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日米枢軸ネタ 第20話改定版

19世紀末から20世紀初頭にかけて、欧州では従来の英露の対立の裏で新たな対立が生まれていた。

中欧の新興列強たるドイツ帝国と世界帝国たるイギリスの対立だ。

元々、ドイツ帝国は誠実な仲介者として欧州での紛争の仲介役を務めるなど、イギリスとともに欧州のパワーオブバランスを護る立場をとっていた。
しかし、ヴィルヘルム2世が皇帝の座に就き、これまでドイツ帝国を主導していたビスマルクが引退するとドイツ帝国はビスマルク外交とも呼ばれた従来の対外政策を大きく転換、
より拡張主義的な新航路政策を新たな対外政策として掲げるようになる。

このドイツの政策は主に英仏間での分割が進むアフリカ大陸や日英間での主導権争いが行われている中東、日米英仏露が分割を進める清国がその対象とされ、
これらの地域での権益を拡大させるために積極的かつ強引な勢力拡大が行われていく。

こうしたドイツの動きは当然ながら周りの反感を買うことになるが、それでもドイツ帝国の権益拡大には繋がり、西暦1896年までには大英帝国と比べられるほどではないが、
それでも当時のドイツ皇帝であったヴィルヘルム2世が自らの演説の中で『ドイツの世界帝国化』を宣言する程にはその国外領土や海外での利権を拡大させた。

こうしたドイツ帝国の海外膨張政策はイギリスの対外政策との間に利害の衝突を引き起こしていくのだが、
その一方で当時のイギリスの目はロシアとの間で繰り広げられるグレートゲームと圧倒的な軍事力を背景に大英帝国の市場を浸食する日本との経済戦争に向けられており、
ロシアやその同盟国であるフランスと対立するドイツ帝国を潜在的な同盟国として見なして比較的温和かつ友好的な関係を維持していた。

それは新航路政策の一環として西暦1897年に後のドイツ帝国海軍の拡張の切っ先となる第一次艦隊法が成立し、本格的な近代海軍の整備が開始された後も変わることがなかった。

しかし、イギリスが第二次ボーア戦争で国力をすり減らしていた1900年にドイツ帝国議会で戦艦の規模を従来の19隻から38隻にまで増強することを主軸とした第二次艦隊法が成立、
ドイツ帝国がイギリスの海洋支配を大きく脅かすほどの規模まで海軍力を拡大させようと動き出すと、イギリスはドイツをフランスやロシアと同等以上の脅威と見なすようになり、
自国の海軍力の拡大やこれまで最大の仮想敵国であったフランスとの協力体制の構築など外交政策や国防政策を大きく転換させる。

424:ホワイトベアー:2022/12/24(土) 20:15:00 HOST:om126166239069.28.openmobile.ne.jp
イギリスの政策転換は1904年にはこれまで最大の仮想敵国であったフランスと英仏協商が締結されるなど一定の成果を出したものの、
その一方で英独建艦競争を初めとした欧州における軍拡競争や列強間の同盟強化と同盟間の対立の拡大を招き、列強同士の緊張を高めていった

そうした状況下で極東から届けられた満州戦争に関する情報は、欧州における対立をより拡大させるのと同時により激しい軍拡競争を招くことになる。

何しろ、満州戦争を通して従来の戦艦を遥かに上回る新型戦艦(超弩級戦艦)や航空機や戦車といった次世代の兵器で武装した軍隊と従来の軍隊の間で行われる戦争が何を意味するのかをロシア軍将兵の屍山血河を作り、
ロシア太平洋艦隊をスクラップにすることで日本が世界に知らしめた結果、欧州列強がこれまで必死に整備してきたミリタリーバランスは事実上リセットされ、
欧州における各国の軍事力の整備は一度同じスタートラインで仕切り直される形となってしまった。

全ての欧州列強が強制的に同じスタートラインに立たされた事実はドイツ帝国にイギリスとの建艦競争に勝利できるのではないかという幻想を抱かせるには十分であり、
逆にイギリスやフランスなどにドイツ帝国に軍拡競争で敗北するのではないかという恐怖心を植え付けるにも十分であった。

こうした現象はドイツとイギリス、フランスの間だけではなく、これまでは建艦競争に一方引いた立ち位置をとっていたイタリヤやオーストリア・ハンガリー帝国などにも伝染、
欧州列強各国は少しでも日米との差を少しでも縮め、他の列強との間の差を広げようと次々と軍備拡大を開始する。

