37: ホワイトベアー :2019/08/05(月) 14:44:09 HOST:157-14-225-220.tokyo.fdn.vectant.ne.jp
日米枢軸ルート 第34話

世界大戦終結後、日本は大幅に変化した国際情勢の変化から、国家戦略の変更とそれに伴う軍事戦略の改訂に迫られた。

元来、日本はロシア帝国とイギリスの二国を仮想敵国として軍備を整えており、これは満州戦争後も変わらなかった。

 しかし、大戦により状況は一変、仮想敵国の1つであるロシアは先の大戦によって2つに分裂、極東におけるロシアの驚異はそのまま日本の盾となった。これにより日本は長年苦しめられたロシアの脅威は大きく減少し、イギリスとはパリ講和会議で関係が再びギクシャクしはじめていたが、それでも(表向きだが)関係が改善し、外交上表だって仮想敵とすることが難しくなったのである。

 日本海軍は潜在的にイギリスとフランスと言う仮想敵国が存在しており、日米同盟やスエズ運河の防衛と言う観点から平時より太平洋の他に地中海や大西洋に艦隊を張り付けておかなければならないため大規模な軍縮こそ避けられたが、大陸勢力の驚異の減少やドイツの軍備崩壊と言う事態により仮想敵国が消滅した陸軍はそうはいかず、軍備の縮小が決定される。

当然と言うべきか、陸軍内に反発が見られた。理由はどうあれ、軍備の縮小は自らのポストの減少に直結するからだ。また、陸軍内ではそれまでの政府の仕打ちや海軍ばかり優遇されていることか、政府に反発心を持っている者もおり、それまで胸の内に溜め込んでいたものが噴き出したようにこうした反発が増大していった。

幸い、彼らが実力(倒閣運動の実施や政府高官の暗殺、クーデターの実施など)を実施して軍縮を撤回させるべく動いたことはなかったが、陸軍の政府への反発が政権交代を狙う野党連合(犬養毅を党首とした立憲国民党が中核)に利用され、軍備縮小は日本国内で政治問題にまで発展してしまった。だが、大戦の終結によって国民の多くは平和への配当を求めており、この陸軍(と野党)の行動は大戦で上がっていた陸軍の名声を下げることになった。国民の生活より自らの利益の為、組織の事を重視したと捉えられたからだ。

最終的に陸軍は軍縮を撤回させる事はできず、むしろ逆に高級将校の何人かが予備役や退役を余儀なくされ、陸軍出身の政治家や親陸軍派であった政治家達も幾人かが現役から遠くという結果に終わった。

また、この事件によって度重なる陸軍の不祥事に我慢の限界がきた政府は軍のさらなる統合化や組織の効率化の為に国防総省が創設され、陸海軍省の権限を大きく制限する法案が可決されてしまう。

38: ホワイトベアー :2019/08/05(月) 14:44:45 HOST:157-14-225-220.tokyo.fdn.vectant.ne.jp
そして、陸軍であるが、彼らは引き続きロシア(この場合はソ連のこと)を仮想敵国とする事が決まるが、これでは録な予算がでないことは目に見えていた。何しろソ連と日本の間にはロシア帝国、満州連邦、朝鮮連邦と三つの防波堤があり、さらにロシア帝国とソ連の国境はその厳しい環境から守るに易く攻めるに難い土地であったからだ。

しかし、大陸に事実上の属国を持つ日本が陸軍を軽視するわけにいかないことは政府も十分に理解していた。そのため、軍縮も当初こそ大戦時に新設された師団と常備師団・旅団の半分の解散と、常設を許された師団・旅団の1/3のスケルトン化と言う非常に大規模なものの予定であったが、大戦時に新設された師団の解散と平時戦力の1/3の削減と言う内容に押さえられ、さらに、平時戦力の削減では将校の削減は行われず、戦時には徴兵を行うことで即座に規模を拡大させれるようにするなど慎重に軍縮は行われた。

とは言っても、仮想敵国の消滅や世界的な軍縮の流れ、さらに東京大震災の復興に予算を取られることになり、一〇式戦車(M4A3E8)の後継戦車として内定していた二一式中戦車(史実M48)の配備数が大幅に削減され、本来なら一二式軽戦車(M24)の後継車両として開発された二三式軽戦車(M41)が事実上の陸軍主力戦車として当面は運用されることになってしまった。

