297 :ライスイン:2014/03/30(日) 16:49:06
1940年6月 東京 夢幻会会合場所

「オランダに売った97式は結構活躍しましたね。」

「僅か50輌、それも傾斜装甲のない試作型(※1)を態々生産したんだ。そうでなくてはな。」

「今後の事を考えれば充分利益が出ますよ。あとは・・・同盟が如何出るかですが。」

「イタリア軍の凄まじい活躍で半年ほどは停滞するだろうからな。ロシア侵攻は無理だとしても・・・。」



      「日米露三国同盟~落日の欧州」07



 1940年10月1日、オランダ・イタリアとの戦闘で痛手を受けていた同盟は漸く攻勢に出れるまで大勢を回復した。
それまでの間、同盟は味方を増やそうと外交を活発化させていた。
しかしロシア帝国は次の目標は自分達だと理解しており、英仏独の甘言には乗らなかった。
そして国民感情から緩衝国家の消滅を許してしまった反省から国境地帯をしており、如何考えても引き入れるのは不可能だった。
日米に対しても交渉が行われたが先の大戦から今までの卑劣な振る舞いのお陰で全く上手く行かなかった。
これに加えて無茶な要求(※2)や英仏独外交官の上から目線での高圧的な態度、そしてヒトラーの書いた”我が闘争”(※3)の
件もあって逆に反感を更に高めるだけに終った。
おまけに交渉が終った後、日本は元々少なかった英仏独向けの資源輸出(1940年からは代金未払いが相次いでいた)を停止。
アメリカも輸出を停止しただけでなく、駐英大使にジョセフ・ケネディを送り込んでやりたい放題やらせる(※4)事までしている。
一連の交渉で得た唯一の成果はギリシャが同盟に加入した事だけであった。しかしこれが後にとんでもない裏目に出る。

 1940年10月30日、攻勢を翌日に控えていた同盟に激震が走る。
同盟に加入していたユーゴスラビアで反同盟派がクーデターを起こして政権を掌握。同盟離脱と中立を宣言したのだ。
それとほぼ同時に領土拡大の野望に取り付かれたギリシャが単独でアルバニアに侵攻した。
同盟はこれを裏切り行為として糾弾。直ちに軍を差し向けると同時にギリシャには援軍到着まで迂闊な行動に出ないように要請
したが・・・既に遅かった。

298 :ライスイン:2014/03/30(日) 16:49:47
在アルバニアのイタリア軍は同盟のユーゴ制圧まで可能な限りギリシャを叩こうと決断。本国から増援を受けた上で攻勢に出た。
まず侵攻してきたギリシャ軍3個師団を排除した上でギリシャへ進撃することとした。
付近の集落や都市の略奪に夢中になり、規律と警戒感が弛緩していたギリシャ軍は機甲師団を含むイタリア軍に包囲され同時に空襲も
加えられた結果、僅か2日で壊滅。そして補給を受けたイタリア軍はギリシャ領内へと侵攻していった。
 同時に海軍も行動を開始。カブール級戦艦3隻を中心とした艦隊でアテネ等の主要都市や沿岸部、更にはキプロスやクレタにまで
艦砲射撃を加えていた。更にアテネ沖では迎撃に出てきたギリシャ海軍との間で開戦が勃発。
 自身は全く損害を受けず、ギリシャ海軍の戦艦アレクサンドロス(アイアンデューク)や装甲巡洋艦ゲオルギオス・アヴェロフなど
主力艦を撃沈し、ギリシャ海軍を壊滅させた。
 その後、緊張に進撃し中部のラリッサまで進撃したイタリア軍だったが同盟のユーゴ制圧が間近に迫った為アルバニアに撤退。
以後防備を固める事になる。
 ユーゴを制圧してクロアチアなど一部に傀儡政権を立てた後、領土を分割し終えた同盟は再びイタリアに対する攻勢を開始。
しかし北部では更に強固になった要塞線にに攻勢は阻まれ、アルバニア方面への攻撃も僅かに踏み込めただけだった。
エリトリア・ソマリア方面は大半を制圧したが山岳地帯に篭ったイタリア軍は大量の備蓄物資を元に戦いを続け、おまけにゲリラ化
したイタリア兵に悩まされる(※5)など全土制圧には程遠い状況であった。
 また主要目標であるリビアに対する攻撃も相変わらず国境で撃退され続け、それは英仏の要請でヒトラーが派遣した
ドイツアフリカ軍団(※6)が加わっても変らなかった。そんな状況下で再びギリシャがやらかした。

