122 :ライスイン:2014/03/28(金) 20:16:57
1939年5月某日 東京 夢幻会会合場所

「予想されていたとはいえ、本当に組むとはな。」

「しかも名前が”防共協定”ですからね。共産主義自体が極少数が信仰するカルト宗教扱いになっているのに。」

「実質軍事同盟だろう。オージーと中華が(物理的に)大人しくなったというのに・・・。」

次から次に出てくる難問に彼らは身も心も疲れていた。



      「日米露三国同盟~落日の欧州」06


 1939年の前半はそれなりに平穏であった。前年にナチスドイツがオーストリアを併合(※1)。
そして今年3月には経済破綻により政府組織が崩壊寸前のアルバニアをイタリアが併合(※2)するという事も発生したが
特に戦争や紛争は起きてはいなかった。しかし5月に入ると事態が急変する。

”英独仏防共協定”が結ばれたのである。

この世界では前述の通り、ロシア革命の不発により共産主義自体が流行っていなかった。

「ロシアを崩壊に導こうとした危険な主義思想から欧州を防衛する」

とは述べられたものの、日米露などでは英仏独による欧州支配の為の同盟と看做されていた。
そしてついに欧州で火の手が上がる。

 1939年9月1日、ドイツがイギリス・フランス黙認の元、ポーランドに侵攻したのである。
この世界のポーランドは独立自体はできたが先の大戦の経緯からダンツィヒなど海への出口を得られず、
ロシアで帝政が崩壊しなかった為、東部でも領土拡張は出来ていなかった。しかも各国からの投資が史実と比べて
少なく工業化が碌に進まなかっただけでなく、周辺国とは国境問題で軋轢を抱えていた。
それらの要因により不況からの脱却も進まず、軍備も非常に遅れていた。その状況でドイツに襲い掛かられたのである。
碌に防衛線も築かれておらず、鉄道網が爆撃で破壊されてからは兵力の移動もままならなかった。
お陰で開戦1週間でワルシャワが陥落。ポーランド政府は東に遷都しながら徹底抗戦しつつ各国に支援を要請した。
しかし英仏は実質敵国で周辺国とは国境問題で険悪で唯一助ける能力があるロシア帝国でさえ国民の反ポーランド感情から
動く事は無かった。そして開戦2週間でドイツ軍はポーランド全土を制圧。最終局面ではハンガリーやルーマニアからも
宣戦布告されたポーランドは完全に消滅してしまった(※3)。

123 :ライスイン:2014/03/28(金) 20:17:39
1939年9月30日 フランスのパリにチェンバレン英首相、ド・ゴール仏大統領、ヒトラー独総統など英仏独の首脳が集結した。
表向きはポーランド戦勝利の祝賀であったがその翌日、驚愕の発表が世界を駆け巡った。

 ”欧州同盟(以後同盟と呼称)の結成”である。

英仏独を中核として欧州の平和と安定を維持する目的で結成された・・・と対外的には発信された。
しかし現実には3カ国による欧州支配であり従わない国を”欧州の平和と安定を乱す犯罪国家”扱いして攻め滅ぼすのが目的だった。
同盟結成が発表されて以後、参加国は増え続け、1939年11月1日時点では

イギリス(+連邦諸国)、フランス、ドイツの中心国に加え
ベルギー、スペイン、ハンガリー、ルーマニア、ブルガリア、ユーゴスラビア、ルクセンブルクであった。
そして同盟は軍事行動を開始する。

 1939年12月より同盟はオランダ、デンマーク、ノルウェーに宣戦布告した(※4)。
デンマークは早々に潰されたが辛うじて王族や政府首脳をアイスランドへ脱出させることが出来た。
ノルウェーも英仏海軍に早々に制海権を握られて各地に部隊を上陸された。北海経由でロシアへ王族・政府を亡命
させることが出来たが時間がかかったものの制圧。しかし一部のノルウェー軍が北部山岳要塞地帯に逃れてゲリラ戦を開始。
以後、ノルウェー解放まで続くこととなる。

 一方オランダでは様子が違った。日米との交流で国力を高めていたオランダは少数ながら97式中戦車やM3中戦車を保有し、
充分な防衛線を築くなど軍備は比較的充実していた。そのお陰で同盟の攻撃から1ヶ月たっても持ちこたえていた。
しかし圧倒的な物量差から押され始め、1940年1月半ばには国土の大部分を占領されていた。
そこで政府は王族や政府首脳を脱出させる為に本国残存戦力全てを使った”アムステルダム作戦”を開始した。
内容は残存陸軍で包囲中の同盟軍を攻撃、そして本国艦隊で同盟艦隊に決戦を仕掛け、その隙に潜水艦で脱出させるというものであった。
 1940年1月21日、オランダ軍は一斉に攻撃を開始した。
陸側では突然の攻勢に同盟軍は対応できず混乱。最終的には攻勢をかけた部隊を壊滅させたがかなりの時間を浪費した。
海でも扶桑型戦艦ウィレム3世とゼーゴイセンを中核とするオランダ本国艦隊が海上封鎖中の同盟艦隊に突撃を開始。
簡単なお仕事と舐めきっていた同盟艦隊に大打撃を与えることとなる。
 砲戦によりフランス戦艦ブルターニュ、ロレーヌを撃沈しプロヴァンスを大破(後駆逐艦の雷撃で撃沈)させ、
イギリス巡洋戦艦レナウンを撃沈するという凄まじい戦果を上げるも最終的には全滅してしまう。
しかしこの奮戦により王族・政府首脳は無事脱出。アメリカ経由でインドネシアに逃れることに成功する。
 思わぬ損害を出しつつも3カ国を制圧した同盟はその領土を各国で分割した。そして・・・

