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1944年10月 東京・夢幻会会合場所

「これでようやく完全に終わりましたね。」

「駐留させる軍の経費はかかりますがね。」

「絞り取れるものはすべて絞り取りとったからね。」

「モーゲンソープランも真っ青な過激な内容になりましたけど。」

「当然の報いというやつだな。」



                     「日米露三国同盟~落日の欧州」20



 1944年6月15日、敗北した欧州同盟各国の首都に連合軍が続々と進駐してきた。
ロンドンには日米加などに加えてインド・南アフリカ・エジプトからの義勇兵やアイルランド軍が。
パリにはベトナムなどインドシナ地域からの義勇兵にタイ王国と朝鮮王国が。
ブリュッセルにはすでに全土を占領していたオランダ軍に加えて旧ベルギー領コンゴからの義勇兵が加わっていた。
すでに欧州同盟各国の軍は戦闘能力を損失し武装解除も進んでいたため衝突はほぼ発生しなかった(※1)

 そして6月17日、フランスのパリに連合各国と敗戦した同盟の首脳又は特使が集結し、降伏した同盟に対する処分の内容を
話し合う会議が開かれた。主な議題は

01:戦争犯罪者の処罰  02:各国への損害賠償  03:軍備解体  04:国家の再編成  などであった。


 戦犯の処罰については戦争を指導した各国の首脳など政府・軍の高官及び戦争を賛美し捕虜等を奴隷として酷使した財閥・企業関係者などを中心に
実際に蛮行を働いた者達や思想面で大きな影響を与えた者も処罰の対象になり、後日開かれる裁判で裁かれることになった。

 各国への損害賠償についてだが天文学的すぎる賠償が科せられることになった。
捕虜や民間人への虐待や強制労働に加えて肉の壁として使った事。度重なる宣戦布告なしの奇襲に加えて同じく度重なる毒ガスの使用。それに
スイスへの侵攻と各国が預けていた莫大な資産の接収など数えきれない位の蛮行が行われたためであった。
 これについては連合国賠償管理委員会が新たに設けられてその管理の下に各国へ保障が行われることになった。賠償財源については
王室・政府保有資産の接収、財閥・企業等を解体し保有資産と特許・技術を接収、武装解除し接収された兵器や機械類などが当てられる事になった。
それらに加えて戦犯の個人資産や国有・公有地の殆ども接収対象になった。

 軍備解体については現行の軍はすべて解体され、国家再編成後に新たに別の形で設けられることになったこ(※2)。

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そして国家再編成だがその内容は

イギリス:イングランド王国(王室は存続)、スコットランド共和国、ウェールズ共和国に分割。北アイルランドはアイルランドが併合。

フランス:プロヴァンス・コートダジュールとロアーヌ・アルプをイタリアへ譲渡、フランシュ・コンテをスイスへ譲渡。
     ブルターニュを連合国管理下の国際自由州に設定し残りを南北に分割し、北部をブルボン家の子孫を王位に就けたフランス王国。
     南部を今まで通りの共和体制のフランス共和国に再編成。

ドイツ:オーストリア、チェコ、スロバキアの独立。リューベック以北をデンマークへ譲渡。東プロイセンをロシアへ譲渡。
    ダンツィヒや東部の一部をポーランドへ編入したうえでメクレンブルク・フォアポンメルン州を主にポーランド、バルト3国、北欧各国が管理する
    国際自由州に指定。ニーダーザクセン州を同じく国際自由州に指定し残りをバイエルン王国(バイエルン州)、
    ヴュルテンベルク王国(バーデン・ヴュルテンベルク州)、ザクセン王国(ザクセン州)、残りをプロイセン王国に分割(※3)。

