213: ホワイトベアー :2019/08/12(月) 15:55:03 HOST:157-14-225-220.tokyo.fdn.vectant.ne.jp
日米枢軸ルート 

1939年9月1日、ソ連赤軍のポーランド侵攻によって後に第二次世界大戦と呼ばれる戦争がおきる事になるが、このときにはそこまで大きな戦争になると想像した人間は極めて少なかった。

この時のポーランド軍はドイツとの国境付近に軍を集中させていたこともあって、ソ連赤軍は大した妨害もなくポーランド領に雪崩れ込むことに成功する。

これを受けたポーランド軍は急いで主力を東部に移動させよとするがドイツへの備えもあってすべての部隊を送る事は出来なかった。しかし、送られた部隊は一〇式中戦車が配備されている部隊であり、ソ連軍に対して比較的優位に戦えた。しかし、数が圧倒的なまでに足らず、一度はカーゾン線まで赤軍を押し返す事に成功したものの、戦線を維持する事は極めて困難であり、結果としてドイツ国境上にいたほぼすべての部隊が防衛線に配備されていった。

自国ではこれ以上もたせられないと考えたポーランドは同盟国であったイギリスやフランスに援軍を求めたが、両国はドイツがどう動くかわからない以上下手に動いて大戦をおこすことは避けたいと思い動くことができず、結果としてポーランドは自国のみで対処する必要に迫られた。

そんななかでポーランド国内でドイツ帝国はイグナツィ・モシチツキに現状、残っている領土を保証占領する事を提案する。彼は当初はこのふざけるな!!っとドイツの提案を拒否するが、日増しに悪化する戦況、一向に動こうとしない西部同盟国などの状況をかんがみて最終的にはこの提案を受け入れるしかなかった。

ポーランド正規軍のなかにはこれに反対する勢力も多くいたが、軍の大半が前線でソ連赤軍と対峙している状況で、これに反対してドイツ帝国に攻撃を加えてもポーランドの滅亡を早めるだけだとして渋々ながらこの決定を受諾。ドイツ軍の進駐が始まるのとあわせてソ連赤軍の行動も停止していったのでポーランド軍も武装を解除していった。

結果としてポーランドは史実より早くわずか半月ちょっとで北部を除きカーゾン線で独ソに分割される事になった。

ソ連のポーランド侵攻とそれに呼応したドイツのポーランド進駐に対して国際社会は敏感に反応を示す。日米はソ連とドイツの動きを事実上の共謀したポーランド分割であると公然と非難して、ソ連との国交正常化交渉の打ち切りを発表。さらにイギリスやフランス、オーストリアがドイツ帝国と開戦した場合はこれを支援すると発表する。イギリスとフランスは予備役の動員を開始、仏独国境では緊張が高まっていき、ドイツも独仏国境付近にあるジークフリード線と独墺国境付近のルーデンドルフ線の部隊を増強するなど戦争の準備を始める。

そんななかで今後の方針を話し合うためにイギリスのチェンバレン首相とフランスのダラディエ首相、オーストリア・ハンガリー帝国のドルフース首相はロンドンで極秘裏の会議を開いた。

この会議では英仏墺三国はいまだに戦争の準備が万全ではなく、さらに世論もポーランドが自主的にドイツに進駐を依頼したこともあって参戦派がそこまでいないこともあって、ひとまずアメリカを仲介としてドイツ帝国との会談を開くことを決定、ドイツの事実上の同盟国であるイタリアのムッソリーニに仲介を打診する。

これを受けたムッソリーニは英仏墺の打診にイタリアの国際的なアピールとなるとして喜んでこれを受け入れ、イギリスのチェンバレン首相、フランスのダラディエ首相、オーストリアのドルフース首相、ドイツのヒトラー首相、そして自身が参加する国際会議を開くことをドイツ帝国に打診した。

214: ホワイトベアー :2019/08/12(月) 15:56:41 HOST:157-14-225-220.tokyo.fdn.vectant.ne.jp
ヒトラーもこの打診を応諾し、ポーランド進駐から開始からわずか4日後の1939年9月16日にミラノにて五カ国の首脳による会談が実施される。