とは言っても、この二一式中戦車の配備数削減は後に三二式式中戦車の大量配備と言う事に繋がり、結果として陸軍に利をもたらすことになっていく。また、航空機の面でも、陸軍航空隊が開発していた新型軽爆撃機の開発が凍結されるなど世間から注目を浴びるようなものは次々と削除されるか凍結されていく。だが、国民の注目を浴びない様なものは次々と新しいモノに変えられていった。

例えば主力小銃。それまではエンブロック・クリップ装弾方式を採用した六式半自動小銃を採用していたが、これの後継銃として、騎兵銃、短機関銃、自動小銃を統合した性格を持つ全く新しい銃である二三式自動小銃(※1)が採用され、大々的に配備される事になった。

余談であるが、二三式自動小銃のコンペでは株式会社 カモミール(※2)と言う会社から和製AK-47と言うべき試作二〇式自動小銃が対抗馬として出されたが、採用されず、後にアメリカ軍の主力小銃として採用される事になっていく。

また、各国が戦車の配備を始めた事によって歩兵用の対戦車兵器の配備の必要性の増していた。そのため、和製カールグスタフとも言うべき84mm無反動砲の配備も開始されており、さらに従来はコマンド部隊のみに配備されていた迷彩服が陸軍および海兵隊全体に配備されるなど、歩兵装備は最新のモノに置き換えられていった。

一方で、陸軍の流れ弾で権限を縮小させられた海軍はこれ以上の権限縮小を避けるべく、政府で海軍の軍縮案が考えられるより前に主力艦の更新艦建造凍結と旧式艦の大規模な退役を決定するなど、国民や政府に軍縮に取り組んでいるとのポーズを見せ始める。

39: ホワイトベアー :2019/08/05(月) 14:45:30 HOST:157-14-225-220.tokyo.fdn.vectant.ne.jp
それでも世論の一部や大蔵省からは海軍も陸軍並みに軍縮をするべきではないかと言う声も聞こえてきたが、しかし、海防こそが日本の国防の基本と言うことを、政府が十分にりかいしていたことや、第一次世界大戦での無制限海上封鎖等に関する報道と合わさり、海軍の大規模な縮小に反対する世論が体勢を占めるようになっており、大蔵省はこれ以上の海軍の規模縮小を言い出せなくさせる事に成功はした。

しかし、この世論は海軍にも牙を向き、海軍は当面の間は高価で数を揃えにくい艦隊型駆逐艦では無く、安価で数を揃え易い航路防衛用の護衛駆逐艦や巡防艦(フリゲート)、海防艦(コルベット)の建造を優先せざるを得なくなってしまった(当時の海軍は第一次世界大戦終結前に完遂させた八八八八艦隊計画で甲型駆逐艦や乙型護衛駆逐艦等の大型駆逐艦を多数就役させていた為、海軍内では大した問題として扱われなかったと言う説もある)。

大蔵省はこれら護衛艦艇の建造も中止させることを海軍に求めたが、技術の継承や雇用、さらに世論の事もありこの要求は認められなかった。その代わり、就役と同時に保有している艦艇の予備役化させる事を海軍が認め、海軍の規模拡大を防いだ。

日本の同盟国たるアメリカ合衆国でも軍備の縮小は行われていた。

第一次世界大戦終結時のアメリカ陸軍は総兵力500万人を抱える大組織であったが、その大半は徴兵によって集められた将兵であった。その為、戦後に動員を解くと陸軍には機甲師団3個と歩兵師団(山岳・空挺・海兵師団込み)24個と言う小規模な兵員しか残らなかった。

 一方の海軍は第一次世界大戦前のドイツ帝国との建艦競争や日本の八八八八艦隊計画に対抗するために計画したダイニエル・プラン(※3)で建造した新造艦を多数抱えており、水上打撃戦力に限れば日本に匹敵するレベルの戦力を有していた。

 しかし、それは当時の世界レベルで見れば過剰とも言える装備であり、海軍と一部の政治家を除いた世論はこの軍備の縮小を求める方向に流れつつあった。これに対してアメリカ海軍は日本の戦力を引き合いに何とかダイニエル・プランで建造した艦艇の維持に成功する(流石に建造から真新しすぎて予備役化ははばかられた)が、建造に着手していない艦艇の建造計画が凍結され、さらにダイニエル・プラン前の艦艇を退役か予備役にされた。

