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日米枢軸ルート 第16話 改訂版

遼陽で歴史的大敗北をきっしたロシア帝国であったが、彼らは未だに戦争を終わらすつもりはなく、満州総軍の建て直しと優位に立ちつつあった連合軍への反抗をおこなうために捕虜となったクロパトキン大将の後任として猛将として名高いオスカル・グリッペンベルク大将を満州に派遣、彼に実質的ではあるが戦争に関する全指揮権を渡した。

サンクトペテルブルクからの命令を受けて満州の地を踏んだグリッペンベルク大将を待っていたのは先の会戦での大敗により多くの装備や兵士をったもののいまだに高い戦意を保っていた満州総軍の兵士達や将軍達であり、
満州総軍の士気が予想より高い事に歓喜したグリッペンベルグ大将は「これ以上の後退は許さない」という堂々した訓示を行い連合軍に対する反攻をこの冬季中に行うことを決意する。

とは言え、彼自身もそれまでの報告や現地で得た生の情報から連合軍主力に対して決戦を挑むのは無謀ということは当然わかっていた。

そこでリッペンベルグ大将はまずは連合軍の兵站を圧迫し、少しでも彼我の戦力差を縮めるために騎兵部隊による日米連合軍後方の襲撃を計画、
ロシア満州総軍司令部にパーヴェル・ミシチェンコ中将を呼び出し、彼が指揮する独立ザカスピ・コサック旅団を中心とした騎兵部隊に対して連合軍の一大兵站拠点となっていた営口の強襲を命令した。

リッペンベルグの命令を受けたミシチェンコ将軍は18日に彼が率いる軍勢とともに奉天を出発。
この時のロシア軍は運命の女神に微笑まれていたのか天候の助けもあり、20日には連合軍に察知されずに営口付近まで到着することに成功し、これを活かして奇襲攻撃をしかけた。
日米連合軍にとってこのときの営口はすでに安全な後方地帯という認識であり、少数の守備部隊しか戦闘準備が整っていなかったこともあって連合軍の兵坦拠点である営口に甚大な被害を与える事に成功。これにより連合軍の補給は一時的にではあるが麻痺(途絶えた訳ではない)してしまう。

そして、ロシア軍はこの攻撃で連合軍の防衛線左翼の戦力が比較的低いことの確認も成功、威力偵察としての任務も無事はたした。

帰還したミシチェンコ将軍からの報告を受けたグリッペンベルグ大将はこの好機を逃すまいと連合軍に対する反攻を決意、満州総軍のほぼ全軍に出撃を命令する。

このロシア軍の奇襲の標的となったのが奉天西方にて防衛線を展開しつつあった第5軍、厳密に言えば伊藤泰一海軍中将が指揮を海軍第2陸戦師団であった。

この時の連合軍はその大軍を支える為の補給線構築に全力を注いでおり、遼陽陥落後は沙河に陣地による防衛線を敷き、その進軍を一時的にではあるが停止させていた。その防衛線の最西部を守っていたのがこの第2陸戦師団であり、ロシア軍は最悪でも即座に奉天まで撤退できる可能性が高い本師団を反抗作戦の標的と定めた。

対する連合軍であるが、結論から言うならば彼らはロシア軍の行動に対して後手後手に回ってしまう。

ミシチェンコ将軍による営口攻撃はその被害の規模から連合軍総司令部にも当然は伝わっており、さらに彼らの偵察活動を察知した現地部隊から「敵の前哨活動が活発である。何か大作戦の予兆あり」という報告も総司令部に送られた。

しかし、続く勝利と圧倒的戦力差から事態を楽観視していた連合軍総司令部はこのロシア軍の行動を再度の威力偵察兼時間稼ぎと考え、営口の防衛を固めるのと同時に麻痺した補給の回復には力をいれるものの、それ以上の行動は精々警戒網を厳重にする以外取らなかったのだ。

ロシア軍の大軍が奉天を出発した時もこの動きは変わらず、持ち前の航空戦力によって行動はある程度把握しており、大日本帝国統合情報局、大日本帝国海軍省情報部などのインテリジェンス組織や前線部隊の第5軍司令部参謀第2部からロシア軍が冬季攻勢をする可能性が大きく、その目標は比較的防備の低い防衛線最左翼であろうといった報告を連合軍総司令部に送られていた。