ヒトラーはこの席にてポーランドへの進駐は共産主義勢力の勢力拡大を防ぐためにポーランド側の要請を承けて行ったことであり、ドイツ帝国には一片の領土的野心は存在しないと宣言、さらに適切な時期がくればポーランドを独立させることをイギリスやフランス、オーストリア、さらにオブザーバーとして参加していたモシチツキに約束し、実際にポーランドの行政はイグナツィ・モシチツキ率いる旧ポーランド政府に一任されているなどの現状からイギリスとフランスはドイツの言い分を受け入れる事になった。

この背景には国民が平和を望んでいた事や戦争の準備が整っていないこと、ドイツ帝国を共産主義への楯にしたいと言う考え以上にこれ以上日米の欧州での影響力拡大を防ぎたいと言う共通の意思があり、結果として、ポーランド第二共和国の実質的な分割は国際的にも承認される事になった。日米の首脳は英仏墺の弱腰な姿勢に苦虫を噛んだかの表情になるが、両国の国民のほとんどはこの一連の事態に対して興味を持っておらず、さらに具体的なアクションをおこす前にポーランド全土がドイツとソ連の手に落ちてしまったことから、これを受け入れるしかなかった。

しかし、ただ受け入れるだけではドイツ帝国を増長させなねないとして、日本はドイツ帝国に圧力を加える為に、第一次世界大戦終結後に駆逐艇8隻、航空機60機(戦闘機20機、哨戒機18機、早期警戒機4機、救難ヘリコプター8機、輸送機6機、空中給油機2機、飛行艇2機)、陸上部隊1,200名にまで縮小していたアイスランド駐留部隊の増強を決定、その一環として現役復帰した長門型3隻と瑞鶴型航空母艦2隻を中核とした第六艦隊(※1)を臨時に編成し、巡防艦(フリゲート)6隻からなる第6海上護衛隊(※2)と第1潜水艦隊第6潜水戦隊(※3)とともにアイスランドに向けて出発する。また、海軍海兵隊から第3陸戦師団および第6陸戦師団を陸軍から第1山岳師団、第36歩兵師団をアイスランドに派遣することも決定する。

一方、欧州では、この会議によって戦争の危機は一時的にであるが下がり、英仏墺の国民はこの会議に参加した首脳たちを褒め称え、世界大戦は無事に回避され、平和が訪れたという喜びに包まれる事になる。

会議の立役者であったチェンバレン首相や平和の使者となったムッソリーニは讃えられることになり、チェンバレンやムッソリーニにの名前を関する町がフランスやイギリスにて見られるようになる。

西欧で資本主義諸国がこうした交渉を行っているなかでソ連はバルト三国に圧力を加えていき、これらの国々の領土内にソ連軍基地の設置を認める自動延長の相互援助条約を強制的に結ばさせ、東欧における足場を固めると、次の獲物としてフィンランドに圧力を加え始める。

もともと、ソビエト政権にとって、革命発祥の地であり、ソ連第2の大都市であるレニングラードと近すぎるフィンランド国境は、重要な安全保障上の課題であり、1938年よりフィンランド政府と非公式ながら国境の再設定の為の交渉を始めていた。この交渉はスターリンにしては非常に大きく譲歩する事になるが、しかし、フィンランドはほとんど妥協せず、1939年には交渉自体が暗礁に乗り上げてしまう。

215: ホワイトベアー :2019/08/12(月) 16:00:12 HOST:157-14-225-220.tokyo.fdn.vectant.ne.jp
そうして最終的にソ連は史実と同様に1939年11月30日に宣戦布告なしに23個師団45万名の将兵を以って、フィンランド国境全域に対しての侵攻を開始する。

この世界でのソ連は日米のせいで領土も人口も工業力も史実より劣ってはいたが、それでも世界有数の大国であり、陸軍国であった。対するフィンランドは総人口370万人であり、ソ連の一年間の自然人口増加数(おおよそ300万)と対して変わらない小国であった。

