38 : ホワイトベアー sage 2023/04/17(月) 20:23:14

日米枢軸ルート 第29話 改訂版

【海への競争】とその後の【イーペルの戦い】が終了すると、欧州にはスイスからイギリス海峡に至るまで長大な塹壕陣地が西部戦線に形成され、大戦末期に日米が参戦するまで西部戦線全体が膠着状態に陥ることになった。

絶対に避けなければならない二正面戦争状態に陥ってしまったファルケンハインは御前会議において内閣および皇帝に陸軍参謀総長としてこの戦争における勝ち目がなくなったことを報告する。
同時に外交によって三国協商とそれぞれ単独講和を結ぶべきであるとする提言も行った。

ファルケンハインの提言は後々の視点から見れば当たり前のことであったが、勝利が続く当時のドイツ帝国では弱腰と受け取られてしまった。
協商国との単独講和論はドイツ帝国宰相であったベートマン・ホルヴェークを初めとした文民や軍の強行派などから強い反発にさらされ、ヴィルヘルム2世は戦争の継続を選択してしまう。

ファルケンハインの提言を押し退けて戦争の継続を皇帝に認めさせた政府と軍部強硬派は、国民の士気を下げぬためと報道の統制と箝口令を敷くことでマルヌ会戦とイーペル会戦の敗北が国民の耳に入らぬように隠蔽した。
ただでさえ戦争初期に飾った数々の勝利に酔っていたドイツ帝国国民が政府と軍部の情報操作を破って正しく現状を認識できるはずもない。
多くのドイツ帝国の若者は政府と軍が発する耳障りの良いプロパガンダによって地獄のような消耗戦に意気揚々と向かっていくことになる。

一方の協商側であるが、イギリスは対ドイツ宣戦布告から時間をおかずにドイツ帝国国内への厭戦感情の醸成とドイツの戦時経済の破壊、そしてドイツ帝国海軍に艦隊保全主義を廃棄させるために1856年のパリ宣言に反した海上封鎖を開始していた。

当時のイギリスはインド洋やドーバーでのドイツ帝国海軍の活躍によってそのメンツを大きく損なっていた。
そうであるからこそこの海上封鎖にはその報復としての色も有していた。

それはこのときイギリスが作成・公表した禁制品リストからもみてとることができる。
イギリスの公表した禁制品リストは民間人用の食糧や医薬品すら戦時禁制品に指定されていた極めて厳しいもので、中立国からドイツに輸出されていたほぼすべてのものを禁制品としていたのだ。

暴挙とすら言えるイギリスの海上封鎖に対して多くの中立国が非難の声を上げた。
しかし、当時のイギリス海軍はインド洋やドーバーでの醜態などでそのメンツを大きく損なっていたものの、ドイツ帝国本土の目と鼻の先であるヘルゴラント島近海での海戦(ヘルゴラント海戦)に勝利するなど北海での圧倒的な優位性は一切損なわれいないことを証明していた。

イギリス海軍の強大な海軍力も未だ健在であり、北海では強力なイギリス海軍主力がドイツ帝国へ向かう商船が居ないか目を光らせている。
各国政府の非難の声とは裏腹に、これまでドイツ帝国に物資を運んでいた民間企業の輸送船はリスクの高いドイツ帝国への航海を避けるようになってしまい、ドイツの対外貿易量は短期間のうちに大きく縮小してしまった。

当時、協商・同盟問わず当時の欧州で消費される食料品や石油を初めとした資源の中でアメリカ合衆国や大日本帝国から輸出されたものが大半を占めていた。
ゆえにイギリス海軍による北海封鎖が与えるはダメージはドイツ帝国の戦争継続能力を破壊し、短期間のうちにドイツ帝国は白旗を挙げるだろうと戦前のイギリス上層部は考えていた。

実際、イギリスの北海封鎖によってドイツ帝国の戦争経済は少なくないダメージ受けた。
だが、同盟側でありながら依然として日米との貿易を継続できていたオーストリア・ハンガリー帝国を迂回することで、ドイツ帝国は中立国との貿易を継続、イギリス側が当初見込んでいたものよりも遥かにダメージを抑えることに成功してしまう。
ドイツ帝国内の厭戦感情の広がりに関しても、ドイツ帝国の国民はイギリスが海上封鎖により飢餓への恐怖を煽り、自分達を隷属化させようとしていると見なしたことで失敗。それどころか逆に戦意を煽ることになってしまった。

