477: ホワイトベアー :2019/07/14(日) 19:06:31 HOST:157-14-225-220.tokyo.fdn.vectant.ne.jp
日米枢軸ルート 
番外編:エムデン戦隊の伝説

地中海と大西洋でドイツ海軍地中海艦隊がウィルヘルムスファーケンに向かい航海を続けている頃、遠いアジアでもドイツ海軍は動きだそうとしていた。

もともと、ドイツ海軍は1881年よりアジア地域に艦隊を派遣しており、1898年にはこの艦隊の拠点として膠州湾を99年間租借する事を取り決めた独清条約に署名し、この地域の植民地建設が本格的に始まった。それまで貧しい漁村だった青島に、海軍基地と支援施設からなるドイツ帝国海軍の東洋基地が建設されていた。

第一次世界大戦開戦直前には巡洋戦艦《フォン・デア・タン》、装甲巡洋艦《シャルンホルスト》《グナイゼナウ》、仮装巡洋艦《プリンツ・アイテル・フリードリヒ》《リャザン》防護巡洋艦6隻、非防護巡洋艦4隻、駆逐艦8隻、水雷艇20隻、砲艦4隻と無視できない大戦力を抱えており、そのほとんどが青島に停泊していた。1914年にサラエボ事件がおきると、東洋艦隊司令官マクシミリアン・フォン・シュペー中将は東洋艦隊に出撃準備をさせる。この時のドイツはイギリス海軍管区を通る全ての海中ケーブルが遮断されていたが、満州連邦ー日本ー米国を通るルートを使いドイツ本国との連絡線確保に成功しており、彼は海軍大臣テイルピッツより東洋艦隊を使い通商破壊を行う事を命令されており、防護巡洋艦《エムデン》、《ニュルンベルグ》と仮装巡洋艦《プリンツ・アイテル・フリードリヒ》石炭運搬船エルスベートからなるエムデン戦隊を編成、連合国の艦船への通商破壊を行うべく青島を出撃する。

1914年8月23日、インヴィンシブル級巡洋戦艦《オーストラア》、軽巡洋艦2隻を中核としたオーストラリア海軍艦隊がドイツ東洋艦隊を自由にさせないようにする為に青島を海上封鎖する。しかし、この時には《エムデン》と《ニュルンベルク》はロンボク海峡を通過、インド洋に出ていた。そこで彼らもまた伝説を作る。

インド洋に入った《エムデン》と《ニュルンベルク》はそれぞれが単独での行動を開始。彼らはインド洋で連合国籍の船舶を相手に極めて紳士的に通商破壊を実行、彼らは9月14日までだけでもベンガル湾にて8隻の船を死者・重軽傷者0と言う状態で撃沈または拿捕する。

この12隻の船の中には中立国籍の船もあったが、ドイツ海軍はその巧みな外交術で問題を回避し、国際法違反と糾弾されないように様々な手を尽くしていた。それだけではなく拿捕した全ての船籍の乗組員を丁寧に扱い中立国からは称賛の声すら出るほどであった。その一方、《エムデン》と《ニュルンベルク》の活躍によりインド洋の連合軍通商航路は大きなパニックを巻き起こす。さらに商船の戦時保険料が急騰し、多くの船舶が出港を見合わせた。

《エムデン》は9月12日に一旦通商破壊を終了。事前に決めていた集合海域で別行動をとっていた《ニュルンベルク》、《エルスベート》と合流し、石炭を補給する。その後、イギリス海軍の重要拠点であるマドラスを襲撃する為にマドラスに向け進路をとる。

マドラス襲撃にあたって《エムデン》と《ニュルンベルク》は偽造煙突を使い四本煙突に偽装。航海灯をつけたまま堂々とマドラスに接近し海岸から2,800mか3,000mほど接近すると沿岸部に向けて砲撃を開始する。この時の砲撃は沿岸砲と石油タンクを標的として行われ、決して市街地には当たらないようにされていたこともあって、市街地には一切の犠牲者を出さずに沿岸砲を沈黙させ、石油タンクに大きな被害を与え、65万ガロンの石油を燃焼させることに成功する。

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無論、イギリス軍も沿岸砲で反撃を加えるが、ただの一発も《エムデン》や《ニュルンベルク》に当たらず、2隻は悠々とマドラス沖を去っていった。