満州戦争を受けて欧州列強各国が最も力を入れたのが日本が公開した新型戦艦(史実超弩級戦艦)に匹敵する戦艦の整備であった。
何しろ当時は戦艦が単なる軍艦の一種というだけでなく戦略兵器としての側面も有していた時代だ。
それ故に如何に強力な戦艦を多く整備できるかは自国の国家安全保障のみならず対外的な影響力や国際的な地位にも大きく影響を及ぼす。

自国が保有する戦艦が軒並み旧式化させられた現状を現代の国際社会で例えると、自国が保有している核兵器は軒並み無力化され日本のみが核兵器を独占しているといった状況だ。
帝国主義が未だに認められている時代に生殺与奪を他の国家に握られた現状を容認できるような列強が存在するわけがなかった。


新型戦艦の整備においてリードをとったのはやはりと言うべきかイギリスであった。

20世紀初頭のイギリス海軍の数的主力はやはりと言うべきか前弩級戦艦であり、それ故に弩級戦艦を飛び越えて登場した日本海軍のポストユトランドクラスの超弩級戦艦群によって他の欧州列強と同様に主力艦を再び旧式化させられたイギリスであったが、
ある1人の男が史実よりも少し早く昇進していたことで戦艦戦力に関しては他の欧州列強と違いそのダメージを最低限に抑えることができていた。

その男こそ、後にイギリス現代海軍の父、ネルソンの亡霊をロイヤル・ネイビーに生まれ変わらせた漢、Mr.英国面、軍政一流用兵二流、
チャーチルの夫などと呼ばれる事になるジョン・アーバスノット・フィッシャー提督その人である。

史実よりも3年ほど早い西暦1902年10月にポーツマス海軍工廠司令官から第一海軍卿に昇進したフィッシャー提督は急速に海軍力を拡大させるドイツ帝国海軍のみならずイギリス海軍を超える海軍力を有する日本海軍を一気に突き放すべく、
日本の脅威によって史実よりも向上していた技術力を反映した革新的な新型戦艦の建造を計画、
その強い指導力を発揮して1903年には史実オライオン級戦艦に相当する『ドレットノート級戦艦』4隻とライオン級巡洋戦艦に相当する『インヴィンシブル巡洋戦艦』4隻の計8隻の戦艦の建造を開始させていた。
13.5インチ連装砲を5基搭載する『ドレッドノート級戦艦』と同連装砲を4基搭載する『インヴィンシブル級巡洋戦艦』の能力は日本海軍の新型戦艦群にこそ劣るものの、
それ以外の全ての列強で就役・建造中の戦艦よりも強力な戦艦として完成する。

満州戦争が終結した1905年には『ドレッドノート級戦艦』と『インヴィンシブル級戦艦』の改良型である『コロッサス級戦艦』4隻と『ライオン級戦艦』4隻の建造も承認され、
1910年までの間にイギリス海軍は計16隻の超弩級戦艦を整備した。

425:ホワイトベアー:2022/12/24(土) 20:15:56 HOST:om126166239069.28.openmobile.ne.jp
ドイツ帝国海軍は満州戦争の戦訓とイギリス海軍の戦艦戦力の拡大を受けて、イギリス海軍が就役させた戦艦と同等かそれ以上の能力を持つ大型戦艦の整備を決定するが、
当時のドイツ国内にこうした超弩級戦艦クラスの大型艦を国内で設計・建造する技術が存在しなかったため、
日本の輸出用戦艦である『標準型戦艦』を原型としてドイツ帝国海軍の要望を受けて設計にいくつかの変更を加えた『ラインラント級戦艦』4隻と、その発展型である『ザクセン級戦艦』2隻、
『標準型巡洋戦艦』を原型にドイツ帝国海軍向けに変更を咥えた『フォン・デア・タン級巡洋戦艦』4隻の計10隻を日本に発注する。

この頃の大日本帝国とドイツ帝国の関係はオブラートに包んでもあまり良いと言えるものではなかったが、その一方で日本は全方位外交の名の下に金さえ払ってくれるなら節操なく貿易を行う国でもあり、
ドイツ帝国が発注した戦艦や巡洋戦艦は当時の欧州では最大の45口径35.6センチ砲を主砲として搭載する欧州最強の主力艦として完成する。

また、これらの艦艇を日本に発注するのとは別に、ドイツ帝国は日本に大金を支払うことで技術や製造インフラをドイツ国内に移転してもらい、
国内での戦艦建造能力の整備も進めていき、1910年に入ると国内での戦艦の建造も開始する

