945: ホワイトベアー :2019/08/01(木) 10:33:00 HOST:157-14-225-220.tokyo.fdn.vectant.ne.jp
日米枢軸ルート 第32話

ドイツが停戦条約を締結したことによって、連合国は講和条件を詰めるためにパリのフランス外務省にて連合国加盟国36ヵ国の全権76名と会議が開かれる事になった。しかし、連合国側での協議を優先するべきと言うイギリスやフランスの意見から敗戦国であったドイツは講和条約案がまとまるまで招請されなかった。

この会議はアメリカ側からの提案もあって委員会制がとられる事となり、最重要問題については「五大国」(イギリス、日本、アメリカ、フランス、オーストリア)の全権で構成された十人委員会で、その他の重要な問題については、他の連合国加盟国の代表も参加した5つの分野別委員会(国際連盟、労働立法、戦争責任、運輸(港湾・水路・鉄道)、賠償)によって討議される運びになった。

また、この会議では混迷を極めるロシア情勢や戦後の国際体制の構築についても討議される事が決定する。

ここまでは正式な会議の開催前に開かれた第1回十人委員会ですんなりと決まり、それから国際連盟についての討議が行われる事になった。これについての話し合いはアメリカの根回しもあって順調に行われ、第2回総会にて委員会で策定された国際連盟規約の草案が承認された。この調子で順調に会議が進むと思う人間も多くいたが、それ以降、戦争責任や賠償問題の細かい討議に入ると会議は紛糾する。

ドイツによって大きな損害を被ったフランスはザール地方の領有、戦費と賠償金の全面的な履行、ライン川左岸の永久占領を強硬に主張。対するアメリカのタフト大統領と日本の斎藤首相、オーストリアのシュテファン・ブリアン首相は、賠償金はともかくそれ以外の要求を実施するとドイツ帝国のただでさえ著しく落ちている国力に止めを刺すことになり、ドイツの共産化を誘発しかねない、そしてドイツが共産化すればドミノ倒しの様に欧州全体が赤化しかねないと考えたため反発し、イギリスのロイド・ジョージはドイツの報復を避けるために、過度の屈辱を与えず、履行可能な講和条件を与えるべきとしてフランスの主張に反発した。

こうした日米英の意見にフランス首脳部は激怒し、バイエルンとザクセンを占領しているオーストリアを味方につけようと動き出すが、肝心のオーストリアはバイエルンとザクセンの住民の反オーストリア感情が高まっており、統治にかかるコストも上昇している事もあって早急に手放したいと考えており、フランスの思惑には乗らなかった。そにため結局、賠償金以外の要求は諦めるしかなかった。

しかし、日米英もフランスのドイツへの警戒心を和らげる必要があったため、フランスが侵攻された際に援助する保障条約の締結やドイツの軍備制限でこれに答える事になる。

946: ホワイトベアー :2019/08/01(木) 10:33:55 HOST:157-14-225-220.tokyo.fdn.vectant.ne.jp
また、賠償金の金額自体はほぼフランスの要求が通る事になり、フランスの要求額であった1,890億金フラン(全体の52.9%)がフランスに支払われる事で決定した。しかし、現状のドイツ経済ではとてもではないがこの金額を支払う事ができないとして、日米が持つ英仏の莫大な債務の返済開始を延期させることや返済期間の延長を対価に今後6年間の賠償金支払い免除や段階的な賠償金支払い額の増加など賠償方式面や、外貨の調達は連合国が設置した賠償管理委員会がマルク相場を害さない範囲で行うこととされるなど決済方式面などでドイツに配慮、多少無理をすれば返済できうる様にさせた。

しかし、連合国の譲歩はここまでであった。ボルシェビキ政府と締結した条約は無効とされ、フィンランドやエストニア、ラトビア、リトアニア、ポーランドと言った旧ロシア領だった地域は全て独立させることを盛り込むことが決定(ロシア帝国への返還も考えられたが、現地では独立派が優勢であったためにロシア側が断った)、ドイツの全ての国外財産や植民地、国外利権も放棄させ、連合国でこれを分割する事を確認する。

また、上記にも書いた通り軍備も徹底的なまでに縛る事になり、規模は"軍属こみ“で陸軍7万5千人、海軍1万5千人と規定させる事も決定、その他に多くの制限(※1)が条約案に盛り込まれた。

