989: 名無しさん :2019/06/13(木) 14:43:56 HOST:softbank126077075064.bbtec.net
ハニワ一号氏に許可を取ってきてたので透過させていただきます。

日墨同君連合ネタ
1905年
「うん、ここは…」青年が目を覚ますと、それに気づいた軍医が青年に話しかけた。
「気がついたかね?ここは和泉の治療室だ。君は負傷して担ぎ込まれたんだ。ああ、体はあまり、動かさない方が…聞いているのかね?」
「え、ええ…」
軍医の説明を半ば聞き流していた青年の顔から何故か急速に血の気が引いている。おそらく、貧血だろうと判断した軍医は手早く処置をして青年を再び寝かせた。
だが、青年の顔から血の気が引いた原因は貧血ではなかった。青年に憑依した新たな人格が原因だった。
(なんなんだ、この日本墨西哥同君連合っていうのは⁉︎しかもなんか日本がデカイし、メキシコとゲートで繋がってるし、一体どうなってるんだぁー)青年は治療室の中で悶えていた。青年の名は嶋田繁太郎、後に日本墨西哥同君連合の総理大臣となる男だった。

日本墨西哥同君連合、いわゆる日本メキシコ二重帝国は1821年のメキシコ独立とほぼ同時期のゲートの出現によって生まれたと言える。
1821年にウェイテオカリ、スペイン語でテンプロマヨールと言われるアステカの大神殿跡から巨大な鏡のような物体が出現。同時期の日本大陸にも同じ物体が出現した。
1822年に入ると鏡のようだった表面が透過し、日本とメキシコが繋がったことがわかった。当時摂政を名乗りメキシコを治めていたイトゥルビデは日本に使節を送り、
天皇を戴くかたちでの日本との同君連合を提案、日本側もこれを受け入れる。一説には両国を影で動かしていた秘密結社同士の協議の結果だとも言われるが詳細は不明。
1848年、国境での小競り合いから始まった第一次米墨戦争に日本軍も参戦。日本軍と日本側によって強化されたメキシコ軍相手に米軍は敗退を重ねる。
ザカリー・テイラー将軍指揮のもと独立戦争以来の名門であるロバート・リー、更にトーマス・ジャクソンやジョージ・マクレランといった若手を抜擢したなりふり構わない形での撤退戦が成功を収めた以外は米軍による目立った戦果はなかった。
この敗北はかえってアメリカの団結を高める結果となった。

990: 名無しさん :2019/06/13(木) 15:19:01 HOST:softbank126077075064.bbtec.net
1864年大政奉還により日本メキシコ同君連合の樹立が正式に宣言される。
1895年日清戦争。日本は清国より賠償金を得るも、遼東半島については返還するようにアメリカ、ロシアなどから抗議。日本は黙殺。
1900年、義和団事件。各国軍が交戦する中ロシアは義和団のいない満州やモンゴル、さらには朝鮮の一部に兵を出し一部は拠点化。日露関係緊張。アメリカでは日本とメキシコを牽制でき、リターンも見込めるロシアへの投資ブーム。
1904年日露戦争。ロシアからの奇襲により開戦。ロシア軍がなだれ込んだ旅順では激しい攻防が続くも最終的に日本が勝利。メキシコ軍も加えた反撃で沿海州を占領。ロシア国債が値下がりし始める。
これに危機感を抱いたアメリカ、日本の注意がロシアに集中し、メキシコが手薄になったことも相まって開戦論が浮上。ベラクルス沖での装甲艦メインの爆沈を理由に対日墨宣戦。

991: 名無しさん :2019/06/13(木) 15:19:56 HOST:softbank126077075064.bbtec.net
投下終了です。あまり良い出来じゃないですね。精進せねば

タグ:

+ タグ編集
  • タグ:

このサイトはreCAPTCHAによって保護されており、Googleの プライバシーポリシー利用規約 が適用されます。

最終更新:2019年06月16日 20:34