297: 透過の人 :2019/07/05(金) 13:23:21 HOST:softbank126077075064.bbtec.net
日墨ルート 第一次世界大戦2
当初、フランスはベルギーによるドイツ軍の進駐要請をドイツ側は実行しないと考えていた。なぜならイギリスの参戦を避けるためには、ベルギーの中立を侵さない他に方法はないからだ。その為、フランス軍は主力を国境においていた。
一方、ドイツの考えは違ったイギリスに介入する暇を与えずに、フランスを屈服させるには進駐要請が出された今、パリを強襲して占領して降伏に追い込むしかない、と。
だからこそ、ドイツ軍がベルギーを経由してフランスに雪崩込んだ時、フランスは驚愕し、ドイツは勝利を確信し、イギリスは激怒したのだった。

フランスの対応は素早かった、すぐさまイタリア戦線でのオーストリア救援の為の攻勢用に待機していた部隊を引き抜き(注1)、パリ方面に回すと共に新たな部隊の編成を急いだ。この時活用されたのがトラックでフランス軍は日露戦争時にロシア軍が鉄道の爆破で、日本軍の進撃を阻もうとしたのに対し、日本側がトラックを使った輸送で対抗した戦訓を取り入れており、パナールやルノーを中心にトラックを発注していた(注2)。
ドイツ軍はこの機を逃すまいと進撃を続けていたが、補給計画がずさんであったこともありその速度は停滞し始めていた。
イギリスがそれを見逃すはずもなかった。彼らはドイツ軍の補給路となっているベルギーの主要な都市、鉄道及び港湾施設、工業地帯を爆撃し、更にイギリス海外派遣軍をフランスに上陸させた。
この派遣軍は日本軍の自動小銃に対抗するために開発されたファークワーヒルライフルを改造した軽機関銃を多数装備していた他、日本製の戦車も装備していた(注3)。
英仏連合軍はエーヌ川の会戦で補給不足に陥ったドイツ軍を撃破し反攻に転じ、以後、戦線は国境地帯で膠着状態となる。

注1 これにより、オーストリアを見捨てる結果となり、オーストリアとの関係悪化の原因となった。
オーストリアの以後の抵抗はオスマン帝国領内に逃れたオーストリア海軍が中心となった。
注2 それ以外の自動車メーカーは生産を分担するか、プジョーのように戦車生産に力を入れたもの、ド・ディオン・ブートンのように航空機開発を始めたものなど様々だった。
注3 他に戦車を重視していたのはフランス、アメリカ、ロシアだが、ドイツは鈍重な戦車により機動力が損なわれることを嫌い装備しようとはしていなかった。

298: 名無しさん :2019/07/05(金) 13:24:35 HOST:softbank126077075064.bbtec.net
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最終更新:2019年07月09日 10:33