領土の面ではフランスにアルザス・ロレーヌを、ポーランドに西プロイセンとポーゼンの大部分、さらに海への出口となる東プロイセンの大部分を、ベルギーにオイペン、モンシャウ、マルメディをつなぐ線から以西を割譲することが条約案に盛り込まれた。なお、これらの地域のドイツ国財産は無償で割譲される事になる。

また、この会議の最中に戦争責任についてヴィルヘルム二世を法廷で裁くべきと言う意見がフランスのクレマンソー首相から出てくることになり、日米英墺もフランスの不満を解消するためにはある程度フランスの要求も飲むべきだと考え、前皇帝であるヴィルヘルム二世"個人"を「国際道徳及び条約の尊厳に対する重大な犯罪」という曖昧な文言にて裁くならと妥協ぎみに賛成した。しかし、この時のヴィルヘルム二世は国家と国民を見捨てて持てるだけの財産を持ってオランダに亡命しており、オランダと身柄引き渡し交渉が続けられるが、結局オランダはヴィルヘルム二世の身柄を引き渡さず、ヴィルヘルム三世の起訴は日米英(+フランス政府)が全力で止めたため、それ以降この話が再発されることはなかった。

947: ホワイトベアー :2019/08/01(木) 10:35:07 HOST:157-14-225-220.tokyo.fdn.vectant.ne.jp
連合国がこうして講和内容を巡って国家間の暗戦を続けていく一方、ドイツでは依然として帝政政府と革命勢力との二重権力体制が続いていた。しかし、グレーナー将軍を筆頭としたドイツ軍将校団や数多くの労働者・兵士評議会で多数派を握っている社会民主党の党首であるフリードリヒ・エーベルトを中心とした穏健左派および中道派らがヴィルヘルム三世を国家元首とした帝政政府を支持している事もあって極左勢力は日に日に勢力を縮小させていっており、また、極左勢力が頼りとしていたレーテに参加していた兵士達も停戦条約の発行後は反逆や放棄をおこす数が目に見えて減っていき、軍は落ち着きを見せていく。二重権力も社会民主党の勢力拡大によって次第に解消していった。

しかし、これに焦ったスパルタクス団ら革命勢力は警察内の自らのシンパを使い警察を麻痺させ、ベルリンにて政府に反対する大規模なデモを実行、武装した労働者を使いベルリンの主要施設などを占拠すると言う後にベルリン蜂起と呼ばれる事件をおこす。

これ受けたエーベルトはそれまで左派を自負している事もあってスパルタクス団などの極左に極めて穏健に対応していたが、ついに穏健な対応を放棄、彼らを敵と判断して軍を使った大規模な鎮圧を開始する。この時鎮圧に動いた部隊は戦争のプロであるドイツ将校団に率いられ、地獄の西武戦線で戦ってきた精鋭達であり、武装しているとはいっても労働者ごときが相手になるはずもなく、わずかな時間で彼らがおこした革命は終結する事になった。

この事件でスパルタクス団の理論的指導者であるローザ・ルクセンブルクと組織的指導者であるカール・リープクネヒトが殺害され、その他の幹部も殺害されるか逮捕され、一時は社会民主党にすら匹敵するとすら言われていたスパルタクス団は急速にその勢力を縮小させていく事になる。

そして、この事件を契機としてエーベルトは軍部との結び付きを強化、革命勢力への弾圧を強めていく事になる。

ドイツではベルリン蜂起と連動して各地で革命勢力が蜂起をおこすが、これらも軍の部隊によって順次鎮圧されていき、革命騒ぎはどうにか納めることができた。その後、ドイツ帝国では国民総選挙が行われる事になり、社会民主党が圧勝、政治的混乱は修まりつつあるかに見えた。しかし、ドイツにとっての本当の問題である飢餓や医薬品の不足は、連合国がいまだに経済封鎖を解いていないために解決していなかった。

