14: 透過の人 :2019/08/04(日) 00:00:11 HOST:softbank126077075064.bbtec.net
日墨ルート
1932年2月2日、スイスのジュネーブで世界初の国際軍縮会議が始まった。
この会議は陸海空すべての軍縮と制限を目的とするとされていたが、実質、日墨を標的としたものだった。
その背景には列強諸国の日墨への警戒心があったのだが、実際に会議が始まると列強諸国同士の連帯など直ぐに崩壊してしまう。

まず、問題になったのは先年のサンパウロ沖での航空機による戦艦撃沈だった。
航空機及び航空母艦の規制を訴えるイギリスに対し、戦艦で圧倒的な差をつけられている米独は逆に戦艦の規制を主張。
また、陸ではイギリスが戦車の性能制限を訴えたのに対し、本来敵であるはずの仏独露ドナウテュルクが揃って反発し、
これまた逆に携帯対戦車火器の禁止を訴えるとイギリスとアメリカが反対した。
さらに空軍の保有機材である陸上航空機の規制案に関しては各国が独自案を用意して会議を混乱させた。
この状況に自分達の一方的な断罪を目的としている思っていた日墨が困惑している内に、会議は何の成果もなく閉幕してしまった。

会議の後、世界では航空主兵論に基づく航空母艦や航空隊の整備が急ピッチで進められる事になる。
イギリスでは未成戦艦の空母改装を、フランスやドイツでは初めての空母建造を、
久々に共和党が政権を奪回した(注)アメリカでも空軍の設立が行われるなどした。
一方、日墨領シベリアでは翌年の1933年、地震の計測が相ついだ。
それは、史実ではまだ発見すらされていなかった核分裂反応を利用した兵器が誕生した瞬間だった。

注 1932年の大統領選挙において4選を狙ったマカドゥーはブラジル内戦でのルイス大統領側の敗北もあり共和党のフランク・ローデンに敗れる。
この選挙では世界初の偉業成し遂げたミッチェルが強力に共和党を後押しした。この見返りとしてミッチェルは新設された空軍長官の地位を得た。
続く36年の選挙でも共和党のフーヴァーが勝利したが、米海軍にとってはこうした共和党政権期は冬の時代だった。

15: 透過の人 :2019/08/04(日) 00:01:24 HOST:softbank126077075064.bbtec.net
短いですが、投下終了です。

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最終更新:2019年08月08日 09:55