 日米両国が国内の政治的・経済的事情から自主的に軍縮に取りかかっているなかで、イギリスは第一次世界大戦の傷が癒える前に海軍の拡大を計画せざるを得なくなった。

後世で良く批判されるこの海軍軍拡であるが、当時の観点から見ればこれは仕方の無いことであった。

当時の日米は八八八八艦隊計画とダニエル・プランで複数の16int砲搭載戦艦を有しているのに、王立海軍は1隻も有していなかったのである。当時の戦艦は戦略兵器であり、これは海洋国家であるイギリスの国家戦略的には非常に不味い状況であった。

 そこでイギリス海軍は大戦末期に建造を始めた為、殆ど手付かずであったアドミラル級巡洋戦艦を、主砲を16int砲に対応させれるように再設計を実施した上で4隻建造する事と、フィッシャー提督の失脚により白紙となっていたインコンパラブルの建造計画の再開を決定する。

しかし、経済の再建もこなさなければ為らないイギリスは上記の計画以上の軍拡は不可能であった。しかしそこは諦めの悪いイギリスである。彼らは持ち前の外交力や情報能力を駆使して、日米の海軍力を驚異と考える他の欧州諸国を巻き込んで国際的な軍縮会議を開催する事を考えた。

この考えは日米双方の財務関係者にとっても渡りに船であり、積極的に協力したため、上手く運ぶことが出来た。

当時の日米両国の海軍は軍縮を行っているとは言っても、両国の財務官僚達に取ってはやや度が過ぎていると考えるには十分な規模であり、彼らは金食い虫の海軍の規模をさらに縮小したいと考えていた。しかし、日本では海軍が世論を味方に付け大蔵省が望む程の規模の縮小ができず、アメリカでは日本と同じ規模を保つ為にこちらも財務官僚が望む程の規模の縮小が出来なかった。そんな中で英国のこの動きは渡りに船であり、手柄を立てたい外交官僚と協力してこの会議に参加する用に政府を説得した。

 会議の会場はアメリカ合衆国の首都ワシントンD.Cに決まった。これはイギリスが他の列強に参加を促すためにアメリカに要請したと公式には言われているが、実際にはアメリカ合衆国をホスト国にする事で軍縮会議の妥協なき終幕を防ぐ為であった。

40: ホワイトベアー :2019/08/05(月) 14:46:03 HOST:157-14-225-220.tokyo.fdn.vectant.ne.jp
そうして1922年にワシントンで軍縮会議が開かれることになった。この軍縮会議は海軍の軍縮に関する会議であり、イタリアやフランス、ロシア帝国なども招待されたが、必然的に世界有数の海軍大国である日米英の三国を中心とした話し合いになった。

この交渉は初期の内に弩級戦艦以前の一斉処分とその代艦建造を控えることが早々に決定したが、その後の超弩級戦艦の話になると一気に話が対立した。まず、英国が日米英が保有してよい戦艦の総排水量を50万tと定め、それを越える場合は艦艇の退役をする事を提案する。これに日米の財務を司る者たちが賛成を示すが、日米の海軍関係者やこれに連なる政治家が拒絶し、話が平行する。英国も余り強く要求し、この海軍軍縮会議が破談されるのを恐れてこの要求を撤回した。そして、代わりに今後10年間の戦艦の新規建造を禁止する事を提案した。この提案には艦齢20年以上の戦艦(前J級戦艦も含む)に限り2隻あたり1隻の割合できている代用艦の建造を認めると言う例外をつける事も付随させることも。

 この提案により、イギリス海軍は大量に退役させる前弩級戦艦群の代用艦として戦艦の新規設計を可能としつつ、戦艦の全てが艦齢20年以下の日米のこれ以上の戦艦の増産を防ぐ事にしたのである。日米両国のこの思惑に気がついていたが、当面の間、戦艦を建造する予定が無いのでこの提案を了承した。

