899 : ホワイトベアー sage 2023/02/03(金) 22:04:00
日米枢軸ネタ 第27話 改訂版

ドイツ帝国陸軍が東西両戦線で協商軍を圧倒している中、ドイツ帝国海軍は海で伝説を打ち立てる事になる。

ドイツ地中海艦隊はドイツの最新鋭巡洋戦艦『ゲーベン』と軽巡洋艦『ブレスラウ』の2隻からなる極めて小規模な艦隊で、その役割は戦時にオーストリア・ハンガリー海軍と協力してアルジェリアからフランスへの兵員輸送を妨害することであった。

1914年7月、オーストリアがセルビアに宣戦布告を行い、仏独の開戦が秒読みの段階まで達するとドイツ地中海艦隊は当初の計画の通りに、イギリス海軍がオトラント海峡を封鎖する前に地中海に進出すべく石炭を満載にしてポーラを出港した。
出港当初はフランスと北アフリカを結ぶシーレーンを破壊するべく地中海の西側を目指して針路をとった独地中海艦隊であったが、途中で本国からポーラへの帰投命令が届いたことで一度転進、さらにその後に海軍大臣テイルピッツより『ヴィルヘルムスハーフェンに向かい大洋艦隊と合流せよ』と言う無茶と無謀をミキサーで混ぜてぶちまけたかのような無茶苦茶な命令が届けられたために二転三転する本国の指示に恨み言を吐きながらジブラルタルを目指して再度地中海西に針路をとった。

一方、当時の欧州で最大の海軍国であり、世界大戦前にドイツ帝国と熾烈な建艦競争を行っていたイギリスであるが、
地中海はアフリカと欧州を直接結ぶ内海であると同時にイギリスを大英帝国足らしめるインドとイギリス本国を最短で結ぶシーレーンが通っているなど、欧州におけるバランス・オブ・パワーにとって非常に重要な海域であるために、当時のイギリス海軍は
インヴィンシブル級巡洋戦艦『インヴィンシブル』『インドミタブル』『インフレキシブル』、『インディファティガブル』、マイノータ級装甲巡洋艦『ディフェンス』、ウォーリア級装甲巡洋艦『ウォーリア』、デューク・オブ・エジンバラ級装甲巡洋艦『デューク・オブ・エジンバラ』『ブラック・プリンス』
巡洋戦艦4隻、装甲巡洋艦4隻を主力に、軽巡洋艦4隻、防護巡洋艦12隻、駆逐艦32隻を戦闘艦艇として保有する大艦隊である地中海艦隊を駐留させていた。
そして、オーストリアがセルビアに宣戦を布告し、ドイツ帝国とフランスの間での開戦が秒読みとなったことを受けてドイツ帝国の同盟国にして大戦に参戦している同盟陣営国で唯一地中海に拠点を持つオーストリア・ハンガリー帝国に備えるために西暦1914年8月1日までにイギリス海軍地中海最大の拠点であるマルタ島にその全戦力を集結させていた。

艦隊が集結した翌日である西暦1914年8月2日、英地中海艦隊司令部はチャーチルよりオーストリア海軍の籠もるアドリア海の封鎖を行うために装甲巡洋艦4隻を主力とした艦隊をオトラント海峡に派遣し、同時に巡洋戦艦2隻を主力とした艦隊でアドリア海から地中海に出撃したドイツ帝国海軍地中海艦隊の追跡を行うように指示を受けた。
この命令を受けた英地中海艦隊司令部は日本製戦艦である『テゲトフ級戦艦』4隻を運用するオーストリア・ハンガリー海軍の籠るアドリア海を封鎖するためには装甲巡洋艦のみでは戦力不足だとして巡洋戦艦『インドミタブル』『インディファティガブル』をアーネスト・トラウブリッジ少将麾下の巡洋艦戦隊と共にオトラント海峡に派遣し、『ゲーベン』の捜索には巡洋戦艦『インフレキシブル』『インヴィンシブル』を基幹とした快速部隊をポーラへ向う独地中海艦隊が発見されたメッシーナ海峡に向かわせた。

