448: 透過の人 :2019/07/13(土) 15:22:03 HOST:softbank126077075064.bbtec.net
日墨ルート 第一次世界大戦6
1916年10月5日、ナポレオン4世によって提唱されていた連合国軍のイタリア本土上陸作戦が開始された。
上陸兵力は英仏葡及びメキシコ義勇軍を合わせて20万人におよび、上陸支援艦隊はクイーンエリザベス級のバーラム、ヴァリアント、マレーヤ、エジンコートを筆頭にフランス海軍の待望の最新鋭艦であるノルマンディー、フランドル、そしてこの作戦のために建造されたと言ってもよい世界初の18インチ砲搭載艦フューリアスがその異様を誇っていた。
さらに陽動作戦として上陸に先立ち、イギリス軍と日本義勇軍合同のサルデーニャ島への空挺降下とオスマン帝国軍とANZAC部隊によるオトラント半島への上陸作戦が行われており、この作戦によりオスマン帝国軍は436年ぶりにイタリアの地を踏んだ。
阻止攻撃に出たイタリア艦隊は質量に勝る連合国艦隊の前に壊滅し、日本製上陸用舟艇に乗りローマに近いオスティアの海岸に上陸した上陸部隊はイタリア軍の必死の抵抗の前に苦戦したものの、
最終的に水上機からの支援攻撃と日本製の水陸両用戦車によってイタリア軍陣地を蹂躙し、そのまま一週間後にローマを占領した。イタリア王国首脳部もこのとき捕縛されたことから、イタリア戦線は崩壊する。
わずか一週間で同盟国が崩壊した事実にドイツは動転したが、さらにドイツを驚かせる事態が起こった。

ロシアではルーマニアでの敗戦以前から一つの噂が流れていた。怪僧ラスプーチンが連合国のスパイであるというのである。宮廷内の反ラスプーチン勢力はこの噂をもとにラスプーチンの追放をニコライ2世に迫るがニコライ2世は拒否。
ルーマニアの敗戦により危機感を抱いた反ラスプーチン派は10月22日に進歩ブロックのアレクサンドル・グチコフを中心にクーデターを起こしラスプーチンを処刑するがここで予想外の自体が起こる。皇帝ニコライ2世が退位を表明し自らは家族とともに亡命してしまったのである。
その後、ロシアに残されたのはただただ混乱だけであったが、そんな混乱の中でも暫定ロシア政府は同盟国側として実質的な能力はないにも関わらず継戦の構えを崩さなかった。
しかし、この事がロシアの脱落を目論む英国を焚き付けてしまい、英国諜報部より支援を受けた社会革命党とボリシェヴィキが英国の指示のもとでロシアをさらなる混乱に陥れることになる。

ドイツにとってこれらの事態は予想外の事であり中立国であったアメリカを通して連合国との講話の道を探ることになる。

449: 透過の人 :2019/07/13(土) 15:23:20 HOST:softbank126077075064.bbtec.net
投下終了です。次回はたぶん講和会議ですね。

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最終更新:2019年07月14日 12:30