592: 透過の人 :2019/07/16(火) 23:29:05 HOST:softbank126077075064.bbtec.net
日墨ルート
第一次世界大戦が終わった後も世界では混乱が続いていた。
中華民国では孫文によって近代化が進められ、その象徴として戦艦の購入すら行われていたが、
中国国内では中央集権的、強権的な姿勢に反発した民衆が1918年5月4日首都南京をはじめとする各地でデモを行い、それに対して民国軍が発砲したことから混乱が起き、
黄興の死後反孫文派の筆頭だった宋教仁が第2革命の開始と議会主義、連省自治を基本とする中華連邦の建国を広州で宣言した。
国際連盟は民国と連邦双方に自制を求め、また警告を発したが無視され(注1)、それどころか列強各国が第一次世界大戦で余剰となった兵器類を率先して売りさばく始末だった。
こうして、中華の大地は再び熱く燃える事になる。

593: 透過の人 :2019/07/16(火) 23:29:47 HOST:softbank126077075064.bbtec.net
一方その頃ロシアでは大戦中から続く騒乱にようやく終止符が打たれようとしていた。
ペテルブルグの臨時政府は議会主義と民主主義で共和派の懐柔を図るとともに、皇族や貴族を保全することで帝国復活の可能性を残すことで帝国派も懐柔した。
また、自治の範囲内とはいえロシア人以外の諸民族に対しても妥協する事で、なんとか旧帝国の枠組みを残そうとした。
しかし、それでも納得しないものたちがいた。
完全独立を望むウクライナ、フィンランド、バルト三国、過激な思想を持つボリシェヴィキとアナーキストたちだった。
これに対してロシア政府はついにドイツに対して支援を要請、バルト三国、フィンランドの勢力圏化と引き換えにドイツは最新装備に身を固めた義勇軍(フライコーア)を派遣した。
彼らの活躍により、ボリシェヴィキは壊滅(指導部は逃亡中)したが、ネストル・マフノを指導者とする黒軍はマフノの軍事的才能もあり最後まで戦いを続けた。
その後、黒軍の自由地区を模した農村を基盤とする蜂起は都市部を拠点とする共産主義者とならんで反政府活動の二大潮流を形成することになる。
フライコールによる鎮圧後、新生ロシア国政府はベルリンにて、王政国家として独立を果たしたバルト3国、フィンランドとともにドイツを中心とする経済圏ミッテルオイローパの成立と加盟を宣言する。
これは連合国へ対抗する為の同盟国の再編と新たな経済圏の成立を意味したが、
勢力圏の再編を考えていたのは同盟国陣営だけではなかった。連合国の各国もまた体制の刷新を図っていたのだった。

594: 透過の人 :2019/07/16(火) 23:30:56 HOST:softbank126077075064.bbtec.net
というわけで、中露回でした。次は連合国側の国の話ですね。

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最終更新:2019年07月19日 22:03