ただ、『インフレキシブル』を旗艦とした『ゲーベン』捜索部隊がメッシーナ海峡に到着したときには独地中海艦隊はすでに本国からの命令を受けてジブラルタル海峡を目指して出港してしまっており、イギリス海軍の行動は空振りに終ってしまう。

イギリスの海運にとってもっとも重要と言っても過言ではない地中海で、敵対国の巡洋戦艦が無傷の状態で行方不明であるなどイギリス海軍にとって許容できるはずがなく、独地中海艦隊の補足失敗を知らされた地中海艦隊司令部はドイツ地中海艦隊の捜索のために慌てて《インドミタブル》《インディファティガブル》と投入可能な防護巡洋艦、1個水雷戦隊、基地航空隊を追加投入して大規模な捜索網を地中海に敷く。

このかいもあってイギリス海軍地中海艦隊は西暦1914年8月12日に地中海東部において『ゲーベン』らしき巡洋戦艦を発見することに成功。すでに英独は戦争状態にあり、イギリス地中海艦隊はドイツ地中海艦隊を撃滅するべく稼働可能な戦力の大半を地中海東部に送り込んだ。
地中海艦隊の稼働戦力の大半を投入した背景には戦力を小出しにしたがゆえに独地中海艦隊の補足に失敗した反省があり、今度こそ確実に『ゲーベン』を始末するべくイギリス海軍は動いたのだが、結果として英地中海艦隊の動きは裏目に出てしまう。

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900 : ホワイトベアー sage 2023/02/03(金) 22:05:03
というのも、この時に発見された巡洋戦艦はドイツ帝国海軍の『ゲーベン』ではなく、オスマン帝国海軍の『ヤウズ・スルタン・セリム』であったのだ。
厄介なことに『ゲーベン』と『ヤウズ・スルタン・セリム』はどちらも日本の『標準巡洋戦艦』の派生型に属する巡洋戦艦で、細かな差異は各所にあるものの準同型艦と言っても過言ではいほど似通った艦形をしていた。
そのためにイギリス海軍はこれを誤認してしまい、結果として独地中海艦隊がいる地中海西側の戦力を手薄にしてしまったのだ。

図らずもイギリス地中海艦隊がデコイに引っかかり、その戦力を地中海東部に集中させている一方、ドイツ地中海艦隊はフランス軍輸送船団やフランス海軍との接触を避けながらの航行を続け、ジブラルタル海峡近海にまで到着していた。

この時のジブラルタルには戦力といるモノは水雷戦隊1個しかなく、この水雷戦隊もジブラルタル要塞に基本的にジブラルタル要塞内から出撃することはない。
さらにいまだにイギリス海軍は独地中海艦隊は地中海東部にいると誤解していたことからその警備も緩く、オスマン帝国国旗を掲げるなど最低限の偽装をした上で夜間にジブラルタル海峡の通過を実行した独地中海艦隊は何ら抵抗を受けることもなくジブラルタル海峡を突破することに成功した。

大西洋に出た独地中海艦隊は再びスペイン船より石炭と物資を補給すると、ヴィルヘルムスハーフェンに向けて進路とる。

当時の独地中海艦隊の水兵たちの間では絶望的と考えられていた大西洋進出があまりに上手くいったこともあって楽観的な考えも広く蔓延していた。
しかし、そうした舞い上がった水兵たちとは違い、独地中海艦隊司令部はまったく油断も慢心もしていなかった。いや、することができなかった。

何しろヴィルヘルムスハーフェンへの航路にはジブラルタル海峡など比ではない最大の難関がある。そう、イギリス海峡だ。

このイギリス海峡は文字通りイギリス本土の眼の前ということもあって、軽巡洋艦と駆逐艦を主体としたポーチランド部隊、ドーバー部隊、ハリッジ部隊の3個艦隊とイギリス陸軍航空軍がその目を光らせて監視しており、もしもここを通過しようものなら即座に発見され沈められる可能性が極めて高かった。