124 :ライスイン:2014/03/28(金) 20:18:23
 1940年5月2日、同盟はイタリアに対して欧州の平和と安定の為という名の元、以下の要求を通告した。

1:オーストリアを継承したドイツに対して旧オーストリアより得たトリエステ等を返還する。

2:リビアの油田を同盟に譲り、同盟共用の物とする。

3:エリトリアをフランスに、ソマリランドをイギリスに割譲する。

4:同盟への加入。  である。

当然ながらイタリア全国民は沸騰。交渉になるはずも無くイタリア政府は拒否を決定し国王も承認。
同盟に対して全て受け入れることは出来ないと伝えた。
その答えを聞いた同盟側は数日後、宣戦布告することなくイタリアを攻撃した。しかしこれが最初の躓きとなる。
好景気に加え、戦争が予期されていたことから対仏・対独国境を要塞化。旧式艦から外した大口径砲を備え付け、
有力な山岳師団や重装備の歩兵・戦車師団が配備され難攻不落と化していた。
 ドイツ軍、フランス軍共にこれ等の要塞線を突破できず戦線は膠着。空襲で破壊しようにも大量配備された90ミリ高射砲や
早期に開発・実戦配備されたMC202フォルゴーレ(武装は12.7ミリ×4)や輸入されたP40及び97式戦闘機により阻止された(※5)。
エリトリアやソマリランドこそ戦力不足により大幅後退を余儀なくされたがリビアでは充分な戦力が配備されていて
エジプトやチュニジア方面からの英仏の攻撃を撃退し続けていた。
 そんな中でイタリア軍による反撃が始まった。

1940年6月5日深夜、イタリア海軍の潜水艦が英本土のスカパフロー軍港に厳重な警戒を掻い潜って侵入。停泊していた主力艦に対して
雷撃を敢行。放った6本の魚雷の内4本が巡洋戦艦フッドに命中し転覆沈没させた。更に残り2本は後方に居た給油艦に命中。燃料を満載
していた事から油が燃え広がった。更に悪いことに炎が付近の弾薬を満載していた輸送艦に燃え移り大爆発。混乱を尻目にイタリア潜水艦は
悠々と脱出し帰還している。この攻撃によりスカパフローは復旧に半年を有する損害を受け、軍艦だけでもフッドが沈み駆逐艦4隻が丸焼けに
なり使用不能になっている。

125 :ライスイン:2014/03/28(金) 20:19:04
また6月7日にはエジプトのアレキサンドリア港に停泊していたクイーン・エリザベスとウォースパイトがイタリア水中工作部隊により爆破
されて大破着底。
6月10日には南フランスのツーロン軍港を空母アクィラ、スパルヴィエロを中核とするイタリア海軍機動部隊が襲撃。空襲により
リヨン級巡洋戦艦リヨン及びノルマンディー級戦艦ノルマンディー、ベアルン、ラングドックが大破。そして辛うじて空襲を逃れ追撃してきた
リヨン級リール以下を機動部隊に張り付いていた新鋭戦艦ヴィットリオ・ヴェネトとリットリオを軸にした打撃部隊が迎撃し砲戦を展開。
この戦闘でリットリオが小破したもののリール及び重巡洋艦デュケーヌを撃沈する。

また北部空襲の報復としてP108爆撃機によるドイツ・フランス本土に対する爆撃も実施されていた。
これ等一連の戦闘で思わぬ被害を出した同盟側は戦力の再編成や補給の為に半年間の停滞を余儀なくされたのだった。


※1:史実どおり併合。但し帝政のまま講和(2年後後崩壊)していた為、チェコ・スロバキアは存在せず、
   メーメルやダンツィヒはドイツ領に留まっている。

※2:武力併合ではなく、アルバニア政府の要請により併合(アルバニア国民も大多数が支持)。

※3:ごく一部がロシア経由でアメリカや日本に亡命。またロシア領内に逃げ込んだ軍部隊は武装解除さらた(後に亡命ポーランド軍として編成)。

※4:スウェーデンはドイツへ鉱物資源を輸出している為(と日本との関係が深い為)除外。フィンランドもロシアの介入を招く可能性が
   非常に高い為除外された。

※5:一連の防空戦闘にはP-38、P-39、P-40を装備したアメリカ義勇航空隊フライングタイガースが加わっている。

次話:「日米露三国同盟~落日の欧州」07

タグ:

+ タグ編集
  • タグ:

このサイトはreCAPTCHAによって保護されており、Googleの プライバシーポリシー利用規約 が適用されます。

最終更新:2014年04月03日 23:30