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そうであるにも関わらず、連合軍司令部総参謀長児玉源太郎大将から絶大な信頼を得ていた松川 敏胤大佐や自称帝国陸軍屈指のロシア通であった田中義一少佐などの連合軍総司令部の参謀達は、
《こんな厳冬な時にただでさえ先の会戦で全軍の半数を失い装備の補充すら難しいロシア軍が攻勢にでることはないだろうという》《常識的に考えれば本国から守勢に回らざるをえないだろう》
という自分達が持つ常識から冬季攻勢の可能性を完全に無いと考え、これらの情報を無視し、冬が開けしだい開始する予定であった奉天決戦への備えに注力し続けてしまう。

その後も海軍海兵隊を中心とした第5軍は何度も航空偵察や威力偵察を行い連合軍総司令部に《近いうちに敵の大規模な攻撃の可能性大》と警告し続けるが、松川大佐をはじめとした参謀達は陸大出身者独特の海軍大学校卒の指揮官を馬鹿にする風潮もあり、これを無視し続けてしまう。

いくら装備面で圧倒的に優勢な状態とはいえ、たかが1個師団で迫りくるロシア軍の大軍を単独で撃退することは不可能なことは明白である。

そうであるのに楽観的に事態を考え、援軍を送らずに第2陸戦師団のみでの防衛を命令してくる連合軍司令部に対して第2陸戦師団の将兵達はあらん限りの罵倒を抱きながら、援軍が到着するまで敵を押し止める事を目的として黒溝台や沈旦堡などの4ヶ所に無線システムを有する防衛拠点を突貫で構築。
師団を臨時第201陸戦戦闘団、臨時第202陸戦戦闘団、臨時第203陸戦戦闘団、臨時第204陸戦戦闘団の4つの戦闘団に分け、黒溝台に臨時第202陸戦戦闘団、沈旦堡に臨時第203陸戦戦闘団、韓山屯に臨時第204陸戦戦闘団、李大人屯に師団主力を兼ねる臨時第201陸戦戦闘団と師団司令部を配置するなど迎撃の準備を整えていく。

そうして12月23日、伊藤中将を含めた第5軍や政府が恐れていた事態が現実となり、ロシア満州総軍が到来、伊藤中将率いる第2陸戦師団2万はグリッペンベルグ大将率いる1個軍団15万による総攻撃を一身に受けることになった。

第2陸戦師団は接敵と同時に第5軍司令部および総司令部に増援を要請、援軍の到着までの時間を稼ぐべく拠点に籠っての防衛戦を開始する。

この要請を受けた第5軍と総司令部の反応は正反対となる。第5軍は沙河全域でのロシア軍の活動が活発化し、一部では小規模な戦闘が始まっている所もあるという状況であったが、それでも持てる全予備戦力を第2陸戦師団の救援に向かわせる事を即座に決定、予備戦力として待機していた3個陸戦混成旅団と1個陸戦砲兵旅団を統合した海兵隊臨時混成部隊を編成し、第2陸戦師団の救援に向かわせる。

一方の連合軍総司令部は、いまだにこの攻撃をロシア軍の威力偵察と見ており、現有戦力で十分に対処可能と判断、一応念の為として予備戦力として位置付けていた第2軍の第12歩兵師団を向かわせるが、それで押し返す事は可能と思い込んでしまっていた。

この頃には第2陸戦師団が築いた防衛拠点には地平線を埋め尽くさんばかりのロシア軍が押し寄せており、どこも”雪の中"を双方の銃砲弾が飛び交うという状況にあった。

そう、この時の戦場であった黒溝台方面では雪が降っており、航空機による支援や偵察が不可能なことも合わさりこの状況が生まれてしまったのだ。

戦闘開始から1日たった24日、圧倒的なまでに不利な状況で第2陸戦師団が防衛戦を展開しているなか、援軍として送られてきた第12歩兵師団と海軍海兵隊臨時混成部隊が狼洞溝付近に集結する。