このマドラス砲撃事件はドイツ地中海艦隊のドーバー海峡突破の直後と言う事もあってイギリス本国でも大問題になり、イギリス東洋艦隊は装甲巡洋艦《ハンプシャー》と軽巡洋艦6隻からなる討伐部隊が派遣されるが、そのような事は影響ないとでも言うかのようにセイロン島近海で4隻の艦船を撃沈、さらにコロンボ・ミニコイ間の航路にて6隻の撃沈と4隻の拿捕に成功する。

この頃になると連合国側もドイツ軍の通商破壊部隊の詳細を掴んでいたが、それでも有効的な手を打てず、《エムデン》と《ニュルンベルク》の傍若無人振りを止める事はできなかった。

彼らは沈めた船の乗組員を拿捕した船を使い解放し、そのままモルディブ諸島へ向かい、そこで石炭の補給を行った。補給が終わると、チャゴス諸島へと向かった。10月9日にディエゴガルシアに到着し、ブレスクから石炭を補給。ディエゴガルシアでは誰も戦争のことを知らない事もあって、水兵達の上陸を許可、戦いずめであった彼らにしばしの休息をとらせる。そして、チャゴス島を出発した《エムデン》と《ニュルンベルク》はコロンボ・アデン航路に舞い戻った。この時のコロンボ・アデン航路はイギリス海軍がドイツ海軍は既にこの海域に展開していないと発表していた事もあって多くの船が航海を再開しており、その事もあって11隻を撃沈または拿捕することに成功、この大戦果に満足したドイツ海軍は狩場を別の場所に移す。

ドイツ海軍はこの一ヶ月で33隻の艦船を拿捕または撃沈しており、連合国海軍はドイツ海軍の通商破壊対策の為に共同戦線を取ることで合意。経済性を無視して商船を単独航行から船団航行に移行させ、各船団に各国海軍から抽出された護衛をつけ始める。

東からはマレーのイギリス海軍とインドシナのフランス海軍、ロシア海軍が共に、西からもアフリカを牛耳るイギリス・フランスの派遣艦隊が輸送船団と合流し、護送船団を形成していった。

これを知ったエムデン戦隊は連合国海軍の重要拠点であるペナンに殴り込みをかけて、護衛戦力を漸減することを計画する。そして、エムデン戦隊は奇襲性を高めるために個別行動を再開。《エムデン》はモルジブ諸島沖からペナンに移動、同地への攻撃を開始する。

479: ホワイトベアー :2019/07/14(日) 19:07:33 HOST:om126200115219.15.openmobile.ne.jp
この時のペナン港には通商護衛の為にイギリス・フランス・ロシアの軍艦が入港しており、多数の軍艦が終結中であった。その事からもペナンでは最大限の警戒は敷かれており、要塞化されている事から攻撃不可能と考えられていた。

そんな中でエムデンはマドラス攻撃時同様に4本煙突に擬装し、10月28日に未明にペナンへ接近、入港していた3隻のフランス海軍駆逐艦に紛れて港内に進入する。そして、ロシアの巡洋艦《ジェムチュク》を発見、距離300mで魚雷を発射し命中させる。続いて砲撃を行い、再度魚雷を発射。これも命中し、ジェムチュクは沈没した。次いで接近してくる船を発見して発砲したが、それは非武装の船であり攻撃は中止された。その船の煙突に命中弾があり、そこに穴をあけた。

その後、《エムデン》は港湾部にも砲撃を開始、《ジェムチュク》が完全に沈没すると港内から全速力で脱出する。

港内から脱出した《エムデン》はイギリス貨物船を発見しこれを拿捕しようとしたが、臨検中に駆逐艦が現れたため放免された。現れたのはフランス海軍駆逐艦であり、《エムデン》をイギリス巡洋艦と誤認し接近する。この時のエムデンはイギリス巡洋艦のふりをしてやり過ごそうとしたが、軍艦旗を下げるのを忘れており、バレ、駆逐艦より雷撃を受ける。幸いこの雷撃は外れ、フランス海軍駆逐艦は《エムデン》の砲撃により撃沈される。

ペナン攻撃でエムデンは被弾することもなく、負傷者も出なかないという奇跡的な状況であった。彼はフランス海軍駆逐艦の乗員の救出を終えると安全海域まで脱出を開始。最後にペナンに向けて「我、ペナンを去らんとす。ご用 無きや?」と無線を放った。

その後《エムデン》は追撃してくるフランス駆逐戦隊を振り切り安全海域まで離脱する。

このペナン攻撃は現地に停泊し、撃沈された日本船籍の船からの情報のあって早々に全世界に知れ渡る事になる。辛うじて保っていたイギリス海軍の威信は完全に失墜。戦時船舶保険料は高騰し続け、輸送船は次々と出港を見合わせ、連合国の地中海におけるシーレーンは大打撃を受ける事になる。

