296: ホワイトベアー :2019/08/14(水) 22:34:07 HOST:157-14-225-220.tokyo.fdn.vectant.ne.jp
日米枢軸ルート 第38話

一連の攻防戦で当初の予想を上覆す戦果を見せ
ていたフィンランドに国際社会では同情が高まっていき、国際連盟はこの問題に対応するために緊急理事会を開いていた。この会議ではソ連に対しての非難決議を全会一致で可決、さらに日米の提案もあって経済制裁決議に向けて動き出しつつあった。無論、ソ連と近い北欧諸国やイラン、アフガニスタンらやソ連から軍事的な援助を受けていたラトビアや中国はソ連への経済制裁反対するが、そもそも国連憲章によって侵略措置への制裁は理事会の選任事項(※1)とされており、こうした反対はたいした意味はなかった。

国際社会から少しずつ支持を集めていたフィンランドであったが、しかし、その対価は極めて大きく、フィンランド軍単体での予備兵力はそこを尽き、砲弾に至ってはわずか二週間もたたずに備蓄していたものの1/3を消費してしまっていた

予備兵力については全体で見れば日本軍の2個師団がおり、さらにアメリカ軍2個師団が一週間以内に到着することから大した問題ではなかったが、砲弾についての問題は日米の砲弾と規格が違うため、極めて重大であった。そんななかでフィンランド軍は少しでも時間を稼ぐために攻勢にでる事を決定する。

12月16日にはラドガ湖北ヒルヴァスヤルビィで日本軍第13歩兵師団第2混成旅団とタルヴェラ戦闘団がソ連赤軍第139狙撃師団と決戦を開始、第2混成旅団が第139狙撃師団の足を止めている間にタルヴェラ戦闘団がスキーやスノーモービルを使って後方と側面に回り込み、第139狙撃師団を包囲する。当然、第139狙撃師団は包囲を食い破るために第364狙撃連隊と予備兵力であった第609狙撃連隊とを使い全面の第13歩兵師団第2混成旅団に攻勢を仕掛ける。だが、これらの部隊は練度不足から密集して突撃したこともあって日本軍が持ち込んでいた二四式自走高射機関砲6両や日本軍の機関銃による激しい抵抗を受けた。

この二四式式自走高射機関砲は二三式軽戦車の車体を利用して新造された車体上部、全周回転可能な砲塔を載せ、毎分400発を放てる40mm機関砲を連装で装備しており、それが歩兵部隊に配備されていた二七式汎用機関銃や九一式重機関銃とともに運用された結果、第139狙撃師団が行ったこの攻撃は死体の山を築くだけで終わった。

297: ホワイトベアー :2019/08/14(水) 22:35:28 HOST:157-14-225-220.tokyo.fdn.vectant.ne.jp
第139狙撃師団師団長のベルヤエフは近くに展開していた75師団からの援軍を期待するも、このときの75師団はフィンランドのスキー部隊と焦土化作戦、さらに日本軍の航空阻止によって完全に足を止められており、とてもではないが増援駆けつけるのは不可能であった。

それを知った第139狙撃師団はついに撤退を決意、後方のフィンランド軍の兵力が少ないことから包囲網の突破に成功し、75師団との合流を目指して後退を開始した。

無事に75師団との合流に成功した第139狙撃師団はそこで追撃部隊を迎え撃つつもりであったが、75師団は航空阻止の効果もあって戦力が低下しており、最終的にはアイアット川まで撤退する事になる。

ヒルヴァスヤルビィで日本軍第13歩兵師団第2混成旅団とタルヴェラ戦闘団がソ連赤軍第139狙撃師団を相手に戦闘を繰り広げているのとほぼ時を同じくして、スオムッサルミではフィンランド軍第2師団と日本軍第1山岳師団による作戦が開始され、第2師団の隷下におかれていたスシ戦闘団がソ連赤軍163狙撃師団所属の662狙撃連隊を撃破し、第163狙撃師団は退路を絶たれる事になった。これよって第163狙撃師団はスオムッサルミにて完全に完全に包囲される事になる。

ソ連赤軍は精鋭の機械化師団である第44機械化狙撃師団に第163狙撃師団の救援に向かわせるが、気温氷点下40度と言う規格外の寒さに第44機械化狙撃師団は完全に足をとられてしまい、そこを第1山岳師団が強襲、第44機械化狙撃師団も包囲されてしまう。

そして、ソ連赤軍第163狙撃師団の包囲を磐石とした第2師団はスオムッサルミに籠る第163狙撃師団に対して砲撃を行う。この時、使われたのは日本軍も正式に配備している一二式一五糎半榴弾砲とアメリカ軍が開発したM13自多連装ロケット砲であり、弾の心配もなかったことから第2師団は激しい砲撃を実施する。