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39 : ホワイトベアー sage 2023/04/17(月) 20:24:37

ドイツ帝国は国内世論と経済的な事情からイギリスによる北海封鎖を解除するべく動こうとするが、ドイツ帝国海軍とイギリス海軍の間にある戦力差は小さいものではない。
さしものドイツ帝国も、馬鹿正直に艦隊決戦でイギリス艦隊を撃破して封鎖を解除することが困難だということぐらいわかっていた。

ゆえにドイツ帝国は中立国として双方に物資を売り付け暴利を貪るチャンスを邪魔したイギリスへの反感を強めていた日米の財界への接近を本格化していった。
オーストリアのように日米の力でイギリスの海上封鎖を無力化しようとしたのだ。

……したのだが、西部戦線において優勢に立っていたことからドイツ側の交渉担当者の態度は典型的なドイツ人のそれであった。
彼らの態度はオブラートに包んでも友好的なものではなく、味方を作るどころか白人至上主義的な態度から日本の財界が「協力の打診じゃなくて喧嘩売りにきているのか」とヘイトを買う大失態をやらかしてしまう。
実質的に日本の財界の影響下にあるアメリカ財界も日本のヘイトを買うドイツと必要以上に接近しようとするはずがなかった。

一応、報告を受けたドイツ帝国軍参謀本部とドイツ帝国海軍、そして日本企業と提携していたドイツ企業の人間が顔を真青にしながら即座に日本財界に平謝りしたことで何とか大事になる前に事態を収束させることはできた。
それでもこの時のドイツ側の態度は日米財界にドイツへの不信感の種を植え付けるには十分なものであった。
そこに戦争の長期化を望む日米の政治家達にとってイギリスの海上封鎖は望ましかったこともあわさり、日米は口ではイギリスの行動を声高に非難するがそれ以上の行動に出ることはなく、実質的には北海での海上封鎖を受け入れてしまう。

日米の力を利用してイギリスによる海上封鎖を無効化することに失敗した以上、ドイツ帝国は海上貿易を再開させるために独力でイギリス艦隊を撃破する必要に迫られてしまう。
ドイツ帝国海軍は如何にして数に勝る王立海軍と戦うかの方法を本格的に模索し始めるのだが、しかしというべきか当然というべきか、これはなかなかの難題である。

何しろ当時のイギリス海軍はただでさえドイツ海軍よりも戦力が大きい上に、ドイツ海軍がどのように動いても優位を維持できるよう北海に望むスカパ・フローにイギリス海軍の戦力の大半を集めて編成された史上最大規模の大艦隊であるグランドフリートを配置していた。
数で勝る相手との真正面からの戦闘で勝利を掴むのが困難なことなど自明の理である。
当然、グランド・フリートとドイツ海軍が真正面から艦隊決戦をしようものなら敗北を喫する可能性は高く、もし仮に勝利を掴めたとしてもそれはピュロスの勝利に終わるしかないだろう。

この問題を解決するにはスカパ・フローに集結していた戦力を分散させるしかないのだが、イギリス海軍が戦力の分散という愚を自ら犯すはずがない。
如何にしてグランドフリートの戦力を分散させるか、この難問に対してドイツ海軍本部と大洋艦隊司令部は1つの答えを導き出した。

それはイギリス本国沿岸部での機雷敷設や単独で行動する艦艇への攻撃、そしてイギリス本国への第1偵察部隊による直接攻撃を軸としたイギリスへの挑発攻撃の実施である。

上記したように当時のイギリス海軍はその戦力の大半をスカパ・フローに集結させていた。
しかし、グランドフリートの目として機能するハリッジ戦隊を支援するため、計8隻の巡洋戦艦からなる快速遊撃部隊である第1、第2巡洋戦艦戦隊は依然としてフォース湾に面するロシスを母港としていた。
ドイツ海軍は今後の戦況を有利に運ぶために快速部隊でイギリス本土を攻撃、グランド・フリートの第目である1、第2巡洋戦艦戦隊を誘い出し撃破しようと考えたのだ。

