716 :ライスイン:2014/03/23(日) 16:18:41
1921年11月 アメリカ合衆国ワシントンDC 軍縮会議会場


「我々イギリスとフランスが安全を保障すれば極東は平和になるのです。」

「そうなれば貴国は戦略兵器たる戦艦を持つ必要は無くなるのに何故理解して頂けないのですか。」

会議の席上、イギリス側代表の余りの一方的かつ傲慢な言葉に日本側代表を務める加藤友三郎海軍大将は
同席の幣原喜重郎、徳川家達らと共に怒りを堪えるのに必死であった。
事前の情報収集から英仏がとんでもない要求をしてくると予想されてはいたが・・・・・。
そして同様にアメリカ側代表達も渋い表情を崩さない。
さらに日本側を激怒させていたのがイギリス側の首席代表の存在であった。

「貴方の見事な行動で欧州に派遣した主力艦をほぼ全て失いましたからね。それに信用ならない国家から
  保障される安全など受け入れる必要があるのですかな・・・英雄殿。」

その言葉に英国側代表、第1海軍卿ジョン・ジェリコー元帥(※1)はただ表情を歪めるだけであった。



       「日米露三国同盟~落日の欧州」03



 講和締結後、日米は共に猛烈な勢いで建艦を実施していた。
欧州に派遣した主力が金剛を残して失われ、手元に残っているのは扶桑型4隻を除けばド級クラスの戦艦が
河内型戦艦2隻(24000t 45口径30.5㎝3連装×3)と薩摩型戦艦2隻(21000t 45口径30.5㎝連装×4)
及び香取型巡洋戦艦4隻(22000t 45口径30.5㎝連装×4)しか残されていなかった。
その為、ユトランドで主力が失われた直後から前倒しで建艦を実施。軍縮会議が開催されて時点で

長門型戦艦4隻(39000t 50口径40.6㎝3連装×3)、加賀型戦艦4隻(52000t 50口径40.6㎝3連装×4)
天城型巡洋戦艦4隻(41000t 50口径40.6㎝3連装×3)、紀伊型巡洋戦艦4隻(49000t 45口径46㎝連装×4)
が完成しており、越後型戦艦(72000t、45口径46㎝3連装×3)の建造すら始まっていた。
アメリカもダニエルズプランの戦艦群をほぼ完成させており、次の戦艦の設計に入っている。

717 :ライスイン:2014/03/23(日) 16:19:22
対して英国は財政が危機的状況でそんな中で対抗すべくフッド級の残り3隻を完成させ、ネルソン級2隻(史実同様)を
執念で就役させていたが其処で終了。
 フランスに至っては国内の荒廃状況を半ば無視して建艦を行い、ノルマンディー級戦艦5隻と
リヨン級戦艦2隻(34㎝4連装×4)を完成させるも国家予算が尽き、大幅に借財する羽目になっていた。
そこで英仏は共謀して日米の建艦競争を辞めさせ、就役した艦を廃棄させる為に軍縮会議の開催を主張したのだった。

「それにアメリカの強大な戦艦群は欧州にとっての脅威です。それについてはどうお考えか。」

押し黙ったジェリコーを援護しようとフランス代表がアメリカに矛先を向ける。しかし・・・

「わが国には余裕があり、貴国達には余裕がない。ただそれだけだ。」

「先の戦争での行動からわが国の国民は英仏を快く思っていない。それに国防は主権国家の当然の権利であり義務でもある。
  口を出さないで欲しいものだな。」

話し合うつもりが無いのか素っ気無い態度のアメリカ側代表。これに英仏側が激昂し更に紛糾する。
結局ワシントンでは話が纏まらず、次のジュネーブでの会議でも同じように紛糾し
「各国が良識を持った行動をとる」という声明を発表するに留まった。
しかし英仏は気付いていなかった。それぞれの会議の裏で日米露の財務担当者や財閥などが極秘に階段していた事を。



 1929年10月24日、ロンドンで株価が大暴落した。その影響は瞬く間に欧州に拡大。さらにカナダ(※2)を除く英連邦諸国や
英仏の影響力が強い中華民国(※3)にも影響していた。
 影響を受けない、又は最小限で防げたのは日本・アメリカ・ロシアの3カ国及び友好的な国家や地域(※4)ぐらいであった。
ポンドやフラン、マルクなどはジン○ブエドル並に下落し、幾人もの紳士達がロンドン橋やエッフェル塔・ブランデンブルク門
からコードレスバンジージャンプをする羽目になったのは有名な話であった。
そしてこの隙に日米露は欧州各国の有望な企業を買収し特許や技術などを買い漁り、鉱山等植民地の権益を手に入れた。

