126: 透過の人 :2019/08/09(金) 00:15:37 HOST:softbank126077075064.bbtec.net
日墨ルート 第二次世界大戦1
第二次世界大戦が始まったきっかけは2つあると言われる。
1941年10月30日のバハマ諸島フリーポート沖での米装甲艦に対する雷撃事件と、1941年12月4日の欧州ノルウェー沖での英独駆逐艦の小競り合いだ。
この2つの事件をきっかけに米独の世論は沸騰し、イギリスでも前者は濡れ衣であり、後者もドイツ側の責任が大きいとの意見が多数であり独米に対する反発が強まった。
こうして、世論が盛り上がる中、中立国オランダ、アムステルダムで秘密裏に各国間で会議が行われた(注)。
第一次世界大戦の事例から考えるにもはや開戦を避ける事は不可能に近い、と考えた各国は次なる戦争をせめて制限戦争にしようと考えたのだった(注2)。
結果、カナダ、アフリカ、ロシアといった地域がまず戦域から除外された。これらの地域は第二次世界大戦中は資源供給地兼生産拠点として活用される事になる(注3)。
更に、化学兵器や核兵器などの使用も制限された。禁止ではなく制限なのは、まだ戦争は始まってもいない為、戦況次第では使用できる余地を残したかったからだ。
それが後の悲劇を招くことになるのだが、ともあれ、準備期間は終わり、遂に戦争が始まった。ドイツ海軍によるスカパフロー奇襲とフランスベルギー連合軍のドイツ本土侵攻という形で。

注 公式にはアムステルダム会議は存在しなかったという扱いである。が、それだけに陰謀論のネタとして使われることも多い。
注2 もちろん、こうした制限を求める背景には日墨のへの警戒心があったことは言うまでもない。
注3 これらの地域では戦中に産業が飛躍的に成長する事になる。

127: 透過の人 :2019/08/09(金) 00:16:26 HOST:softbank126077075064.bbtec.net
短いですが、終了です。

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最終更新:2019年08月13日 11:10