 戦艦に関する交渉が一応の妥協を得ると、話題は空母に移った。当時の空母は米英にとっては出来たばかりの艦であり、その運用法や潜在能力を理解できずに補助艦と認識していた。しかし、一応保有比率を決める事がイギリスから提案された。これにアメリカ合衆国は同調、具体的な数値に関する話し合いに移りかけたが、空母を大量に保有していた日本がこれに強固に反発し、話は平行線をたどった。結局、両者の隔たりは解消せず空母の規制は日本の強固な反発により次回に持ち越されることになった。

 最後に巡洋艦や駆逐艦、潜水艦等の補助艦に関する話し合いが行われた。英国は制限をかけようとしたが、日米はこれを拒絶したため、交渉は決裂、補助艦に関する交渉はも次回の軍縮会議で話合うと言う玉虫色的な答えでお茶を濁した。

 軍縮会議が進む一方、別枠としてアジア太平洋の国際秩序に関する会議も行われた。この会議では二国間同盟である日米同盟や極東連邦の今後、中華問題の対応が話会われた。極東連邦に関しては国連で話し合うこと、中華問題は門戸開放の確認等はすんなり決まったが、その後は海軍会議同様に荒れた。イギリスは日米同盟の破棄を強固に主張、これに対して日米が反発するなどの激しい交渉がおきたのだ。

 結局この会議の結果、日米同盟は維持されると言う日米側主張が通ることになった。第一次世界大戦で疲弊した英国は日米との間で余計な摩擦をおこす余裕はなかったのだ。しかし、日米もイギリスに対して一定の譲歩を行い、日米英仏の四ヶ国がアジアでの互いの利権を尊重しあうと言う内容の四ヶ国条約を締結した。

41: ホワイトベアー :2019/08/05(月) 14:46:35 HOST:157-14-225-220.tokyo.fdn.vectant.ne.jp
軍縮に話を戻すが、海軍軍縮会議はこのワシントン会議以後の続き、1927年にジェネーブにおいて海軍軍縮会議が開かれた。しかし、この会議はアメリカとイギリスの間で巡洋艦の規制方法で対立した。

アメリカは艦隊決戦を重視し重巡洋艦を整備するために比率主義をイギリスは軽巡洋艦を整備しつつ、他国の重巡洋艦の配備をやめさせる為に個艦規制主義を唱えたのだ。この対立は結局は解消されず、補助艦の規制はまた先送りにされた。

その反面、かねてよりイギリスが提案していた三ヵ国間の緊張の緩和や不測の事態を未然に防ぐ為の常設の連絡会議の設置は日米両国も賛同、太平洋の中心である日本領ハワイにその会議が設置された。また、ワシントン海軍軍縮条約の効力を1930年まで継続させる事もきまった。

そして、1930年にはロンドンで三回目の海軍軍縮会議か開かれた。この会議は開催される前の日米英は一定の妥協をしていた事もあって、ジェネーブ海軍軍縮会議とは違いスムーズに条約の締結までこぎ着けた。これは先のジェネーブ会議の反省を下にイギリスが各国の政府と事前に幾度と予備交渉を行った結果であり、イギリスと言う国家の本気が表れた会議であった。

この頃には日米がミサイルの実用化に成功していた為に砲火力を重視しなくなっていたため、巡洋艦への規制はほぼイギリスの要求が通ることになったが、その反面、大型駆逐艦を日米が主力としていたため駆逐艦の面では日米の要求が通ることになった。

空母に関しての規制は、イギリスが新規建造艦の最大排水量を満水排水量の上限を3万tとする事を提案するが、ジェット機の運用を開始していた日米がこれに反発、結果として空母の規制は各国の良心と良識に任せて減らしていくと言う文言が挿入されるにとどまった。また、イギリスが行おうとした潜水艦への規制も日米の保有する原子力潜水艦(表向きは通常動力型の大型潜水艦)がネックとなり、条約では規制されることはなかった。

こうした軍縮に関わる交渉や条約の締結が行われる一方で、日米はこの頃から代用物質開発研究所で開発された新兵器の実験をアラスカで開始し始め、アラスカでは断続的に地震が確認される。そして1927年8月7日、ジェネーブ海軍軍縮条約が締結されたその日にアラスカでは日本海軍の和製B-52とも言える最新鋭爆撃機である二五式戦略爆撃機による新兵器の投下実験が行われた。

