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日墨ルート 第一次世界大戦3
ヨーロッパでドイツ軍の短期決戦の目論見が崩れ去った頃、アジアでは半ば忘れられた同盟国が崩壊しようとしていた。
その名は大清帝国、かつて中華地域に覇を唱えるも、1911年の革命とそこからの内戦によって、清はドイツとロシアの援助によってかろうじて生き延びる存在となっていた。
そこに第一次世界大戦が追い打ちをかけた、特にロシア帝国は兵力に比して兵器の供給が追いついていなかったこともあり、清国向けの装備を次々に接収していった。これに対して清国は抗議したが色よい返事は貰えなかった。更に、清国にとって悪い話はまだ続いた、頼みの綱のドイツ東洋艦隊が英国海軍の奇襲を受けて壊滅したのである。
これをみた中華民国総統孫文は、派遣された英軍部隊、米義勇軍と共に中華統一のため北上を開始。もはや、万策尽きた清国政府は降伏を決断。かくして、ヌルハチ以来の大清帝国は幕を閉じることになった。
従属地域だったモンゴルとチベットが独立を宣言したが、新疆で清朝時代の入植により漢人人口が多かったこともあり、しばらく混乱が続いた。

その知らせは同盟国陣営に衝撃を与えるに充分だった。清を重要な同盟国とみなしていたドイツ皇帝ヴィルヘルム2世は自らの戦略が破綻したことに衝撃を受け迅速な支援を行わなかったロシアを非公式にではあるが批判した。
ロシア側にも言い分はあった。彼らがコーカサスやバルカンで戦っているオスマン軍は精強であり、むしろ、ロシアがトルコ軍を引きつけているからこそドイツとイタリアは対英仏戦に注力出来ているのだ、と。

しかし、オスマン帝国も楽なわけではなかった。装備において勝ってはいるが、ロシアやバルカン諸国の戦意は過去の因縁もあり尋常ではなかったからだ。
これを受けて連合国軍も動き出していた。主に英国諜報機関の手によるものだが、ロシア領の中央アジアやウクライナ、ポーランド、占領地の旧オーストリア帝国領といった地域でパン・テュルク主義者や独立活動家、レジスタンスによるテロ活動を引き起こし、ドイツ、ロシア国内に混乱を巻き起こした。

英国諜報部はこの成功体験から、さらなる過激派組織とも関わりを持つようになるのだが、それはまだ後の話である。

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最終更新:2019年07月09日 10:35