305 :ライスイン:2014/04/24(木) 20:37:29
1942年3月  東京 夢幻会会合場所


「北アフリカで反攻作戦が開始されたか。」

「アメリカ・イタリア・トルコの史実じゃ絶対にありえんな。」

「北アフリカ・中近東の同盟軍一掃作戦か・・・壮大ですね。」

「我々もインドのボース派や南アフリカの黒人勢力に武器を大量に渡しましたしね。」

「オランダ政府も旧ボーア人には匙を投げてましたな。」

「インドもだ。ガンジーがここまで親英だとは・・・。」



    「日米露三国同盟~落日の欧州」12


 1942年3月1日、日米露は北アフリカで反攻作戦を開始した。
イタリア領リビアを拠点にして西のチュニジアやアルジェリアをモロッコに上陸・制圧した米軍・カナダ軍と挟撃。
東のエジプト・スエズはシリア・ヨルダンを制圧しつつあるトルコ軍と挟撃するという壮大な作戦だった。
またほぼ同時に日本軍・カナダ軍・ボース派によるビルマ方面からのインド侵攻作戦も開始されていた。

 西部のチュニジア・アルジェリア・モロッコについては殆ど一方的な戦いになった。
それまでのイタリア軍との戦闘で大幅に消耗し、制海権・制空権を完全に握られてしまっていた為に補給もままならず
現地のフランス軍やスペイン軍は一方的に敗退を重ねていた。それでも少数ながらドイツ製の3号突撃砲G型や4号戦車F2型を
供給されていた北アフリカ唯一のフランス軍装甲予備師団(師団長ルクレール少将)が壮絶な抵抗を繰り広げた。
しかしM4A3E8やM4A3E2「ジャンボ」に加え、M36対戦車自走砲まで装備した米軍機甲師団には歯が立たず、激戦の末全滅。
他のフランス軍やスペイン軍も欧州の機甲師団以上に機械化されていた米軍歩兵師団の敵ではなく、東部から迫るイタリア軍も
自国製のP40や米軍供与のM4を多く装備していた為、やはりマトモな抵抗は出来なかった。
 こうしてフランス軍・スペイン軍は敗退を重ね、6月にはいる頃には残敵掃討も含めてチュニジア・アルジェリア・モロッコ
は完全に日米露側に制圧されていた。

 東部のエジプト方面は西からイタリア艦隊の艦砲射撃及び空軍の援護の元、イタリア機甲師団を先頭に怒涛の勢いで攻撃を開始。
また東からはシリアとヨルダンを制圧したトルコ軍がシナイ半島に突入を開始していた。
前述の通り制海権・制空権を損失した同盟側は補給がほぼ途絶。親英と見られていたサウジアラビアはスイスの件で改めて中立を
宣言され(後に日米露側で同盟に宣戦布告)、属国だったオマーンとイエメンは駐留イギリス軍ごとカナダに帰属すると宣言。
おまけにクウェート及び駐留軍も相次いでカナダへの帰属を宣言した。
 その為に紅海も使用できなくなり完全に孤立した在エジプトの同盟軍は遂に組織的な略奪を実施。そしてエジプト国王を軟禁した上で
王室財産を接収。同じくエジプト所有の資産や国家運営に必要な予算や物資すらも強引に接収する事までしたのだった。
この行為にエジプト人は激怒。またエジプト軍や同盟軍に組み込まれていたエジプト将兵が相次いで脱走し日米露側に投降。
一部は同盟軍相手にゲリラ戦を開始した。自らの行いで治安が極度に悪化し、鎮圧の為に兵員を割く必要に駆られ、前線へ送る兵力が
更に低下。これにより日米露側の進撃速度が更に増加する結果となった。

306 :ライスイン:2014/04/24(木) 20:38:02
5月10日、この日は在エジプト同盟軍にとって悪夢の日となった。
前線で指揮を取っていたドイツアフリカ軍団司令官のロンメル中将がヴァシレフスキー中将指揮するロシアアフリカ軍団に敗北。
更にロンメル自身も撤退の最中に味方部隊と逸れた所をロシア軍の捕虜にされてしまった。
 更に手薄になったアレキサンドリア軍港周辺にフォルゴーレ空挺師団が空挺降下。短時間の戦闘で港が占領され、更に予め準備していた
イタリア軍部隊が即座に上陸展開した。おまけにトルコ軍がシナイ半島を制圧してスエズ運河東側を占領した。
その7日後にはエジプト軍を先頭にした日米露側がカイロに突入。僅か1日で奪還し、軟禁されていた国王を解放した。
戦闘は残敵掃討に移行し、6月25日のアスワンでの戦闘、そして在エジプト同盟軍司令官となっていたモントゴメリー中将の戦死(※1)で
エジプトにおける戦闘は終了し北アフリカは完全に日米露が制圧。そしてアフリカにおける同盟植民地攻略及びイタリア領エリトリア・ソマリア
救援のため、南下を開始したのであった。

