19:39:18 HOST:sp49-98-154-6.msd.spmode.ne.jp
日米枢軸ルート 第12話 改訂版

西暦1901年7月に締結された北京議定書によりひとまず支那大陸での戦乱は終息に向かって行くが、それで日本に平和が訪れたかと言うとそうではなかった。その理由は簡単である。米比戦争をフィリピンで行っていたアメリカ合衆国が日本に援軍を要請したためである。

フィリピンを手にれた当初のアメリカ合衆国はフィリピンを完全に自らの勢力下に置くために、同盟国である日本の仲介や援軍を断り、あくまでも独力でこの戦いに勝利することにこだわっていた。しかし、ゲリラ戦で戦うフィリピン側の激しい抵抗から当初の予想より多い損害だしてしまい、とうとう独力での鎮圧と言う方針を転換してしまったのだ。

さすがの日本もこの要請には本気で頭を抱えたが、同盟国であると言う事からこの要請を無下にできなかったことから、本心では日本はあまり派兵をしたくはなかったものの費用をアメリカが負担することとフィリピンの市場を開放することを条件として、仕方なく1個師団2万人を派兵することを決定する。しかし、派遣が決定したあとも軍内部のゴタゴタによって実際の派兵は遅れることになってしまった。

当初、派兵を行う予定であった海軍海兵隊は義和団事件中から再編成した自慢の自動車化師団をフィリピンに送り込むことを計画しており、その準備も行っていた。しかし、フィリピンのインフラが予想以上に整っておらず、さらに亜熱帯と言うこれにとから自動車化部隊を派遣しても運用が難しいと言う判断が下され、この計画はお蔵入りされることになってしまう。
それどころか、海軍海兵隊が軒並み自動車化師団もしくは機甲師団に改編されていたことで海兵隊が派兵に難色を示し初めてしまい、完全には自動車化が行われていなかった陸軍にお鉢が回っていった。
当然、突然の派兵命令に陸軍省と陸軍参謀本部は驚愕と不満を隠せなかったが、文民統制の名の下に政府の下に置かれている陸軍がそれを拒否できるはずもなく、最終的には陸軍遣比軍の創設と、フィリピンと同じく亜熱帯地域である台湾の防衛を担っていた陸軍第23歩兵師団を遣比軍の実働部隊としてフィリピンに送り込むことを決定する。

この間にアメリカ合衆国ではマッキンリー大統領が無政府主義者に暗殺されると言う事件が発生し、世間を騒がせることになるがそれでも副大統領であったセオドア・ルーズベルトが大統領に昇格することで混乱は最小限に留められ、米比戦争にはとくにこれといった影響は出さずにすんだ。

1901年9月20日には日本軍の第一陣として送り込まれた1個歩兵旅団がマニラに到着し、アーサー・マッカーサー中将(日本陸軍の師団司令官は中将のポストであったため昇進した)率いるアメリカ軍フィリピン駐留軍と合流。その後も順次日本陸軍の援軍が到着していき、1901年9月30日から主にレイテ島を中心にしてアメリカ軍と共同でフィリピン独立派との戦闘を開始していった。

この日本陸軍遣比軍の戦いは公式にセオドア・ルーズベルト大統領が戦争終結を表明する1902年7月4日まで続いていく。

429: ホワイトベアー :2022/06/02(木) 19:40:22 HOST:sp49-98-154-6.msd.spmode.ne.jp

フィリピンでアメリカ軍と第23歩兵師団が地獄のゲリラ戦を繰り広げていく一方で、アジア唯一の列強である大日本帝国の本土ではフィリピンで現在おきている戦争よりも将来おきるであろうロシア帝国との戦争に備える動きが活発化していた。

米比戦争への参戦から2ヶ月と経たない1902年11月には露土戦争以降、軍事的・経済的な協力関係国であったオスマン帝国とスエズ防衛条約及び日土安全保障条約を締結し、日本帝国海軍地中海艦隊および陸軍中東方面軍を正式に創設。
それまで暫定的な駐留とされていたスエズ運河防衛部隊を陸軍中東方面軍に、ギリット戦隊を地中海艦隊に改編した上で地中海方面に恒常的に駐留させる事を公式に発表した。
同時に、ロシア帝国と開戦した場合に備え、スエズ運河利権の防衛を名目にスエズ運河地帯およびシナイ半島の軍事基地化を推し進めるなど中東におけるプレゼンテーションの向上を図っていく。

