556: ホワイトベアー :2022/06/06(月) 21:07:33 HOST:sp49-98-154-6.msd.spmode.ne.jp
日米枢軸ルート 第13話 改訂版 

1904年8月4日、ロシアの反戦派の筆頭であったセルゲイ・ウィッテロシア帝国首相が更迭されたことから、日本政府内でも強固に戦争に反対していた伊藤博文外相がついに折れたことにより政府内では陸海軍の作戦準備が完了する8月下旬までにロシアが朝鮮から撤兵しない場合の対露開戦が決定事項となった。

この方針は翌日の8月5日に開かれた御前会議で正式な帝国の意思として正式に決定、アメリカ大使館およびアメリカアジア軍司令部を通してアメリカ政府とも共有され、両国の調整を経て開戦は9月の初めとされる。この時までに朝鮮には日本陸軍22個師団、日本海軍海兵隊6個師団、アメリカ陸軍4個師団の計32個師団を主力とした日米連合軍という強大な戦力が集結していた。

そして、日米側が開戦回避の最後の期限と定めた8月30日の午後11時59分になるまでロシア軍が撤兵していないことを確認した日米軍はついに開戦を決意、9月1日午前10時00分、ペテルブルグにある日本大使館およびアメリカ大使館からロシア外務省に向け宣戦布告が手渡される。そして、宣戦布告から30分後の午前10時30分より日本軍はロシア軍に対して攻撃を開始した。

この時までに日本軍は朝鮮半島に陸海軍の基地航空隊所属の爆撃機や攻撃機を集結させており、戦略爆撃機500機、軽爆撃機600機、戦闘攻撃機400機の計1500機を越えるほどの大部隊が何時でもロシア軍に喰らいつけるようにその牙を磨いでいた。

そして、この巨大な航空戦力はいまだに平面での戦い方しかしらないロシア軍に対して襲いかかることになる。
その牙が向けられる最初の目標になった不幸なロシア軍の部隊は、当然ながら龍岩浦に展開している部隊であった。

この時の龍岩浦には日本軍の攻撃を警戒して、榴弾砲や野砲、機関銃などを組み合わせた陣地ができがっており、陸上戦力に対しては非常に高い防御力を発揮できる筈であった。だが、航空戦力による攻撃は想定されておらず、空襲によって甚大な被害を出すことになる。

この空襲は陸軍の93式戦闘攻撃機と94式軽爆撃機の混成部隊による戦爆連合で、その数はおよそ800機。戦闘攻撃機には史実HVARをモデルとした4式空対地ロケット弾もしくは455kg爆弾が装備され、軽爆撃機には機首に8門の12.7mm機関銃、爆弾倉に455kg爆弾、翼下に4式空対地ロケット弾を装備した状態であった。
この時のロシア軍には爆撃機に対抗する為の対空砲も迎撃機もないことや、そもそも想定外の一撃であったことから、日本軍は一方的に攻撃を加えることに成功する。

龍岩浦に展開するロシア軍には一方的に大量のロケット弾や機銃弾が撃ち込まれ、大量の爆弾が投下されていった。中には小銃で上空の日本軍機に反撃を加えるロシア人将兵もいたが、その大半は突然の攻撃に逃げ惑うしかできなかった。

この攻撃により与えた被害を確認した日米連合軍朝鮮総司令部はロシア軍の混乱がおさまる前に龍岩浦を奪還するべく、近くに待機させてい第3機甲師団に進軍を命令する。
この第3機甲師団は完全編成の機甲師団であり、3個戦車連隊と2個歩兵連隊、1個砲兵連隊を中核とした師団である。この師団が陸海航空隊の爆撃で大打撃を受け、いまだに混乱から回復していない旅団規模のロシア軍に殴りかかったのだ。どうなるのかは自明の理であろう。