 また南アフリカやインドでも大きな変化があった。
南アフリカ共和国に対してはオランダ政府が旧ボーア人に対して自分達への協力を呼掛けるも現状に満足していた(※2)た大半の旧ボーア人
は聞く耳を持たなかった。その為、日米露及びオランダは潜水艦や長距離飛行艇などを使って反政府黒人勢力(※3)に武器の供与や軍事顧問を
送り込んでの訓練を実施。組織を整えた上でのゲリラ戦を開始した。

 インド方面でも日米露の支援で強化されたボース派が攻勢を強めていた。
英軍やガンジー率いる国民議会派ではインド人兵士の士気低下や脱走が相次ぎ勢力が弱体化していた。
更にはエジプトと同じく略奪に走った英軍とそれを止めようとしない国民議会派への支持や期待は無き物になっていた。
おまけにセイロン(※4)を拠点にした日本軍の攻撃に加え、ビルマ方面からも日本軍が続々とインドに侵入。更にはイランが日米露側に立って
同盟へ宣戦布告。イラン軍及び増援のロシア軍が国境を越えインドへ攻め込んだ。これにより追い詰められた英軍・国民議会派は戦力をニューデリー
周辺に集め、東西から押し寄せる日米露に決戦を挑む事になる。

 イタリア本土においても戦線は停滞していた。バドリオの反乱で占領したヴェネツィア~ミラノ以北から殆ど南下出来ず、国境要塞に立てこもる
イタリア軍も駆逐できていなかった。ロシア戦線に一線級の装備・兵員を取られ、戦車も新鋭の4号F2やH型は僅かであり、米軍の増援を受け増強された
イタリア軍に苦戦していた。中でも在庫一掃も兼ねて大量供与されたM6A1重戦車は強力で同盟軍にとっては正に”街道上の怪物”であった。

 ロシア戦線では最新鋭の装備を優先して配備していたがそれらを上回る兵器を大量に繰り出してくるロシア軍を相手に一歩も進めず、逆に僅かにしても
後退する有様だった。

 この為・・・同盟軍は再び禁断の兵器を使用することになる。


※1:戦死とされているが実際は逃亡し様とした所を大量の暴徒に囲まれ、参謀や護衛もろともリンチされ死亡した。

※2:黒人など有色人種を奴隷扱いして差別・搾取して稼ぎ、そして優良人種たる白人のプライドを満足させていた為、解放してかれらが
   自分達と同等の立場になるの酷い嫌悪感を示していた。

※3:戦争が始まると黒人に対する搾取は更に強まり、強制無給労働や前線での弾除けや肉壁など過酷な扱いを受けていた。
   その為にそんな扱いに耐えかねた黒人などが密かに無数の反英組織を作っていた。

307 :ライスイン:2014/04/24(木) 20:38:41
おまけ  1942開戦直後の各国海軍主力艦


トルコ海軍

○戦艦

スレイマン1世級戦艦(扶桑型):スレイマン1世、メフメト2世

イスタンブール(旧伊ダンテ・アリギエーリ)

○巡洋戦艦

ヤブス(旧独ゲーベン)


ロシア海軍

○戦艦

インペラトール・ニコライ2世級(史実S・ソユーズ級):インペラトール・ニコライ2世(バルト海)、アドミラル・マカロフ(北海)、
                          マーシャル・クロパトキン(北海 1942年9月)、
                          マーシャル・クトゥーゾフ(バルト海 1942年12月)

ガングート級戦艦:ガングート(バルト海)、ペトロパブロフスク(バルト海)、ポルタワ(北海)、セヴァストポリ(北海)

インペラトリッツァ・マリーヤ級戦艦:I・マリーヤ(黒海)、I・エカテリーナヴェリカーヤ(黒海)、ヴォルヤ(黒海)


○巡洋戦艦

クロンシュタット級巡洋戦艦(史実より若干拡大+主砲35.6㎝3連装×3):クロンシュタット(1943年1月 北海)、
                                  サンクトペテルブルク(1943年5月 北海)

ボロディノ級巡洋戦艦:ボロディノ(バルト海)、イズメイル(バルト海)、ナヴァリン(太平洋)、キンブルン(太平洋)

他に日本にて翔鶴を元にしたロシア向け空母を建造中。

次話:「日米露三国同盟~落日の欧州」13

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最終更新:2014年05月18日 20:23