|新しいページ|検索|ページ一覧|RSS|@ウィキご利用ガイド | 管理者にお問合せ
|ログイン|

    

※上記の広告は60日以上更新のないWIKIに表示されています。更新することで広告が下部へ移動します。


戦闘妖精・雪風


妖精を見るには妖精の目がいる

しずく、雨だれ、ほんの少し

奴隷


奴隷は、奴隷の境遇に慣れ過ぎると、驚いた事に自分の足を繋いでいる鎖の自慢をお互いに始める。
どっちの鎖が光ってて重そうで高価か、などと。
そして鎖に繋がれていない自由人を嘲笑さえする。
だが奴隷達を繋いでいるのは実は同じたった1本の鎖に過ぎない。
そして奴隷はどこまでも奴隷に過ぎない。
過去の奴隷は、自由人が力によって征服され、やむなく奴隷に身を落とした。
彼らは、一部の甘やかされた特権者を除けば、奴隷になっても決してその精神の自由までをも譲り渡すことはなかった。
その血族の誇り、父祖の文明の偉大さを忘れず、隙あらば逃亡し、あるいは反乱を起こして、労働に鍛え抜かれた肉体によって、肥え太った主人を血祭りにあげた。
現代の奴隷は、自ら進んで奴隷の衣服を着、首に屈辱のヒモを巻き付ける。
そして、何より驚くべきことに、現代の奴隷は、自らが奴隷であることに気付いてすらいない。
それどころか彼らは、奴隷であることの中に自らの唯一の誇りを見い出しさえしている。

リロイ・ジョーンズ 1968年、NYハーレムにて

私は君の考え方には反対だ。だが君がそう考える自由はあくまで守る。


ヴォルテール wikipedia
S・G・タレンタイア(Stephen G. Tallentyre、本名 Evelyn Beatrice Hall)の著作『ヴォルテールの友人』( "The Friends of Voltaire"、1906年)中の「 'I disapprove of what you say, but I will defend to the death your right to say it,' was his attitude now. 」の部分翻訳である。この後に「彼の態度はこう言っているようなものだ」と続いておりヴォルテール自身の言葉とはされていない。なおヴォルテールの 1770年2月6日、M. le Richeあての書簡には、「私はあなたの書いたものは嫌いだが、私の命を与えてもあなたが書き続けられるようにしたい」(Monsieur l'abbe, I detest what you write, but I would give my life to make it possible for you to continue to write.)とあるとされ、一説にはこれの翻案ともいわれる。

自由


自由こそ弱者にとって、空気で有り、水。
生きる為の命脈で有り、命綱。
自由無き世界に於いて、弱者は強者に只蹂躙され、支配され、搾取され、殺されるだけ。
そんなの真っ平御免!願い下げだ!

「自由」は弱者の為の物。強者は弱者たる他者を力で制圧し、屈服させ、支配すれば用向きは足りるから、そもそも「自由」の概念を必要とはしない。
「弱肉強食」が掟の自然界では「弱者」たる「被捕食者」は「捕食者」から食べられない様に群れを作って対処する場合が多い。
そして、それは有効な対抗手段に思える。

が、人間の「弱者」は、些細な事で群れる為の「交渉」は容易に「決裂」し、反目し合い、対立し、憎しみ合い、啀み合い、結果分裂する。
結局は、是々非々で「呉越同舟」して群れる事叶わず、「強者」の「蹂躙」に任せる事が多い。

対照的に満たされた人間の強者は「金持ち喧嘩せず」と言われる通り、余裕の有る状況故、損得を冷静に判断し、是々非々を以って他の強者と交渉し・連携し、強力な群れたる集団を作り、利権団体として己の利益追求に更に邁進する事に成る。

曰く、社交倶楽部、曰く、社交界、曰く、慈善団体、曰く、政治団体、曰く、宗教団体、曰く職能、業界団体。
種々各種利権団体が百花繚乱、花盛り。

「弱者」の不平不満渦巻く口を封ずる為、様々な思想・言論規制・統制法案が目白押しだ。
面白い事に、「弱者」同士が千差万別の思想・言論を差別し合い、反目し合っい、嫌悪し合って、「強者」の望む通りの「法規制」待望論が湧く。
「安全」「平和」の「美しき」お題目の下に。

今日も強者の盤石たる支配が世界を覆う。

誰かを嘲笑い、嫌悪する前に考えたらいいだろう、果たして貴方は支配者・強者か?

兎角この世は儘成らぬとは良く言ったものです。

彼らが最初共産主義者を攻撃したとき


マルティン・ニーメラー(Martin Niemöller,1892–1984)

彼ら(ナチス)が最初共産主義者を攻撃したとき
私は声をあげなかった

私は共産主義者ではなかったから

(次に)社会民主主義者が牢獄に入れられたとき
私は声をあげなかった

私は社会民主主義者ではなかったから。

(次に)彼らが労働組合員たちを攻撃したとき
私は声をあげなかった

私は労働組合員ではなかったから

(次に)彼らがユダヤ人たちを連れて行ったとき
私は声をあげなかった

私はユダヤ人ではなかったから

そして彼らが私(教会)を攻撃したとき

私(牧師)のために声をあげる者は
誰一人残っていなかった

Als die Nazis die Kommunisten holten,
habe ich geschwiegen;
ich war ja kein Kommunist.

Als sie die Sozialdemokraten einsperrten,
habe ich geschwiegen;
ich war ja kein Sozialdemokrat.

Als sie die Gewerkschafter holten,
habe ich nicht protestiert;
ich war ja kein Gewerkschafter.

Als sie die Juden holten,
habe ich geschwiegen;
ich war ja kein Jude.

Als sie mich holten,
gab es keinen mehr, der protestieren konnte.

First they came for the communists, and I did not speak out,
(When the Nazis came for the communists, and I did not speak out,)
because I was not a communist;

Then they locked up the social democrats, and I did not speak out,
because I was not a social democrat;

Then they came for the trade unionists, and I did not speak out,
because I was not a trade unionist;

Then they came for the Jews, and I did not speak out,
because I was not a Jew;

When they came for me,
and there was no one left to speak out for me.