922 :ライスイン:2014/03/25(火) 21:42:15
1937年5月20日 イギリス ジョージ6世戴冠記念観艦式

「不況から回復の兆しが見え始めたら早速軍拡か。」

戴冠式に派遣された巡洋戦艦金剛の艦橋で代表を務める伏見宮博恭元帥海軍大将は吐き捨てるように呟いた。

「わが国や米露の軍拡を避難する癖に・・・ですね。最もライミー共はこの金剛を見て引き攣っていましたが。」

傍らの古賀峰一中将が愉快そうに応えた。

「一応招待されたからな、仕方なく来てやったんだ。何で行くかは此方の勝手だからな。」

最新の巡洋艦で行くという案もあったが最終的にはユトランドの生き残りで練習艦や御召艦の任にあった金剛が選ばれた。
その意図を感じ取った英国側も表面的には笑顔を維持してはいた。中には

「生き残りの恥さらしが態々出てきやがった。」 「ジェリコー閣下の名誉を汚す愚物が。」

など歪められた結果を信じる者は陰で悪態をついていた。中には良識ある者も居る様で

「今だ我らを許すつもりはない・・・ということか。」

など暗い影がさす祖国の未来に危機を抱く声もあった。



     「日米露三国同盟~落日の欧州」04



1937年頃、欧州では漸く不況の波が収まりつつあった。
そして余裕(※1)が出来つつあった各国は日米露などに対抗する名目で軍拡が始まっていた。

 イギリスではキングジョージ5世級戦艦(史実ライオン級)や超巡洋戦艦(インコンパラブル級モドキ)、
そしてアークロイヤル、及びイラストリアス級空母の建造が開始された。何しろ不況期は大型艦の建造は行われて居らず、
旧式艦を大量に除籍していた為だが大規模な建艦の煽りを受けて陸軍や空軍の装備更新は遅れていた。
日米露の市場荒しにより有望な企業や技術・人材が次々と毟り取られ、後に強引な法改正で歯止めをかけたが手遅れな
状態であった。
更に不況の影響で各植民地防衛の兵力を最小限にまで減らしていたお陰で各地で独立運動や暴動(※2)が慢性的に発生
しており次第に治安が悪化しあり、オランダのように宥和政策を取ることなく弾圧を加えたため、更に悪化するという
悪循環に陥っていた。

923 :ライスイン:2014/03/25(火) 21:42:46
フランスは更に悲惨であった。無理して戦艦を建造した結果、戦後復旧が碌に進まず国民は不満と困窮に喘いでいた。
ド・ゴールが政権を掌握する事で落ち着きを見せ始めたが完全に落ち着くまで大幅に時間がかかってしまった。
 そのお陰でそれまで軍備は増強どころか維持すら危なくなっていた。
どれだけ悲惨かというと陸ではマジノ線が建設されておらず、戦車も新規開発が殆ど無く主力がルノーFT17という状態だった。
海では建艦はゼロ。不況が開けてやっとリシュリュー級戦艦の建造が決定されたぐらいであった。

 更に悲惨なのがドイツでヒトラーが総統になり全権を握った後も中々軍備に力を入れられる状況にはならなかった。
無理をした結果、海軍では装甲艦がは1隻のみで巡洋戦艦は中止。戦艦(ビスマルク)に至っては経費節減のため、
主砲をイギリスからの輸入(42口径38.1㎝連装砲)に頼るほどだった。
またモスボール状態にあったバイエルン級(バイエルン、バーデン)をイギリス製主砲に換装の上、購入するという
手段を取る羽目に陥っていた。
陸軍でも戦車の開発が遅れ、空軍でもやっと新型戦闘機(Me109)の開発が始まるという有様だった。


 それとは対照的に順調的に発展している国もあった。
オランダでは以前にも述べたが宥和政策により植民地は安定していた。そして日本から有力な艦艇(扶桑型2隻)を購入するなど
侮れない軍事力を持つようになっていた。

 トルコは日本の援助により順調に近代化が進んでいて、近々戦車を含めた装甲車両や航空機の自国設計・生産すら可能になりそう
という段階にまで進んでいた(当面はライセンスまたはノックダウン生産)。
また日本から購入した2隻の扶桑型やヤヴス、イタリアから譲渡されたダンテ・アリギエーリのお陰で制海権も維持でき、
ギリシャやバルカン諸国が余計な手出しをするのを防いでいた。
最もそのお陰でギリシャはイギリスに泣き付いて練習戦艦扱いだったアイアンデュークを格安で譲渡して貰っていたが。

 そしてイタリアは幸運であった。
リビアで油田が発見され、エチオピアに侵攻せずスペイン内戦も発生しなかった為、損害を全く受けずに経済発展に専念できていた。
豊富なオイルマネーや日米露との交流で経済成長は常に高水準を保ち、大規模な軍拡すら行える余裕が出来ていた。
軍事面では既存のカブール級戦艦3隻、デュイリオ級戦艦2隻、カラッチョロ級2隻(辛うじて建造できた)に加え、ヴェネト級の建造に
入っていた。空母も日本との技術提携のお陰で早期にアクイラ及びスパルヴィエロを就役させており日本の蒼龍を参考にした
新型空母の設計も始まっていた。空軍もメーカーや機種の乱立がなく、陸軍も装備の更新が順調だった。
またこれ等を指導するムッソリーニは力強い有能な指導者として高い支持を集め、国王や国民からも信頼されていた。

924 :ライスイン:2014/03/25(火) 21:43:32
ロシアも順調に発展していた。革命を避けられたとはいえ戦争の傷跡は深く、30年代までは中々安定しなかった。
しかし1933年に首相に就任したグルジア出身のヨシフ・スターリンの強い指導力により徐々に安定していった。
経済発展や民族融和を掲げ、構造改革を躊躇無く行う姿勢は皇帝からも信頼され、国民からも支持されていた。
また盟友のベリヤ(※3)を秘密警察の長官に任命するなどし、綱紀粛正も同時に行っている。
軍備についても今だ本格的な軍拡には行えなえなかったがトハチェフスキーを中心に制度改革や戦術・戦略研究は盛んに行われていた。
またボーイングや倉崎・三菱など日米企業も進出していて国内企業との提携や技術交流が行われた為に自国の技術力も高まっていて
この時点でT34の試作型すら完成しているという状態だった(正式採用・量産は未定)。
流石に海軍については小艦艇の生産に留まり、主力艦については友好国(日米)からの輸入が考えられていた。



※1:福祉や教育予算の削減など削れるところから削り取った上での事。

※2:鎮圧の為の兵力が最低限しかない為、常に後手後手に回っていた。
   日米露が密かに英仏植民地(北アイルランド含む)の独立勢力や反乱軍に旧ドイツ製や密造した英仏軍の武器を渡すなど 
   密かに煽っていた。

※3:日本人(夢幻会系)との早期接触・交流により萌え命なオタク紳士と化していた。またMMJロシア支部長を務め、女学院発展と
   性犯罪撲滅に力を入れていた。

次話:「日米露三国同盟~落日の欧州」05

タグ:

+ タグ編集
  • タグ:

このサイトはreCAPTCHAによって保護されており、Googleの プライバシーポリシー利用規約 が適用されます。

最終更新:2014年04月03日 23:38