ベルギー:首都を含むフランドル地方をオランダに編入。王室は存続。

ルクセンブルク:特になし。

ユーゴスラビア:スロベニア、セルビア、モンテネグロ、ボスニア、モンテネグロ、マケドニア、コソボ、クロアチア(沿岸部はイタリアに編入)に分割。

ギリシャ:クレタやロードスなど地中海・エーゲ海の島をトルコ及びイタリアに譲渡。軍備完全解体・外交権を剥奪された上でトルコの保護国化。

ブルガリア:スリヴェン以東をトルコの管理下に置く(後にヴァルナ共和国として独立)。

ルーマニア:ブカレスト以東をロシアの管理下に置く(後にワラキア共和国として独立)。

ハンガリー:王政復古、立憲君主制に体制変更。

スペイン:ジブラルタルを連合管理下に置き、マドリードを境に南を共和制のスペイン共和国、北を王制化のスペイン王国に再編成。ポルトガルの独立。

上記各国が有していた植民地は一旦連合管理下に置かれ、時機を見て独立させることになった。
又、再編成されたとは言っても国有・公有地など土地の大半や鉱山・油田・港湾などは連合の管理下に置かれ、領内に連合軍部隊が駐留しその費用も半分を
負担しなければならないなど前途は多難であった。

南アフリカ:全土を制圧した黒人抵抗組織が政権を獲得し各国も承認。戦犯の処罰も一任。

オーストラリア:領土をタスマニア州・ニューサウスウェールズ州・サウスオーストラリア州・ヴィクトリア州・クイーンズランド州に限定し、
        住民(白人系オーストラリア人)を強制移住。ウェスタンオーストラリア州とノーザンテリトリー州は連合の管理下に置かれて
        オーストラリア人は立ち入り禁止(後に先住民を中心としてオセアニア共和国として独立)。軍備完全解体、今後30年間2000t以上の
        軍艦の建造保有禁止。30年間の戦車設計開発保有禁止。30年間ジェット及びロケット動力航空機の研究開発生産保有禁止。
        自衛力を陸海空全て併せて3万人に制限(後方要員・軍属含めて)。

952 :ライスイン:2014/06/28(土) 21:29:20
また44年の6月時点でも未だ内戦が終結する見通しが経たず、10以上の勢力に分かれて争っている中国への対応としては

1:満州との境に要塞及び巨大な壁を作り(日本側名称ウォールシナ)、周囲を無人地帯として立ち入りを禁止し鉄条網と地雷原を設置し完全に封鎖。

2:沿岸部の省を確保し傀儡国家を樹立。

3:内戦を煽る為に特殊医薬品の無償供与(※4)を行う。貿易については小火器や地雷を中心とした武器弾薬を輸出。対価は各種資源とする。

4:チベット、モンゴルなどの独立支援。そしてそられを加えた周辺諸国に軍事援助を行い、中国との国境の警備を強化する。

5:在外華僑の強制送還及び入国禁止。 などであった。


 この厳しいを通り越した過激な決定に旧同盟各国では反発が相次ぎ、隠し持っていた武器を使って抵抗する者や武装解除が完了していない部隊が
駐留連合軍へ攻撃するなど抵抗が相次いだが見せしめの為に過剰な火力で即座に鎮圧された。
また満州については日米露の共同統治が再確認され、時機を見て住民投票を行い、独立の是非を問う事になった。

 そして1944年10月1日、各国代表による正式な調印が成され戦後処理案は成立した。


※1:降伏間際の混乱で一部の武器が流出。また部隊単位で潜伏したり、僻地に展開していた為に武装解除が進んでいない部隊もあり、それが後に
   過酷な決定に対して抵抗した。

※2:例としてイングランド王立自衛隊、ウェールズ警備隊、スコットランド国防隊、プロイセン王立国境警備隊、フランス王国警察予備隊など

※3:あまり細かく分割すると統治や管理が面倒になる為、大雑把になった。

※4:アヘンなどの麻薬を特務機関などを使って内陸部を中心にばら撒いた。勿論正式な決定でなく文書には一切記載されなかった。

次話:「日米露三国同盟~落日の欧州」21(最終話)

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最終更新:2014年07月12日 01:09