506 :ライスイン:2014/06/10(火) 21:21:09
1944年6月 東京・夢幻会会合場所


「そろそろケリをつけませんとな。」

「ブツと特別仕様の富嶽は現地に到着済みです。」

「奴らの首都は包囲済みだな。」

「ロシア軍は通常兵器のみで十分だとのことだ。このまま力技でベルリンを落とすそうだ。」



         「日米露三国同盟~落日の欧州」19


1944年も6月に入ると、欧州同盟は滅亡の崖っぷちに立たされていた。
3月に行われた最後の海戦、第2次ユトランド沖海戦”通称ジェリコーチャージ”の敗北により英海軍は艦隊戦力どころか
魚雷艇や特攻ボート、特攻機や優良な航空戦力をほぼ損失。連合軍の上陸作戦や艦砲射撃に空襲・空挺降下を防ぐ手段を失っていた。
4月にはアイルランド側からウェールズに対して上陸作戦が行われ、5月にはその全域が占領されていた。
また5月にはアメリカ第82・101空挺師団に日本陸軍第1空挺師団と海軍特別陸戦隊空挺旅団がグラスゴー周辺に空挺降下。
同地周辺をあっさりと占領し後続部隊を受け入れつつ占領地を拡大していった。
 同時に空襲も強化され日中と夜間にそれぞれ1000機以上の爆撃機が来襲。アイルランドやウェールズを確保したおかげで戦闘機の随伴も
可能になり、日本軍(隼・飛燕・烈風改・疾風など)やアメリカ軍(P-38L、P-47N、P-51D、F8Fなど)の強力な戦闘機によってRAFの迎撃(※1)は
尽く失敗していた。

 イギリス側も反撃を試みてはいたが、海ではシーデビルと呼称する伏龍モドキによって舟艇を僅かに損傷させただけで狩り尽くされてしまった。
陸上でも最初の頃は威勢が良かった郷土防衛隊や学徒兵であったが連合軍の宣伝部隊による活動(※2)によって士気がガタ落ちし、投降や相次いだ。
正規の王立陸軍部隊も武器弾薬や燃料の枯渇(※3)により満足に力を発揮できず、連合軍戦車に対抗するために開発されたブラックプリンス歩兵戦車(※4)や
17ポンド対戦車砲はすべてロンドン防衛に回されてしまっていた。
 さらにイギリスにとって致命的な事態が発生した。
5月1日、アイルランド軍や米軍の特殊部隊によってとある人物が救出された。その人物はアメリカ駐英大使ジョセフ・ケネディ。米軍参戦後に大使館に踏み込まれて
拘束され、とある場所に監禁されていたのだ。救出時には栄養失調や拷問によって立ち上がることも出来ない位に衰弱していたが、彼の証言によってエディンバラ郊外に
収容所があることが判明。連合軍はすぐさま同地への進撃を決定した。
 5月6日、英軍の微弱な抵抗を排除しつつ怒涛の如く進撃してエディンバラ一帯を占領した連合軍は見るに堪えない凄惨な光景を目撃してしまった。
収容所の敷地には死体の山が野晒にされており、辛うじて生存していた者達も今にも死にそうなくらい痩せ細っていた。
彼らの証言からこの収容所には捕虜や敵性外国人が集められていて男は強制労働、女は慰安婦として扱われ拷問や処刑も日常茶飯事だったとの事だ。
連合軍はすぐにこの事を公表。先の宣伝部隊の活動もあって英国市民は士気が地に潜り、絶望的な戦況や政府への不信もあって暴動やサボタージュが続発。
一部では連合軍に積極的に協力する者まで現れた。

507 :ライスイン:2014/06/10(火) 21:21:43
他の戦線ではノルウェー全土を解放した連合軍が遂にオランダ本土へ上陸を開始し同地を占領するドイツ・ベルギー軍と戦闘しつつ5月10日には全土を解放。
増援を受けつつベルギー本土へ侵攻を開始していた。
 イタリア軍も順調に進撃を続け、5月15日にはスイス全土を解放。またトルコ軍とともにドイツ南部を占領しベルリンへと進撃を開始し。バルカン方面でも
ハンガリーを占領していた(※5)。
 東部においてもポーランドを解放し東プロイセンを占領したロシア軍がドイツ本土に侵入。ドレスデンやロストクなどをベルリンを包囲する様に占領していった。