ただ、それでもイギリス本土をグルリと一周するよりかはヴィルヘルムスハーフェンに到着できる可能性は高く、何より最早母港であるポーラに引き返すことは不可能である。
ならばあとは前に進むだけとドイツ海軍地中海艦隊はドーバー海峡に突破するべく舵をとった。
彼らは少しでも発見の可能性を避けるべく夜間にイギリス海峡に侵入。その後も高速を維持し、短時間でのドーバー海峡の突破を図る。

幸いというべきかこの時のイギリス海軍の目はウィルヘルムスハーフェンの大洋艦隊主力に向いていたことと、ドイツ地中海艦隊が地中海を離れているなどと考えすらいなかったこともあって各哨戒部隊はイギリス海峡では厳しい警戒体制をとっておらず、航空機部隊も夜間飛行は危険視されていたために飛んですらいなかった。
それでもドーバー海峡で操業中の漁船等には見つかりはしたが、彼らもまさかドイツ帝国海軍がドーバー海峡を横断しているとは思わず、さらに独地中海艦隊もこれらに一切攻撃を加えなかったことやイギリス海軍の主力艦がスカパ・フローを目指してドーバー海峡を渡ることも多々あったために『ロイヤルネイビーorフランス海軍の戦艦が居る』程度にしか認識せず、彼らからイギリス海軍に通報が飛ぶこともなかった。

これらの幸運に助けられたこともあって、途中、『ブレスウラ』が触雷すると言うトラブルも発生したが、それでも独地中艦隊司令部を唖然とさせるほどあっけなく『ゲーベン』と『ブレスウラ』はイギリス海軍の警戒網に引っ掛からずにドーバー海峡の突破に成功。無事にヴィルヘルムスハーフェンにたどり着くことができた。

そして、ウィルヘルムスハーフェンに到着したドイツ帝国海軍地中海艦隊の偉大なる“戦果”はドイツ軍の名声や士気の向上という理由も有って大々的に国内外に公表されてしまった。

この偉業を成したドイツ帝国海軍地中海艦隊は国内はもちろん日米を含む中立国からも称賛の声を浴びるように受けることになり、その乗組員達は階級を問わずその偉大なる功績を称えられた。
一方、ジブラルタル海峡と英仏海峡を堂々と突破されたイギリス海軍は国内やフランスから轟々たる非難の声が殺到すると同時に、日米や同盟陣営からは嘲笑の的となり、開戦から数日で地中海艦隊やジブラルタル要塞、各哨戒戦隊司令部に務めていた多くの将校が無能の烙印を押されると同時に更迭され、さらにチャーチル海軍大臣やフィッシャー第一海軍卿などが辞任に追い込まれるなどロイヤル・ネイビーの軍令・軍政はその機能を大きく低下させることになる。

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901 : ホワイトベアー sage 2023/02/03(金) 22:05:55
地中海と大西洋でドイツ海軍地中海艦隊がウィルヘルムスファーケンへの到着と言う奇跡をおこす直前、遠いアジアでもドイツ海軍は動きだそうとしていた。

もともと、ドイツ海軍は1881年よりアジア地域に東洋艦隊を派遣しており、1898年には独清条約を締結することで東洋艦隊の拠点として膠州湾を99年間租借する事を清に認めさせ、それまで貧しい漁村だった青島に海軍基地と支援施設からなるドイツ帝国海軍の東洋基地を建設していた。

ドイツ帝国海軍東洋艦隊は第一次世界大戦開戦直前には巡洋戦艦『フォン・デア・タン』、装甲巡洋艦『シャルンホルスト』『グナイゼナウ』、仮装巡洋艦『プリンツ・アイテル・フリードリヒ』『リャザン』 防護巡洋艦6隻、非防護巡洋艦4隻、駆逐艦8隻、水雷艇20隻、砲艦4隻と無視できない大戦力を有するまで増強されており、史実で太平洋におけるドイツ植民地だったオセアニアの島々やパプアニューギニアの東地域が軒並み日本の領土となっていたこともあってそのほとんどが青島に停泊していた。