この投下された新兵器は正常に作動し、アラスカのではキノコのような雲の発生を確認。これによって日米は世界初の核兵器の保有に成功した。

こうした事件もあったが、各国の努力もあり、1920年代の世界は表向きは比較的穏やかであった。


43: ホワイトベアー :2019/08/05(月) 14:47:59 HOST:157-14-225-220.tokyo.fdn.vectant.ne.jp
(※1)
二三式自動小銃
株式会社日ノ本銃器製作所が騎兵銃、短機関銃、自動小銃を統合した性格を持つ新たな概念の銃として開発された小銃。

使用弾薬は六式半自動小銃の7.62×63mm小銃弾ではなく、装薬量を減らした7.62×45mm小銃弾を採用しており、銃本体は主にアルミ合金と鋼鉄でできているが、GFRPや発泡プラスチックも使用され、約100個の部品で構成されている。

作動方式はガスオペレーション式で、セミオート(単発)とフルオート(連発)を切り替えることが可能。装填方式は六式で採用されたエンブロック・クリップ装弾方式ではなく、着脱式弾倉方式を採用、20発入りの二三式短弾倉と30発入りの二三式長弾倉用意されている。

(※2)
株式会社 カモミール
転生してきた共産趣味者達が立ち上げた軍需企業。元々は日本軍を(装備的に)赤くするために動いていたが、西側兵器ばかり採用する日本軍に愛想をつかしてアメリカ軍に二〇式自動小銃が採用されたのを機にアメリカに本社を移転。元々は銃器メーカであったが、M2後継車としてコンペに出したM4(米製T-55)が採用された事から車両面にも進出した。また、近年はボーイングと組んで軍用航空機の開発も進めている。

(※3)
ダニエル・プラン
日本の八八八八艦隊計画案に匹敵する艦隊を整備する事を目的とした軍事拡大計画。

18int連装砲4基を有するモンタナ級戦艦とアイオワ級高速戦艦をそれぞれ8隻ずつ、16int三連装砲4基を有するサウスダコタ級戦艦と16int3連装砲3基を有するノースカロライナ級高速戦艦8隻ずつとその為、空母、巡洋艦、駆逐艦、潜水艦、補給艦などが多数整備された。

おまけ
第1次世界大戦終結時のイギリス海軍主力艦
超J級戦艦
ロイヤル・サブマリン級×10隻
排水量:34,700t、速力:24.5kt、兵装:42口径15インチ連装砲6基、45口径15.2cn単装砲16基、11.4cm連装高角砲8基

アイアンデューク級×11隻
排水量:31,000t、速力:22.5kt、兵装:42口径15インチ連装砲6基、45口径15.2cn単装砲12基、11.4cm連装高角砲6基

キングジョージ5世級 (初代)× 8隻
ロイヤル・サブマリン級×10隻
排水量:29,150t、速力:21.5kt、兵装:42口径13.5インチ連装砲4基、45口径15.2cm単装砲14基

オライオン級×4隻
排水量:27,500t、速力:23kt、兵装:42口径13.5インチ連装砲4基、45口径15.2cm単装砲16基、45口径11.4cm連装高角砲6基

J級戦艦
ハーキュリーズ級×4
排水量:20,400t、速力:22kt、兵装:50口径12インチ連装砲5基、50口径10.2cm単装砲16基、45口径7.62cm単装砲10基

ドレットノート級×2隻
排水量:18,860t、速力:21.0kt、兵装:50口径12インチ連装砲5基、50口径10.2cm単装砲16基、45口径7.62cm単装砲10基

前J級戦艦×41隻
(詳細は省く)

巡洋戦艦
ロイヤル・オーク級×8隻
(史実レパレス相当)

ライオン級×6隻
(史実巡洋戦艦 タイガー 相当)

インヴィンシブル級×6隻

航空母艦
フューリアス級×4隻

44: ホワイトベアー :2019/08/05(月) 14:52:59 HOST:157-14-225-220.tokyo.fdn.vectant.ne.jp
以上になります。次回にドイツの政治でも書こうと思ったんですが、ちょび髭伍長はオーストリア出身と言うこともあって政権を握れないだろうし、どうしようか悩む結果になってしまいましたw

本当にどうしようか………

wikiへの転載はOKです

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最終更新:2019年08月08日 09:56