副次的ながらイギリス本土の沿岸都市を攻撃することで北海に面する沿岸都市を防衛するためにイギリス海軍の戦力配置を改めさせることも望める。
さらに、イギリス国民に戦争の恐怖を知らしめることでイギリス国内の厭戦感情を高めようという意図も含まれ、ドイツ帝国海軍にとってはまさに一石三鳥の作戦であった。

1914年10月、インゲノール大将ら大洋艦隊司令部らはイギリス本土攻撃を皇帝であるウィルヘルム2世への作戦案として上奏した。

ヘルゴラント海戦での敗北こそあれど、史実よりも大きい戦果を上げたエムデン戦隊やドーバー海峡の突破という偉業をなした『ゲーベン』ら地中海艦隊の活躍に鼻を高くしていたウィルヘルム2世は史実と違い大規模作戦を行うことも認ていた。
また、彼が抱いていた【ピースメーカー】エドワード7世への細やかなる劣等感もあって、海軍側の要請も事前に攻撃目標の防備がれたのならという条件の下に承認する。

皇帝からのGOサインが出るや否や、ドイツ海軍は直ちに偵察のため攻撃目標とされたハートリプール沿岸に1,200トン級航洋型潜水艦『U-17』を派遣する。
当時のイギリスはドーバー海峡を突破されたトラウマからイギリス海峡方面の防備は固めていた。
しかし、北海では優位に立っていたために北海側の都市群の防備は無いに均しかった。

ハートリプールもその例に漏れずのイングランド有数の造船地帯でありながら、その防備は2つの沿岸防衛砲台と軽巡洋艦2隻と駆逐艦4隻のみと極めて脆弱であった。
帰投した『U-17』から齎されたハートリプール沿岸の状況からドイツ海軍は作戦の実施を決定する。

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40 : ホワイトベアー sage 2023/04/17(月) 20:33:46

ドイツ帝国海軍の動きは極めて速く、U-17が帰投した翌日の1914年11月2日にはヒッパー提督率いるドイツ海軍第1偵察部隊がイギリス本土を攻撃するためにウィルヘルムスファーフェンから出撃、短時間のうちに全艦がウィルヘルムスファーフェンを離れ大西洋に出た。

第1偵察部隊はその名の通りハイシーフリートの目としての役割が与えられた快速部隊で、その編成は大型巡洋艦(巡洋戦艦)7隻、正規空母4隻、小型巡洋艦(軽巡洋艦)4隻、大型水雷艇(駆逐艦)20隻と300機近い空母艦載機からなる大艦隊であった。

第1偵察部隊の出港が終わると、時間を置かずに同部隊が誘導してくるイギリス艦隊の撃破を目的としたハイシーフリート主力もウィルヘルムスファーフェンを出撃。
両艦隊は真夜中までに各国の漁船や王立海軍の哨戒部隊の目が届かない位置まで移動するべく針路をとる。

当然、これほどまでの大規模な動きをドイツ帝国海軍の動きを監視していた王立海軍相手に完全に隠蔽できるはずがない。
ドイツ海軍の通信量の増加やイギリス自慢の諜報能力によってイギリス海軍も近々ドイツ海軍が大規模な作戦行動に出るであろうことは把握していた。

当時のイギリス海軍は先のドイツ帝国海軍地中海艦隊によるドーバー海峡突破という大失態を繰り返さぬよう、民間のトロール船すら徴用して哨戒部隊の増強をおこなっていた。
これにより王立海軍の索敵能力は開戦時とは比べ物にならないほど強化されていた。

イギリス海軍はドイツ帝国海軍の行動が予想されると、悪天候下であったにも関わらずハリッジ戦隊はもちろんこれらの徴用トロール船すら総動員して厳重な紹介網を北海に敷く。
また、ドイツ艦隊の動きを確実に掴むためにウィルヘルムスファーフェン周辺に潜水艦を派遣してドイツ帝国海軍への監視も強化もおこなった。

哨戒部隊の動きを活発化させる一方、ドイツ帝国艦隊を補足次第これを撃破するべくスカパ・フローやロシスではグランド・フリート主力や巡洋戦艦戦隊もすでに出撃準備に入り、王立海軍はドイツ艦隊を迎え撃つため万全の体制を整えていた。

