63: 名無しさん :2019/06/18(火) 00:08:08 HOST:softbank126077075064.bbtec.net
日墨ルート 世界が見た日露戦争
日露戦争はロシアの奇襲から始まり、それに対する日墨連合軍の反撃の隙をついたかたちでのアメリカによる戦線布告という、劇的すぎる展開の連続だったが、意外にも世界、特に欧州では関心が高いとは言えなかった。(注1
何故ならば、一般市民にとって日本の近代化とは、二流国家とは言え西洋文明に基づいて国家を形成したメキシコの存在があってこそで有り、
日本はゲートと言う不可思議な現象で繋がった、メキシコの労働力と資源の供給地であり、独自のものは精々中国の亜流に過ぎない文化と東洋的でエキゾチックな「ウキヨエ」などに代表される芸術品に過ぎないとされていた。
もう少し、世界を知ったものになるとそれが間違いであり、日本人は当初からスエズ運河会社に投資するばかりか、エジプトの財政改革を手助けするほどの能力があることは知っていたが、それでもロシア人に勝てるとは思っていなかった。
例外はごく一部の軍人や政治家たちだった(注2)。彼等は日本への駐在経験や米墨戦争での戦闘の分析をもとに警告を発していたが、それが聞き入れられることはなかった。皮肉なことに当のロシアではニコライ2世が極東総督アレクセーフに警告していた(注3)が、半ば無視されていた(注4)。
日本に好意的であった、英仏の市場でさえ日本国債の売れ行きは芳しくなかった。米国の事実上の参戦後は一時暴落するかと思われたほどだった。
ロシアを国を挙げて支援していたドイツとイタリアでは逆にロシア国債が売れに売れた。投資家だけでなく一般市民まで買っていたほどだった。(注5
オスマン朝やエジプトと言った日本の投資を受けていた国々では義援金や個人単位での義勇兵などの活動が盛んになったが、政府首脳は表面上は熱狂的に、しかし内面では冷淡だった。心情的理由で負ける側にかけて国家を傾けるわけにはいかないからだった。

だからこそ、最終的にこの戦争が日墨勝利で終わった時の衝撃は一際大きなものだったと言える。

注1 もっともロスチャイルド家などは経営を悪化させかねない勢いで日本に投資していたが。
注2 幕末に日本に駐在武官として勤務していたシャノワーヌとブリュネが代表例で皇帝ナポレオン4世から日露戦争について意見を求められると、間違いなく日本が勝つと断言したという。
注3 知日派であったニコライ2世は、日本を敵に回す危険を承知しており、開戦を許可したのも短期決戦を念頭に置いたからだった。奇襲の失敗から長期戦に突入したと聞いた時には「アレクセーエフを便所まで追い詰めて肥溜めにぶち込んでやる」と極めて汚い言葉で罵った。
注4 クロパトキンが戦線布告後の強襲による遼東半島制圧後の即時講和による短期戦を志向したのに対し、アレクセーエフが宣戦布告は奇襲効果を失わせるとして却下し、さらに士気を高めるため無意味な掠奪行為も許可した(略奪許可についてはクロパトキンにより撤回)。
注5 その為、戦後はシュプレー川やテヴェレ川が水死体で埋め尽くされることになる。

64: 名無しさん :2019/06/18(火) 00:09:14 HOST:softbank126077075064.bbtec.net
投下終了です。講和会議と2話の修正どうしようかな…

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最終更新:2019年06月29日 11:49