ちなみにどれぐらいドイツでの飢餓が酷かったかを表すものとして1918年8月の新生児死亡率が80%超えと言う驚異の数値が確認されている。

949: ホワイトベアー :2019/08/01(木) 10:38:04 HOST:157-14-225-220.tokyo.fdn.vectant.ne.jp
ドイツ政府は何とか必要最低限の食料、医薬品、さらに子供用ミルクの輸入の再開を求めていく。無論、連合国もドイツのこの実態を把握していたが、ドイツの武装解除がすんでおらず、国民の為に輸出した食料を軍に与え捨て身の一撃を仕掛けてくる可能性やそもそもドイツの匹敵するレベルで限界にきていたフランスの支援も必要があったためには連合国はこの要求を拒否する。

それを知らされたヴィルヘルム三世は自ら交渉を行うべく、少数の供を連れてパリへ向かった。これを知らされた連合国では彼を受け入れるかどうかで一悶着あったが、ドイツ側が正式な招待状を受けるまで講和会議には参加しないことを条件にこれを受け入れる事になった。

そして、彼はパリに到着すると、連合国が開いた歓迎パーティーには参加するものの、出された食事には「国民が飢えで苦しんでいるのに余が1人豪華な食事をとるわけにはいかないと」食事には手を出さなかった。そして翌日には各国のマスコミ達も招いて現状のドイツの悲惨な状況を詳細に説明、連合国側の人間に頭を下げて必要最低限の食料、医薬品、子供用ミルクの輸入の再開を求めていく。

国民の(そして自分の地位と名誉の為に)必死に動いたヴィルヘルム三世であるが、この行動は彼の意識とは裏腹にヴィルヘルム三世の説明は当初はマスコミにすら怪まれ、否定的に見られ、連合国に反抗を行うための詐欺と大々的に書かれる事になる。

しかし、同時期に中立国であったデンマーク出身の記者としてドイツに入国していたアメリカ人記者(二重国籍者)が撮影した《骨が浮き出るほどにまで痩せた赤ん坊を抱える痩せこけた少女》と言う衝撃的な写真がワシントン・ポストの一面を飾ると、日米のマスコミは手のひらを返したかのようにこぞってこの写真を使い、ドイツに支援を行うべきと言う内容の記事を一面にした号外を発行していく。

そして開戦から大した犠牲もなく、ドイツへの憎しみが薄い日米の国民は、これらの記事を目にし読む大きな衝撃を受け、それまで熱狂的に戦争に賛同していた事が嘘のように一斉に子供達を救えとドイツへの食糧などの物資の支援を求めるようになっていた。

ちょうど上院議員選挙の真っ最中であったアメリカや同じく参議院議員選挙期間中であった日本はこの世論の煽りをモロに受け、イギリスやフランスを押しきって講和条約が締結される前に食糧などを輸出することを了承する。しかし、転んでもただではおきない両国は輸出再開の条件として本来なら困窮している国民向けの食糧を軍に不当に送らないかの監査を行う査察団と言う名目でドイツに人間を送ることを認めさせた。

950: ホワイトベアー :2019/08/01(木) 10:38:37 HOST:157-14-225-220.tokyo.fdn.vectant.ne.jp
無論、ドイツ側では当然彼らをドイツの情報を探りにくるスパイと認識されており、この提案に否定的であった。しかし、国内の飢餓の解消を第1としたヴィルヘルム三世はこの条件を承諾する。宰相であったエーベルトも食料や医薬品の輸入が再開できるならと、賛同に周り結果として海上封鎖の一部が停戦発行から3か月後の8月より解除され、最低限であるが物資の輸入を再開できた。

この成果は政府が大々的に発表した事もあって、国民に広く周知されることになり、一時期落ち込んでいた皇帝への国民の信頼を取り戻すことに成功する。

そして、連合国がようやく講和条約案を纏めあげ、1918年12月にドイツは正式に講和会議に招待される。そこで彼らが突きつけられた講和条約案は極めて厳しく、ドイツは譲歩を求めるが、連合国はこれを認めなかった。

これを条約案の内容を知らされたドイツ国民は強い拒絶反応を見せ、ヒンデンブルグやルーデンドルフをはじめとした軍の一部や極右団体は戦争継続を訴えるが、ドイツ政府および議会などの政治家達や官僚達、グレーナ将軍が率いる軍の主流派はその共通認識として、軍にはもはや戦争を継続する力は残っておらず、さらにこれ以上の戦争継続はロシアと同様に革命を誘発し、ドイツ帝国が破滅しかねないと認識しており、少なくとも国体保持がなされるならと条約の署名を承認。