 1940年12月6日、ギリシャが突如としてトルコに宣戦を布告。トルコ首都イスタンブールへ侵攻を開始した(※7)。
しかし侵攻を予期していたトルコ軍はヨーロッパ側の兵力を大幅に増強しており、先のイタリアとの戦闘で大打撃を受け、
急遽徴兵したばかりの未熟な新兵が半数以上を締めるギリシャ軍は国境を越えた瞬間に盛大な歓迎を受け、逆に逃げ帰る
という醜態を晒す。
この度重なるギリシャの暴走に英仏独は激怒。同時に自分達の情報部(※8)に対しても察知できなかった事に対しての怒りが募った。
事態を打開しようとッした同盟は親同盟派の軍人や政治家を動かしてクーデターを起こさせる。
現政府首脳部を殺害した上で国王を軟禁した親同盟派は新たに国家社会主義ギリシャ労働者党(ギリシャナチス)を結成し
政権を掌握した。だがこの混乱の間、トルコの攻勢でかなりの損害を受けていた。
 トルコ軍はイタリア海軍の密かな援護の元、クレタやキプロスに艦砲射撃を加えた上で上陸作戦を決行。
先のイタリア海軍の攻撃で損害を受け、更に多方面に兵力が転用されていた為にあっけなくトルコに制圧された。
 そして12月24日、イタリアとトルコが軍事同盟を締結。共同して同盟に対応することになった。

299 :ライスイン:2014/03/30(日) 16:50:18
※1:傾斜装甲無し、主砲も旧式の艦載対空砲(40口径76.2ミリ)を装備した試作型の一つ。

※2:アメリカに対してはパナマ運河の租借、各種資源の格安提供、義勇軍の撤収、同盟側での参戦。
   日本に対しては豪州から得た旧ドイツ植民地の返還、オランダ・イタリアへの支援停止、
   同盟側での参戦及び保有戦力の大半を欧州へと派遣して自分達の指揮下に入れろという要求。

※3:日米を徹底的に侮辱し、貶める超ヘイト本。その酷すぎる内容に日米では邪教の聖典扱いされている。

※4:北アイルランドを訪問してアイルランド帰属派や反英運動家らと積極的に会談したり、先の大戦以来の英国の非道や失策を
   纏めた本を出版し、代理人を使って新聞に政府を糾弾する文を投稿するなど英国の神経を逆撫でする行動を積極的に行っている。

※5:物資の強奪や狙撃・爆破など通常の活動の他、食事に下剤を混ぜたり同盟司令官や将校の愛人を”奪う”など思いもよらない
   方法で抵抗を続けている。

※6:ロンメル中将指揮下の1個軽装甲師団と2個自動車化師団。但し戦車の大半は1号と2号で3号や4号は少数。

※7:イタリア軍の撤退を自分達の成果と誤信し、新規徴兵で見かけ上の兵力が大きくなったことで強気になった為。また
   国王や政府も”大ギリシャ”の復活を画策していて更に同盟の兵力を当てに出来ると考えた結果、宣戦布告に踏み切った。

※8:大戦直後はまだマトモだったが偽りの栄光や発展に酔い、徐々にその機能を低下させていった。

次話:「日米露三国同盟~落日の欧州」08

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最終更新:2014年04月03日 23:31