日本軍は戦車を全面に立てて攻勢を開始した。この時の日本軍の主力戦車はM3中戦車をモデルとした1式中戦車で、ロシア軍兵士はキュルキュルと音をならして接近してくる未知の鉄の化け物に対処できるはずもなく、有効な反撃もできずに次々と降伏するか死んでいった。

こうして日米連合軍は大した損害もなく龍岩浦の奪還を完了した。しかも、日本軍がコマンド部隊を使用して龍岩浦から伸びる通信線を遮断していたため、ロシア極東軍本隊と極東総督府がこの情報を知るのは全てが終わったあとというおまけ付きでだ。

戦闘終了後、ロシア軍上層部は幾らかは存在していた敗残兵から情報を得れたが、彼らが告げる報告はどれも要領を得ず、さらに内容もとてもではないが信じられたものでなかったため、黄色い猿に敗北した言い訳として突拍子もない嘘の報告を上げているとして情報が信じられることなかった。


龍岩浦を奪還した日米連合軍は大陸と日本本土の確固たる兵站線を構築と渡河準備の為に、爆撃機よる空襲は依然として継続させていたものの一時的にその進軍を停止させる。

そうして戦争の舞台は海上に移ることになった。

557: ホワイトベアー :2022/06/06(月) 21:30:15 HOST:sp49-98-154-6.msd.spmode.ne.jp
朝鮮や満州などのユーラシア大陸をその主戦場とし、大食らいな機械化部隊を地上戦力の主力とするする日米連合軍にとって大陸との間の兵站線構築は絶対条件であった。そのためにはウラジオストクにいるロシア海軍太平洋艦隊が極めて邪魔であり、この艦隊をできれば撃破、それが無理でも自由にさせない必要があった。

こうした理由を受けた日本海軍は、日本周辺海域の制海権を確保するためにロシア太平洋艦隊とそれを支えるウラジオストク軍港そのものを攻撃するべく、臨時編成した日本海軍第一連合艦隊を日本海に展開させウラジオストクへの奇襲攻撃を計画していた。

第1連合艦隊は日本海軍の新鋭正規空母である蒼龍型航空母艦8隻を集中配備している第三常備艦隊を中核とし、これに鳳祥型改装空母4隻を有する第9警備艦隊と第1潜水艦隊の2個艦隊が合流して編成されている艦隊である。
その空母の数は12隻、艦載機としては日本海軍機体の新鋭艦上戦闘機である0式艦上戦闘機と最新鋭の攻撃機である96式艦上攻撃機あわせて930機近くを搭載している。
護衛艦艇としては《金剛》《比叡》《霧島》《榛名》の金剛型巡洋戦艦4隻と、大型軽巡洋艦である《五十嵐》《清津》《保倉》《天龍》《竜田》の阿武隈型軽巡洋艦5隻、駆逐艦36隻、潜水艦30隻の計75隻が編成されており、戦闘艦艇だけでも87隻と言う大艦隊であった。

9月1日の午前10時30分、陸軍航空隊が龍岩浦に攻撃を仕掛けはじめるのとほぼ同時刻に第1連合艦隊がウラジオストクに対して攻撃を開始。
第一連合艦隊空母部隊は艦戦約110機、艦攻340機の440機からなる第一派攻撃隊をウラジオストクに向けて発艦させた。無論、迎撃機がいないことは確定しており、攻撃機はもちろん戦闘機にも爆装を施している状態である。

第一波攻撃隊を構成する半数はウラジオストクに停泊していた艦隊に向かい攻撃を開始。残りの半数は艦艇には目をくれずに港湾施設に対して攻撃を仕掛けた。日本海軍は艦艇と同時に港湾施設、特に倉庫や弾薬庫、石炭庫などの物資の備蓄を徹底的に叩き、ロシア海軍太平洋艦隊をそれを支える後方拠点ごと叩き潰すことで、制海権の確保と同時に増援の来襲を封じる方針をとることにしたのだ。