軍備もソ連赤軍は現役師団のみで130個師団を抱えているのに対してフィンランド軍は9個師団と4個旅団、それにいくつかの独立部隊しか有していなかった。

それほどまでに国力・軍事力の桁が違う国家が本気を出して攻めてきたのである。欧州各国はもちろん、世界中の国家、フィンランドやソ連含めて、がソ連の短期間での勝利を確信していた。しかし、その予想はソ連が侵攻を開始した当日中に覆されることになる。

それはなぜか、理由は極めて簡単であった。大日本帝国とアメリカ合衆国と言うソ連に匹敵しうる2つの大国がフィンランドへの6個師団規模の義勇軍の派遣から始まり、無償・有償での物資支援、莫大な資金援助などを表明したからだ。そして、日本はアイスランドに向かっていた第6艦隊から第12航空打撃戦隊と第13駆逐隊、第14潜水戦隊を除く部隊と4個師団を中心に遣欧軍を編成し、アイスランド駐留軍司令官に内定していた今村 均大将を指揮官としてフィンランドに向かわせる。

この表明はイギリスやフランス、ドイツなどの中立国や戦争を仕掛けたソ連はもちろん、援助を受ける事になったフィンランド自身も仰天することになる。

各国では勝ち目など本来はあるはずもないフィンランドに両国が肩入れするのかを混乱するものや、本来なら小国であるはずのフィンランドが大国のソ連にほとんど妥協せずにいたのは日米との密約があったからこそではないかといぶかしむ者など様々な反応を見せる。

しかし、なぜ、日米がフィンランドに援軍を出したのか。それは極めて簡単な理由であった。この頃の日米は「独ソ不可侵条約」とポーランドの併合によって後顧の憂いをたったソ連が極東ロシア帝国に大挙攻め込んでくる可能性に怯えたからだ。特にアメリカはその可能性に大いに震え上がり、アジアの兵力の増強を開始していた。しかし、現状のなんの準備も出来ていない状態で攻められると最終的には勝てるが、極東ロシア帝国に甚大な被害を出しかねない。そこで日米は自らの準備が最低限整うまでソ連の目を欧州に釘付けにしたかったのだ。

一方、日米の支援を知ったソ連であるが、彼らは比較的この事を重要視ししなかった。無論、ドイツや北欧諸国に中立を保ち日本軍の船団を通さないように打診するが、それも形式的なものであった。彼らからしたらフィンランド戦など長くても二週間、早ければ一週間で終わらすことができると考えていたのだ。

しかし、それが甘い考えであったことに気づくためにソ連赤軍は高い授業料を払うことになる。

まず始めにそのことを気づかされたのはソ連空軍であった。彼らは開戦当初、国境地帯の他、ヘルシンキ、ヴィープリなど数都市を空爆するために航空部隊をフィンランド領に送り込む。しかし、これらの部隊はフィンランド空軍による熱烈な歓迎を受ける事になり、大損害を被る事になる。無論、数を活かして、迎撃機を振り切れる幸運な機体もいるにはいたが、それらの機体はフィンランド陸軍の高射砲によって有効な爆撃ができなかった。

216: ホワイトベアー :2019/08/12(月) 16:00:53 HOST:157-14-225-220.tokyo.fdn.vectant.ne.jp
特にフィンランド首都であるヘルシンキでは徹底した防空体制が引かれており、同市を爆撃するために飛行していた爆撃機部隊は、彼らの頭上から襲いかかってきたフィンランド空軍第21戦闘機戦隊によって文字通り全滅させられてしまう。

なぜ、フィンランド空軍がここまでソ連空軍を圧倒できたか。それは運用している航空機の性能に圧倒的な差があったからである。

この頃のソ連空軍はHe112のライセンス機であるYak-1や日米の高高度爆撃機を迎撃するために開発されたMig-1(※4)、I-16などの単葉機やドイツ帝国と共同で開発したI-22(※5)といったロケット戦闘機の配備も進めていたが、これらの新型機は日本による本土爆撃を警戒してウクライナなどソ連本土の要所に配備されるか、ロシア帝国による侵攻を警戒してシベリアに配備されており、フィンランドに投入されたのはI-15(※6)やSBなどの旧式機がメインであった。