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この時、第12歩兵師団参謀長 由比光衛大佐は第12歩兵師団と第2陸戦師団、そして海兵隊臨時混成部隊のみでは4箇所の防衛拠点を維持することが難しいとして、猛攻撃を受けて4拠点の中ではもっとも被害の大きかった黒溝台を一時的に放棄する事を発案。
第12歩兵師団司令部はこれを受けて黒溝台を守る臨時第戦闘団に退却を命令する。命令を受けた臨時第202陸戦戦闘団司令部は命令の撤回を求めるが、連合軍総司令部の命令だとして再度命令され、日没と同時に撤退を開始し、黒溝台は陥落してしまう。

そして、翌日の25日、第12歩兵師団が黒溝台への攻撃を行おうとしたのとほぼ同時にロシア軍の攻勢にあい、黒溝台の奪還どころか沈旦堡の救援すらできない状況に陥ってしまった。当然、ロシア軍がこれにより生まれた時間的な猶予と黒溝台に第2陸戦師団が築いた防衛陣地を活かさないわけもなく、
黒溝台は再構築されロシア軍の拠点陣地として活用されてしまう。

さらに南方では営口を強襲したミーシチェンコ騎兵団の襲撃によって五家子の守備隊が蘇麻堡へ退却、牛居の歩兵部隊も柊二堡へ退却させられ、臨時第202陸戦戦闘団が守備する沈旦堡や臨時第203陸戦戦闘団が守備する三岳が完全に包囲されるなど各戦域で苦戦が続くことになる。

時ここに至り連合軍総司令部もようやくロシア軍が攻勢に打って出たことを認識、大慌てで予備戦力であった第2軍の全軍を黒溝台に送り込むと同時に、第1軍をロシア軍の牽制攻撃が行われている前線に援軍として送り込む。しかし、両軍ともに遼陽にて待機していた事もあり、いまだしばらくは黒溝台方面は3個師団で耐えなければならなかった。

戦闘開始から四日後の26日には海兵隊臨時混成部隊と沈旦堡、三岳に籠る第2陸戦師団の臨時陸戦戦闘団が協力しこれらの拠点を包囲しているロシア軍に攻撃をしかけ、その包囲を解くことに成功、日本軍は両拠点の陥落と言う最悪の事態を避けることができた。また第12歩兵師団がミーシチェンコ騎兵団に対抗する為に戦力の1/4を戦線南方に派遣し、これ以上のミーシチェンコ騎兵団の進撃遅らせる事には成功するなど局地局地では建て直しているように見えたが、全体としてはの依然として戦況は連合軍にとって不利であった。

当然であるが、ロシア軍もただで拠点への包囲を解いたわけではなく、その代償として海兵隊臨時混成部隊に大打撃を与えることに成功している。また、第12歩兵師団主力と海兵隊臨時第201陸戦戦闘団は攻勢を仕掛けてきていたロシア軍をなんとか撃退することに成功するが、こちらも無視できない損害を出しており、黒溝台奪還は増援の到着までは延期する事になる。

第2陸戦師団主力がいる李大人屯でもロシア軍の激しい攻勢を受けており、師団主力は拘束されてしまっていた。なんとかこれを撃退し各戦線を支援したいと伊藤中将は考えていたが、こちらもそれどころではなくひたすら防戦を繰り広げるしかなかった。

そして、12月27日、あと一方でこの戦いに勝てる状況であったグリッペンベルグ大将であったが、連合軍主力の動きを察知すると、これ以上の戦闘の継続は不利益しかもたらさないと判断、部隊を徐々にであるが撤退させ始める。

この動きは戦線にいた連合軍も把握していたが、この戦いで特に大きな損害を出すことになった第2陸戦師団はこのときまでに師団の60%を喪失、戦場全体でも2万近くの被害を出してしまっていた日本軍には、もはやロシア軍を追撃する余裕はなかった。

対するロシア軍は約3万5千ほどの犠牲者を出し、結局徒労におわると言う結果であったが、それまで一方的な敗北続きであった連合軍との戦いで勝利の目前までいったと言う事実は彼らの士気をあげることに成功する。また、この戦いとその前哨戦であったミーシチェンコ騎兵団による営口強襲に対する責任追及と更迭に伴い連合軍総司令部内で激しい人事転換が行われ、連合軍による奉天攻撃を遅らせると言う副次的な戦果も得ることなる。

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最終更新:2022年09月27日 22:58