史実の真珠湾攻撃とは違い、迎撃機の存在を一切気にせずに一方的に敵を殴れる第1連合艦隊の攻撃が第一波攻撃で済むはずもなく、彼らはウラジオストクの港湾設備と港湾内の太平洋艦隊を撃滅するまで、空母の爆弾が尽きるまで徹底した波状攻撃をウラジオストクとロシア帝国太平洋艦隊に浴びせていった。

後にウラジオストク大空襲と呼ばれるこの人類史上初の航空機による港湾攻撃と対艦攻撃がロシア海軍に及ぼした効果は非常に大きく、ウラジオストクに停泊していたロシア太平洋艦隊を構成する艦艇はほぼ全艦が沈没もしくは大破。港湾設備も酷く損害を受け、さらにロシア海軍の物資、特に艦隊向け弾薬と石炭の備蓄を大きく削ることに成功した。
これによりロシア海軍は太平洋艦隊のみならず太平洋における一大海軍拠点を貯蔵していた物資ごと喪失。さらに、この攻撃はウラジオストクの太平洋艦隊本部にいたロシア海軍太平洋艦隊司令官 オルカル・スタルク大将を含めた太平洋艦隊司令部要員がいくつもの書類ごと軒並みあの世に転勤させられ、組織面でも甚大なダメージを負うことになった。

数少ない救いは停泊中であったことから、人員の多くが生き残ったことであったが、動かす船がない以上、この戦争中での効果はあまりない。

また、単独でウラジオストクを出港していたロシア帝国海軍ウラジオストク戦隊所属の防護巡洋艦「ワリヤーグ」を日本海軍の装甲巡洋艦「朝日」、アメリカ海軍防護巡洋艦「メンフィス 」、「コンコード 」が捕捉し、これを撃沈する。これらの行動により確固たるとは言えないが、日米連合軍はユーラシア大陸と日本本土間の安定した兵站線の構築に成功した。

558: ホワイトベアー :2022/06/06(月) 21:39:05 HOST:sp49-98-154-6.msd.spmode.ne.jp
日本海において第1連合艦隊が歴史を書き換える大戦果を出している一方で、日本政府は宣戦布告から時間をおかずに戦時国際法に基づいた地中海東部及びエーゲ海での海上封鎖の実施を宣言。
無論、開戦前にイギリスに対して根回し済みであり、イギリスの承認の下で対ロシア貿易を大部分において禁止する包括的な禁制品リストを公表すると同時に地中海東部とエーゲ海を交戦地帯として設定した。

政府の宣言を受けて日本海軍はキプロス島を拠点とする日本海軍地中海艦隊を出撃させ、主戦上から遠く離れた地中海においても作戦行動を開始していく。

もっとも、これはロシアの貿易を少しでも減らそうと言う言わば嫌がらせであり、戦後の日本の地中海での影響力拡大を狙ってとった行動ではあった。
その為、当初の日本海軍は大した効果は期待しておらず、政府や海軍はせいぜいロシア側が苛立ってくれたらヨシ!程度の気持ちで実施していた。
しかし、この海上封鎖により黒海からの輸出ルートを封じられたロシアの経済的なダメージは極めて大きく、ロシアの継戦能力を大きく削ぐと同時にロシア国民のロシア帝国への不満を高めることに成功すると言う大きな成果を生み出すことになる

余談であるが、地中海での海上封鎖にフランスやスペイン等はこれに反発したがイギリスが早々に日本のこの活動を支持したことと、バルト海経由による貿易は禁止されなかった(できなかったとも言う)事から次第に反発は収まっていく。