世界大戦が勃発するとイギリスはドイツ本国と海外植民地との通信を阻害するために自国の勢力圏を通る全てのドイツ帝国が敷設した海中ケーブルを遮断していたが、青島のドイツ帝国軍は満州連邦ー日本ー米国を通るルートを使いドイツ本国との連絡線確保に成功していた。
そのこともあって大戦が勃発するとドイツ帝国東洋艦隊は海軍大臣テイルピッツよりアジア方面の協商軍の戦力を引き付けることとアジア方面における通商破壊の実施を本国から命令され、東洋艦隊司令官マクシミリアン・フォン・シュペー中将は東洋艦隊主力こそ青島に温存するが、防護巡洋艦『エムデン』『ニュルンベルグ』と仮装巡洋艦『プリンツ・アイテル・フリードリヒ』石炭運搬船『エルスベート』からなるエムデン戦隊を臨時編成、連合国の艦船への通商破壊を行うべく青島を出撃させた。

1914年8月23日、ライオン級巡洋戦艦『オーストラア』、軽巡洋艦2隻を中核としたオーストラリア海軍艦隊とコロッサス級戦艦『コロッサス』『グローリ』『パイオニア』『トライアンフ』、装甲巡洋艦『クインシー』『ホープ』『ハンプシャー』『エセックス』『マイノータ』を主力とするイギリス東洋艦隊がドイツ東洋艦隊を自由にさせないようにする為に青島に対する海上封鎖を実施する。
しかし、英豪連合艦隊の動きは一歩遅く、この時にはエムデン戦隊はロンボク海峡を通過してインド洋に進出してしまっていた。そこで彼らもまた伝説を作る。

インド洋に入ったエムデン戦隊は仮装巡洋艦である『プリンツ・アイテル・フリードリヒ』を『エルスベート』の護衛として組ませ、『エムデン』と『ニュルンベルク』は戦隊から離れてそれぞれ単独で通商破壊に移った。
彼らはインド洋で連合国籍の船舶を相手に極めて紳士的に通商破壊を実行し、9月14日までに輸送船だけでもベンガル湾にて12隻の船を死者・重軽傷者0と言う状態で撃沈または拿捕するという圧倒的な戦果を叩き出した。

この12隻の船の中には中立国籍の船もあったが、エムデン戦隊はその巧みな外交術で問題を回避し、国際法違反と糾弾されないように様々な手を尽くしていた。それだけではなくエムデン戦隊は拿捕された中立国の人間からすら称賛の声すら出るほど人種年齢宗教問わず拿捕した全ての船籍の乗組員を丁寧に扱い、通商破壊とドイツ帝国海軍の国際的なイメージの向上と両立させるという神業的な所業を成し遂げていた。

『エムデン』と『ニュルンベルク』の活躍によりインド洋の通商航路は大きなパニックに覆われ、協商国の商船の戦時保険料が急騰し、多くの船舶が出港を見合わせる事態を招いた。これによって協商軍の物資や人員の輸送は大きく乱れ、本國が独東洋艦隊に求めた以上の成果を彼らはこの時点で見せていた。

『エムデン』と『ニュルンベルク』は9月16日に一旦通商破壊を終了。事前に決めていた集合海域で別行動をとっていた『プリンツ・アイテル・フリードリヒ』、『エルスベート』と合流し、消費した石炭を補給すると同時に次の目標をイギリス海軍の重要拠点であるマドラスに決定、補給を終えると『エムデン』と『ニュルンベルク』はマドラスを襲撃するべくインド亜大陸に向け針路をとる。

マドラスは日本海軍対策に史実より多くの大型艦艇が配備されていたイギリス東洋艦隊の後方支援拠点として整備されたインド・太平洋におけるイギリス海軍最大の海軍拠点であると同時に、インド亜大陸最大の金融センターにして南インド最大の大都市でもある。
そうであるからこそ、エムデン戦隊はマドラスを襲撃することで独地中海艦隊の活躍で揺らいでいたイギリス海軍の面子にさらなる揺さぶりをかけようとしたのだ。