事実上のスエズ運河の要塞化を宣言した翌年の1902年8月には、日本政府はロシア帝国による不当な満州占領への制裁措置としてロシア国籍の軍艦のスエズ運河通過を禁止する事を発表する。
これはヨーロッパ側で軍艦建造し、海路で極東まで送っていたロシア海軍の太平洋方面の戦力拡大を思いとどまらせる上で極めて有効な手段であり、実際に回航コストの増大によりロシア帝国海軍太平洋艦隊は当初の計画より規模は縮小することになる。

ロシア海軍のスエズ運河使用を禁止し、アジア方面でのロシアの海上戦力拡大に冷水を浴びせる一方で、日本政府はロシアを外交的に孤立させるためのプロパガンダ工作にも力を注いでいた。
欧州では海軍省情報部や陸軍情報部、統合情報局などのインテリジェンス機関が外務省と協力して欧州各国の知日派や自称先進的知識人、マスコミと接触し、満州でのロシアの過酷な占領政策をさらに誇大化しつつ広めることで欧州における反ロシア感情を成熟させるなど、欧州におけるアンチロシア工作ふぁ開始されていた。
幸いにしてロシアの満州における清国人の扱いは苛烈の1言に尽きるものであり、事実を多少誇張させる程度で十分に反ロシア感情を煽るに足るセンセーショナルな記事をいくらでもかけてしまう。

軍事面では1875年から実施していた両洋艦隊計画が最後の段階を迎えており、日本海軍は来れまで酷使してきた旧式戦艦群を退役させていき、戦艦12隻、巡洋戦艦12隻、空母(及び軽空母)16隻を中心とした新世代の艦艇達が充足しつつあった。
地上戦力としても日本海軍海兵隊は10個師団8個旅団体制まで拡大した上で、完全な自動車化、もしくは機甲師団化を完了していた。
また、機械化率では海兵隊には劣るものの、日本陸軍でも部隊の機械化(自動車化)が精力的に行われており、その戦力の6割の機械化が終了しているなど世界では最も先進的かつ機動的な軍隊にまで成長している。
今だに日本でしか実用化されていない動力付き航空機達もその数、種類ともに効果的に実戦で運用できる状態であり、老朽化しつつあった日本の軍備は完全に近代化を遂げたと言っても過言ではなかった。

余談であるが、こうした新兵器群の開発や生産・配備に関して日本軍は徹底した情報管理を行うこととなる。しかし、いくつもの企業と多くの人間が関わる以上、完全に情報を秘匿し続けることなどできるはずがない。
実際、イギリスは勿論として他の欧州列強の情報機関でも朧気ながら日本の新兵器群の情報を掴んでいた。掴んではいたのだが、日本が行った直近の戦争である朝鮮戦争にすら投入しない徹底した日本側の情報秘匿とダミー情報の類付、さらに新兵器郡の性能やコンセプトがSFじみた内容であったことから、欧州列強の本国でこれらの情報が信じられることはなく、日本の軍備を軽視してしまっていた。

日本がロシアとの戦争を見越して軍拡や外交を行っていた一方、日本に仮想敵国と見なされていたロシア帝国では「日本と戦争になるかだって? 日本がそんな愚かな判断を下さないだろうし、だいたい我が国と日本は20年来からの友好国だろう」と言う意見が大半を占めるなど日露関係を極めて楽観視していた。
ロシアの民衆のみならず、サンクトペテルブルクのロシア帝国中央政府も同様の考えであり、『彼ら視点では』という前書きこそ存在するものの、今後も日露関係が良好であることを願っていた。
遼東半島を勢力圏におくことを画策し、朝鮮との国境近くでロシア軍が軍事訓練を行うなど、日米に対す挑発行為を幾度も行いながらも多くのロシア人達はそう考えていたのだ。

最もロシア帝国極東軍および同極東総督府の考えは国内とは違っており、遼東半島や朝鮮半島、さらには日本本土に対してその野心を隠そうとすらしていなかった。

1902年にはロシア帝国極東総督府はロシア外務省とは別のルートで日本に対して、

朝鮮半島の非武装化および日本・朝鮮市場の全面解放、
日本近海およびスエズ運河の航海の自由、
北方の領土再画定交渉

といった3つの要求を公的に日本政府に提示する。しかも、条件を受諾しなかった場合には、ロシアが保有する日本大陸への潜在的な権利を行使せざるを得なくなるというおまけ付きで。

当然、日本政府はロシア側の要求を全て拒絶。外交常識を何処かにおいてきたかのようなこの要求に日本政府および夢幻会は怒りを通り越して呆れてしまい、アメリカ合衆国政府および日米両国民ではロシア脅威論が台頭していった。