閑話休題

宣戦布告とほぼ同時に朝鮮半島、日本海、地中海で活動を活発化させる日本側に対して、ロシア帝国の動きは混乱を極めていた為に低調の一言に尽きた。

それも仕方がない。そもそも、この時期での開戦はロシア側にとってみれば予想外もいいものであった。
特にロシア極東総督府の間では僅かな軍備しかないアメリカや劣等民族の国家である日本が欧州最大の陸軍国であるロシアにその実力を行使するなど想定外であり、そのSFチックな報告も相まって極東総督であったエヴゲーニイ・イヴァーノヴィチ・アレクセーエフ大将や極東総督府の職員に疑心と混乱を生み、攻撃の有無や、受けた損害、宣戦布告の生むなどを情報の把握が大きく遅れてしまう。そして、情報の把握の遅れはそのまま動きの遅れに繋がっていた。

それでも、日米連合軍の初動に全く対応できなかったロシア側であったが、日米連合軍の進軍の停止と言う猶予が活かされて次第に混乱は収まっていき、情報の把握にも何とか成功した。

事態を大まかに把握した(と言っても航空攻撃というSFな内容には未だに疑心を抱いていたが)アレクセーエフは、太平洋艦隊の損害の大きさに顔を真っ青にしながら、黄色い猿と新大陸の田舎者が生意気にも大ロシアに刃向かってきたことに大激怒する。
そして、自らの面子を潰した日米連合軍に一矢報いる為、また、連合軍の兵站を攻撃することでロシア陸軍による朝鮮侵攻前に朝鮮にいる連合軍陸上部隊を弱体化させるために、ナホトカに停泊していたことで日本の攻撃を免れた装甲巡洋艦3隻、防護巡洋艦2隻からなるナホトカ巡洋戦隊に対して日本周辺海域での通商破壊を命じた。

この時代は一般的な策敵手段が艦艇からの目視しかない時代であり、いまだに海上艦艇による通商破壊作戦はありふれたものであった。
特に現状、太平洋艦隊を壊滅させられたロシア軍が少しでも日本の海上戦力に対抗するためには敵艦の行動を縛れる通商破壊は一見すれば理にかなっているかのように見れた。

当然、その創設から転生者が主導していた日本海軍もこれを十分に理解しており、通商防衛の為にレーダーを搭載した巡洋艦や駆逐艦、巡防艦などを整備を極めて重視して行ってきた。

また、海上護衛に関する全業務を担当する海上護衛司令部や海上護衛専門部隊である海上護衛総隊を創設するなど当時としては先進的な取り組みを行っていた。また、二発式航空機による空中哨戒や高速な遠洋航行艦艇を徴収した特務哨戒艦(艇)による警戒監視活動などによる監視網を構築し航路を防衛しようとしていた。

こうして日本海軍が精力的に構築した監視網はナホトカを出港したナホトカ戦隊を9月12日に日本海上にて発見することに成功する。

559: ホワイトベアー :2022/06/06(月) 21:59:46 HOST:sp49-98-154-6.msd.spmode.ne.jp
《ナホトカ戦隊、発見ス》この報告はただちに無線通信を通して与市海軍基地に伝わり、そこを経由して東京の海軍軍令部に伝わった。

しかし、このときには天候の悪化により哨戒機は一時的に当該空域から撤退、一応近隣の特務哨戒艦や哨戒任務中の駆逐戦隊、護衛隊に位置情報を通達することで監視を任せるが、もっとも近くにいた特務哨戒艦が当該海域に到着する時にはもう戦隊はそこにはおらず、天候が回復し再び哨戒機を飛ばすも発見はできなかった。

その後も日本海軍の徹底した捜索も虚しく、ナホトカ戦隊を見失ってから48時間の間で日本海を航行中の特務哨戒艦3隻が通信を途絶。日本海軍の威信に少なくない傷がつけられてしまう。
自身のメンツに泥を塗られた日本海軍は最後の音信不通艦の位置からおおよその位置を算出、その付近に警備艦隊と哨戒機を出せる限り展開して徹底した索敵網を構築する。

その規模は艦艇数82隻、航空機360機。さすがに狭い日本海でこれほど厳重な捜索網に引っかからずにいられるわけがなく、日本海該当海域付近でナホトカ戦隊を捜索していた第13警備艦隊所属の偵察機がナホトカ戦隊を発見する。

