11 :ライスイン:2014/04/29(火) 17:16:41
1942年8月  東京・夢幻会会合場所


「畜生、またやりやがったなアイツ等め!!」

「もう報復の声を抑え切れんぞ。」

「米国民も怒り心頭、議会も大統領へ報復を求めています。」

「イタリア・ロシア戦線も大幅後退か、事前に対策はしていたにも関らず、これほど被害が出るとは。」

「わが国に被害が出なかったのは幸いですね。」

「完成した富嶽を全て投入するか・・・。」



                 「日米露三国同盟~落日の欧州」13


 1942年8月6日、世界に再び激震が走った。同盟軍がイタリア戦線とロシア戦線にて毒ガスを大量使用。
また降伏したオーストラリアにて降伏を拒否して地下に潜伏していた強硬派残党によるテロ攻撃及び暴動が発生した。
ロシア軍・イタリア軍共に同盟軍による毒ガス攻撃の可能性は常にあると判断していて防毒装備を充実させてはいたが
予想を遥かに超える大量使用(※1)により非常に多くの犠牲者を出して大幅に後退しなければならなくなった。
もっとも指揮官が優れていたお陰で壊走ではなく秩序を保った後退ではあったが。

 ロシア戦線ではオデッサ・キエフ・ミンスク・サンクトペテルブルクの線まで後退。イタリア戦線では同盟軍にルビコン川を
越えられてしまい、中部のペルージャ付近まで後退せざるを得なかった。
また今回の毒ガス攻撃は市街地などにも拡散し、犠牲者は軍民合わせて50万人を超えるという凄まじいものだった(犠牲者の大半は民間人)。

オーストラリアでの暴動は規模は大きかったが暴徒の大半の装備が農耕器具で良くて拳銃・猟銃であった為、時間はかかったがたいして被害
を出さずに鎮圧できた。しかし唯一と言っていいほど大きな被害は米軍の物に偽装したトラックに爆弾を積み、それが占領軍総司令部の建物に
突入して自爆。これによって要員の多くが犠牲になり、総司令官の今村大将も重傷を負い本土へ後送されてしまった(※2)。

 これら一連の毒ガス攻撃について同盟は

「イタリアとロシア、そしてアメリカ・日本等による非人道的な攻撃に対応する為に止むを得なく行った。」

という声明を発表し日米露側を激しく非難。そしてこの様な悲劇を繰り返さない為にも速やかに無条件降伏するべきだと言い放った。
そして大量の兵器や物資を鹵獲した同盟軍は定番となりつつある”現地調達”を行いつつ前進を再会した。

 この毒ガス攻撃に対して日米露など各国の国民は激高し政府に速やかなる報復を求めた。そして彼らの動きは速かった。

12 :ライスイン:2014/04/29(火) 17:17:11
1942年8月15日、ローマ近郊の飛行場を飛び立った連山・B-17、B-24(イタリア供与機を含む)の大編隊がドイツ本土南部を襲った。
また、アイスランドを飛び立ったB-29(※3)の編隊がロンドンを空襲。更にセヴァストポリ付近からPe-8の編隊が復興しつつあるルーマニアの
油田に対して空襲を仕掛けた。
一連の空襲によりドイツ南部の都市・・・特にナチス発祥の地ミュンヘンは壊滅的な損害を受けたそしてロンドンも前世紀末の大火災以来を超える
被害を受け、市街地の8割が消失した。またルーマニアの油田は復旧に10年以上かかる壊滅的な打撃を受け、多くの死傷者を出した。
他にもほぼ壊滅状態のジブラルタル要塞を含めたスペイン・フランス沿岸への無差別艦砲射撃に加えて北アフリカから飛び立った爆撃機による
フランス・スペイン本土への爆撃、トルコ・イタリア・ロシア海軍によるギリシャとユーゴ占領地沿岸への艦砲射撃に加えてトルコ空軍による
バルカン諸国への空襲も行われた。しかし・・・真打はまだ登場していなかった。

 1942年8月17日、イタリア南部から飛び立った日本軍が誇る超重爆”富嶽”50機がドイツ北部を襲った。
目標は主要軍港のあるキールであった。この富嶽による空襲に対してドイツ空軍は全く歯が立たず、撃墜処か損傷すら負わせられずに爆撃を許してしまった。
また8月20日にはヴィルヘルムスハーフェン、8月25日には首都ベルリンと空襲を許した。その期間を通してドイツ空軍は1機も撃墜できず、逆に30機以上が
返り討ちにあって撃墜されている。

 これら一連の報復攻撃により同盟側は

○キール、ヴィルヘルムスハーフェン両軍港及の壊滅により建造中の主力艦を含む艦艇が完全に破壊。また軍港機能消滅により艦艇の修理が不可能。

○ナチス発祥の地ミュンヘンがほぼ壊滅、首都ベルリンも半分近くが消失し象徴であったブランデンブルク門も消滅。

○ジブラルタル要塞が完全に崩壊。またブレスト、ツーロン両軍港も壊滅的な被害を受け、艦艇の建造が大幅遅延。

○ロンドン市街地の約8割が消失。また本土近海に大量の機雷をばら撒かれ船舶の航行が非常に困難になる。

などを含めて甚大な被害を受け、死者・行方不明者は併せて100万人を超えた。そして日米露側は声明をだし、

「次に毒ガスを用いた攻撃があれば我々も特殊兵器を使用した無差別攻撃を行う。」

と強い口調で全世界へ向けて発表した。
これに対して同盟側は非難声明を出したものの、余りにも甚大な被害に怖気づいた各国軍部及び国民の声に押され、毒ガスの使用を見合わせる事となった。
またこの時の空襲を境に同盟各国に対する定期便が就航することになった(※4)。

13 :ライスイン:2014/04/29(火) 17:17:41
しかし毒ガス攻撃の被害は大きく、日米露側は当面防御に徹して損害の回復に努め、攻勢は翌年に実施する事を決定した。
そして1942年10月1日、ハワイに日本・アメリカ・ロシア・イタリア・トルコ・オランダを始め、同盟へ宣戦布告している各国の首脳が集結。
対同盟の世界規模での軍事同盟と戦後秩序の再構築を目指した新たな国際機関の創設を決議(※5)。
戦争は遂にほぼ全ての国家を巻き込んだ世界大戦となった。


※1:保有している毒ガスの大半をつぎ込んで行われた。

※2:このテロ攻撃が戦後のオーストラリアに対する措置を途轍もなく過激な物にする切欠となった。

※3:日本の連山の情報を受けて開発が加速。この時既に1000機以上が実戦配備状態に合った。

※4:使用機種は連山・富嶽・B-17・B-24・B-29・Pe-8・P-108など。主な荷物は通常爆弾・焼夷弾・地中貫通爆弾。

※5:名称は国際連合。以後、日米露側を連合と呼称する。

次話:「日米露三国同盟~落日の欧州」14

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最終更新:2014年05月18日 20:21