ヴィルヘルム三世も署名を認め、1919年1月17日にこの講和条約の受諾を宣言。翌日の1919年1月18日に半壊状態のヴェルサイユ宮殿で連合国全加盟国の全権達とドイツ全権代行であるヘルマン・ミュラー首相が講和条約に署名。ようやく、本当の意味で世界大戦と言う未曾有の被害をもたらした戦争は終わりを迎えた。

また、このヴェルサイユ条約はその第1編が国際連盟規約となっており、条約の発行によって世界初の国際平和機構である国際連盟(※2)が創設されることになった。

951: ホワイトベアー :2019/08/01(木) 10:42:34 HOST:157-14-225-220.tokyo.fdn.vectant.ne.jp
(※1)
  • 参謀本部、それに類似する組織の設置の禁止
  • 国境警備隊の規模を1913年以上に拡大させることの禁止
  • 兵の勤続年数は最大で12年を上限とする
  • 下士官は総兵員定数の5%以下
  • 各種軍学校の生徒は兵員に算入する
  • 各種銃弾および銃器を含めた軍の保有装備の制限
  • 軍需物資の製造禁止
  • 連合国の許可なしでの軍需材料の輸入禁止
  • 戦車、装甲車・戦車・潜水艦・毒ガス・化学兵器、各種機関銃、75mm以上の口径の各種砲(艦砲は除く)、ロケット兵器の保有・開発・研究・輸入の禁止
  • 海軍が保有できる艦艇の制限
  • 全世界の港湾にあるドイツ国艦艇の所有権の放棄
  • 保有している全潜水艦を連合国に引き渡す
  • 新規のドイツの潜水艦の研究、建造、保有の禁止
  • 代艦の排水量制限
  • 軍民問わず航空機の保有、研究、開発、製造、輸入の禁止
  • 現在保有・製造している航空機はその部品も含めて全て連合国に引き渡す
  • 動員の禁止
  • 政治的、軍事的目的での無線電信所の禁止および無線電信所建設の制限
  • 各種部隊の編成の制限
  • ドイツの軍備制限や武装解除を監視するための連合国ドイツ軍縮監督委員会の設置
  • 連合国ドイツ軍縮監督委員会に無条件でのドイツ軍の査察、監督権限の付与
  • ラインラント地方への軍の駐留禁止

(※2)
アメリカと日本の共同で提案によって創設された世界初の国際平和機構。

原加盟国は45カ国であり、主な機関としては

  • 全加盟国で構成され、国連の関与するすべての問題を討議する。各国が1票の表決権を有し、重要問題については3分の2、一般問題については過半数で決する多数決制が取られている総会。

  • アメリカ、イギリス、フランス、日本、オーストリア、イタリア(地中海で最大の海軍国であるため)、オスマン帝国(イスラム圏の代表として)の七ヵ国からなる常任理事国と八カ国の非常任理事国で運営され、国際社会の平和と安全の維持および国連の運営を主要な仕事とする機関である理事会。

  • 国際連盟の日常業務を遂行する機関であり、他の主要機関が決定した計画・政策を実施する機関である事務局。

などがあり、その他に専門機関として

国際司法裁判所
常設委任統治委員会
常設軍事諮問委員会
軍備縮小委員会
法律家専門家委員会
食糧農業委員会
教育科学文化委員会
麻薬常設中央委員会
国際連盟婦人児童売買諮問委員会
世界保健機関経済金融機関
通信運輸機関
社会問題諮問委員会
国際海事機関
国際労働機関
国際気象機関
世界知的所有権機関

などがもうけられた。

952: ホワイトベアー :2019/08/01(木) 10:45:40 HOST:157-14-225-220.tokyo.fdn.vectant.ne.jp
以上になります。

ちなみに写真を取った記者はモデルは存在しないです。ただ、何処にでもいる正義感に燃えた青年記者と言うだけの人でしたが、彼はこの写真とドイツにて見たものがトラウマとなって戦後に自殺することになります。

wikiへの転載はOKです。

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最終更新:2019年08月03日 09:34