この砲撃戦は第163狙撃師団の確保していたスオムッサルミ村は完全に焼失、補給線を守っていた第662狙撃連隊が撃破され、補給が途切れた事も合わさり第163狙撃師団の士気は大幅に低下し、さらに頼みの綱である第44機械化狙撃師団は日本軍第1山岳師団によって完全に包囲され、救援に来ることは不可能と言う事態に遂に一時的なスオムッサルミの放棄を決意、12月20日より第44機械化狙撃師団と合流するためにラーテ街道方面にて包囲を破るために攻勢を開始する。また、この時には天候が回復していた事もあってソ連空軍もこれの援護を実施するために動き出していたが、当然、フィンランド陣営の航空機も動いており、スオムッサルミ方面の空域では一方にソ連空軍が落とされていき、第2師団は日本軍の新型攻撃機である二九式回転翼攻撃機による充実した近接航空支援の下に突破を仕掛けてきた第163狙撃師団は師団の5割を喪失して突破には失敗してしまう。それどころかこの攻勢の失敗によって包囲網は一気に狭まり、極めて狭い範囲に閉じ込められる事になった。

298: ホワイトベアー :2019/08/14(水) 22:37:17 HOST:157-14-225-220.tokyo.fdn.vectant.ne.jp
余談であるが、この時に初めて投入された二九式回転翼攻撃機は史実アメリカのAH-1を下に三菱が開発した世界初の攻撃ヘリコプターであり、固定武装として20mm電動式3砲身ガトリング砲1基を有し、さらに四連装空対地ミサイル発射筒2基、19連装ロケット発射筒2基を搭載可能な機体であり、従来の航空機とは違い、その場にホバリングできる事からより長く、より効率的に地上部隊を支援することができた。

そして、この戦いやその後の戦いで戦闘ヘリコプターの対地攻撃での有意性を世界に知らしめる事になり、列強各国がジェット戦闘機の開発と同様に力を入れて開発していくことになる。

話を元に戻して、第2師団が敷いた包囲網の突破に失敗し、逆に包囲を狭められたソ連赤軍第163狙撃師団であるが、彼らに更なる困難が神より与えられる。冬将軍の到着である。これによってフィンランドの気温は急激に低下していき、12月24日には気温が-40℃を下回る急激な寒さがこの戦場を支配する。これによってろくに暖が取れず、風を遮るものもないスオムッサルミでは、負傷者や体力の無いものから順に凍死してき、そこに容赦のない砲撃や空爆も合わさり第163狙撃師団は完全に戦闘能力を喪失、フィンランド軍に対して降伏する。

一方、第163狙撃師団救援の為に急行しているところを包囲された第44機械化狙撃師団は装甲戦力を先鋒に包囲の突破を図るものの、携帯式対戦車兵器である一八式携帯型無反動砲を装備する歩兵部隊により突破作戦は失敗、クリスマスには日本空軍がありったけの砲弾と航空爆弾がプレゼントとして第44機械化狙撃師団に撃ち込まれ、さらに第163狙撃師団を襲った寒波にも襲われた。

なんとしても包囲の突破を行う必要に迫られらた第44機械化狙撃師団は包囲網全方位に陽動を兼ねた牽制攻勢を開始、そして本命のラーテ街道沿いの封鎖部隊を排除し、包囲を突破するために第25狙撃連隊が戦車中隊の支援の下に攻勢を開始する。

この時、同街道沿いの封鎖に当たっていたのは第1山岳師団第38山岳連隊の第2大隊と第3大隊であり、数的には圧倒的に不利であった。さらに、第25狙撃連隊は優秀な指揮官に統率され、精強な兵士達によって編成されている部隊であもあった。彼らはそれまでのソ連軍とは違い分散して果敢に攻撃を敢行、兵士達は銃剣や手榴弾で止めを刺されるまで戦い続け、第2大隊を敗走させることに成功する。しかし、第3大隊指揮官が日本軍史上初の全力航空支援要請(※2)を発令、これを受けた洋上の日本海軍空母機動艦隊からの攻撃隊が近接航空支援を開始した為に包囲の突破は失敗してしまう。

幸い、兵員への損害は第25狙撃連隊が半壊する程度で済むが、この攻勢で第44機械化狙撃師団が備蓄していた砲弾が包囲開始時点から比べると1割にまで減少しており、降伏か森への撤退の二択を迫られる事になる。師団幕僚や連隊長達は北の森林地帯への脱出を主張するが、史実と違い帝政時代に一時的にフィンランドで生活していたヴィノグラフ中将はフィンランドの森の危険性を理解しており、自らがNKVDに粛清される事を承知で降伏を決断する。

