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日墨ルート 第一次世界大戦7
1916年11月22日、アメリカ合衆国ワシントンに連合国側、同盟国側の代表が集まりワシントン講和会議が開催された。
この時点で連合国はイギリス、フランス、オスマン、オーストリア、中華民国、ポルトガル、エチオピアの7カ国に加え義勇軍を派遣した日本とメキシコであり、
対する同盟国は清国が滅亡しイタリア、ブルガリア、ギリシア、モンテネグロが単独で降伏したことからドイツ、ベルギー、ロシア、セルビア、ルーマニアが残るのみであったが、その内ベルギー、ルーマニアとセルビアは国土の大半が連合国軍によって占領されており、更にロシアに至ってはペテルブルクの臨時政府以外にも自称正統政府が乱立しており、辺境部では自立が進んでいた(注1)ため、会議から締め出されていた。
まず、同盟国の盟主ドイツがベルギーとバルカン諸国及び自国植民地からの連合国軍の即時撤退を要求した事で会議は紛糾した。
ドイツとしてはベルギー領コンゴを割譲するのみで話を収めようとしたのだが、連合国側はこれに反発した。
さらに問題となったのは開戦責任と賠償問題だった。
同盟国側が開戦責任はオーストリア、オスマン、フランスの動員にあると指摘し、連合国はセルビアによるサラエボ事件とイタリア、ロシアによるバルカン同盟への援助、ベルギーの進駐要請とその後のドイツ軍の行動を問題視した。
また、両軍による捕虜虐待をそれぞれが批難し応酬となった。
こうなってしまうと、ホストであるアメリカのウィルソン大統領が掲げた勝者なき講話などなんの意味も無かった。
その上、ウィルソンの提唱した民族自決はフランスによるドイツ解体論、ドイツによるオーストリア併合論の論拠に使われる始末だった。

結局、数カ月続いた交渉の末、まずオーストリア帝国の即時帰還と復活が認められた。
賠償についてはフランスにはウェストフランデレン州の他、ベルギー領コンゴがポルトガルと分割の上割譲、ドイツ領南西アフリカ、ニューギニア植民地、イタリア領ソマリアをイギリスに割譲し、イタリア領エリトリアをエチオピアに割譲、摎州湾租借地の中華民国への返還とオスマン帝国への東ルメリア、アゼルバイジャンの割譲とさらにロシア、イタリアから金塊や美術品等を、ドイツ海軍から所定の艦を賠償艦(注2)として物納することで解決された。
また、大戦以前の係争地となっていたイラン、モロッコ、アフガニスタンについては完全独立の上永世中立国とされ、ポーランドについても同様とされた(注3)。
その他、新設される国際連盟によって統治される地域として、セルビア北部、東部を除くルメリア地域、ヴェネト地域、サルデーニャ島、シチリア島が国際管理地域に指定され、さらにイタリアの首都ローマ(注3)、ベルギーのアントウェルペンが国際連盟の管理の下自由都市に指定された。
戦争犯罪についてはオランダ王国ハーグに常設されることになる国際刑事裁判所にて個々の事例ごとに裁かれることになった。

こうして、永きに渡った人類史上初めての世界大戦は終わった。連合国、同盟国双方に不満を残しながらもこの戦争の終結を世界中の人間が喜んだ。
特にアメリカでは講和会議を主催したウィルソンは平和の使徒や20世紀で最も偉大なアメリカ人と呼ばれる事になる。

注1 独立を宣言したウクライナなどの他、新疆では駐留ロシア軍司令官だったロマン・ウンゲルンがウンゲルン朝ジュンガル帝国の建国を宣言していた。
注2 バイエルン級戦艦バイエルン、バーデンなど。
注3 ただしこれらの独立国が各国の監視下にあった事は言うまでもない。
注4 これについてはローマ教皇ベネディクトゥス15世がナポレオン4世の提案したローマ教皇領復活を拒否したことに対する報復という見方もある。

474: 透過の人 :2019/07/14(日) 14:19:58 HOST:softbank126077075064.bbtec.net
投下終了です。次回はウィルソンとエリトリアの話の予定です。

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最終更新:2019年07月19日 22:00