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銀河連合日本×神崎島 ネタ とあるイゼイラ人の手記というかトーラルネットワーク上のブログ


母国イゼイラ、いやここでは母星というべきか。
その母なる星を離れてよくもまあ遠くへと来たものである。

ここは惑星ハルマ・ヤルマルティア、いやここは現地の言葉で言うべきであろう。
惑星地球・神崎島鎮守府、ここが私が現在暮らしている地である。
そして私の住まいであるがその神崎島の中でも一番大きな都市、神崎市の軍港街の場末のアパートメントの一室である。

アパートメントと言ってもティエルクマスカ国民諸君には分からないかもしれないが
簡単に言ってしまえば貨幣の授受によって一定期間の居住権を得る事ができる部屋が複数個集まって構成される建物のことである。

母国イゼイラの生家に比べれば粗末で狭いといえる現在の我が家であるが、
自分が汗水流して働いて得た貨幣を元手にウンウンと懐と相談しながら悩みに悩んで決めたという行動そのものが新鮮であった。
これも一足飛びに技術が進歩してしまった我がティエルクマスカでは経験出来ないことである。
そのようなわけで私はこの発達過程文明の醍醐味といえる安いアパートメントを実に気に入っているのである。

ちなみにこんな私は鎮守府の工廠にて工員として働く軍人である。
ヤルバーンの一職員でしかなかった私が工員とはいえ日本と神崎島を守る軍人の一人なのである。
父や母、故郷イゼイラの家族に報告をしたら大層喜んでくれた。
これが故郷に錦を飾るということか。


そんな私の住まいであるが様々な水上軍用艦艇の写真(カメラと呼ばれる機器でフィルムと呼ばれる媒体に記録した画像を専用の用紙にさらに転写したもの)が額縁に入り飾られ、
本棚の上にはかの有名な軍艦(軍用艦艇の略)戦艦『大和』と航空戦艦『扶桑』の模型が鎮座し、
戦艦『比叡』の改修完了記念の小さな軍艦旗(地球において軍艦が所属している海軍を示す旗)と万年筆(地球の筆記具筆記具)が机上のズイウーン形の筆立てに立っている。

写真の方は神崎島に来てから趣味となった完全機械式フィルムカメラで、これまた趣味となった軍港巡りの際に軍艦の撮影をしたものだ。
発達過程文明の日本においてはデジタル式カメラ(画像をデータとして扱うもの)が現在の主流であるが実に嘆かわしいことである。
それならばゼルクォートの撮影機能を使えばデジタル式の画像など幾らでも同じことが可能なのでそちらで十分だ。
その点機械式カメラは実に良い、撮影手順が全て己の手作業でありフィルムを現像(写真にすること)するまでどのような画像がとれたのかわからないワクワクがある。

我が愛機、神崎光学工業製ニコンSPもそんな完全機械式のカメラの一つでありかつては日本本土でも製造されていた機種の一つである。
本土の開発元から許諾を得て現在も生産が行われ世界中の機械式カメラ愛好家から注文が殺到していててんてこ舞いだそうな。


本棚に飾られている二隻の軍艦模型、大和と扶桑であるがこれは私が両艦へ乗艦する機会がありその記念として作り上げたものである。
最初は全て手作りでと意気込んで製作に取り掛かったのであるがあえなく挫折。
そんな私に神崎島での同僚の妖精が日本の模型メーカーが総力戦で作り上げたプラスチック模型を勧めてくれた。
はめ込み式で初心者でも作りやすいために入門として最適であるそうな。
実際作りやすかった(小並感)。

さて私が両艦に乗り込んだ経緯を説明しようと思う。
まず大和であるが東京条約調印の後に神崎提督のご厚意により我々ヤルバーン乗員は調印の舞台となった大和乗艦の栄誉を預かることとなった。
自分達も関わったことであるので皆大興奮であったが、さすがにヤルバーン乗員全員というのはあまりにも虫がよすぎるのではないかという話に至った。
ヤルバーンへ日本人を招待した折も人数制限を設けてたのである、流石に自分達だけ特別扱いというのは皆気が引けた。