ここで余談だが、ヴィノグラフ中将の先の事を話そう。粛清を覚悟して降伏した彼だが、冬戦争後の赤軍再編成に忙しいソ連は高級将校をあの世やシベリアに送る余裕がなく、敗北の責任を取って二階級降格と言う非常に甘い処分で終わる事になる。

話を元に戻して、ヒルヴァスヤルビィとスオムッサルミにて完全な勝利をものにしたフィンランドの戦いは雪中の奇跡と呼ばれる事になり、これらの戦果を見たイギリスやフランスはフィンランドの救援を名目に北欧を押さえ、自国の思惑から外れて動こうとするドイツ帝国に戦略物資の面で首輪を付けようと介入の準備を開始する。ドイツ帝国もこの動きは察知しており、これを回避する為に先制的なノルウェー侵攻も含めた対応策の検討を開始した。

また、その他の多くの国々でフィンランドへの支援運動が高まっていき、様々な物資がフィンランドに送り込まれていく事になる。特に強固に反共産主義を掲げるイタリアのムッソリーニはフィンランドに大規模な支援を表明し、MC.200を80機、SM.81を30機を提供することを提案する(無論、フィンランド側が提供に断った)他、OTO M35型手榴弾などの手榴弾やカルカノM1938などの銃器など兵器を少量と、乾燥パスタと寒冷地用保温容器を大量に供与する(※3)。

さらに、この頃にはアメリカ軍の2個師団が膨大な物資と共に到着、フィンランドの砲弾事情はアメリカが義勇軍と共に運んできた日米の砲弾が使える155mm榴弾砲を大量("まず"800門)に供与するという力業を使って安定化させた。

299: ホワイトベアー :2019/08/14(水) 22:39:33 HOST:157-14-225-220.tokyo.fdn.vectant.ne.jp
一方、ソ連ではスオムッサルミ方面で2個師団が降伏、ヒルヴァスヤルビィ方面ではわずか1個戦闘団によって2個師団が敗走、さらにラドガ湖北部にて2個師団と1個戦車旅団が包囲されると言う状況を知らされたスターリンは大激怒、北西軍の人事の完全なる刷新を国防人民委員のクリメント・ヴォロシーロフに命令する。これに対してヴォロシーロフは失敗の理由の解析をさせるのを優先させるべきと強固に主張、結果として北西軍司令官であるジダーノフを第7軍司令官に降格させ、ポーランド侵攻作戦の英雄でありキエフ軍管区司令官であったセミョーン・チモシェンコを新たな司令官任命する事で落ち着く。

なお、この話し合いではヴォロシーロフがスターリンに正面切って赤軍粛清を批判すると言う珍事がおきていたこれは余談であるのでまた別の機械に語ろう。

話を戻そう、こうして北西軍司令官になったセミョーン・チモシェンコはスターリンに現状でのフィンランド攻略は不可能と断言、マンネルハイム線の突破には1ヶ月間の準備期間が最低でも必要であり、さらに準備期間中も現状での戦力による消耗戦を挑む必要があると宣言する。これは英仏の本格的な介入を警戒するスターリンも渋るものの、最終的にはチモシェンコに満足のいく準備を与える事を約束する。

スターリンからの約束を得たチモシェンコは早速、北西軍司令部のおかれているレーニングラードに移動、そこで鉄壁を誇るマンネルハイム線攻略の準備を開始していく。

(※1)
パリ講話会議で日本が連合国主要国に
「国際社会の平和と秩序の維持は、責任のある列強間で話し合われる問題であって、自国の事やその周辺の事で手一杯の中小国家をその席に呼ぶのはかえって混乱が増し、有効な手が打てなくなる恐れがある」
として、加盟国全てに1票がある総会ではなく列強間で構成される理事会の選任事項とするとうに要求し、イギリスやフランスもそれに賛成したためその様な事になった。

(※2)
日本軍が設定している要請の1つで、発令されると近隣の動員可能な航空機は全て派遣され、通常では交戦規定で禁止されるような味方陣地上への爆撃も許可される。

(※3)
日本企業と共同で開発したミートソースの缶詰も一緒に送られることになり、後にフィンランドでイタリアの支援で最もありがたかったランキング堂々の第一位を飾る事になる。

300: ホワイトベアー :2019/08/14(水) 22:40:08 HOST:157-14-225-220.tokyo.fdn.vectant.ne.jp
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最終更新:2019年08月18日 11:29