900 :ヒナヒナ(携帯):2012/03/27(火) 20:37:46
引っ越しでネット禁断症状が酷いです。





○チューニョの花が咲く頃に


「南米の国が一等国になる?黄色人種の国が何を言う。チューニョの花が咲くような物だ。」

チューニョはジャガイモを干したアンデス地域の保存食であり、
植えたところで花どころか芽も出ない。チューニョの花とは不可能のたとえだ。
ペルーなど南米各国はアメリカ合衆国の裏庭である。そう言われてきた。
アメリカに実権を握られ経済的には搾取される。
そんな経済植民地では自ら覇を唱えることは一笑に付される程度の夢物語だった。


しかし、大西洋大津波と日米戦争が全てを変えた。
欧州列強が被害を受け、アメリカは崩壊した。
独ソは激しく消耗しており、軍備はともかく、その国力を減じていた。
そして、アメリカを降し、太平洋の覇者となった大日本帝国が接触してきた。

南米の太平洋側に長大な海岸線を有するチリ共和国と、
同じくその北側に海岸線を持つペルー共和国、
そして、豊富な鉱山資源を排出するボリビア共和国は、
環太平洋諸国として戦後は大日本帝国の影響下に入っていた。

当初はメキシコ戦における日本軍の精強さを見たが故の恭順であったが、
傘下に入って暫くすると、各国は悪い選択ではなかったと思い直した。
彼らから自由と誇りを奪い去っていったスペインや、
富を搾り取っていたアメリカよりもよほど付き合いやすい相手であったと。

少なくとも誠意を持って接すれば、誠意を返してくるし、
基本的には此方側に全く益のない案を強要してくることも無い。
日本側はODAと言っていたが、投資を行い利益を落としてくれたし、
技術もある程度は分け与えてもらった。

その分、自主関税と称して小規模の海賊行為を行っていた賊が
停止命令を無視したとたんに乗船ごと海の藻屑となったり、
地元有力者が支配し、半ば公然と存在したマフィアが壊滅するはめになったりと、
犯罪などへの対処は苛烈であった。

901 :ヒナヒナ(携帯):2012/03/27(火) 20:39:39


さて、現在、没落気味とはいえ世界の富裕層の大多数を占める白人の意識上では
人類は4種類に分けられていた。
白人、黒人、黄色人種、そして日本人。
これは有色人種の優越を認めたくないがゆえに、
有色人種と日本人を別視することで、自分達白人の名誉を守ろうとしたのだ。

一方、前述の南米3カ国では少し違うわけ方をしていた。
白人、黒人、黄色人種、そしてカパック・ケリュ(偉大なる黄)だ。
このカパック・ケリュなる言葉は大戦後にペルーで作られたものであった。
南米の人々は大躍進を遂げた日本人と自分達を黄色人種という人種上で同一視した。
ただし、この戦争で評価を大いに下げた中国系やメキシコ人とは区別するため、
新しい呼び名を作り出したのだ。

ペルーなど南米諸国はスペインが統治してより、白人の地位が非常に高い国であったが、
先住のカンペシーノ(先住民)の間では民族主義
(と本人達は言っていたが実際には反転した人種差別的発想であることが多かった)
に目覚める人間も出始めた。
日本人という黄色人種の躍進を見てきたからだ。

「白人を追い出しの我らの国を!」
「カパック・ケリュの再興を」
「アメリカ・スペインは日暮れの国だ。太陽の帝国(インカ)には相応しくない。
我々のパートナーはアジアの太陽の帝国である日本だ。」

過激な者はインカ帝国の復興などという夢物語まで口にするほど、南米3国は沸いていた。
何せ、今まで頭を押さえていたアメリカが消えてなくなったのだ。
民衆は単純に新しい時代を喜び、湧いていた。
支配者層である白人は白人排斥運動を抑えながら、
新たなビジネスパートナーとして日本と結んだ。

結果から言うと、先住人の優越は起こらなかった。
日本側が懸念を示し、事態の沈静化を図ったからだ。
南米では教育を受けたエリート層は白人であることが絶対的に多いし、
近代化を行う上で、エリート層の確保は絶対なのだ。
そもそも、スペイン支配が長かったため白人と先住人の混血が進んでおり、
閉鎖的な山間部はともかく、都市部ではすでに人種が不可分となりつつあったこともある。
ただ日本人が南米を闊歩しだすと、白人が露骨に黄色人種を差別する向きは少なくなった。


「南米エリート層は殆ど白人系なのに、追い出したら半世紀は文明が後退するぞ。」
「民族主義は先鋭化しやすいし、危なっかしいしな。」
「そもそも、この期に及んで政治混乱なんてもっての他だ。経済成長に力入れろよ。」
「教育方針として人種差別の不毛さを教えるようにすればいいでしょう。
(南米系の美少女というのもなかなかですし)インテリの購買層を育てなくては。
教育への直接介入は難しいですが手は色々あります。」
「帝国製品の市場にするにも、一定レベルの生活水準でないと需要がないですしね。」

なんて会話が日本側ではあったりもする。


太平洋岸で日本海軍の潜水艦基地を持ち、南米航路の安全を負担し、
それに対する援助によって火の車の財政からなんとか脱出した
チリ共和国とペルー共和国。
日本との交易により次第に市井にもお金が回り始めるボリビア共和国。
これら三国は決して仲が良いわけでもないが、
確実に数字になって現れる経済成長が、互いの矛先を逸らしていた。
再び力をつけた列強各国の経済・軍事力の波に飲まれないためには、
この戦後の列強が息切れしている今を逃すわけにはいかなかった。
チャンスは待ってくれないのだ。


ペルー首都リマ。
ポンチョ姿のカンペシーノ(先住民)が行き来する街中に、
サンポーニャとチャランゴの音が響き、
カルナバリートのリズムに乗って歌が聞こえてくる。
昼には人目を憚ることなくマテ茶を飲みながら休み、
スペイン語に混じってケチュア語が話されている。
午後になって市をたたみ始めた人々の群れに混じって、
労働者はコカの葉を噛みながら午後の仕事に向う。

南米の新たな興隆を感じさせる、活気に満ちた光景ではあったが、
これを維持し更に豊かにしていけるかは彼ら次第だ。

チューニョの花は未だ咲く兆しは見せないが、
芽くらいは出てきたのかもしれない。



(了)

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最終更新:2012年03月28日 21:20