その後、イギリス海軍は東洋艦隊をフル動員。その全てをエムデン打倒に当てる。

ペナン襲撃後の4日後、1914年11月1日、オーストリアの湊町オールバニよりANZACを乗せた35隻の輸送船から構成される大船団が出港する。この船団にはイギリス海軍装甲巡洋艦《マイノータ》オーストリア海軍軽巡洋艦《シドニー》の護衛の下、エムデン戦隊による攻撃を警戒しつつ一路、インド洋を西へと向かっていく。

エムデン戦隊はペナン襲撃後に合流、再び通商破壊に勤しみ3隻を拿捕していた。しかし、彼らは控えめに言っても無茶をし続けており、少しずつだが綻びが見え始めていた。そんな中エムデン戦隊は次の作戦としてココス諸島のディレクション島にある無線施設と海底ケーブルの破壊を決めた。

エムデン戦隊は11月9日にココス諸島のポートリフュージに停泊。ヘルムート・フォン・ミュッケ大尉以下50名からなる陸戦隊が上陸し、無線施設の破壊およびケーブルの切断を行った。ケーブルは3本中2本を切断したが、もう1本は発見できなかった。

480: ホワイトベアー :2019/07/14(日) 19:08:18 HOST:om126200115219.15.openmobile.ne.jp
しかし、エムデン戦隊陸戦隊の上陸直前に、ディレクション島の無線基地は、不審な艦影の発見により、緊急電報を発信していた。このとき偶然、ANZACを乗せた輸送船団が島から80km、時間にして2時間の地点を航行中であったのだ。6時55分、《シドニー》がディレクション島からの緊急電報をキャッチ。同艦はディレクション島に急行する。

シドニーの接近を知ったエムデン戦隊は、汽笛により陸戦隊の帰還を呼びかけるも間に合わず、抜錨し、戦闘準備を行う。9時40分に《エムデン》《ニュルンベルク》およびは砲撃を開始し、シドニーも反撃を行った。シドニーはエムデンより大型・優速であり、主砲の口径も10.5cm砲のエムデンよりも15.2cm砲は射程が長く優越していた。また、シドニーは水線部と甲板に防御を持つのに対しエムデンの装甲は30mmと薄い上に甲板部しか防御されない上に、長期の航海により各所に状態の思わしくない箇所を抱えていた。

しかし、幸運の女神はエムデン戦隊に微笑んだ。この時の《シドニー》には《エムデン》の接近は伝わっていたが、《ニュルンベルク》の存在は知らされていなかった。それによりいくらかは主導権を握って戦うことができ、さらにはじめの砲撃が奇跡的に《シドニー》の艦橋に命中、艦長以下艦橋要員を全滅させる事に成功した。

これにより《シドニー》は一時的に大混乱に陥った。そこをドイツ海軍が見逃すはずもなく、《ニュルンベルク》より2本、《エムデン》より2本の魚雷を発射する。満足な回避行動が取れなかった《シドニー》は魚雷4本をもろにくらい轟沈した。

この《シドニー》が大規模な輸送船団の護衛艦であることはエムデン戦隊もそれまでの無線解析の結果掴んでおり、この事からエムデン戦隊は出撃を中断したANZAC輸送船団がいることを知る。

《シドニー》を返り討ちにしたエムデン戦隊は揚陸隊の回収を急いで行い、《シドニー》がきた航路からANZAC輸送船団の位置を仮定、逆襲を仕掛ける。

この時のANZAC輸送船団には護衛艦は装甲巡洋艦《マイノータ》、肝心の輸送船団の位置も予想こそあるものの正確な位置は不明と、防護巡洋艦2隻のみで挑むには部もリスクも高い賭けで。だが、エムデン戦隊はそれでもこの賭けを行った。

そして19時、エムデン戦隊はANZAC輸送船団を捕捉する。この時、まだ《マイノータ》はエムデン戦隊を発見はしていなかったが、それでも十数秒の差で彼らもまたエムデン戦隊を発見する。始めに動いたのはエムデン戦隊であった。彼らは単縦陣でマイノータに向け速力を全快で突貫した。この時のエムデン戦隊がマイノータにダメージを与えられる武装は魚雷しかなく、魚雷発射管は艦種しかなかったからだ。これを見た《マイノータ》はエムデン戦隊の考えを読んでおり、魚雷の射程範囲まで来られる前に沈めるべくエムデン戦隊に向けて砲撃を開始する。しかし、夜間と言うことやエムデン戦隊の速度が速かったことにより思うように狙いをつけられず中々、命中しなかった。そして、お互いの距離が4,000mにまで近づくと、《エムデン》と《ニュルンベルク》は《マイノータ》に向けて魚雷を発射する。