対するフィンランド空軍は日本やアメリカから購入した一五式艦上戦闘機五四型(※7)やP-48G(※8)と言ったプロペラ機としては高性能な機体を運用しており、空では圧倒的なキルレートを誇っていた。

空でソ連空軍が蹴散らされている一方、ソ連赤軍地上部隊は圧倒的な砲兵の支援のもとで第7軍と第8軍がカレリアへの侵攻を開始、パニックをおこしたフィンランド軍の一部を蹴散らしながら進撃していた。幸いこれらの地域の住民たちは事前に避難をしており、民間人の被害こそ出なかったが。

これに対してフィンランド軍はタルヴェラ大佐に1個歩兵連隊と3個野戦補充大隊を与えて独立作戦集団を編成、カレリアへの援軍にむかわせる。

また、それ以外の方面でも予定より早く戦線の縮小を余儀なくされ、少ない予備兵力はこれらの戦線に回されていくなど、空とは違い陸ではフィンランドは押されていた。

その後も赤軍は順調に攻勢を進めていき、12月1日までにはテリヲキを占領して、傀儡たるフィンランド人民政府を設置していた。さらにフィンランドを南北に分断するためスオムッサルミの攻略を目指していた第9軍は先鋒の第163狙撃師団が国境から30km進出し、ラーテ街道を西進していた。

しかし、フィンランド軍が混乱を続け後退している最中に、コッラ周辺に展開していた第34連隊が混乱からいち早く立ち直り反撃に移るなど、フィンランド軍の混乱は次第に回復していった。そして、フィンランド軍は当初の計画通り占領されそうな集落はことごとく焼き払い、撤退していたため、ソ連赤軍は集落を占領してもろくに暖をとることは不可能であった。さらに野外で暖をとるために火をおこせば狙撃され、フィンランド軍のスキー部隊は昼夜を問わずに奇襲を仕掛けてくるので、警戒を解くことはできない。さらに有線通信網はズタズタで、無線もフィンランド軍によって偽の命令や情報、救難要請が飛び交って混乱中という有様であり、そんな戦況によってソ連赤軍の士気は次第に下がっていき、侵攻スピードは目に見えて低下していった。

217: ホワイトベアー :2019/08/12(月) 16:02:16 HOST:157-14-225-220.tokyo.fdn.vectant.ne.jp
さらに、フィンランドの自然もソ連赤軍に猛威を振るっていく。

これにはモスクワのソ連上層部も次第に焦りを見せていく。そして北欧諸国やドイツに圧力を加えて日米の義勇軍や支援物資を満載した輸送船団をフィンランドに到着させないように動き始める。実際にこの圧力を受けたノルウェーやデンマークは日本の船団の領海通過を拒否するが、日米がイギリスやフランスに圧力をかけてノルウェーやデンマークへの石油や石炭などの輸出を渋らせるなど外交圧力を加えると領海の通過を認める事になった。

そして、ソ連赤軍が一向にフィンランドを制圧する事ができない状態で日米連合軍の増援の第一陣が到着する。この時、到着したのは日本の。部隊であり、海軍海兵隊の第6陸戦師団を除いてアラスカや北海道などに配備されていた部隊でもあった。そのため充実した防寒装備やスノーモービルなどの冬季装備を有しており、早々にフィンランドの環境に適応、アラスカを管轄としていた第1山岳師団はシーラスヴオ大佐指揮下のフィンランド軍第9師団と共同でスオムッサルミ方面に進出、同じくアラスカを管轄としていた陸軍第13歩兵師団は4個の混成旅団に分割されコッラを含めたカレリア軍の増援として前線に配備された。

海兵隊の2個師団はフィンランドでは貴重な機械化された部隊(機甲師団と機械化師団)と言うこともあって予備戦力として後方で待機する事になる。なお、この時には第二陣としてウォルター・クルーガー中将を指揮官としたアメリカ軍2個師団が膨大な物資とともに大西洋を航行中であり、一週間と少しでフィンランドに到着する予定であった。

無論、日本軍も多くの装備をフィンランドに供与しており、重装備こそ少ないものの対戦車兵器として和製カールグスタフと言うべき一八式携帯型無反動砲が1,000基近くが供与され、さらに六式半自動小銃の発展改良型である二四式狙撃銃や和製UZIである二〇式機関拳銃など多くの装備が供与された。

