323:ホワイトベアー:2022/12/21(水) 21:51:35 HOST:om126166236206.28.openmobile.ne.jp
日米枢軸ネタ 第19話改定版

満州戦争における日米連合軍の勝利によってロシアの東アジアにおける影響力は大きな低下を余儀なくされ、それにとって変わる形で日米は自身の東アジアにおける影響力を拡大、東アジア・太平洋地域での確固たる主導権を握ることに成功した。

満州戦争後の日米はロシアを撃退する形で占領統治を実施していた満州を正式に清国に返還するべく漢城条約を締結。
この条約により公的には満州の行政権は清国に戻ってくることになるが、その対価として清国は日米に満州における独占的鉄道運営権や満州にある鉱山の租借、大連の租借、満州での日米企業および個人事業主に対する免税特権、遼東半島への軍の駐屯などの権益を認めたため、実質的に満州は日米の勢力圏内におかれることになった。

当時の清国にはロシアの侵攻や満州戦争で荒廃した満州を単独で復興させるだけの力も、日米に対価無しで満州を返還してもらえるだけの力も存在せず、早期に満州を返還してもらい、戦禍に焼かれた満州を復興させるためには日米の資本を入れるしかないなかったのだ。

これによって日米は満州を新たな市場として獲得するだけではなく、満州を通じて清国とロシアという新たなる市場への本格的な参入を果たすことが可能となり、日本は長年の仮想敵国である中華の分断を煽る拠点兼大陸勢力への防波堤を手に入れ、アメリカの資本家達は長年の夢であった中国市場の門戸を開くことができた。

日米が新たに手に入れた満州利権で特に注目したのは戦争前にロシアが完成させた東清鉄道であった。
この鉄道はシベリア鉄道を通して欧州とも連結しているため、鉄道と船による世界的な物流ネットワーク(アーシアン・リング)の構築を狙っている日米両国や日米両国の戦時国債をひたすら買い漁ったイギリスにとっては非常に魅力的な戦利品で、アメリカ資本や日本資本、英国資本はユーラシアを横断できる鉄道という非常に有益な投資先を手にいれることができた。

こうした流れの中、日本資本と共同でアメリカ大陸横断鉄道を敷設し、アメリカの鉄道王にまで成り上がったエドワード・ハリマンは、東清鉄道を押さえている日米両国政府への積極的なロビー活動を展開。
最終的にはハリマンの構想が通り、『東清鉄道』は1905年8月までに『満州鉄道株式会社』に再編され、その株は日米両国がそれぞれ4.5ずつ、満州戦争時に日米連合軍側についたイギリスが0.8、土地を提供する清国が0.2と言う割合で分配された上で資本金六億の多国間企業として再出発していくことになった。

この『満州鉄道株式会社』は『満鉄』と言う通称で呼ばれることになり、その本社は満州戦争の終結によって解散する予定であった連合軍満州総軍総司令部の後継組織として発足した連合軍満州方面軍司令部がおかれる大連に設置された。
これは有事・平時を問わずに日米連合軍と満鉄の協力を円滑にするためのもので、未だに治安が安定しない満州において満鉄の安全性を担保すると同時に日米は他の列強の参入こそ許すものの満鉄を手放すつもりは毛頭ないとのメッセージを示すために同地が選ばれたのだ。

満鉄は軍事力と生産力を日本が提供し、アメリカは資本を、労働力は清国が提供し、現地で不足する資源はイギリスやフランス、ロシアが提供するといったようにその経営に必要なものを複数の列強が分担して提供するという極めて斬新な形がとられた。
当時は列強によって世界の分割が終わったばかりの時代で、それ故に利権を共同歩調で発展させていくという満鉄の体制は列強にとっては貴重なモデルケースとして、満鉄は創業前から世界各地からの注目を集める。

国際的にも類を見ない独創的な形態ゆえに多くの期待と多少の不安の下に営業を開始した満鉄であったが、経営陣が優秀だったことや良くも悪くも日本の影響力が強く、船頭が多くならずに済んだことなどもあって爆発的な発展を遂げていった。

満州全体を事実上の利権として確保した日米は満鉄を通して莫大な円やドルを満州に投じていき、満州各地では満鉄の支線の延長や満州と華北を結ぶ新たな独自路線の開発といった新事業やそれらと連動して各港湾施設や道路網の整備等が次々と開始されていく。
インフラの整備に合わせるように満鉄沿線地域の開発も急速に進められ、満鉄本社の置かれている大連は勿論、戦火に焼かれた奉天や長春、営口などを含めた満州の主要都市は前近代的な風景を僅かなうちに塗り替えていき、近代的な都市として変貌を遂げていった。

324:ホワイトベアー:2022/12/21(水) 21:52:07 HOST:om126166236206.28.openmobile.ne.jp
満鉄の線路延長や新規の独自路線の敷設工事、平行路線の敷設工事、満州各地での開発ラッシュなどで必要な資材や重機は清国にもっとも近い列強であり、
世界でも最大の工業力を誇る大日本帝国から提供されていくのだが、当時は日本本土でもアメリカ市民戦争後に整備された社会インフラの更新時期を迎えており、それらを更新するために莫大な予算が投じられて大規模な社会インフラの再整備や東海道新幹線や東名高速道路といった大都市間の高速交通網の建設が行われていた。