当然、ドイツが海軍の増強を図ればドイツを仮想敵国としているイギリスも対抗するためにさらなる海軍力の拡大を図らざるを得ず、
急速に拡大する英独間の海軍力に遅れをちらないように賠償金の支払いや借金の返済に苦しんでいたロシアでも戦後すぐから隔年毎4隻の主力艦を起工する再整備計画が策定された(無論、財政的問題から計画のままで終わったが)。
また、こうした列強より国力の劣るイタリアや想定戦場が狭く強大な海軍力を必要としないオーストリア=ハンガリー帝国、
さらに小国のスペインやギリシャ等も次々と弩級戦艦を計画・建造していくなど欧州での建艦競争はより一層激しくなっていく。


戦艦の整備と並行して満州戦争で日本が投入した新兵器の研究も行われていくのだが、その中でも欧州列強が特に注目したのは航空機であった。
何しろ日本軍の航空戦力は停泊中であったとはいえ、満州戦争最初期にロシア帝国海軍太平洋艦隊を、当時の戦略兵器たる戦艦も含めて一方的かつ短期間のうちに殲滅することに成功している。

陸上軍艦と言える戦車や自動車などによる陸軍の機械化なども目を見張るものがあった。
あったのだが、作戦行動中で無かったとはいえ、それでも戦艦を撃沈できるのは戦艦のみという海軍戦略の基本に反する戦艦を含めたロシア太平洋艦隊の壊滅という日本海軍空母機動部隊の戦果は欧州列強を含めた世界各国に大きな衝撃を与えることとなり、
欧州列強は死にもの狂いで航空機の研究・開発に取り組んでいった。

しかし、日本(政府および企業・個人)が築いていた特許の壁を突破することができず開発は難航してしまう。
こうした自体を受け、各列強は早々に単独での航空機の早期開発を諦め、短期的にはすでに実用にたる航空機を配備している日本の航空機のライセンス生産し、
ライセンス生産で得た技術を基に国産機を開発する事を計画、日本政府に航空機のライセンス権を購入したい旨を打診した。

各列強からのオファーを受けた日本は当然これを2つ返事で認め、各列強に航空機の輸出やライセンス権の供与をおこっていくが、
その一方で満州戦争中にイギリスが国債を買ってくれたことやドイツ帝国に戦艦を輸出したことなども勘案して、ドイツ帝国側よりイギリス側により優れた航空機を輸出させていった。

日本側からの支援や自力もあって満州戦争後から急激に加熱していていった軍拡艦競争においてもイギリスは優位を(何とか)保つことができたが、
その一方でボーア戦争で国力を浪費していたイギリスも単独でドイツに対抗し続けるのは辛いもので、対ドイツ政策の一環としてグレートゲームで対立し、
満州戦争での敗北後も無視できない軍事力を有していたロシアにも接近、1907年には英露協商を締結し、三国協商体制を構築する。

426:ホワイトベアー:2022/12/24(土) 20:16:27 HOST:om126166239069.28.openmobile.ne.jp
各国はこうした航空機の研究・開発や新型戦艦の設計・建造に予算を割くために陸軍への投資を抑えることになる。
また、列強各国が満州戦争の勝利の要因は航空機であると言う考えからも戦車はたいして重要視されなかった。
それゆえに戦車の開発・配備は遅々として進められず、せいぜい既存の野砲を改造した対戦車砲が試作される程度で終わってしまった。そして彼らは遠からずその事を後悔することになる。

こうして欧州各国が一部を除いて迷走を続けるなかで、満州戦争中に日米連合軍に義勇軍を派遣していたオスマン帝国は、
義勇軍を送ったご褒美として日本が生産したものの戦争終結によってダブついてしまった各種航空機や各種軍用車両を格安で購入でき、
さらに日土軍需協力条約によって招いていた顧問団のよる教育もあって順調に軍備の近代化を図っていき、装備だけを見れば欧州列強にひけを取らない、
それどころか一部はそれを上回る軍の編成も順調に進んでいった。

世界は平穏に包まれていたが、その裏では過激な軍拡競争が繰り広げられ、密かにだが確実に破滅へと進んでいくことになる。

427:ホワイトベアー:2022/12/24(土) 20:17:08 HOST:om126166239069.28.openmobile.ne.jp
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最終更新:2023年01月16日 09:07