イギリス海軍の動きは二度に渡る粛清に近い更迭祭りで軍政も軍令も未だ混乱から立ち直れていないはずなのだが、それでも文字通り最善を尽くしていた。

実際、ヒッパー提督率いる第1偵察部隊はイギリスの哨戒網を避けようと航行していたが、それでも一時は艦隊司令部が作戦の中止を宣言しかける程度にはイギリス本土に近づくまでに幾度も哨戒艦に発見され、本来であるならば彼らはイギリス本土に到達することは不可能であっただろう。

しかし、幸運の女神はドイツ海軍に微笑んだ。

第1偵察部隊がウィルヘルムスファーフェンを出撃してからしばらくすると、北海南部で原因不明の大規模な電波障害が発生し両軍ともに無線通信が使用できなくなってしまったのだ。

無線封鎖状態で目的地を目指すドイツ艦隊にとってこの電波障害は大した問題にならなかった。
むしろ電波障害によってイギリス側の哨戒艦はドイツ艦隊を補足できてもその存在を本土に伝えることができず、ドイツ艦隊にとっては電波障害は王立海軍の哨戒網を突破する強力な味方となった。

逆に言えば王立海軍にとって現状は最悪以外の何者でもなかった。
なにしろ哨戒部隊と一切の連絡が取れなくなることはイギリス海軍から目と耳が奪われることを意味している。
これはドイツ海軍への戦略的優位を維持するため、他の地域の防備が低下することを許容してスカパ・フローに戦力を集中させていた王立海軍にとっては悪夢以外の何物でもない。

無論、王立海軍も通信と哨戒網を回復させようとあらゆる手段を講じた。しかし、夜間であったことから航空偵察は機能せず、通信の回復もことごとく失敗に終わってしまう。
どれだけ強力な戦力を抱えていようが、目と耳を塞がれている以上それらを効果的に運用できるはずもない。
無情なことに人事を尽くしたはずのイギリス海軍にできることは、電波障害が回復するまでに何事もおきず、一刻も早く電波障害が回復することを祈る以外存在しなかった。

だが、彼らの祈りが天に通じることはなかった。
電波障害は11月3日午前6時30分頃には解消していたが、この頃にはすでに第1偵察部隊はイギリス海軍の哨戒網奥深くまで進出しており、11月3日午前7時20分、日の出に合わせるようにドイツ帝国海軍第1偵察部隊の巡洋戦艦達はスカーブラ沿岸に到達してしまう。
(流石に空母は後方で待機していた)

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41 : ホワイトベアー sage 2023/04/17(月) 20:36:01

ドイツ帝国が誇る淑女達はイギリス海軍の駆逐艦に発せられた誰何するという無粋な問いに主砲をもって回答、少しでも時間を稼ごうと果敢にも抵抗する姿勢を見せたイギリス海軍の警備艦隊とたった3門の15cm砲しか有さない沿岸砲陣地にも同様に主砲を叩き込み短時間のうちに沈黙させた。
そして、一切の妨害を排除した第1偵察部隊はその矛先を無防備な姿を晒し砲音によって混乱の渦中にあったハートリプールの港湾施設、造船所、工業施設……市街地に向けた。

巡洋戦艦は装甲こそ巡洋艦のそれだがその砲火力は戦艦と同等である。そして、戦艦の火力は一説では砲兵一個師団に匹敵するとされる。
第1偵察部隊の擁する巡洋戦艦は主砲として38cm連装砲を4基装備するリュッツォウ級巡洋戦艦4隻と、35.6cm連装砲を4基装備するフォン・デア・タン級巡洋戦艦3隻であった。
すなわち、上記の説に当てはめるなら砲兵7個師団分の圧倒的な火力がハートリプールという無防備かつ未だ事態を把握できていない市民で溢れる都市に一切の慈悲も情けもなく投射されたのだ。

ほんの数十分前まで多くの人々が寝静まり、あるいは朝食などの準備をするいつも通りの日常がまるで嘘だったかのような地獄が誕生した。

ハートリプールは悲鳴と叫び声で満ち、砲声が鳴り響くごとに爆発とともに建物は崩壊し、人間だったものがそこかしこに散らかっていった。
突然の砲音とその後の爆音は未だ状況を理解できていなかったハートリプールの市民達をパニックに陥らせるには十分だ。
突然の砲声と爆発を受けて何が何やらわからない市民たちは避難場所を求め我先にと教会に、尖塔という街にある建築物の中でも飛び抜けて高く、艦砲射撃の目標としては申し分ない建物がある教会へと向かってしまう。