そこで平等に抽選と相成ったのであるが、悲喜こもごも、笑いあり涙ありであり、
皆が自分の抽選番号とヤルバーンの広場に掲示された当選番号とをにらめっこしていたのであった。
日本人の知人曰く高校受験や大学時代のようだということだ。
ちなみに私は諸君の予想通り当選していた。

930: 635 :2019/05/28(火) 17:31:46 HOST:p1898232-ipbf412souka.saitama.ocn.ne.jp

そうして意気揚々と大和へ乗艦した私であったがその存在に圧倒された。
ティエルクマスカ国民諸君は疑問に思うだろう、大和の大きさは地球の長さの単位で500メートル未満である。
地球で標準的な水上艦艇からすれば十分に大きいがティエルクマスカ基準で考えれば精々機動巡航艦サイズであろう。
ティエルクマスカの1000メートルを優に超える艦艇に見なれた諸君からすれば大した大きさではないと感じるかもしれない、
だが考えてみて欲しい、彼ら鎮守府の人々は機動巡航艦サイズの艦艇をハイクァーンなしに作り上げたのだ。
それがどれだけ驚嘆すべきものか分からぬティエルクマスカ国民はいないだろう。

戦艦大和、その存在そのものに心を奪われてしまった私は神崎島での就業が可能になるといの一番に艦艇の整備、建造に関わる鎮守府工廠で働くことを希望し、
現在では鎮守府の一工員として充実した毎日を送らせて頂いている。

扶桑に関しては皆様ご存知のティエルクマスカのズイウーン、扶桑にはその試験の支援の為に乗り込んでいたのである。
あの時の感動は言うまでもない。一瞬落下したかと思ったズイウーンがふわりと浮かび上がったその勇姿を生涯忘れることはないだろう。
ズイウーン試験従事者に与えられた紋章は私の誇りである。

そして比叡の改修記念の軍艦旗と万年筆、これは日本が戦艦(日本では打撃護衛艦とよばれているが)を取得するために乗員が必要となり
その艤装技術の実証と練習艦の必要性からかつて練習戦艦であった比叡がその改修対象となりその改修完了記念式典にて配布されたものである。
実は私も一工員として比叡の改修に参加する機会を頂けた。
比叡に使われた技術の大半はヤル研で生み出されたものであるそうで知人のイゼイラ人は流石発達過程文明と言っていた。
しかしその際に知り合いの日本人があいつら可変戦闘機を生み出す気だったと言っていた、可変戦闘機とはなんだろうか?
可変というからには形が変化するのだろうが戦闘機のどこが変化するのだろう?
私の知る限り主翼が変化する戦闘機や噴式エンジンの噴射方向が変化するものを可変戦闘機とは呼ばないのだが、
これは発達過程文明調査部署にさらなる調査を求めるべき案件であろう、もしかしたら新しい発見があるかもしれない。


気が付いたら文章の大半が私の部屋で飾られている物の由来の紹介だけで終わっていることに気づいた。
日本人の友人に読んで貰ったらブログ(地球のネットワーク上で意見や体験したことを好きに書き込むもの)なんてそんなものだという意見を頂いたので
このままネットワーク上に上げたいと思う。
機会があれば次も文を上げようと思うので楽しんでくれている方がいれば気長に待っていて欲しい。

931: 635 :2019/05/28(火) 17:36:39 HOST:p1898232-ipbf412souka.saitama.ocn.ne.jp
以上になります。
転載はご自由にどうぞ。
牧野信一氏の緑の軍港等を読んでいたらイゼイラ人が手記を書いたらどうなるのだろうと考えたらネタが浮かびました。
牧野信一の作品は青空文庫で読めますので気になる方は読んでみて下さい。
ちなみに緑の軍港は昭和10年の作品らしいです。

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最終更新:2019年05月30日 20:06