この第13警備艦隊には鳳祥型改装空母4隻と重巡洋艦2隻、軽巡洋艦1隻、駆逐艦12隻からなる艦隊で、水上打撃戦力ではロシア海軍より劣勢であった為、増援艦隊が到着するまでナホトカ戦隊を捕捉し続けるのが彼らに任された任務であった。

しかし、海軍軍令部からは可能であればナホトカ戦隊を壊滅させてもよいとの言葉もあったため、航空主兵論閥が多い第13警備艦隊司令部は逡巡するこもなく航空戦力によってナホトカ戦隊を撃滅させる事を決断。各空母に艦載機部隊の出撃を命令する。

この頃の軍艦は基本的に水平装甲が存在しておらず、いくら装甲巡洋艦といえど禄に水平装甲もないこの頃であれば、255kg爆弾でも十分致命傷を与えられる。

第13警備艦隊は航空魚雷での攻撃はリスク的にもコスト的に適していないと判断し、急降下爆撃で仕留めるために攻撃隊に255kg爆弾を攻撃隊に搭載させ、カタパルトを用いて攻撃機を空に上げていく。

そして、最終的に96式艦上攻撃機22機からなる第1派攻撃隊がナホトカ戦隊を攻撃するために出撃。
第1派攻撃隊はロシア艦隊の周辺に到着すると、防護巡洋艦には目もくれず装甲巡洋艦に向けて急降下を実施し爆弾を投下していった。

第一次攻撃隊の攻撃を受けたロシア側はなんとか回避しようとするが、今までの常識を打ち砕くその攻撃にろくな対応ができず、1隻、また1隻と爆弾は命中していく。

96式艦上攻撃機は15ヶ所のハードポイントを有しており、約3,130kgと言う莫大な最大積載量を誇る万能攻撃機であった。
無論、この程度の攻撃でその全てに爆弾を搭載するなどという贅沢な運用はしていないが、それでも1機あたり4発の255kg爆弾を搭載しており、装甲巡洋艦1隻あたり30発近い爆弾を叩き込むことができた。

日本側のオーバーキルとも言える圧倒的な攻撃を前にロシア側がまともに対応できるはずもなく、果敢な闘志を無駄に浪費して一方的に叩きのめされ行くことしかできなかった。
そして、真先に第一次攻撃隊の餌食になった装甲巡洋艦郡は何の抵抗もできずに全艦が撃沈もしくは大破状態に追い込まれ自沈。
第一攻撃隊は爆弾が余ったからという理由で、本来なら第二次攻撃隊に任せる予定であった防護巡洋艦にも牙を向き、ナホトカ戦隊は文字通りの全滅を迎えた。

対して第13警備艦隊の攻撃による被害は零であり、その後の着艦ミスで3機の96式艦上攻撃機を喪失したが、パイロットは無事であるというほぼ無傷な状態で海戦は終了する。

ナホトカ戦隊構成艦艇の全艦撃破を確認した第13警備艦隊は、生存者の救出のために巡洋艦1隻、駆逐艦3隻をナホトカ戦隊がいた海域まで前進させ、僅かにいたナホトカ戦隊の生存者の全てを救出後に舞鶴鎮守府に帰港した。

ウラジオストク大空襲と第13警備艦隊によるナホトカ艦隊殲滅は、日本海軍にあらためて戦争における航空機の重要性と空母の戦略的価値を認識させることになった。
また、この海戦での完全勝利によってロシア海軍の主要戦力は完全に封殺されたことで、日米連合軍は朝鮮や満州との間の兵站線を確固たるものにする。

後顧の憂いを断った日米連合軍の機械化軍団が大陸において動き出す。

560: ホワイトベアー :2022/06/06(月) 22:00:17 HOST:sp49-98-154-6.msd.spmode.ne.jp
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最終更新:2023年06月24日 00:07