796 :ひゅうが:2012/01/21(土) 19:41:56
※本編がこうなるかどうかはわかりません(汗


ネタ――~「星渡りの歌会」~

――ランズベルク伯アルフレッド。
銀河帝国の中上流貴族として生を受けたこの人物は、本来なら宮廷で埋没しかねない平凡な貴族として一生を過ごすはずだった。
彼は自分の政治的なセンスや軍事的才能のなさについては熟知しており、そのために生家であるブラウンシュバイク公の陪臣であるケーニヒスベルク侯爵家(彼は次男だった)の相続権を放棄し、二十代前半ですでに隠居状態にあった。

彼の夢見がちではあるが誠実な人柄に好感をもっていたブラウンシュバイク公は、自身の末の弟が養子に入ったという縁でケーニヒスベルク侯爵家に働きかけ、また自身の荘園のうち暮らすのに困らない程度の小規模なものを割いてまでして典礼省に断絶を待つだけであったランズベルク伯爵家への養子縁組を打診。受け入れられていた。
以来、彼は比較的にではあるが豊かな詩的才能と音楽家のパトロンとしてブラウンシュバイク公家のパーティーの仕切りをつとめている。

そんな彼の名を一躍高める一連の出来事が起こったのは、彼が伯爵家の門地を継いでから2年が経過した帝国暦479年のことになる。
やがては銀河帝国を大きく揺るがす出来事――「日本帝国の帰還」がそれである。
軍事的な危機感や政治的な問題はさておいて、銀河帝国の貴族たちの間では時ならぬ日本文化ブームが起こった。

ちょうど帝国文化の革新期にあり、若手の芸術家たちが貴族をパトロンにしてその才能を開花させつつあった時代において、「デフォルメーションキャラクター」と称される漫画やアニメーション、そして日本画といった異質な文化の再発見は彼らに新たな活力を与えていたのである。

そんな中にあり、アルフレッドは詩的な興味から日本の詩について何気なく調べた。
そして彼は、生涯をかけるべきものに出会う。
俳句、短歌と呼ばれる短い詩の世界がそれである。
古代から続く詩を使った会話――ことに平安時代から鎌倉時代にかけての歌物語に魅了された彼は、国務省に日参する熱意をもって日本行きを熱望した。
しかし、それは叶えられず、落胆した彼を見かねたのか彼を気にかけていたブラウンシュバイク公は日本帝国に向けた親書の付属文書中に彼の作品である短歌の短冊を入れることを認めさせた。
これが彼の名を大いに高める。

ちょうど、宮中の歌会の時期であった日本帝国において、自由惑星同盟の駐留大使も参加している中において政治的バランスをとるべく、彼の短歌は披露されたのである。

そして、時の帝は自由惑星同盟の駐留大使とアルフレッドの短歌に対し「返歌」をした。
この知らせは遠く離れたオーディンのアルフレッドにまで届く。
彼は感激し、すぐさま返歌をする。
それに自身の作った詩を添えて。
貴族の横やりに恐縮する銀河帝国大使に対し、帝は笑ってこれを許し、直ちに返歌をされる。

こうして、身分も立場も違う二人の間で短歌と詩のやりとりがはじまった。
最初はつたないものだったアルフレッドの短歌は、彼の驚異的な学習によって「連歌」としての形式に則ったものになってゆく。
時の帝も、アルフレッドの詩に感銘を受け漢詩を返した。

この二人の時には攻撃的で、時には親子のような詩のやりとりは、この後彼が念願かなって日本帝国駐在の副大使に抜擢されても続いた。
そして、彼は毎年のように歌会へと招待されるようになる。

ランズベルク伯アルフレッド――誰よりも和歌を愛した彼は今、故郷であるオーディンでなく、日本帝国の帝都宙京で、生涯交流を続けた帝の御陵と正対するかのように眠っている。
毎年、彼が晩年を過ごした小さな屋敷は、彼の薫陶を受けた日本や銀河帝国に住む弟子たちでいっぱいになる。
1万7千光年を挟んでつづけられたやりとりにあやかり、「星渡りの歌会」と呼ばれる歌会のためである。
会には、時の帝とアルフレッドの子孫がそれぞれ和歌を持ち寄るのが通例となっている・・・

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最終更新:2012年01月29日 20:25