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902 : ホワイトベアー sage 2023/02/03(金) 22:06:51
当然、それだけの重要拠点であるマドラスにはそれなり以上の防衛力が配備されており、何の策も無しに突撃してもただただ撃沈されるだけなのは自明の理である。
ゆえに『エムデン』と『ニュルンベルク』は偽造煙突を使い四本煙突型巡洋艦にその姿を擬態させた。
これは当時のイギリス海軍が運用していた巡洋艦が2本または4本煙突であったことから、イギリス巡洋艦と誤認されることを期待しての措置であった。
当然、軍艦旗もホワイト・エンサインを掲げ(※1)、その姿で航海灯をつけたまま堂々とマドラスに向かって航行した。
偽装や堂々とした振る舞いが功を奏し『エムデン』と『ニュルンベルク』はイギリスの警戒網を突破してドラス海岸から2,800mか3,000mほどまで接近することに成功、国際法に則ってホワイト・エンサインを降ろしドイツ帝国海軍軍艦旗が掲げられるのを合図にマドラス沿岸部に向けての砲撃を開始する。
この時の砲撃は沿岸砲と石油貯蔵施設、そしてイギリス海軍施設を標的とする一方で、決して市街地には当たらないように徹底されており、石油貯蔵施設に大きな被害を与え、65万ガロンの石油を燃焼させることとマドラスの基地機能を大きく低下させるという大戦果を出しながら市街地には一切被害を与えることはなかった。(石油貯蔵施設等への攻撃で一般市民の死者は出ている)

無論、イギリス軍も沿岸砲で反撃を加えるが、突然の奇襲による混乱が合わさって指揮系統が完全に麻痺してしまい、反撃は各砲単位が独自の観測修正によって行ったものであった。
しかし、夜間という視界の悪い中でそのような状態で満足に反撃が行えるはずもなく、このマドラス襲撃では『エムデン』や『ニュルンベルク』一発の砲弾も当たらず、離脱する際には『我、SMSエムデン これよりマドラスを去らんとす。ご用 無きや?』と挑発的な内容の電文を平文かつ全周波数で無線で放ちながら闇に紛れて悠々とマドラス沖を去っていった。

大英帝国のお膝元であるマドラスでおきたこの砲撃事件は場所が場所であったために誤魔化しがきくはずもなく、短時間のうちにその大まかな情報と最後にエムデンが放った挑発的な電文の内容が全世界に知れ渡ることとなった。
当然、ドーバー海峡突破に続いて内海であるインド洋にてマドラスを一方的に攻撃され、しかも下手人を取り逃がすと言う軍の醜態はイギリス本国でも大問題となり、エムデン戦隊の狙い通りロイヤル・ネイビーの威信は文字通り地に落ちた。

この頃になるとイギリス側もドイツ軍の通商破壊部隊の詳細を掴んでおり、ここまでコケにされたロイヤル・ネイビーはエムデン戦隊をこの世から抹殺するためにグランドフリートと地中海艦隊から巡洋戦艦『インフレキシブル』『インヴィンシブル』と装甲巡洋艦4隻、軽巡洋艦/防護巡洋艦12隻からなる討伐部隊を派遣し、政府の命令を受けたRAF/ロイヤル・エア・フォースも航続距離の長い大型機で編制されていた航空部隊をイギリス本国から派遣、さらに東南アジアに展開していたRAF所属の大型機もエムデン戦隊捜索のためにインドに移動させてエムデン戦隊の捜索を開始する。
しかし、そのような事は影響ないとでも言うかのようにエムデン戦隊はセイロン島近海で4隻の艦船を撃沈、さらにコロンボ・ミニコイ間の航路にて6隻の撃沈させ4隻の拿捕に成功するなどエムデン戦隊による被害は留まることを知らなかった。

