550 :ライスイン:2014/03/21(金) 19:02:11
 1919年1月18日、パリにて講和会議が開催された。
さっさと講和して復興に取り組みたいドイツ側が大幅に譲歩、自分達から休戦を申し出る形となった為、
連合国(英仏)側も過酷な要求を行う事ができず、日米の意見を押し切る形で内容はまとまった。
ドイツ側が提案し、連合国(英仏)が受け入れた内容とは

1:海外植民地及び権益の譲渡

2:ポーランド独立(但し内陸国として)

3:保有する軍艦・軍用航空機・戦闘車両及び技術の譲渡

 (なおこの時オーストリアは崩壊しており、トルコは先に脱落。史実と同じ内容で講和が結ばれていた。)

であった。連合国側も対価として資源の安価での輸出や投資を約束。後は連合国内での分配だけであった。
しかし・・・ここで英仏は判断を誤ることとなった。

 自分達の受けた損害が余りにも大きすぎた為、英仏は自分達とその取り巻きの取り分を優先してしまったのだ。
史実よりも大規模となったドイツ軍の本土空襲や通商破壊で追い詰められたイギリス。
無謀な突撃や反乱騒ぎ、そしてドイツ軍の大攻勢で多くの兵士を失いパリすら陥落寸前だったフランス。
特にフランスはアルザスとロレーヌを奪還できなかったばかりか賠償金も取れずに国内が不穏な空気に包まれていた。
 会議では受けた損害の大きさを理由に自分達の優先を主張する英仏に対し、先の失態を上げて追求する日米が対立。
この時フランスはアメリカ風邪を理由にアメリカを押し切り、日本に対しても英仏は日本の損害や自分達の差別行動を
無視する形で日本の貢献不足を盛んに主張して日本側の出席者を激怒させていた。




       「日米露三国同盟~落日の欧州」02



 1919年6月28日、講和が正式に発行。ヴェルサイユ条約として発表されたその内容は全ての日本・アメリカ人を
唖然とさせ、そして激怒させたものだった。
ドイツが譲渡した海外植民地はアフリカについては殆どがイギリス・フランス・ベルギー・ポルトガル等で分配。
日本軍が占領していた南太平洋地域についても英仏やオーストラリア・ニュージーランドで分配。
青島に至っては権益すら譲渡されることなく中華民国への返還が決められてしまった。
ドイツから譲渡された兵器群については新しいものは全て自分達で分配し、日米には古いものしか渡されなかった。
その結果、多大な損害や英雄の戦死に侮蔑的な対応などの代償として日米が得られたものは

551 :ライスイン:2014/03/21(金) 19:03:08
日本:旧式兵器多数、保有特許の一部、申し訳程度の市場開放
   賠償艦(ブランデンブルク級戦艦2、カイザーフリードリヒ3世級4、ナッソー級1)

アメリカ:旧式兵器多数、保有特許の一部、申し訳程度の市場開放
     賠償艦(ドイッチュラント級2、ブラウンシュヴァイク級4、ナッソー級1)

という余りにもふざけた内容であったため、日米国内では外交関係者への非難と共に英仏以下の連合国に対する反感が極度に増加した。
更に講和発行の翌日、イギリスが用済みとばかりに日英同盟の一方的破棄を通告。
これに後のシンガポールでの帰還部隊に対する冷遇(※1)も重なり反英感情は留まる事を知らぬほど上昇していた。
そして講和発行から1週間後、アメリカ風邪と呼称されていた風邪がアメリカ兵ではなく植民地から戻ってきたフランス兵及び植民地兵が
感染原因であるなど真相が発覚。この件で英仏から非難を受けていたアメリカが激怒。ウィルソン大統領自ら大西洋艦隊主力と共に
フランスを訪れての”話し合い”を行った結果、英仏から”名誉を汚した”事への賠償金を得るという一幕もあった。


 1920年1月、この大戦争を二度と繰り返さない為にと国家間の連合組織”国際連盟”が誕生した。
中心となったのはイギリス・フランス・アメリカ・日本・ドイツ(ワイマール共和国 ※2)・ロシア帝国であった。
しかし常に日米と英仏が対立するなど常に不安定な状態にであった(ロシアは日米側)。
 その後のワシントンやロンドンでの軍縮交渉(※3)や南太平洋で領土を拡張できたオーストラリアの増長(※4)など英仏勢力による
横暴は続き、やがて暗黒の日を迎えることとなった。



※1:寄港した日本艦隊に対して上陸を認めず、最低限の補給をさせただけで追い出した一件。
   これにより海軍はより一層反英感情を高めることとなった。

※2:復興が進まないことに絶望した市民や軍部隊が暴動。鎮圧に失敗しヴィルヘルム2世がオランダに亡命し
   帝政が崩壊。史実より2年遅く共和国政府が誕生した。

※3:「英仏が太平洋の安全を保障するから日本は戦艦を保有する必要はない」
   「アメリカの戦艦は欧州にとって多大な脅威となっている」 等の発言や英仏米日10:10:4:1比率など
   劣化暴走した英仏側の軍縮外交により史実に見られた軍縮条約は一切成立しなかった。

※4:日本漁船の排除や不当な臨検などの嫌がらせ行為が増加した。

次話:「日米露三国同盟~落日の欧州」03

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最終更新:2014年04月03日 23:35