これらの装備はフィンランド軍に広く配備され、ソ連赤軍に地獄を見せる事になる。

こうした理由によって当初の作戦予定から大幅に遅れをとっていたソ連赤軍はこの戦況を変えるために南部北部のフィンランド部隊を分断可能なコッラ川に突破口を作る事を決定する。しかし、この時のソ連赤軍は大粛清の影響であり、どの師団もまともな訓練を受けたのは多くて五割、少ないと二割という有り様であり、高度な、いや、通常の作戦行動をとる事は不可能であった。そこでソ連赤軍は極めて簡単でバカでも行える戦法をとる。そう、歩兵の数と火力の力で押し潰すと言うものだ。

218: ホワイトベアー :2019/08/12(月) 16:08:12 HOST:157-14-225-220.tokyo.fdn.vectant.ne.jp
ソ連軍第8軍は司令官のイヴァン・ハバロフは56師団および75師団にコッラを越えるように厳命、そして第8軍軍砲兵、56師団、75師団師団砲兵による一斉砲撃が開始され、フィンランド軍陣地に雨霰と砲弾を叩き込む。しかし、第一次世界大戦でも同じような光景が見られるが、塹壕陣地に籠る部隊に砲兵の攻撃は大した効果はなく、コッラを防衛していたフィンランド軍第13連隊および日本義勇軍第13歩兵師団第1混成旅団には大した損害は出なかった。そして砲撃がやむと密集隊形で氷上をひたすら直進的に進軍してくるソ連赤軍に対して防衛陣地から九一式重機関銃や二四式狙撃銃などで次々と銃弾を浴びせていき、さらに洋上に展開していた日本海軍の第11航空打撃戦隊所属の攻撃機隊(※9)による優先的な航空支援もあって、ソ連赤軍に大きな損害を与え続ける。しかし、ソ連赤軍は自軍の損害を気にせず攻撃を続けていき、一部部隊は防衛陣地にとりつく事に成功した。しかし、これらの部隊はフィンランド側の増援が到着すると防衛陣地から叩き出されていき、結果として2個師団を動員してもコッラを越えることはできなかった。その後、コッラ方面では膠着状態に持ち込む事に成功する。

一方、カレリア地峡戦線では日米独三カ国の支援のもとで建設されたフィンランド軍の要塞線であるマンネルハイム線を巡ってソ連赤軍第7軍とフィンランド軍カレリア地峡防衛軍の間で激しい戦いが行われていたが、フィンランド側の決死の戦いぶりから第7軍は撃退し続けられていた。そこでソ連赤軍はKV-1を主力とした戦車部隊を投入、陣地ごと戦車で踏み潰さんとする。

この時のフィンランド軍主力戦車は日本製の軽戦車である一二式軽戦車で、この戦車では重装甲なKV-1に対抗することは極めて難しく、それを理解していたからこそ投入したのだ。

この判断はある意味で正しく、また、ある意味で間違えであった。確かに一二式軽戦車の主砲である40口径75mm戦車砲では正面からKV-1の撃破は難しかった。しかし、側面や後方からは撃破することはできなくはない。さらに歩兵部隊にはKV-1を正面から撃破可能な一八式携帯型無反動砲が配備されていた。

さらにモスクワからの強い要求によって戦力の逐次投入をおこない、随伴歩兵もつけていないなど、ソ連赤軍側の戦術ミスの助けもあって、この戦車を投入したソ連赤軍の攻勢は失敗してしまう。

そして、投入したKV-1はそのほとんどがフィンランド戦車部隊に半包囲され、側面からの砲撃によって側面を食い破られ、撃破されてしまう。その後もカレリア地峡で一進一退の攻防戦が行われるが、フィンランド軍はソ連空軍を撃破し続けた。