 実はこの大暴落は日米露が共謀した大規模な謀略であった。先の戦争での侮辱的な行いや無様な有様。そして戦後における
分け前の独占や債務の不払い宣言(※5)やロシアに対する賠償騒動(※6)の報復として欧州を経済的な植民地にすることを決定。
高橋是清や辻など日本の財務関係者や三菱・倉崎などの財閥とアメリカ政府及びウォール街のハゲタカが手を組んで株価を操作。
そしてロシアの情報部などが能力のある官僚や投資家などを失脚させ、または不幸な事故に合わせることで対応能力を削いだ。
 これにより欧州における不況は1937年頃まで続く事になる。
この間、各国では食糧配給所に長蛇の列を作る英国紳士、札束を満載したトラックでパン屋に乗り込むドイツ人、
道端の蛙を取って食うフランス人等という光景が散見され、嘗ての先進国の面影は何処にも見られなかった。

724 :ライスイン:2014/03/23(日) 16:35:13
またこれら不況の影響もあってかフランスでは軍を退役したシャルル・ド・ゴールが政党(※7)を結成して国政に打って出た。
その急進的な政策や政府批判、そして不況の原因を日米露の責任だと主張して支持を集め、1936年ごろには単独与党になった。
そして大統領になった彼は次第に独裁体制を強め、隣国のドイツと友好関係を結ぶ事になる。
スペインでも国王を追放した人民戦線政府が軍のクーデターであっさり崩壊(※8)して史実より早くフランコ将軍が実験を握り、
政権が崩壊して無政府状態となっていたポルトガル及び植民地を吸収していた。



※1:あまりの行動に当初は処分を決めていたが海軍への信頼低下や政情不安定化などを日本との関係悪化より恐れて事実を隠蔽。
   緘口令を敷いた上で日本艦隊の損害を「東郷の暴走」とするなど情報操作を行った。そして彼を英雄にする事で保った。
   お陰でジェリコーは英国(と英連邦)ではネルソンに匹敵する英雄になり、逆に東郷は評価を下げられた。
   なおスカパフロー軍港には彼の銅像が建てられている。

※2:既にこの時点でアメリカの経済的な植民地状態になっていた。

※3:ポンドやフランが紙屑になったせいでドル・円・ルーブルとまともに取引できなくなった。おまけに中華民国内の欧州企業が
   倒産や撤退などで大量の中国人労働者が解雇され、失業者が溢れ治安が悪化していた。更に青島の件で日本からの支援は
   期待できず、逆に鉱山等を買い漁られる始末だった。

※4:北欧諸国やオランダ・イタリア・トルコ・中南米など。 
   ○オランダは日本の影響を受けて植民地統治を大幅に改めていた。そのお陰でインドネシア等は安定してた。
   ○イタリアは日本の助言により早期にリビアで油田を発見し多大な収益をえていた。そのお陰でエチオピアを攻めることなく、
    そしてスペイン内戦が発生しなかった事から軍の消耗も無く順調に成長し、統領は毎日が笑顔であった。
   ○共和制をなったトルコは日本を参考に近代化や構造改革を実施。更に旧式兵器を格安で譲ってもらう事でギリシャの火事場泥棒を
    防いでいた。更に日本から扶桑型(50口径40.6?連装×4に換装)を2隻購入する事で海軍力を増し、英国やギリシャを発狂
    させていた。また中南米はアメリカの影響下に合った為、それほど影響を受けずに済んでいた。

※5:英仏やベルギー、ポルトガル等が様々な理由をつけて日米からの借款・援助物資の代金の不払いを宣言していた。

※6:単独講和したことに「貴国が単独講和したことが原因でドイツを倒せなかった」と因縁をつけて賠償を要求していた。
   勿論ロシア側は即答で拒否した。

※7:国粋主義的な極右政党。当初は弱小政党だったが次第に精力を強め単独与党となる。ドイツのナチス党と友誼を結び、
   後に「国家社会主義腐乱す労働者党」に党名を変更した。

※8:ロシア革命の不発で共産主義が流行らずしかも無政府主義者等との内部対立が激化。不況の影響で支援してくれる国も無く、
   暴動や内ゲバが多発して軍がクーデターを起こす前にほぼ無政府状態になっていた。

次話:「日米露三国同盟~落日の欧州」04

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最終更新:2014年04月03日 23:37