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日米枢軸ルート 第14話 改訂版 

満州、清国東北部の地域であり、清国の支配階級であった満州族の故郷であるこの地は1901年まで続いた義和団事変のどさくさでロシア軍に軍事占領され、開戦の1年前、1903年にはシベリア鉄道と東清鉄道の連結の実施、満州とシベリア地域を管轄する極東総督と言う役職がロシア帝国政府内に創設されるなど極東におけるロシアの重要地域として事実上の植民地にされていた。

海上補給網の確保に成功し、朝鮮ー日本本土間の兵站を確固たるものにした日米両国はこの満州への侵攻を決定する。
しかし、ただ侵攻するのでは後々に禍根を残しかねない。
ことさら自身らの《正義》を大切にする日米両国政府は後世においても誰からもこの戦争を批判できなくするために、《清国》から《日米連合軍》に対して〘ロシア帝国によって不法占拠されている満州を取り戻して欲しい〙と言う要請を日米政府に出してほしいと清国政府に打診した。

これを受けた清国側は当初こそ戦争に巻き込まれる危険性からこれを固辞していたが、光緒帝のほぼ独断でこれを受諾、日米に対して満州侵攻の大義名分を与える。

無論、ただでこれを出したわけではない。
戦後、日米への謝礼として満州での各種利権を与えることを約束しつつ、満州における清国の主権を名目上ではあるが認めさせ、さらに日米と密約として今後何らかの理由で清国が滅びた場合に清国皇族を国家元首とした国家を満州に樹立させる事も約束させた。

満州での新たな国家を樹立させると言う光緒帝の意見を聞いた日本の交渉担当官は最初はひどく驚いたが、彼の清国が与えた利権は例え独立したとしても返還を求めないと言う意見が出たため最終的にはこれを認める。

そうして、満州侵攻の大義名分を得た日米連合軍は鴨緑江の渡河とロシア軍防衛線の突破を目的とした《トーチ》作戦の発動を宣言した。

この作戦案の大元自体は1901年におきた朝鮮戦争から連合軍司令部に存在しており、元々は清国本土侵攻として計画されたものであった。
しかし、戦争の早期終結によりお蔵入りしてしまい、今戦争の勃発により日の目を見たのだ。
無論、立案当時とは敵軍の戦力や自軍の戦力などが大部違うので内容には多少手が入れられたものであったが。

本作戦の準備は9月より開始されており、5個歩兵師団を中核とした日米連合軍第1軍(司令官 ジョン・パーシング 中将)を鉄道や自動車を使い平壌に送り込んでいた。そして、日米両国の承認を受け、連合司令部による作戦開始の命令を受けた日米連合軍はこの第1軍を鴨緑江側に前進を開始させる。

これに対して遼陽におかれていたロシア極東総督府は朝鮮侵攻の為に鴨緑江に展開させていたザスーリチ将軍指揮下の第1極東軍団に遅滞戦闘を命令、第2、第3極東軍団を増援として派遣する。

そうして、ここに満州戦争初の本格的な陸戦である《鴨緑江会戦》が始まった。

10月18日、夜明けとほぼ同時に爆撃機330機からなる日本陸軍航空隊が対岸に展開していたロシア軍の防御陣地に対して攻撃を開始。この爆撃はおおよそ6時間の間に波状的に行われ、日本陸軍航空隊は鴨緑江に展開しているロシア軍にまんべんなく攻撃を行った。
また、これと同時に日本海軍基地航空隊を主力とした重爆撃機編隊が遼陽への攻撃を開始、遼陽に待機していたロシア帝国陸軍第2、第3極東軍団への牽制と足止めを開始する。