流石の日本の工業力を持ってしても双方の需要を同時並行で賄うことは厳しく、日本国内では拡大するばかりの需要に答えるべく生産施設等への設備投資や雇用の拡大が各地で行われていった。
開発ラッシュによる需要の拡大と大規模な消費は戦争や戦後の混乱で成長が不安視されていた日本経済のカンフル剤としての役割を果たすことになり、日本の経済は停滞を迎えるどころか好景気を維持し続けていくことができた。

景気の好転により日本社会の変化のスピードをさらに進んでいくことなる。
日本では1880年代から段階的に年金制度の構築や雇用保険、医療保険による国民皆保険体制の整備が進められ、20世紀初頭頃には社会全体での生活の安定感が目に見えて向上。
政府の整備した各種制度によって日本国内では将来への不安も大きく低下し、経済成長による正社員雇用の増加と賃金の上昇による国民の可処分所得の増加も合わさって日本の市場規模は大きく拡大する。

そこに1860年代から急速に進んだモータリゼーションによる流通網の発展と、大量生産技術の本格的な導入が民需市場でも次々とおこなわれていったことによってこれまでは上流階級や中流階級のなかでも上澄みにしか手の届かなかった乗用車やテレビ、冷蔵庫、洗濯機などを始めとしたいわゆる耐久消費財の価格が大半の庶民にも手の届くところまで低下したことも合わさり、
1910年頃までにはこれらの耐久消費財は持っていない家庭のほうが少ないほどには日本国内で広く普及し、日本は他国より早く成熟した大量生産大量消費社会へと発展を遂げていく。

325:ホワイトベアー:2022/12/21(水) 21:52:40 HOST:om126166236206.28.openmobile.ne.jp
日本は大量消費社会としてその経済規模を拡大させていく一方で、自国の資源は極力温存する方針を採用していた。
その結果、日本の経済活動を支える各種資源は国外からの輸入がその大半を占めることになり、その主要資源供給国となったのがアメリカ合衆国であった。

当時のアメリカ合衆国は、市民戦争終結後に戦中の日本からの各種支援や援軍、アメリカ合衆国本土防衛のために戦争終結後にも引き続き日本軍にアメリカ合衆国本土に駐留し続けて貰うことの対価として国内市場への日系資本の無制限での参入を認めていた。
日本側はその特権と転生者達によるカンニングをフル活用して南北戦争前に見つかっていなかった鉱脈や今だに価値の低い油田などを次々と確保し、アメリカ合衆国国内に地下資源関連の権益を多く有していたため政治的にも経済的にも安価かつ安全な取引先として考えられていたのだ。
また、西暦1880年代に開通したパナマ運河によって日本本土とアメリカ東海岸の距離が大幅に縮まったこともこの流れを加速させる。

日本の経済が発展すればするほど消費する資源の量も増加していくため、日本資本の所有するアメリカ合衆国国内の鉱山や油田などではその生産量を拡大させるために大規模な設備投資が定期的に行なわれていった。
また、日本側はワシントンDCや各州の有力者に金をばらまくことで油田や鉱山町と港湾を結ぶパイプラインや鉄道等の輸送インフラ、ヒューストン港などの主要な貿易港の港湾機能および港湾施設の拡充や整備、運営に関する契約を短時間で成立させていき、輸送インフラの整備にも大規模な投資を実施していった。
こうした結果、西部や南部での鉱業労働者は年々増加の一途を辿り、1890年代までには連邦政府主導で発展させていた農牧業と合わせて西部および南部の経済の中心となるほどにはその規模を拡大させる。

両地域の発展は当然ながらアメリカ合衆国国内市場の拡大にも繋がり、アメリカ国内での需要拡大はアメリカ経済に参入していた、もしくは参入を検討していた日本資本をさらに刺激し、日本資本によるアメリカへの投資の拡大させていった。

資源系は言わずもがな、工業系資本も日本本土で製造した製品を太平洋をまたいでアメリカに輸出するよりも、アメリカ国内での調達が難しいものだけ日本本土から輸出してアメリカ国内で調達できるものはアメリカ国内で調達、それらをアメリカ国内で組み立てたほうがコストを安く抑えられると判断、大規模な資本をアメリカに投下して五大湖を中心とした北部に次々と工場や製鉄所などを建設していき、アメリカ国内に大規模な雇用を生み出していった。
逆説的に言えばアメリカ国内で不足する工業製品等は日本に発注されることになり、アメリカの経済成長は日本経済にも少なくない恩恵をもたらした。

西部開拓に南部再建による需要の拡大、それらによるアメリカ北部への投資の増加と雇用の拡大はアメリカ経済に正のサイクルをもたらし、西部開拓期のアメリカは金ぴか時代と呼ばれる建国以来最大の好景気に湧くことになる。