そして、フィンランド軍と日本軍は初の本格的な反抗を計画、第139狙撃師団と第163狙撃師団の包囲殲滅を行うために動き出す。

ソ連の圧勝を誰もが予想した戦争はその予想を覆し、フィンランドはかつて巨人ゴリアゲに挑んだダビデの様にソ連に向かっていた。

219: ホワイトベアー :2019/08/12(月) 16:09:08 HOST:157-14-225-220.tokyo.fdn.vectant.ne.jp
(※1)
第6艦隊 編成
第9戦隊
長門型戦艦《駿河》《近江》《紀伊》

第11航空打撃戦隊
瑞鶴型航空母艦《龍鶴》
蒼龍型航空母艦《白龍》
最上型ミサイル巡洋艦 1隻
秋月型ミサイル駆逐艦 4隻

第12航空打撃戦隊
瑞鶴型航空母艦《雲鶴》
蒼龍型航空母艦《翔龍》
最上型ミサイル巡洋艦 1隻
秋月型ミサイル駆逐艦 4隻

第15巡洋戦隊
改鞍馬型ミサイル巡洋艦《黒姫》《蓬莱》

第46駆逐隊
島風型艦隊型駆逐艦  4隻

第14潜水戦隊
呂-二六〇型攻撃型原子力潜水艦 4隻

第8遠征打撃戦隊
秋津州型強襲揚陸艦    1隻
頼成型ドック型揚陸艦   3隻
足羽型ドック型輸送揚陸艦 1隻

(※2)
第6海上護衛隊
石垣型巡防艦 3隻
名蔵型巡防艦 3隻

(※3)
第1潜水艦隊第6潜水戦隊編成
大野型潜水艦救難艦       1隻
伊-三〇〇型戦略型原子力潜水艦 2隻

(※4)史実 Mig-3 相当

(※5)史実 Me263 相当

(※6)史実 I-153 相当

(※7) 史実 F4U-5相当の機体

(※8) 史実 仮称紫電性能向上型 相当の機体。

(※9) 史実 A-6C 相当の機体である三三式艦上戦闘機一二型で構成された部隊。

おまけ
艦艇紹介
最上型ミサイル巡洋艦
排水量:5,700t、速力:33kt、兵装:
54口径127mm単装速射砲2基、連装ミサイル発射機2基、8連装ミサイル発射機1基、8連装対潜ミサイル発射機1基、三連装魚雷発射管2基

改鞍馬型ミサイル巡洋艦
排水量:13,600t、速力:33kt、兵装:55口径20.3cm三連装砲2基、38口径12.7cm連装砲5基、50口径7.6cm連装砲4基、連装ミサイル発射機2基

石垣型巡防艦
排水量:2,640t、速力、27kt、兵装:62口径7.6cm単装速射砲1基、8連装対潜ミサイル発射機1基、8連装ミサイル発射機1基、連装短魚雷発射管2基

名蔵型巡防艦
排水量:2,100t、速力:27kt、兵装:62口径7.6cm単装速射砲2基、8連装対潜ミサイル発射機1基、三連装装魚雷発射管2基

秋津州型強襲揚陸艦
排水量:25,300t、最大速力:24kt、兵装:50口径76mm連装砲4基、搭載兵員:1,900名、搭載航空機数:大型回転翼輸送機26機、搭載艇:汎用輸送艇2隻、積載量能力:多数

足羽(あすわ)型ドック型輸送揚陸艦
排水量:9,201t、最大速力:17.2kt、兵装:30mm連装機関砲6基、搭載兵員:930名、搭載航空機数:大型回転翼輸送機6機、搭載艇:戦車輸送艇1隻or汎用揚陸艇9隻

頼成(らいじょう)型ドック型揚陸艦
排水量:6,800t、最大速力:22kt、兵装:30mm連装機関砲6基、搭載兵員:歩兵330名、搭載能力:多数、搭載艇:汎用揚陸艇8隻

伊-三〇〇型戦略型原子力潜水艦
排水量:6,000t、最大速力:25kt、兵装:533mm水圧式魚雷発射管6門、垂直式潜水艦発射型弾道ミサイル発射管16門

220: ホワイトベアー :2019/08/12(月) 16:10:00 HOST:157-14-225-220.tokyo.fdn.vectant.ne.jp
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最終更新:2019年08月13日 11:16