エムデン戦隊は沈めた船の乗組員を拿捕した船を使い解放すると、イギリス軍の追跡を撒くためにRAFの航続距離外に位置するモルディブ諸島へ向かい、そこで拿捕した艦艇から物資と石炭を補充。流石にインド近辺で暴れすぎたこともあって次の目標を東南アジアに定めチャゴス諸島へと針路をとった。
チャゴス諸島はインド洋でも辺境として扱われている島々で、イギリスの植民地でありながらチャゴス諸島最大の島であるディエゴガルシア島ですら誰も戦争のことを知らなかったほど外界と分断されていた。
そのこともあって10月9日にディエゴガルシアに到着した『エムデン』と『ニュルンベルク』は別行動を取っていた『プリンツ・アイテル・フリードリヒ』と『エルスベート』と合流し、物資の補給を行うと同時に水兵達の上陸を許可、戦いずめであった彼らにしばしの休息をとらせた。
そして、チャゴス島を出発したエムデン戦隊は陽動のために『プリンツ・アイテル・フリードリヒ』がコロンボ・ミニコイ間の航路に進出、自沈するまで4隻の輸送船を撃沈させることでイギリス海軍の視線をインド洋中部に誘導し、その裏で主力たる『エムデン』と『ニュルンベルク』を次の狩り場である東南アジアに移動させた。

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903 : ホワイトベアー sage 2023/02/03(金) 22:07:21
ドイツ海軍はこの一ヶ月弱で30隻の艦船を拿捕または撃沈しており、協商海軍はドイツ海軍の通商破壊対策の為に共同戦線を取ることで合意。
経済性を無視して商船を単独航行から船団航行に移行させ、各船団は各国海軍から抽出された護衛部隊がエスコートをすることとなった。
これを受けてインド洋では東側ではマレーのイギリス海軍とインドシナのフランス海軍、ロシア海軍による多国籍部隊が、西側でもアフリカを牛耳るイギリス・フランスの艦隊が輸送船団の護衛につき、護送船団を形成していった。

これを知ったエムデン戦隊は今後の通商破壊の難易度を下げるためにも協商海軍の重要拠点であるペナンに殴り込みをかけ、護衛戦力を漸減することを計画する。
この時のペナン港には通商護衛の為にイギリス・フランス・ロシアの軍艦が入港しており、多種多様な軍艦が集結中であった。
そのため、このなかに潜り込めれば攻撃を行えるチャンスがあるかもしれないが、当然ながらイギリス海軍の重要拠点であるペナンは要塞化されており、マドラスに殴り込みをかけられたイギリス海軍はペナンを始めとした重要拠点に最大限の警戒を敷しいていたことからリスクは極めて高かった。
しかし、『エムデン』の艦長にして戦隊司令官を務めるカール・フォン・ミューラー中佐の説得もあってエムデン戦隊はペナンへの殴り込み実施は行われることとなる。
この作戦は奇襲性がもっとも重要であり、さらに失敗した場合でもインド洋における通商破壊を継続できるように『エムデン』は『ニュルンベルク』と別れ単独でペナンに針路をとる。

『エムデン』はマドラス攻撃の際と同様に偽装煙突を装備することで4本煙突型巡洋艦に擬態し、10月28日に未明にペナンへ接近。運の良いことにこの時ペナンでは3隻のフランス海軍駆逐艦が入港をしようとしている最中で、『エムデン』はこれに紛れることでペナン港内への進入に成功できた。
そして、港内に入港してすぐに発見したロシアの巡洋艦『ジェムチュク』を最初の目標と定め雷撃と砲撃を叩き込むことでこれを撃沈し、ペナンの守備部隊が混乱から立ち直る前に撤退しなければならないため短い時間だけではあったがペナンの港湾部にも砲撃をおこなった。
そして、『ジェムチュク』が完全に沈没する頃にはパニックに陥っていた協商軍と燃え盛る『ジェムチュク』及びペナン港湾施設を尻目に『エムデン』は全力でこの海域から離脱をはかる。
途中、イギリス貨物船を発見した『エムデン』はこれを拿捕しようとするが、臨検中にペナン攻撃の知らせを受けた協商軍駆逐艦が現れたため当該貨物船を釈放、イギリス巡洋艦のフリをしてこれをやり過ごそうとした。
現れたのはフランス海軍の駆逐艦で、夜間で視界が悪かったこともあって当初は『エムデン』の意図通り『エムデン』をイギリス巡洋艦と誤認していた。しかし、この時の『エムデン』は軍艦旗を下げるのを忘れるという大ポカをやらかしていたことが原因でフランス海軍駆逐艦に正体がバレてしまうが、通報される前にフランス海軍駆逐艦を砲撃で撃沈することでこれをやり過ごし、フランス海軍駆逐艦の乗員の救出を終えると追撃してくるフランス駆逐戦隊を振り切り安全海域まで離脱する。