鴨緑江一帯への爆撃は歩兵4個師団を中核とした日米連合軍第1軍主力が敵前渡河の準備を完了させると友軍への誤爆を避けるために一時中断され、爆撃の終了が確認された同日午後1時より河岸に展開した砲兵隊の支援砲撃を得つつ第1軍は渡河を開始する。
この時のロシア第1極東軍団は、戦力の分散と言う戦略ミスや日本軍航空隊による爆撃により司令部が吹き飛ばされ、指揮系統が麻痺してしまうと言うハプニングにより満足に連合軍第1軍の渡河に対応ができず、第1軍は極めて少ない損害での敵前渡河に成功した。
しかし、連合軍第1軍が防御を固める前に統率を保っていた一部のロシア軍部隊が反撃を実施、この部隊は野砲などの重装備を揃えていた一方、第1軍は航空支援こそあるものの重装備を未だに対岸に残していると言う状況であったために、この部隊の撃退こそ成功したものの再編の為に暫く鴨緑江一帯で足を止めさせられてしまう。

その間にロシア軍第1極東軍団は麻痺していた指揮系統の回復に成功、再び連合軍を朝鮮側に押す戻すべく連合軍に攻撃を仕掛ける準備を開始した。
以後しばらくは攻めるロシア軍に対して守る連合軍と立場が逆転してしまう。

不幸中の幸いではあったのが、連合軍がこの情報を早くから掴むことができたことであろう。これによって第1軍はロシア側が攻撃を仕掛けてくるまでに塹壕の設営や地雷の敷設などの防御陣地の構築や重装備の輸送などを行う事ができた。

458: ホワイトベアー :2022/08/01(月) 22:31:33 HOST:sp49-97-107-125.msc.spmode.ne.jp
そして、10月21日、ロシア陸軍第1極東軍団が連合軍第1軍を再び朝鮮側に押し戻すべく行動を開始、航空機の攻撃を避ける為に夜襲による攻撃を行ってきた。

第1軍はこれに対して突貫で設営した機関銃陣地や急いで配置させた砲兵隊を使い対応する。
この時の第1軍には彼の銃器設計の天才、ジョン・ブローニングと日本のHENTAI達が日本帝国海軍省の依頼を受け完成させていた83式重機関銃(史実M2)や92式汎用機関銃(MG42)などの機関銃が十分な数配備されており、これらを防衛戦闘の主軸して運用し、さらに日米の火力優勢ドクトリンに基づいて整備されていた砲兵による圧倒的な火力を活かして三度に渡るロシア軍の夜襲を全て撃退する事に成功する。

しかし、この戦いはまさに激戦と言う言葉が形をなしたかの様な戦いであり、日米連合軍が敗北しかけた場面は幾度かあった。特に二日目の夜戦ではロシア軍に機関銃陣地の死角を突破され、危うく防衛線が崩壊されかけた。幸い、即座にパーシング中将直轄の予備部隊を送り込こみ穴を埋める事はできたものの、それでも一時的に指揮に混乱きたし、非常に危険は状態におちいった。

一連の戦いで第1極東軍団はその戦力を大きく減らす事になり、10月24日にはこれ以上の戦闘は不可能として遼陽方面に撤退を決定する。しかし、航空攻撃による撤退の妨害と正面にいる第1軍による追撃が予想されたため、現状での撤退は困難として、航空機が飛んでこないと考えられる天候の悪化をまちつつ、小規模での夜襲を繰り返し行う事になる。そして、3日たった10月27日についに天候が雨へとかわる。これを受け第1極東軍団は遼陽方面への撤退を開始する。

この動きは巧妙に隠されたため連合軍は察知することができなかった。
もっとも出来たとしても天候の悪化によって空からの攻撃ができず、追撃が可能な位置にいた第1軍は予想以上のロシア軍の攻勢により弾薬の備蓄が危険値まで低下していた事や損害が多数いたことから追撃を断念せざるをえなかっただろうが。

そうしてろくな妨害を受けずに遼陽まで撤退する事に成功した第1極東軍団は部隊の再編を開始した。
また、これと同時に極東総督である第2・第3極東軍団も遼陽に集結させ、次の会戦に備えての準備を開始し始める。