これは1890年のフロンティアの消滅によってある程度の沈静化を見るが、それでも日本での大量消費社会の発展による資源バブルや西部開拓時から本格化した労働者層(ブルーカラー)の所得向上によるアメリカ人の豊かさの向上によってアメリカ経済の成長はとどまることはなく、
20世紀に入るとアメリカ合衆国、特にホワイトカラーやブルーカラーの多い都市部でも多岐にわたる新しい大衆向け消費財の導入に駆り立てられ、アメリカ社会も大量消費時代に突入する。

アメリカ合衆国が凄まじい経済成長をを遂げていく一方で、圧倒的な技術力を持つ日本資本による侵略的とも言えるアメリカ合衆国市場への進出は、それまでアメリカ国内で発展しつつあったアメリカ資本の圧迫を招いていった。
何せ未だに未発見だった主要な鉱山や炭鉱、油田は21世紀の知識を有していた夢幻会系の日経資本に独占され、重工業に関しても技術力の問題から日本資本の製品の方が質もよく、価格も成熟した大量生産技術を持つ日本資本の方が安く抑えられる。これでアメリカ資本が対抗できるわけがなかった。
家電や自動車などと言った耐久消費財やラジオや映画、テレビ放送といった次世代のメディアに関しては、そもそも論でアメリカ側にそれらに関わる企業もメディアも存在しなかったことから日本資本の独壇場となってしまった。

326:ホワイトベアー:2022/12/21(水) 21:53:13 HOST:om126166236206.28.openmobile.ne.jp
当然、アメリカ資本にとってこうした状況が面白いもののはずがない。
日本資本の進出で追い詰められた彼らは、日本資本を排除、もしくはその進出に制限をかけようと連邦政府や連邦議会などの日本の過度な進出を警戒する政治家や役人たち、日本によって既得権益を侵されたメディアや過激な白人至上主義勢力と徒党を組んでジャパンバッシングと呼ばれる日本排斥運動を開始していく。

このジャパン・バッシングはアメリカ市民戦争において連邦軍と日本軍に郷土を焼かれ、現在進行系で占領下に置かれている南部を中心に一定の効果をもたらしたが、
南北戦争後のイギリスとの関係悪化により日本の軍事力を必要としていた当時のアメリカ合衆国の国際的な状況や、
アメリカ市民戦争時にアメリカ合衆国を護るために共に血を流した経験、
ラジオや映画などの新しいメディアや影響下にくだったオールドメディアを動員した日本側のカウンターアタック、大日本帝国という列強の全面的なバックアップの下での各種ロビー活動、
さらに、日本資本は奴隷解放とその後の南部での苛烈な黒人差別によって北部へと逃げてきた黒人達に職を奪われた貧困白人達を当時では破格とも言える待遇で雇い入れていたことから圧力団体としても一定以上の力を持つようになっていたことから、
彼らがメインターゲットとした北部や西部の民衆にはあまり響かず、それどころか下手に南部に受けてしまったがゆえにジャパンバッシングを行う者=反連邦主義者と言うレッテルを貼られることになってしまう。
(無論、日本側がそうなるようにアメリカで世論工作をおこなった訳だが)

そして、日本資本側もアメリカ資本の抵抗を受けて一定の譲歩を示し、日米の合弁企業という形での進出に切り替えていくなどの切崩し策が取られ始めるとアメリカ国内の資本家達の反発も次第に収まっていき、工業系や資源系のアメリカ資本は次々と日本資本の軍門に下っていった。
そして、南北戦争の終戦から半世紀ほど経った20世紀頃になるとアメリカの主要な重工業は完全に日本資本の影響下におかれることになり、アメリカ合衆国はその経済成長の対価として日経資本なしには立ち行かないまでに経済的な主体性を喪失してしまう。

発展を続ける国内市場にアメリカ市場、それに加えて新規に手に入れた満州という新たな利権を下に経済的な発展を推し進める日本であったが、外交面ではロシアの東進を挫いたことで主要な仮想敵国が消滅したため、満州戦争後はイギリスとの関係も重視しつつより全方位的な親善外交を取るようになった。

この結果、イギリスに対してある程度の配慮をしながらも、日本は今まで嘗めた真似をしてくれたドイツ帝国や満州戦争でぶつかったばかりのロシア帝国であろうとも、相応の金さえ払ってくれるなら戦艦や航空機などの兵器や自動車や家電などの工業製品、それらを製造するための工業機械の輸出、ライセンス権の付与や技術供与を実施するなど、欧州方面ではある意味で無節操なバラマキをおこなっていく。

こうした満州戦争後の日本の外交方針は、満州戦争での戦訓と合わせて日本から遠く離れた欧州の情勢に大きな影響を及ぼしていく。

327:ホワイトベアー:2022/12/21(水) 21:53:45 HOST:om126166236206.28.openmobile.ne.jp
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最終更新:2023年01月16日 08:59