このペナン攻撃は現地に停泊し、撃沈された日本船籍の船からの情報のあって早々に全世界に知れ渡る事になり、ただでさえ地に落ちていたイギリス海軍の威信は完全に失墜。
インド洋における戦時船舶保険料は高騰し続け、輸送船は次々と出港を見合わせ、連合国のインド洋におけるシーレーンは大打撃を受け、アーサー・バルフォア海相を始め就任したばかりのロイヤル・ネイビー上層部が早々に責任を取らされ更迭される事になった。
(なおやらかした東洋艦隊は指揮系統が狂ってエムデン戦隊の跋扈を許したら本末転倒ということもあって最後の猶予を与えられた)

エムデンはペナン襲撃後に『ニュルンベルク』と合計、再び通商破壊に勤しんでいた。しかし、彼らの行動は控えめに言っても無茶なもので、船体の状態や物資、乗組員のコンディションなどに少しずつだが綻びが見え始めていた。
そんな中エムデン戦隊は次の作戦としてココス諸島のディレクション島にある無線施設と海底ケーブルの破壊を決める。

エムデン戦隊は11月9日にココス諸島のポートリフュージに停泊。ヘルムート・フォン・ミュッケ大尉以下50名からなる陸戦隊が無線施設の破壊およびケーブルの切断のために同地に上陸、無線基地の破壊と3本中2本のケーブルの切断は手際よく行えたが、最後の1本が発見できずに時間をかけてしまう。

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904 : ホワイトベアー sage 2023/02/03(金) 22:08:27
また、エムデン戦隊は気づけなかったが陸戦隊の上陸直前にディレクション島の無線基地は不審な艦影を発見したという緊急電報を発信を許してしまっており、このとき偶然にもANZACを乗せた35隻の輸送船からなる輸送船団と戦艦4隻、装甲巡洋艦2隻、軽巡洋艦2隻、駆逐艦8隻からなる船団護衛艦隊が同島から80km、時間にして2時間の地点を航行中で、6時55分、『コロッサス』がディレクション島からの緊急電報をキャッチしていた。
そして、知らせを受けた輸送船団護衛艦隊は直ちに6機のクラサキK.7水上機を緊急発進させてディレクション島に向かわせており、ディレクション島付近にて『エムデン』を捕捉することに成功、イギリス東洋艦隊はついに怨敵であるエムデン戦隊を捉えることに成功した。

余談であるがANZAC輸送船団がなぜここまで厳重な護衛の下にあったかと言うと、当時のイギリス本国では短期間のうちに不祥事を連発するロイヤル・ネイビーへの非難が集中、次はないところまで追いやられたイギリス海軍がアキレス首相からの厳命もあって、ANZACを乗せた35隻の輸送船から構成される大船団を無傷で確実にイギリス本国に到着させるべく青島の封鎖に当たっていた部隊からコロッサス級戦艦4隻と装甲巡洋艦1隻、軽巡洋艦1隻、駆逐艦8隻を抽出したためであった。

閑話休符

『国籍不明巡洋艦2隻を認』

無線を通してその報告を受けたANZAC輸送船団護衛艦隊司令部は当該地域に協商軍の巡洋艦が存在しないことを確認するとこれをエムデン戦隊と断定、ここで確実に撃破するために超弩級戦艦であるコロッサス級戦艦4隻と装甲巡洋艦『マイノータ』『シャノン』、軽巡洋艦2隻を船団護衛艦隊から切り離し、各艦の最大船速をもってディレクション島に急派させる。