この戦いの後に、ロシア極東総督府およびロシア政府と連合軍朝鮮総司令部、日本政府、アメリカ政府はそれぞれが自軍の勝利を宣言した。
国際社会は当然ながら満州側への進出に成功し、ロシア第1極東軍団を撤退させた連合軍の勝利と見なし、それまで振るわなかった日米の戦争国債の販売が一気に進んでいくことになる。

日本国内では夢幻会がマスコミに圧力を加え、国民への影響力は精々現政権の支持率が上がり、戦争への協力がより一層進む程度で済んだものの、言論の自由を公言していたアメリカ合衆国ではそうにもいかず、この勝利はイエローペーパーによって大きな誇張が加えられ広まっていく。さらにニュース映画による連合軍(日本海軍)の圧倒的な勝利がアメリカの世論を熱中させ、これによりアメリカ人が我も続けと軍に志願し始めたり、議会で戦争に必要な臨時予算が早急に可決されるなど戦争に利する効果も否定はできないが、これによって後々に悪い影響を与えていく。

459: ホワイトベアー :2022/08/01(月) 22:32:03 HOST:sp49-97-107-125.msc.spmode.ne.jp
また、この戦いにおける日米連合軍の勝利は清国に1つの決断を行わせる。
そう、遼東半島における日米の軍事通行権の容認である。もともと、日米は開戦前から清国に対して遼東半島における軍事通行権の容認を求めていたが、当時の清国では日米の軍事力に疑問を呈する高官も多くおり、ロシアによる介入を招きかねないこの要求を明確に拒否していた。
開戦後の海軍による太平洋艦隊の封殺やナホトカ戦隊の撃滅後も陸軍力への疑問は絶えずあり、その後も拒否の姿勢をとっていたが、この鴨緑江会戦での勝利が清国の行動を180度転換させ、日米連合軍への本格的な協力を取り始めていく。
その一環として行われたのがこの遼東半島における軍事通行権の容認であったのだ。

これを受けた連合軍朝鮮総司令部はただちに朝鮮で待機していた第2軍(司令官 黒木為楨 陸軍大将)および第3軍(司令官 乃木 希典 陸軍大将)を大連に送り込み、遼陽に向けて北進を開始。
これと同時に第1軍をこれまで朝鮮に待機させていた第4軍(司令官 奥保鞏 陸軍大将)と第5軍(司令官 織田 信和 海軍大将)を合流させ第1軍集団を編成、遼陽に向け進軍を開始させる。

ロシア軍は突然、側面から北上してきている第2軍・第3軍を迎撃するべく遼陽にいるシベリア第1軍団を迎撃に向かわせ、その援護の為に奉天に待機させていたシベリア第2軍団の派遣も決定し、即座に送り込んだ。

そして、先発していた連合軍第2軍とロシア軍シベリア第1軍団が11月8日に大石橋にて衝突する。
この時、大石橋にはロシア軍が陣取っており、大石橋北東の丘陵地帯に砲兵陣地を敷いて連合軍第2軍を待ち構えていた。
そして、第2軍が砲の射程圏内に入るや否や猛烈な砲撃をもってこれを歓迎する。この砲撃によって第2軍は進軍の停止を余儀なくされ、一時的にではあるが砲の射程範囲外まで退却する。その後、砲撃戦を繰り広げるが、単独でのロシア軍への攻撃は危険だとして朝鮮に待機させていた航空部隊に援護を要請し、翌日の早朝に航空部隊の事前攻撃の後に再び攻撃をかける事を決定、その準備を開始し始める。

しかし、大石橋にいたシベリア第1軍団は連合軍の待避を確認するや否や、即座に撤退を実施、再攻撃を仕掛ける前の偵察によりこの攻撃は中止され、日米連合軍はロシア軍の撃破には失敗するものの、少ない犠牲で大石橋を占領することに成功した。

こうして、両軍は遼陽決戦と呼ばれる一大会戦へと向かっていった。

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最終更新:2022年08月06日 10:19