995 :ライスイン:2014/03/26(水) 20:55:29
1938年 某月 東京 夢幻会会合場所

「まったく、大陸と南方で同時に事変が起きるとは。」

「しかし両方とも米国を巻き込めたお陰で早期に解決しそうですね。」

「巻きこめたと言うより相手が米国に手を出した・・・だがな。」

「徹底的に潰し、そして搾り取ってやりましょう。」

会合場所ではそのような会話が成されていた。



    「日米露三国同盟~落日の欧州」05


1938年7月7日  アジア・太平洋地域では2箇所で火の手が上がっていた。


 中華民国では国民に常識を超越した重税を科すなどして富を収奪し、英仏から多数の武器(※1)を輸入していた。
更にドイツから軍事顧問を迎え入れるなどして見かけ上の軍事力を大幅に向上させていた。
総統の蒋介石はその軍事力を用いて突如として上海の日米租界を包囲し、旅順や南満州付近にまで軍を進めて駐留する日米軍を
盛んに挑発していた。その上で日米に対して”租界の返還” ”遼東半島・満州の返還” ”在中資産の無償譲渡”及び
”侵略に対する損害賠償”を要求した。当然のことながら日米は拒否。その通告を聞いた蒋介石は宣戦布告することなく
軍事行動を開始。満州や遼東半島方面は帰順していた張作霖に任せ、自身は上海の日米租界攻撃に参加。同時に中国内では
日本人やアメリカ人に対する略奪暴行が相次いでいた。

 南方方面では白豪主義のオーストラリアが日本に対する嫌がらせを行っていていたが、数年前にイギリスから押し付けられる形で
譲渡されたライオン級巡洋戦艦ライオン(豪州名キャンベラ)とプリンセス・ロイヤル(豪州名タスマニア)を得てから更に
頻度が上がっていた(※2)。
そして某日、キャンベラとタスマニア及びオーストラリアの巡洋戦艦3隻がインドネシアから出航した日本の大型タンカーを捕捉し
臨検(という名の海賊行為)を行おうとした。しかし日本タンカーはSOS信号を発しながら逃走。オーストラリア艦隊が追跡中に近場に
居たアメリカアジア艦隊所属の重巡洋艦ヒューストンがSOS信号を受信して駆けつけたのだった。
だが単艦なのを侮ったのかオーストラリア艦隊はヒューストンの警告を無視して追撃、挙句の果てに砲撃を加えタンカーを撃沈してしまう。
更には勢い余ったのかヒューストンにまで攻撃を加えてしまう。高い技量と優れたダメージコントロールを見せたヒューストンだが
多勢に無勢で状況を報告する無電を発した後に撃沈。オーストラリア側はこれを救助せずに更には証拠隠滅とばかりに海面に浮かぶ
漂流者に対して機銃掃射を加えて立ち去ってしまった。

997 :ライスイン:2014/03/26(水) 20:56:01
この報告を受けたとき、英仏は楽観していた。経済発展に忙しく、無駄に争いたくない(※3)日米は必ず自分達に仲介を依頼してくると。
そしてその時は高く恩を売りつけてやればよいと。だが英仏は・・・・・日米を見誤っていた。

   「リメンバーヒューストン、リメンバー上海。」 「オージーと蒋介石をぶっ潰せ。」

報告を受けたアメリカ議会は一瞬の内に沸騰、オーストラリアと蒋介石に懲罰を与えるよう騒ぎ出した。
そして呼び出した駐米のオーストラリア及び中国大使の下手な言い訳(※4)を聞いたルーズベルト大統領は議会に対し両国に対する
報復を求めるように提案。上下両院とも満場一致で両国に対する報復(※5)を決めた。

 日本の場合、既に中国とは戦闘状態にあり、しかも賠償要求に対するオーストラリア側の差別感溢れた言い訳と逆賠償要求(※6)に
国民は激怒。時の近衛内閣は対中国・オーストラリア報復を上奏。アメリカと協議した上で報復を開始した。


7月14日 日本海軍陸戦隊1個旅団がアメリカ海兵隊1個師団(ヴァンデクリフト准将指揮)と共に上海に上陸。同時に日米戦艦の艦砲射撃や
日本の空母艦載機による空襲が行われ租界を包囲していた部隊を排除。その上で本格的な増援を送り込み反撃体勢を整えた。
満州や遼東方面は事前に中国軍の増強が報告されていた為、日米共に兵力を増強。その為、張作霖の部隊を一歩も踏み入れさせていなかった。
そして本格的な反攻が始まる。