430: ホワイトベアー :2022/06/02(木) 19:47:02 HOST:sp49-98-154-6.msd.spmode.ne.jp

ロシア極東総督府がここまで強硬な態度を取っていた背景にはロシアが極東に貼り付けていた大軍の存在がある。
この時のロシア帝国は満州に50万人、シベリアに30万人近い兵力を展開させており、さらに新造戦艦8隻、新造巡洋艦16隻を中核とした太平洋艦隊を展開させるなど表向きは強大な戦力を極東に集中させていた。
また、史実とは違いこの時点で既にシベリア鉄道が全線開通しており、さらに満州にいた清国人を動員して敷設した満州鉄道と連結させることにも成功していたため、ヨーロッパより迅速に満州に兵力を送り込むことが可能となっていた。

シベリア鉄道の開通と満州鉄道との連結の成功はロシア極東部と欧州ロシアの距離が従来とは比べ物にならないほど縮まったことを意味しており、もしもの場合が起きたとしても迅速に地上戦力の増強とそれを支える補給線の確率をロシア軍は可能としていた。
こうした大規模な軍事力がロシア極東総督府の強硬路線を支える自信の源の1つであったのだ。 

一方のロシア視点から見た日本側の軍事力であるが、地上戦力は数こそ多いが白人たるロシア人に勝るはずがないとナチュラルに考えており、彼らの自慢とする海上戦力も戦艦36隻、装甲巡洋艦42隻と言う文字通りアジア最大の海上戦力を有する海軍であったが、そのうち比較的最近に建造された24隻は朝鮮戦争ですら海に浮かべる以外の活動をしなかった(できなかった)欠陥戦艦と欠陥装甲巡洋艦であると見なされており、事実上の戦力は戦艦24隻、装甲巡洋艦30隻と計算されていた。

そして、これらのうち戦艦6隻と装甲巡洋艦6隻が地中海艦隊に、戦艦6隻と装甲巡洋艦6隻は北米に、装甲巡洋艦2隻は南太平洋に展開している。
すなわち、ロシア側の視点では日本本土に待機する“欠陥品ではない”主力艦は戦艦12隻、装甲巡洋艦16隻のみであったのだ。
しかも、このときのロシアが日本の戦力として数えていた主力艦達はどれも艦齢20年を超えるロートル艦達である。

極東総督府が日本を相手にしたとしても十分勝機があると考えてしまうのも致し方なかった。

無論、実際には日本の軍備はそんな貧弱ではない。
陸軍は大規模な軍拡を行っていないとは言え、元々常備兵力だけでも100万人という兵員を抱えているアジアはもとより世界でも有数の規模を誇っており、さらに上記したように戦車や装甲車、自動車、自走砲などの最先端の兵器やその他の火砲などの従来兵器をこれでもかと用意していた。

海軍はもっと酷い。彼らが欠陥が酷くて戦争に投入できなかったと考えていた戦艦や装甲巡洋艦(巡洋戦艦)24隻のうち16隻が史実88艦隊計画で構想されていた16インチ砲を搭載高速戦艦群であり、残りの8隻も史実伊勢型戦艦と金剛型高速戦艦をモデルに建造された超弩級戦艦といった状態であり、砲撃戦だけであっても余裕でロシア太平洋艦隊を完封できるだけの戦力を本土に待機させている。

さらに、日本軍は当時では世界で唯一飛行船以外の飛行機器を有する航空部隊を抱えている軍隊でもあり、実際の日本軍は文字通り世界最強と言えるだけの戦力を保有していた。

朝鮮戦争でこれらが投入されなかったのは、単に清国がこれらの兵器を投入するほどの敵ではなかったことと、十分な戦力を保有する正解を見せつけて欧州列強の兵器の開発促進や建艦競争を促進したくなかったためでしかなったのだ。
最も、戦争で故意に旧式兵器縛りなんて舐めプを行っていた何て信じろという方が無理であろう。まだ欠陥品で表に出せないといった方が信憑性がある。

日本の思惑と想定と実際の戦力の差をつゆ知らないロシア帝国では、1904年5月にはロシア帝国の御前会議にて

『ロシアの経済的利益は、その利益を保護するため極東において武装の必要を生じた。』

とする覚書が承認されてしまい、

鴨緑江の朝鮮側の河岸で主権を握ること。このため該事業に軍略的色彩をかくさず且つ朝鮮政府よりの利権獲得を具体化せざること。
鴨緑江の支那側沿岸にて利権を獲得せずに主権を握ること。
該事業に外人を参加させないこと。
外人を満州に干渉させないこと。

