775: 透過の人 :2019/07/25(木) 14:57:38 HOST:softbank126077075064.bbtec.net
日墨ルート 
1925年7月5日アメリカ合衆国 ホワイトハウス
「つまり、君たちはこう言いたいんだな。『あなたの支持率は下がり続ける一方で、このままでは次の選挙に負けるのは明らかです。だから中国人を殺しに行きましょう』、と。全くもって馬鹿馬鹿しい。だいたい、たかが装甲艦では笑いものになるだけではないか」
アメリカ合衆国大統領ウィリアム・マカドゥーは一気にまくしたてると傍らにおいてあった水を飲んだ。
「しかし、大統領、前回の選挙では共和党のフランク・ローデンが善戦しました。奴は我々が禁酒法に賛成したことに対して、『うわべだけの道徳的行動によってより悲劇的な状況を招いた』と批判しています。6月にロバート・ラフォレットが亡くなって以降、社会党は分裂状態ですので、次の選挙は実質我が党と共和党の一騎打ちのはずです。」
補佐官が大統領の言葉に反論した。
「国外からの密輸に対してなら捜査局に対して厳しく取り締まるようにと命じたばかりだろう。それでなんの成果もないのかね?」
「残念ながら… 」
「そうか…わかった、一晩だけ考えさせてくれ。」
翌日、アメリカ合衆国は他の列強諸国とともに中国に兵力を派遣することを発表した。

きっかけは1925年5月30日に上海で起きたデモに対し、イギリス警察部隊が発砲した事に対して中国全土で抗議のデモやストライキが激化した事だった。
これを受けて列強諸国は自国の市民の避難を急がせていたが、6月25日、広州のイギリス租界に中華連邦軍と思われる部隊に支援された中国人暴徒が侵入し、略奪と虐殺を行ったことによりイギリスが中国に利権を持つ各国へ共同派兵を提案していた。
盛り上がる中国ナショナリズムへの警戒もあり、イギリスを中心にフランス、ドイツ、ロシア、スペイン、アメリカ、そして日本及びメキシコが参加を表明した。
これに対して、中華連邦は軍閥所属部隊のした事であり責任を追う立場には無いと弁明した。

1925年10月1日、中華連邦の上海や広州、天津などの主要港に列強各国の艦隊の艦隊の支援を受けつつ、各国軍が上陸を開始した。
さらに同じ頃、フランス保護国ベトナムには英仏陸軍と空軍が、ウンゲルン朝ジュンガル帝国にはドイツ軍とロシア軍が集結しつつあった。

中華連邦は統一から一年も立たずに滅びようとしていた。

776: 透過の人 :2019/07/25(木) 14:58:30 HOST:softbank126077075064.bbtec.net
投下終了です。とりあえず解体に至る経緯だけでも

タグ:

+ タグ編集
  • タグ:

このサイトはreCAPTCHAによって保護されており、Googleの プライバシーポリシー利用規約 が適用されます。

最終更新:2019年07月29日 09:07