 満州・遼東方面では日米の列車砲が砲撃を開始。そして重砲の砲撃や空襲で中国軍が混乱したところに
山下中将やパットン少将が率いる日米両軍が襲い掛かった。
度重なる攻勢の結果、北部の中華民国軍は壊滅状態に陥り、更に痛い子中隊の爆撃で張親子以下の首脳部が全滅するという結果になった。

 上海方面では租界を包囲していた部隊を排除した後、杉山大将やマッカーサー中将がそれぞれ指揮を取る軍団規模の部隊を持って
反攻を開始。自身の大軍の力を過信し決戦を挑んできた蒋介石軍を航空支援もあって一方的に粉砕し彼の軍団は崩壊した。
その影響か壊走した中国軍の一部が暴徒化し英仏の租界になだれ込み乱暴狼藉を働くという事態も発生した(※7)。
そして部下を見捨てて北京へと逃げ出した蒋介石を尻目に日米両軍は内陸部で逃げ送れた自国民の救助や敗残兵掃討、匪賊討伐を開始した。

 南方方面では未だ獲物を求めて徘徊していたオーストラリア艦隊に古賀中将指揮の日本艦隊(天城型巡戦×4、越後型巡戦×2)と
キンメル少将指揮のアメリカアジア艦隊(レキシントン級巡戦×6)が合同で襲い掛かり極めて短時間で一方的に沈めていた。
更に増援を受けた上でパース・ダーウィン・メルボルン等のオーストラリア本土主要都市に対して艦砲射撃を実施。
ついでとばかりに残存していたオーストリア海軍の艦艇を根こそぎ沈めていた。
中国の情勢とあわせて戦争に拡大し巻き込まれることを恐れた英仏が珍しく平身低頭で仲介を申し入れ、日米共に協議の上で応じてみる事になった

998 :ライスイン:2014/03/26(水) 20:56:42
8月31日 タイの首都バンコクで行われた会議では中国は大兵力を保持している事、オーストラリアも本土に上陸されていない事を理由に賠償を
拒否していたが日米が更なる増援の派遣を示唆し、英仏からも圧力があり賠償に応じる事になった。

オーストラリア:ドイツから得た南太平洋植民地を日米に譲渡。賠償金支払い・20年間の戦艦・空母の建造保有禁止。
        タンカー・巡洋艦撃沈の犯人引渡しと関係者の処罰。

中国:賠償金支払い、一定量の資源無償譲渡及び資源の格安提供義務、在留邦人保護の為の軍の領内通行権。

これによりオーストラリアは戦争で得た植民地を全て失った上に海軍が壊滅状態になり主要都市も崩壊した。
中国にいたっては密かにロシアに協力を仰いだ上で国内各地の軍閥や武装勢力(※8)に武器や麻薬ををばら撒いた。
お陰で欧州で戦争が始める頃には中国は無数の小勢力に分裂し互いに争う暗黒時代に突入していた。


そして翌年・・・欧州で巨大な火の手が上がる事となる。

※1:主に小火器中心だがグラディエーターやソードフィッシュ等の航空機やFT17等の戦車も少数購入していた。

※2:海軍力を増した(と思っていた)彼らは近くに日本の基地が無いのを良いことに日本船籍の船に対して不当な臨検や一部では
   通行料名目の金品要求すら行われていた。そして豪州政府も日本の抗議をほぼ無視していた。

※3:勝手にそう思い込んでいただけ。

※4:中「虐げられた人民の思いが爆発した。争いを避けるためにも貴国は撤退し賠償すべきです。」
   豪「先に発砲したのはヒューストンです。同じ白人国家なのにイエローモンキーを庇うのですか」

※5:本格的な戦争は準備が整っておらず、経済に影響が出すぎると判断された。

※6:「豪州の資産を侵害した」事や不審船(日本タンカー)撃沈に使った弾薬燃料費や人件費の支払いを要求してきた。

※7:敗残兵だけでなく周辺の住民や難民も加わって英仏租界は地獄と化し、追い詰められた租界の高官らが日米に援軍を求めた。
   その結果、英仏租界は暴徒の略奪と日米の空襲・艦砲射撃及び市街戦により再建が困難になるほど破壊されつくした。

※8:共産党を含む。この世界ではロシア革命の不発で共産主義は流行せず、党と名乗ってはいるが実際は匪賊の集まりであった。

次話:「日米露三国同盟~落日の欧州」06

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最終更新:2014年11月28日 14:21