《エムデン》が発射した魚雷は当たらなかったが、《ニュルンベルク》が発射した魚雷は全てが《マイノータ》に命中。しかし、魚雷2発では《マイノータ》は沈みはしなかった。

エムデン戦隊は再び魚雷を発射しようとさらに距離を詰めるが、副砲も含めた全力砲撃を受けることになり、《エムデン》や《ニュルンベルク》にもついに命中弾が見られ始める。

そして、ついに主砲から放たれた26.4cm弾が《ニュルンベルク》に命中。今までエムデン戦隊構成艦として活躍してきた防護巡洋艦《ニュルンベルク》はインド洋にその姿を沈める事になる。しかし、《ニュルンベルク》に主砲が命中する数秒前に魚雷が放たれており、これが《マイノータ》に命中。《マイノータ》は浸水によって急速に傾き、戦闘能力を喪失する。

481: ホワイトベアー :2019/07/14(日) 19:08:54 HOST:om126200115219.15.openmobile.ne.jp
《ニュルンベルク》の犠牲によ《マイノータ》を戦闘から脱落させたエムデン戦隊はANZAC戦隊へ攻撃を開始、船団バラけさせて逃走を開始していたが、戦闘開始から対して時間が過ぎていないこともあって《エムデン》《プリンツ・アイテル・フリードリヒ》に早々に捕捉される輸送船が多数発生、最終的に15隻近くを沈められ、多くのANZACの新兵達が実戦を経験することなくインド洋に沈んでいった。

ANZAC輸送船団の事実上の被害甚大。この報告は《エムデン》から逃れられた輸送船により発せられ、即座にイギリス海軍省にまで届く事になった。この時はチャーチルの後任として海軍大臣に着いたばかりであったが、アーサー・バルフォア海相は早々に責任を取らされ更迭される事になる。

そして、これを受けたイギリス海軍はもはやなりふり構わずエムデン戦隊の討伐に全力を尽くす。東洋艦隊のみならず地中海艦隊も動員、巡洋戦艦3隻、装甲巡洋艦7隻を主力としたあわせて100隻近い艦艇が動員される。また、これとは別個に装甲巡洋艦だけでは船団護衛には不足があるとして旧式の戦艦群も船団護衛に動員。護衛艦隊の戦力一方、この時の《エムデン》は先の戦いでおった傷の他に弾薬の欠乏と言う問題にも直面しており、1914年11月22日にイギリス海軍に捕捉されるとついに降伏。翌日には通商破壊中であった仮装巡洋艦《プリンツ・アイテル・フリードリヒ》も捕捉され、抵抗の後に自沈、ここにエムデン戦隊は壊滅した。

そして、青島に籠るドイツ東洋艦隊とこれを封鎖するオーストラリア海軍・イギリス海軍連合艦隊のにらみ合い以外は平和な海へと戻っていった。そして、戦いの部隊はヨーロッパと大西洋へと戻っていく。

482: ホワイトベアー :2019/07/14(日) 19:10:00 HOST:om126200115219.15.openmobile.ne.jp
以上です。

今回の話を各に辺り、エムデンのことは多少調べたのですが、調べれば調べるほど驚愕を覚えましたよ。そして、現実は小説より奇なりと言う言葉を改めて思いしりました。何で単艦で要塞化された軍港二つに艦砲射撃を加えて29隻の艦艇を撃沈できるんですかねぇ(震え声)

ちなみにANZAC護衛艦隊がなぜあそこまで少なかったかと言うと

1.オーストラリア海軍主力はドイツ東洋艦隊主力が籠る青島の封鎖に当たっていて余剰戦力がない。

2.イギリス東洋艦隊はエムデン戦隊の捜索で手一杯。

3.フラカス先輩の艦隊はフランスインドシナ軍を乗せた輸送船団の護衛に駆り出されている。

4.ロシア海軍は日米がどちらにつくのかわからないのでウラジオストクからあまり戦力を出せない(そもそもマルセイユ講和条約によって極東における戦力が大幅に減っている)。

と言う理由からです。

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最終更新:2019年07月19日 22:01