英東洋艦隊がK.7によってエムデン戦隊を捕捉した一方、エムデン戦隊もK.7を発見したことで付近に戦艦もしくは巡洋戦艦を有するイギリス艦隊がいることを把握した。
というのも、彼らがいるディレクション島付近に水上機が配備された協商軍の拠点は存在せず、当時のインド太平洋地域の協商軍艦艇で水上機を搭載していたのはイギリス海軍東洋艦隊に配備されていた4隻のコロッサス級戦艦か、オーストラリア海軍の巡洋戦艦『オーストラリア』のみ、すなわち今彼らの上空を飛ぶ水上機の存在はその母艦であるイギリスの主力艦が付近にいることの証明だったのだ。

主力艦を含む艦隊に捕捉されたことを把握したエムデン戦隊は直ちに汽笛を鳴らして陸戦隊の帰還を呼び戻し逃走を図るが、『エムデン』の最高速度が24.0ノット、『ニュルンベルク』の最高速度が24.1ノットなのに対してイギリス海軍の追撃部隊の装甲巡洋艦群は23ノット、戦艦群が21ノットとこれらだけならばスペック通りの速力を発揮できれば逃げ切ることもできたかもしれない。しかし、その先鋒を担う軽巡洋艦2隻は最高速度としてエムデン戦隊を上回る25.5ノットを発揮でき、水上機による案内を下に迷うことなく突撃してきたこともあって逃げ切ることはできなかった。

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905 : ホワイトベアー sage 2023/02/03(金) 22:09:33
10時40分、『エムデン』及び『ニュルンベルク』は通報と水上機からの誘導を受け到来したイギリス海軍軽巡洋艦『サウサンプトン』とオーストラリア海軍軽巡洋艦『シドニー』を視認、『ニュルンベルク』が砲撃を開始したことで海戦の火蓋が落とされた。

先制攻撃を譲ることになった英軽巡洋艦群であったが、彼らもサーチ・アンド・デストロイというイギリス海軍のモットーに従い苛烈な反撃を開始。
『サウサンプトン』と『シドニー』はエムデン戦隊の巡洋艦より大型・優速で、その主砲も10.5cm砲の『エムデン』よりも射程が長く威力も優越していた15.2cm砲を搭載していた。また、『サウサンプトン』と『シドニー』は水線部と甲板に防御を持つ軽巡洋艦なのに対し『エムデン』の装甲は30mmと薄い上に甲板部しか防御されない防護巡洋艦で、長期の航海により各所に状態の思わしくない箇所を抱えていた。

また、これ以上後がないイギリス海軍の軽巡洋艦群はイギリス海軍の精神に則り激しい攻撃を加える一方で功を焦ることなく後続する装甲巡洋艦群や戦艦群の到着までエムデン戦隊の足を止めることを優先しており、時間が的であったエムデン戦隊にとっては望ましくないことに戦闘は早々に膠着状態に陥ってしまう。

そして、戦闘開始から2時間半後には装甲巡洋艦『マイノータ』と『シャノン』がエムデン戦隊をその射程に収め、戦闘に参加する。
この時点では両軍ともに喪失艦こそ存在しなかったが、これまでの無茶も祟って『エムデン』は中破、『ニュルンベルク』も小破と損害を受けていた。

そのような状態で現れた装甲巡洋艦2隻からなるイギリス海軍の増援の存在はエムデン戦隊にとっては悪夢以外の何ものでもなく、これ以上の抵抗は無駄な犠牲を生むだけだとしてカール・フォン・ミューラー中佐は降伏を決断。
ここにインド・太平洋においてイギリス海軍を翻弄し続けたエムデン戦隊は壊滅し、インド・太平洋地域は青島に籠るドイツ東洋艦隊とこれを封鎖する協商軍連合艦隊、それらを監視する日米海軍のにらみ合い以外は平和な海へと戻り、戦いの舞台はヨーロッパと大西洋へと移っていく。

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906 : ホワイトベアー sage 2023/02/03(金) 22:11:50
以上になります。wikiへの転載はOKです。
改定前の第26話にあった地中海艦隊の活躍と番外編 エムデン戦隊の伝説を纏め、多少手直ししてお送りさせていただきました。

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最終更新:2023年07月09日 12:27