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日墨ルート 第二次世界大戦4

第二次世界大戦初頭に置いてドイツ南部国境地帯は余りに平穏だった。
ここではドイツとドナウ連邦の間では双方による爆撃と空中戦が行われる程度であり、ルール地方の血で血を洗う戦場に比べればのどかなものだった。
公には国境地帯に両国が築いた要塞線が理由とされていたが、先の大戦を経ても未だに失われていない大ドイツ主義的な民族意識が背景にあるのは明らかだった。
もちろんこの状況を英仏はまやかし戦争、とよんで批難し、今すぐドイツ南部に兵をすすめるように求めたのだが、開戦とともに活発化しつつあるイタリア民族主義者の活動を抑えるために動かすことは出来無い。と言われれば、何もできなかった。
英仏としてもただでさえ忙しいこの状況で、イタリア人に背後から刺されることは避けたかったからだ。

そんなドナウ連邦を変心させるべく、1942年7月9日、連合国軍によるルール地域のドルトムントを目標にした夏季攻勢がはじまった。
イギリス軍はカヴェナンター、クルセイダー(注)、ラムといった巡航戦車に加え、バレンタイン(注2)歩兵戦車を装備していた。
フランス軍もシャールG1bis、シャール3C(注3)をはじめとする従来通りの戦車を装備していた。
これに対してドイツ軍はパンター、レーヴェといった新型戦車を投入するとともに、ディッカーマックス、シュトゥーレエミールといった重対戦車自走砲まで投入し抵抗した。
また、この攻勢では連合国軍の新兵器も投入された。グロースターサンダーボルトとバーニーガンだ。
両方ともイギリス製で前者は連合国軍初となるジェット戦闘機、後者は携帯型の対戦車無反動砲だった。
連日の1000機爆撃は連合国軍の焦りの裏返しであり、彼らは余力を失いつつあると考えていたドイツ参謀本部の分析が全否定された瞬間だった。
連合国は未だに余力を残していたのだ(注4)。

注1 史実チャレンジャー
注2 史実チャーチルMK7
注3 フランス、ドナウ共同開発戦車で、史実ポルシェティーガーから電気駆動を廃し、主砲にフランス製90mm としたもの。
注4 ただし、国債の乱発が続いたため英仏の大蔵官僚たちは悲鳴を上げていた。

231: 透過の人 :2019/08/12(月) 19:31:40 HOST:softbank126077075064.bbtec.net
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最終更新:2019年08月13日 11:17