欧州の街は基本的に教会を中心にして形成されており、シェルターなどといったものが未だ未整備な当時の欧州にあって教会こそ街の中でも特に頑丈な建物であったのだ。
しかし、いくら教会が頑丈だと言っても戦艦、それも超弩級戦艦の艦砲射撃を耐えられる訳がない。
さらに上記した通り教会には戦艦の艦砲射撃の基点にうってつけな尖塔が存在し、その周囲は他の場所よりも砲撃が集中してしまう。
教会以外の場所にも容赦なく砲撃が加えられたため、教会に避難しなければ安全だったというわけではない。
だが、結果論になってしまうが教会へ避難した人々よりかは生き残れる可能性は高かっただろう。

ハートリプールからの悲鳴のような救援要請はもちろんロシスやスカパ・フローなどに待機していたイギリス海軍の主力部隊や、本土防衛を任されていたイギリス空軍の基地にも届いていた。

当時のイギリス空軍には急降下爆撃機や航空魚雷を搭載可能な攻撃機は存在しなかったが、それでも少しでもドイツ艦隊の気を街から反らすために軽爆撃機と戦闘機からなる部隊が出撃。
海軍もハートリプールに比較的近いロシスを拠点としていたビーティー提督率いるイギリス海軍第1・第2巡洋戦艦戦隊が救援要請が届くや否やロシスを出撃する。

しかし、当時のイギリス航空部隊には対艦攻撃に向かない水平爆撃用の爆撃機しか存在しなかった上に、巡洋戦艦群の直掩に当たっていたドイツ海軍空母艦載機の迎撃を受けたことで効果的な攻撃を与えることはできなかった。

イギリス第1・第2巡洋戦艦戦隊も同艦隊の出撃を察知したドイツ第1偵察部隊がこれを大洋艦隊主力が展開する海域まで誘導するためにハートリプール沖から離脱。
本来ならば巡洋戦艦部隊の直掩にあたるハリッジ戦隊はその戦力の大半を哨戒に派遣していたため、巡洋戦艦のみしか戦力を持たない第1・第2巡洋戦艦戦隊は単独での深追いを禁じられていたことから何の成果も上げることができずにドイツ艦隊を取り逃してしまう。

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42 : ホワイトベアー sage 2023/04/17(月) 20:40:42

イギリス本土への攻撃には成功したものの、イギリス巡洋戦艦部隊の誘導に失敗したドイツ帝国海軍はウィルヘルムスファーフェンに帰投したことで一連の戦いは幕を閉じた。

ハートリプール襲撃の報は、カラー写真を大々的に使った新聞やカラー映像かつ音声付きのニュース映画などより鮮明かつ臨場感を持つ媒体を通して衝撃とともに瞬く間にイギリス全土に知れ渡り、イギリスの世論を大きく動かすことになる。

ハートリプール襲撃以前のイギリスでは堂々と反戦を主張するメディアが出る程度には厭戦感情が高まっていた。

というのも、多くのイギリス国民にとってこの戦争はフランス人の戦争であり、自分たちの戦争ではないと考えていた。
そうであるはずなのに大戦の勃発後から始まったドイツ帝国艦隊による通商破壊を主要因とした物資不足によってイギリス国内では配給制が敷かれるようになり、
ストライキや雇用主の承諾無しでの辞職などを禁止する軍需品法など労働者の権利を制限する法律などによって労働環境は悪化、イギリス国民の生活は苦しくなる一方であった。

これで優勢だったのならまだ我慢もできたかもしれないが、肝心の大陸の戦況は一時はパリが陥落しかける程には悪いときた。
イギリス国民の中に厭戦感情が芽生えるのも仕方がないだろう。

世論の動きはイギリス議会内にも影響を与えていた。
当初は挙国一致体制に賛同していた労働党は支持者達の声を受けて徐々にだが反戦色を強め、また、与党である保守党内にも同盟国であるフランス人達やロイヤル・ネイビーや陸軍の不甲斐なさから、何とか戦線を立て直せた今早期に講和を結ぶべきではないか言う声が囁かれるようになってた。

