89: 名無しさん :2019/06/20(木) 16:45:01 HOST:softbank126077075064.bbtec.net
日墨ルート
1905年バトンルージュ上空
「よし、そのまま…投下」
空を飛ぶ巨大な機体から爆弾が次々に投下された。
その機体、37年式重爆撃機は日本軍で(もちろん世界でも)初めて爆弾搭載量が2トン超えた爆撃機であり、それが編隊を組んで襲ってくることなど、想像していなかった米軍は大混乱だった。もちろん一般市民はさらに混乱しており、それがまた被害を増やした。
後年バトンルージュ爆撃は世界初の戦略爆撃として知られるようになる。

しかし、バトンルージュを襲ったのはそれだけではなかった爆撃による混乱から回復した米軍を待っていたのは鋼鉄の獣たちだった。
「戦車前へ、各車両連携して歩兵を援護せよ」
吉橋徳三郎少佐の指揮の下で世界初の戦車部隊(これには異論もあり、対ロシア戦線のネルチンスク攻略戦の方が先という意見もある)がバトンルージュに突入した。
またも、想定外の事態にいよいよ米軍は総崩れとなり降伏した。これはテワンテペク運河経由でカリブ海に入った日本艦隊と米艦隊との海戦(メキシコ湾海戦。この海戦で世界初の単一口径および蒸気タービン推進戦艦の富士が鮮烈なデビューを果たした)の敗北とその後のニューオリンズ上陸作戦と合わせて米国民の士気低下を招いた。

もともと、米国の日露戦争介入は、米国民の打倒メキシコとマニフェストデスティニー完遂への思い、またアメリカの財界のロシアの敗北による債務焦げ付きを避けるため、と言った理由から始まっており、その大前提は米軍が負けないという事だった。
しかし、要塞戦攻略に失敗したばかりか、ルイジアナ州の主要部を占領される様な事態が起こるようならば、話は別でありアメリカ世論は急速に終戦へと傾いていき、時の大統領セオドア・ルーズベルトは史上初の弾劾裁判で罷免された大統領という不名誉な称号を手に入れる事になる。

一方で、もう一つの敵国であるロシア帝国だったが、こちらも北米戦線とほぼ同時期の戦車および航空機の投入によってパワーバランスは完璧に日本側有利に傾いていた。
それでも、ロシア帝国側はチタに拠点を移して継戦を試みたが、37年式重爆改造の輸送機及び曳航されたグライダーによる世界初の空挺部隊による強襲により、アレクセーエフなどの軍首脳部を拘束され、継戦は不可能となった。
フランス帝国首都パリで行われた講和会議では、アメリカにはルイジアナ州全域とフロリダ半島の指定する都市の割譲、ロシアに関しては極東シベリアの割譲と賠償金、そして米ロ両国による謝罪といった条件が出された。
戦後のアメリカでは極端な平和主義運動が起こり、それが政治にも大きな影響を与えることになる。
ロシア帝国は国内の混乱もあって、ドイツ、イタリアとの三国同盟における主導的役割をドイツに受け渡すことになり、これが後の世界大戦でドイツに引きずられるように参戦する原因にもなった。

こうして日露戦争は終わったが、爆撃機や戦車と言った新兵器、富士型戦艦を端緒とする大艦巨砲主義などはその後の歴史に大きな影響を与えることになる。

90: 名無しさん :2019/06/20(木) 16:46:14 HOST:softbank126077075064.bbtec.net
投下終了。意外とあっさり終わらせてしまいました。

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最終更新:2019年06月29日 11:50