と言う「寝言は寝て言え」レベルの決議が議決されてしまう。
そして、この決議が公布されるや否やロシア帝国極東総督府の命令のもとロシア帝国軍が無通達にて鴨緑江を渡河し、鴨緑江河口の龍岩浦を軍事的に占領、その近辺の住民(日本国籍やアメリカ合衆国国籍を有している人間)の財産を強制的に徴用し、住民を退去させ軍事拠点を築きはじめると言う暴挙をやらかしてしまう(後にアメリカ人に与えた損害は補填するが)。

431: ホワイトベアー :2022/06/02(木) 19:47:36 HOST:sp49-98-154-6.msd.spmode.ne.jp

この行動は日米はもとよりイギリスやドイツ、果ては同盟国であったフランスなどの欧州列強が抗議や非難を行うが、悪い意味でロシア的であった極東総督 エヴゲーニイ・イヴァーノヴィチ・アレクセーエフはこれを無視、そのまま龍岩浦を占領し続けた。

当然、このような状況を日本が見過ごす訳がない。
日本側は直ちに陸軍を動かす。具体的には朝鮮防衛の為に駐留させていた第20歩兵師団、第24歩兵師団の2個を出動させると同時に、本土から10個師団を増援として急派した。
それだけではない。さらに1893年より生産を開始していた新型戦闘攻撃機である93式戦闘攻撃機(史実P-47)や主力爆撃機である94式軽爆撃機(A-26)などで編成された航空部隊も派遣する。

海軍も舞鶴にいた第6警備艦隊を緊急出港を行い、さらに再編成が完了していた第3常備艦隊、第4常備艦隊の出撃も命令する。また、海兵隊からも6個師団を朝鮮に送り込むことを決定、さらに海軍も最新鋭爆撃機であった92式戦略爆撃機(史実B-17G)や主力爆撃機であった91式戦略爆撃機(B-24)などの航空戦力を送り込んでいった。

さらに日本本国では動員令が発令、国内の軍需工場はその全てが夜間生産(24時間生産)態勢に突入するなど全面戦争に備えて動き始める。

日本の同盟国であるアメリカ合衆国も日本と協調してロシアの暴挙に対応するために、アジアに展開する部隊の上位組織としてアメリカアジア軍を創設。
その初代司令官としてアーサー・マッカーサー中将を任命する。司令官となったマッカーサー中将は日本との共同歩調をとりやすくするために東京のホテルを1つ丸々借り受け、仮設司令部を設置した。

また、これと同時にフィリピン駐留アメリカ軍から2個師団4万人を抽出し、韓城に司令部をおいている日米連合軍朝鮮方面司令部の指揮下に提供するなど彼らなりにロシアとの戦争の準備を急速に進めていく。

こうして戦争に備えていく一方、戦争反対派であった伊藤博文を代表とした特命全権団をペテルブルグに派遣するなどの日本側も戦争を起こさずに事態の平和的解決を目指す動きも活発に行われた。
しかし、積極的な主戦論を主張していたロシア海軍や関東州総督のエヴゲーニイ・アレクセーエフら強硬派などは朝鮮半島でも増えつつあったロシアの利権を妨害される恐れのある妥協案に興味を示さず、これにニコライ2世やクロパトキンなどのペテルブルグ側も同調するなど、日本の動きは報われることはなかった。

それでも戦争を避けようと伊藤博文はロシア帝国と交渉を続けることを提案し続けていたが、ロシア帝国政府内の戦争反対派であったロシア帝国首相 セルゲイ・ウィッテが更迭されたとの報告を受けると伊藤もとうとう折れ、開戦に同意する。

こうして、アジアでは欧州最大の陸軍国家と太平洋を挟む二大列強連合との争いが始まろうとしていた。

432: ホワイトベアー :2022/06/02(木) 19:48:11 HOST:sp49-98-154-6.msd.spmode.ne.jp
スエズ防衛条約
正式名称は
スエズ運河および運河地帯に関する相互協力および安全保障条約
と言いい、オスマン帝国が日本帝国にたいして自国の領内にあるスエズ運河の防衛に必要な最低限度ではあるがスエズ運河地帯および日本とオスマン帝国両政府が合意した地域の軍事拠点化と軍駐留を認めると言う条約。
この条約によってスエズ運河地帯とシナイ半島、テッサロニカ、ハイファの2港を日本が自由に使えることになり、大日本帝国海軍地中海艦隊や大日本帝国陸軍スエズ方面軍が正式に創設される。

日土安全保障条約
オスマン帝国と大日本帝国の間で締結されている軍事同盟。オスマン帝国が侵略された場合に日本が戦争に参加する事を明記した独立保証条約であり、これによりオスマン帝国は正式に日本の同盟国となった。

433: ホワイトベアー :2022/06/02(木) 19:49:08 HOST:sp49-98-154-6.msd.spmode.ne.jp
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最終更新:2023年07月21日 00:36