しかし、そういった声はハートリプールでのドイツ帝国艦隊の蛮行と、それによって齎された惨劇が映像や写真といった形で知れ渡ると一気に消えさる。

瓦礫に潰された子供を前に泣き崩れる母親の、もはや原型を残さぬ肉片と成り果てた妻を前に立ち尽くす夫の、身体の一部を失い泣き叫ぶ少年の、必死に救難活動を続ける人々の姿を、カラー写真やカラー映像という一昔前の白黒媒体とは比べものにならない求心力をもつ媒体を介して知った多くの善良なイギリス人達はドイツ帝国と妥協するという選択肢を拒否したのだ。

変わってイギリス国内で噴出したのは、今まで偉そうにふんぞり返っていたクセに開戦以来大した成果を挙げられず自国の沿岸すら護れない”無能な“軍部への猛烈な批判と『非武装の市民、それも女子供すら無差別に殺害した卑劣かつ悪辣なドイツ帝国と、関わったすべてのドイツ人に正義の裁きを!』といったドイツへの強い憎しみであった。

特に失態続きかつドイツ艦隊による一方的な攻撃を許してしまい、ウィルヘルムスファーフェンへの凱旋も防げなかったロイヤル・ネイビーへの批判はドイツ帝国へのそれを超えるほど凄まじく、あらん限りの罵倒や非難の声が投げつけられてしまう。

今回の攻撃においてイギリス海軍は文字通り人事を尽くし万全の体制を敷いていた。
ドイツ帝国の艦隊がイギリス本土を襲撃できたのは奇跡のような電波障害があったからこそだ。

追撃を行わなかったことに関してもドイツ帝国側の主目的がイギリス巡洋戦艦部隊の誘引であり、彼らが向かう先にはハイシーフリート主力が展開していたことを考えれば、イギリス海軍の判断は戦略的にも戦術的にも何の間違いもない文字通り最良の選択であった。

しかし、当時のイギリス国内でそうした事実を知るのは極一部に限られていた。
市民がそうした事実を知れるようになるのは情報のクロスチェックと開示が進んだ戦後を待たなければならない。

当時の大半のイギリス人が知った一連の騒動の顛末は、
『ドーバ海峡突破を許し、アジアでのエムデン戦隊の跋扈を許した海軍がついに本土への一方的な攻撃までも許してしまい、1,000人近い死者とその倍近い負傷者が出たにも関わらず退却するドイツ帝国艦隊の姿を指をくわえて見ていただけだった』
というものであった。
当然、これを許せる国民がいるはずもない。

本来なら海軍を擁護するべきアキレウス内閣と保守党も流石にここまで来ると面倒を見きれないとばかりに海軍を犠牲の羊にして自分達の身を護ることと、厭戦感情に高まりによって揺れていた国内世論を再度固めることを優先。
ハートリプールの惨劇をプロパガンダとして大々的に使用し、むしろ積極的に世論を煽っていた。

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43 : ホワイトベアー sage 2023/04/17(月) 20:46:20

アキレウス内閣が主導したプロパガンダはロイヤル・ネイヴィーの名声を地に落としたが、そによって本土植民地問わず『リメンバー・ハートリプール』を合言葉に多くの若者がイギリス軍に志願するようになる。
軍需品法に反対しストライキを計画していた全国の労働者達や統制経済に批判的であった経済業界もこれまでの猛反発が嘘だったかのように総力戦体制の構築に全面的な協力を表明していった。

それでも足りない軍需品や資源、軍需品を優先したために供給が縮小した民需品に関しては莫大な債務を発行してでも金に糸目をつけずに海外から買い漁っていった。
特に世界最大の工業力と最先端の技術を独占する日本には軍需・民需を問わず莫大な規模の発注が行われ、イギリスは世界大戦を戦い抜き、ドイツ帝国に正義の裁きを降すために急速にその戦力を急速に拡大させていく。

ある歴史学者はこう記す

『1914年11月3日までイギリスにとって世界大戦は他人の戦争であった。しかし、1914年11月3日から世界大戦はイギリスの戦争になった』

皮肉なことに両国が相手国での厭戦感情の醸成も目的に含んで実施した作戦はただただ両国国民の増悪を煽るだけに終わり、両国は世界大戦という底なし沼から足抜けする最後のチャンスを自ら捨て、地獄の釜が開いたような過酷な戦場に自ら進んでのめり込んでいく。

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44 : ホワイトベアー sage 2023/04/17(月) 20:48:50

以上になります。wikiへの転載はOKです

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最終更新:2023年08月01日 22:53