 そして時間は進み6月6日(※6)、ロンドン・パリ・ベルリンは連合軍の完全包囲下にあった。
ロンドンでは6月2日にクルセイダー作戦と称する英軍最後の反撃が行われ、ブラックプリンス30両やマチルダⅡ50両を含めた近衛師団を基幹とする3個師団(※7)規模の
部隊が連合軍に攻撃を仕掛けたが、空襲や砲撃に加えてバズーカや和製パンツァーシュレックの攻撃にM26E4(T26E4の正式量産型)やM46、3式・4式といった強力な
戦車群の迎撃によって数時間のうちに粉砕されていた。
 ドイツでは5月25日にヒトラーに向かって降伏を進言したマンシュタイン元帥が親衛隊に射殺されるという事件が発生。この事が知れ渡ると陸軍や残存する空海軍、
そして一部の武装親衛隊(※8)は一斉に離反し連合軍に投降を開始した。これによって反攻作戦は不可能になった。
しかし残された部隊は第36SS武装擲弾兵師団ディルレヴァンガーやカミンスキー旅団などの最悪な部隊に国民擲弾兵やヒトラーユーゲント、一般親衛隊を武装化した
督戦隊という最悪な状況であった。
 フランスにおいては士気が高いのは親衛隊化した国家憲兵隊に国家社会主義フランス労働者党の党員から編成された突撃隊とドゴール子飼いの1個師団程度でパリ市内でも
暴動が多発し士気が低下した陸軍部隊はおろか市民すらも包囲する連合軍への投降が相次いだ。防衛軍司令官のジロー大将は指揮下の部隊を使って何とか統制を維持しようとしたが

各国の首都が猛爆撃を受け、ハリファックス、ヒトラー、ドゴールが絶叫を上げる中で連合軍は降伏勧告を行った・・・が逆に「お前たちが降伏しろ」 という返事が返ってきた。
この様な状況下ですら降伏する気配を見せない。その為、連合軍は遂に最終手段に打って出た。

 1944年6月8日早朝、アイスランドの飛行場を特別に改造された富嶽が飛び立った。数時間の飛行の末にスカパフロー軍港の上空に到達。
そこで搭載していた荷物・・・原子爆弾”大和魂”を投下した。

炸裂した瞬間、猛烈な閃光と熱線・爆風が発生し、ちょうど真下にあったジェリコー銅像を蒸発させつつ甚大な被害を与えて軍港及び周辺地域を壊滅させた。
連合軍は即座に攻撃及びその実態を公表して改めて降伏を勧告した。

 英国ではジョージ6世の 「もう終わりにするべきだ」 という言葉に疲れ果てていた閣僚や軍首脳部が賛同。”病気により入院”し職務遂行が不能になったハリファックスの
後任となったイーデンが降伏勧告を受託。かろうじてロンドンでの市街戦は免れた。

 フランスでは抗戦姿勢を崩さぬドゴールに対して遂にジロー大将がクーデターを敢行。自身の配下や市民の協力を受けてドゴール派の部隊を排除してドゴールを拘束。
そのうえでパリを包囲していた連合軍部隊に対して降伏した。

508 :ライスイン:2014/06/10(火) 21:22:19
ドイツでは勧告を無視した為にロシア軍がベルリンへと突入。街灯に多数の死体が吊るされている光景の中で凄惨な市街戦が展開。
火力・士気・物量に勝るロシア軍が圧倒的な優位に立ち、突入翌日にはほぼ全域を占領し、ヒトラーが立てこもる総統官邸を包囲した。そこで再度降伏を勧告するが返事がない為
突入を開始。屋内の戦闘で多少の被害を出すも順調に制圧。そして遂にヒトラーの執務室へ突入という時に内部で銃声が響いた。
慌てて突入したロシア兵はまだ煙が出ている黄金のワルサーを握った女性と頭を打ち抜かれて倒れているチョビ髭の男を発見。ロシア兵が女性から銃を取り上げようとしたが彼女は
素早く自分の頭に銃口を当てて引き金を引いた。
検視の結果、倒れていた男はヒトラーで彼を撃った後に自殺した女性は愛人のエヴァ・ブラウンであることが判明。連合軍は同日付でヒトラーの死亡を公表。

遂に長き戦いは終了したのであった。


※1:ロンドン防衛に用意されていた最新のスピットファイアは早々に消耗し、末期には予備として保管されていたブルドックやグラディエーターが使用されていた。

※2:スカパフローの真実や連合軍の蛮行に正確な戦果情報などをビラ投下やラジオを使って宣伝していた。

※3:この頃になると保管武器すら底を尽き、急造のセミオートオンリーのステンサブマシンガン(実態はほぼ拳銃)が正規歩兵の主力火器になっていた。

※4:スペック上は史実と同じだが劣悪な素材に工作不良が加わり実際の性能はかなり低下していた。

※5:首都ブダペストに展開していたディートリヒ率いる第6SS装甲軍等が戦闘前に降伏した為、戦闘はほとんど発生しなかった(ハンガリーナチスや一般SSが多少抵抗した程度)。

※6:この時点でベルギーとルクセンブルクは降伏。フランス内に潜伏していたフランコも発見され、抵抗の末に射殺されていた。

※7:最後に残ったマトモな正規軍部隊。

※8:ハウサー率いる武装SS部隊。

次話:「日米露三国同盟~落日の欧州」20

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最終更新:2014年06月16日 22:19